上村忠男著『回想の1960年代』ぷねうま舎刊
1960年というと、私らは小学生の6年生だったから、
安保闘争というものは、ほとんど、「歴史」あるいは「伝説」に属している。
「60年安保闘争から70年安保闘争へ」という視座からされる論議は幾つか散見されるのだが、
実は、労働者・学生の闘争というものは、
1965年の日韓条約の締結と、
それに反対する諸勢力の結集体としての反戦青年委員会があったのだが、
この局面をきちんと総括できたものはまだ出会ったことがない。
更に言えば、
70年安保闘争での新左翼運動の終焉が、いわゆる「連合赤軍事件」であったとされるのだが、
社会的・政治的な視角から言えば、いわゆる「スト権ストの敗北」によって、
新左翼運動も戦闘的労働運動も、その方向性を見失ったと見なければならない。
1960年から1980年に至る歴史に関しては、
その「証言」をなしえる「当事者」がまだ存命であるから、
語り残すべきことも多く残されていると思うのだが、
歴史を「粉飾」したり「偽装」したり、あるいは「誤導」したりという、
まぁ、個人的な回顧録では避けられないことではあるのだが、
読み込むに当たっては充分な留意が求められる。
著者は、いわゆる「構造改革派」、イタリア共産党のトリアッチヤグラムシに影響を受けたらしいのだが、
当時は、スターリン主義に対する批判を込めて、
ユーゴスラビアの社会主義が良いとか、
キューバ革命のチェ・ゲバラがどうしたこうしたとか、
東欧の人民民主主義革命が良いとか悪いとか、
日本の社会主義(の思想と運動)を、他国の社会主義を借りて論じる(正当化する)ことが専らで、
「日本の」社会主義をまともに考えた部分があったのかなかったのか、
先ず検証されなければならない問題であるだろう。
「クレムリンの侍女」と揶揄されたフランス共産党に対する冷淡さは、
ユーロ・コミュニズムの隆盛に応じて、
日本でも、反レーニン=スターリン主義の旗振りとして、
レオン・トロツキーを持ち上げて「再評価する」という、お馬鹿な学者先生も飛び出したことが、
実は、日本の社会主義の研究者やイデオローグの知的貧困を物語ったわけで、
直ちに消化されて霧散されてしまって、
今や「日本の社会民主主義」ですら語れなくなっているのである。
このことは、現在に至っても全く反省されていないのであって、
ピケッティの著作が直ぐに喧伝されたりするのだが、
だったら、日本の現在の「格差」や「貧困」問題をどう向き合っていくべきか、
外国の「権威」に縋るだけでは何も語ったことにはならないのである。
・・・といったことを考えながら、本書を読むのだが。