社会を変化させる社会心理論・組織心理論の考察記

行政職員の筆者が日々明け暮れている、社会を大きく変化させるような社会心理論、組織心理論の考察内容を綴ったブログです。


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前回は仕事内容を安易に重く考えることで安易に残業時間を増やしたり年休の取得を難しくしたりする、そんな心理について述べた。
このような安易な威厳づけというのは、職位に対しても生じる。今回はこのことを述べてみたい。

 

年度末のこの時期、業務量も多く部署を回すのが大変になることも多いだろう。年度末に限らず、慢性的に業務量が過大にのしかかっている部署もあるだろう。
そして自分が正社員の場合、そうした状況に面した時には「正社員だから残業しないと…」自然とこう受け止めることが多いものだ。部署に非正規、派遣の方がいればその意識は自ずと強められる。

 


しかしこれもおかしな話だ。第一に考えるべきなのは、業務量の配分が過大であること、組織の仕事の進め方に問題があること、といった使用者側の原因ではないだろうか。

そうした使用者側の原因を考慮することなく、労働者へ長時間労働や年休の我慢というしわ寄せがいき、正社員が最優先でその矛先となるわけだが、正社員は安定した雇用が保証されている、それだけの権利でもって長時間労働や年休の我慢を強いられるいわれはないだろう。

非正規や派遣の人に比べれば恵まれているかもしれないが、安定した雇用が保証されているのは、人道面で考えれば当たり前の権利だ。そんな権利と引き換えに長時間労働や年休の我慢を引き受けるというのは、考えてみれば割に合わない。

「正社員だから残業しないと」ではなく「自分は正社員なだけなのだから、おかしな業務量は勘弁してくれ」と主張するのが正しいのではないかと思う。

 


正直なところ、長時間労働を引き受けてしかるべきなのは管理職のみであり、それは管理職から残業代が出なくなるということを見ても明らかだろう。
正社員として少しばかり出世したときにも、この理屈はあてはまる。「出世したのだから残業を引き受けないと…」と安易に考えそうなところなのだが、少しくらい出世したところで、管理職に満たない職位であるならば、安易に残業を引き受けるべきではないとも自分は考える。管理職でないならば残業時間は法定外のものとして、原則的に引き受けるものではないのだと。

 


ここまで威勢よく書いてきたが、もちろん日本人の勤勉さを考えるに容易な解決がとても望めそうにない問題だとは思う。非正規や派遣といった職位が安易に広がったことで、正社員の職位が相対的に高まってしまったのもある。だが、正社員なだけであれば、おかしな業務量を課されるいわれはない、社会的にこの意識が強く持たれることは望みたい。

 

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今回は、育児参加への妨げや長時間労働を生む要因の1つとして、仕事内容へ安易な威厳づけを行ってしまう心理について述べたいと思う。

 

仕事をしている中で、職場的に重要そうに思える仕事内容というのがある。会議、来賓対応、講演会など、様々な関係者との調整を要するものがその代表格だろう。外部の人間が絡むとなるとその重要度はいっそう増す。

そうした仕事は、業務時間の後ろのほうに設定されることもしばしばだろう。業務時間の定時を超え残業が生じることも容易に想定される。そんな仕事内容に面したときに…

 「この仕事だったら残業もやむなし」

こんな心理に直ちに及んではいないだろうか。思考停止的にこう考える心理は、おそらく大多数の職場で起こっているものだろうと推測される。この感覚は日本人の価値観に基づいて、無意識のうちに刷り込まれているレベルの話であるだろうし、相当に根が深い。

 

2時間かかるような会議が定時の1時間前開始に設定されていれば、間違いなく残業が生じる。そもそも会議自体が定時後の開始で設定されている、こんな呆れる話は昨今の長時間労働見直しの流れを受けて減っていくのだろうとは思われるが、定時内には開始するが終了するのは間違いなく定時後になる、こんな設定は依然として広く存在しているだろう。

こんな設定を目にするにつけ、本当にそんな設定が必要なのか、定時内に終わらせられるような調整は本当にできないのか、と思わずにはいられなくなる。

 

外部の来賓があったとしても、その人が本当に定時外にかけてでしか来ることができない、というケースであれば、例外的にやむを得ないものとして対応する必要はある。しかし、定時内に終了するということを第一に打診し、それを簡単に譲らないくらいの姿勢は持つべきだ。

外部の来賓に対してさえこのような姿勢を求めたいわけで、内部の人間だけで行う会議を簡単に定時外にかけて設定するというのは、ただ安直としかいうほかない。

 

慣例としてそんな設定が維持されているという会議があれば、慣例だから仕方ないと安易に受け止めることもよくあるだろう。しかしこんな姿勢にも疑義を呈したい。定時外にかかるような仕事内容には、どんな慣例があれども慎重に疑ってかかるべきだ。

 

長時間労働をめぐる問題には、何やかやと「○○のためだから」と安易に威厳づけを行い、思考停止を起こして深く考えることなく残業を受け入れる、こんな心理が根深く関係している。

「安易な威厳づけ」この言葉を定義してこうした心理をあぶり出し、広く抵抗がなされていくことを望みたい。

 

