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2017-05-01 00:00:26

微修正し、修正し、大修正する、とまあ、そんなことばかりが、来る年も、また、来る年も、続くのだが

テーマ:遠投浮き釣り

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 このブログのすべては、個人的なメモ帳、そのものです。(~不定期更新、毎月1日にチャレンジ中) 

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 ①雑感~事に逢(あ)えば心を生じ、事すぎればまた無心(荘子)
 
 次のことは、最近、読み込んだものの中から、『仏教の真実』(田上太秀、講談社現代新書)、について、けっこう、沢山、そして、物凄く、興味を引いた箇所を、少し、抜粋し、編集し、引用しているものです。
 
 
 
 まちがった日本仏教の風習~「火」、「水」、「数珠(じゅず)」、そして、「仏像」~
 
 その4 「仏像」 ➮ 釈迦(しゃか)は願い事を頼むための対象ではなかった
 
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 <予備知識>
 
  釈迦(しゃか)の生没年は、たとえば、[生]前463頃[没]前383頃など諸説があるものの、いずれにしても、紀元の前、はるか昔、のことである。
 
 (『ブリタニカ国際大百科事典』など)
 
 
 仏教はキリスト教やイスラム教などから、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)の宗教と非難されるが、キリスト教やイスラム教の神は形を持たないので、神像を造ることはできない。
 ところが仏教は(・・・)歴史的人物を崇拝しているのだから、何ら非難されるいわれはない。
 
 国宝や重要文化財などに指定された仏像を観て回るのを楽しむ人びとがいる。(・・・)
 礼拝するというより鑑賞して回るのを楽しんでいるようである。(・・・)
 どんな仕方で仏像と接するにしても、仏像の前で瞬時でも心静かになるのであれば、それに勝る癒(いや)しはない。
 
 (『仏教の真実』田上太秀、講談社現代新書)
 
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 <本題>
 
 わが国では仏像に願い事をすれば叶えられるという信仰が根強いが、前にも述べたように、その霊験は保証されるものではない。
 なぜなら、もともと仏像が作られた目的は、すでにこの世にいない釈迦の姿を人の形にし再現し、親しく接して生前の釈迦に思いを馳せることにあったから、願い事を頼むための対象ではなかった。
 わが国では造られたばかりの仏像は、最後に目を入れたのち魂を入れる開眼供養の儀式を経て、はじめて礼拝の対象となる。
 つまり仏像には魂が入っていると言うわけである。
 いつも思うことだが、その魂はどんなもので、どこから持ってくるのだろうか。

 仏像を芸術の目から観察したり、歴史的に調べようとしたり、顔の表情、手の格好(かっこう)、衣の形、アクセサリーの種類などを観察したり、仏像を観ていると興味は尽きない。(・・・)
 中国でも韓国でも、また台湾でも、仏像にはみなアクセサリーが多く、全体に美的に華美に作られている傾向がある。
 ところがインド国内で出土した仏像はアクセサリーがなく、頭に毛髪がなく、衣一枚の姿である。(・・・)
 本来、釈迦は衣一枚を着て、剃髪(ていはつ)し、アクセサリーは一切なく、数珠(じゅず)も持たなかったと言われる。
 その姿を再現したら、言うまでもなく質素であったはずである。
 それがわが国では宝冠(ほうかん)をかぶったり、数珠を持ったり、ネックレスを掛けたりした仏像が見られる。
 これは釈迦の本来の姿ではない。(・・・)
 仏像は紀元二世紀頃に造られはじめたようで、それ以前には仏像はなかった。
 したがって釈迦への祈願はまったく存在しなかった。
 釈迦は、仏、を念じるのではなく、ブッダを生んだ、法(真理・道理)、をつねに念じて、人の道を歩むことを教えた。
 念仏、ではなく、念法、が仏教のほんとうの信仰である。
 
 (『仏教の真実』田上太秀、講談社現代新書)
 
 
 なあるほどね。 (^_^) 

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 ②竹田青嗣・西研のヘーゲル解読 11+α
 
 今号は、お休み、にさせていただきます。 (・Θ・;) 

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 ③遠投浮き釣り一文字釣法 2+α
 
 今号は、お休み、にさせていただきます。 (・Θ・;)
 
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 もう一度、『仏教の真実』(田上太秀、講談社現代新書)、から、おいらが、お気に入りの言い回し、の一つを引用しましよう。
 
 
 色即是空(しきそくぜくう)とは(・・・)、肉体に霊魂や神などが宿ると思い込んでいる人に、じつは肉体にはそのようなものは内在していないことを、「空」と教えた。
 永遠なもの、実体、つねに変わらないものがみな存在しないことを空と言ったわけである。
 肉体が無いのではなく、肉体に不滅なものは無いと言ったのである。(・・・)
 では、なぜすべてのものは空なのか。(・・・)
 簡潔に言うと、(・・・)すべての形作られたものはいろいろな要素が集合し、つながり、そしてそれらが依存しながら生成し、存在しているであるから、それ自身の、あるいは固有の姿や形を持たない。
 だからものはつねに変化し、衆縁和合(しゅうえんわごう)して創造され、存続し、消滅するのである。
 そのような世間に、不滅なもの、固定したものはない。
 ゆえにすべてのものは空だと説いたのである。(・・・)
 衆縁和合しているとは、さまざまな要素が集まり、依存しながら構成されているということで、(・・・)すべてのものが固有のかたちを持たないのである。
 つねに変化し続けている。
 変化しているのはかたちを変えているからである。
 そしてすべてのものが変化しながら互いに支え合い、原因となり条件となっているのである。
 衆縁和合しているから空なのである。

 (『仏教の真実』田上太秀、講談社現代新書)
 
 
 フーム。 (●´ω`●)ゞ
 
 それにしても、書きとめておきたいこと、それは、海の浮き釣りの、簡単なのに確実に釣れる、アマチュアのための釣法、の具現化のことに限ることではあるのだが、これが、いつも、つねに、変化し、定まることがない、ホントにホント、微修正し、修正し、大修正する、とまあ、そんなことばかりが、来る年も、また、来る年も、果てしなく、続くのだが、そうとは言っても、お気に入りの釣り場とその狙うポイントやタナが決まり、釣行のアクセスに適したタックルなどのことが決まってくると、これが、また、不思議なことで、不可能と思われていた、釣り方、のことが、ついに、とうとう、やっと、決着が着くものではあるのです。 
 
 テヘツ。 (*´ω`*)
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 ありがとうございました。 m(u_u)m
 
 (なお、手前勝手ながら、パワー欠乏のため、ペタ交換中断中、ごめんなさい。 m(_ _ )m )
 

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