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 自身の親世代などを見てきたところでは、仕事をする上で転勤というものは不可欠であり、ごく自然なものであるとして語られてきた気がする。しかし、女性も仕事に就くことが多くなった時代の流れや、自身が子育てをする中での感覚として、転勤を当然に捉えることには違和感を覚えてきている。このことについて述べてみたい。

 

 転勤はそもそも、「社員の成長のためには、各地の勤務場所を経験することが大事…」という感覚で実践されてきたのだと思う。

 しかし、このネットワークが整備された時代には、転勤までしなくとも得られるはずの意義のために、大げさにも転勤という仕組みが取られてきたのだとも思う。

 もちろん、会社の幹部候補の人であれば、現地にしばらく居てこそ得られるものを吸収していく必要はあるだろう。だから各地への転勤が必要だというのはわかる。しかし言い換えれば、幹部候補の人でなければ、わざわざ転勤まで大がかりに行わせる必要はないのではないか、と思わずにはいられない。

 幹部候補ではない人であれば、安易な転勤は行わずに家庭を顧みたほうがよいし、小さな子供のいる人であればなおさら、その倍以上は家庭に寄り添うべきだ。しかし転勤への安直な概念は、そんな小さな子供のいる人、あるいはこれから子供を作ろうとする新婚の夫婦であったり、そんな人でさえ転勤の対象にする。

 

 奥さんは専業主婦で転勤についていけなくはない、子供の学校を変えることも容易である、そんな人であれば転勤は問題なく可能であって、安易な転勤の概念はこうした家族状況を前提としてきたわけである。

 しかし、ここで子供の学校を変えることが心情面含め容易ではない、という条件が加われば単身赴任が必要となり、奥さんは1人での家事育児を迫られる。子供がまだ小さければ、その負担はさらに増大する。

 さらに、これが近年の重要な変化になるのだが、奥さんが仕事をしている(続けている)という状況がしばし想定される。そうなれば無条件に単身赴任が決定する。奥さんは仕事をしながら1人で家事育児をこなす必要が出てくる。これで子供が小さければ、奥さんにとってはどんな過酷な日々になってしまうのだろうか。

 (近くの親に手伝ってもらえばよい、なんて話も簡単に出てきそうだが、最近は「孫疲れ」なんて言葉も挙がってきたことを思えば、こんな発想は安直に行えそうもない。)

 

 さらに自分が問題だと思うのは、新婚の夫婦に対して、奥さんが仕事をしているにも関わらず、夫への転勤命令が安易に下ることだ。

 新婚でこれから家族計画を立てていこうというところに、夫が単身赴任を迫られるとなれば、その計画はたちまち難航してしまうのは明らかだ。奥さんの出産適齢期とうまく調整できず、子供の数の希望が叶えられなくなるというのは十分ありうる話だろう。

 女性も仕事に就くことの多い時代に、こんなことを続けていれば少子化になるのは目に見えている。

 

 専業主婦の奥さんであれば、子供が小さくても1人で家事育児をこなすことは、一歩譲って仕方ないと考えることはできる。(それでも厳しいとは思うが)

 ただ少なくとも、奥さんが仕事をしている上で、子供が小さいかあるいは新婚で家族計画を立てている、そんな夫に対しては、転勤をさせるのは厳に慎むべきだろう。

 転勤に明確な根拠を見い出せるわけでもなく、上記のような状況にある男性にまで転勤をさせるというのは、もはや狂気の沙汰とさえ思えるのである。

 

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前回書いた内容の補足にもなるが、マミートラック、パピートラックにおける問題点を整理してみたい。

 

最近目にしたところで、「産休育休で長期間仕事をしていなかった上に、復帰後も子供に手がかかるのに元のポジションに戻りたいなんてわがままだ」という意見があったのだが、これには一理あるように思えた。

ただこの理屈はシンプルなようで、細かく論点を整理しておかなければ意味合いがずいぶん変わってくる。

 

この理屈が濫用されると、産休育休のブランクや復帰後の子供の手間を考えると、女性は出産と同時に仕事を辞めるべき、という前時代的で乱暴な話になる。

ポイントとしては、復帰しても構わないがいつ元のポジションに戻れるか、キャリアを再開できるか、というタイミングのところにあるだろう。

 

このタイミングが復帰後、「直ちに」元のポジションに戻りたいというのでは、たしかにわがままなように思われる。子供の手間がかかり、毎日定時で帰宅したり子供が病気をしては早退して看護休暇を取るという状態では、単身の状態でこなしていたポジションに戻るというのは、たしかに非現実的だろう。

 

ただ、だからといって復帰後は一切元のポジションに戻れることはなく、キャリアは再開できない…となると、これもまた暴論になる。子供の手間がかかることで仕事上で役立たずの烙印を押され、キャリアを絶たれるというのでは厳しすぎる。

 

もちろん、ずっと家事育児を優先していたいのでキャリアはもう再開しなくてよい、という女性も多いわけであるが、再開できるならそうしたいという女性も一定数いるわけで、子供の手間が一段落した状態であれば、その希望は叶えられてしかるべきだろう。ここが落としどころになるのだと思う。

 

子供が小さいうちは育児に集中する人はキャリアを抑えた状態で保護を受け、育児が一段落すれば本人の希望次第でキャリアを速やかに再開できる。前回述べたパピートラックも同じことが言えるのだが、このように一度キャリアを下りた上でゆるやかに復旧していく、そんな枠組みが最も適切なものとして、広く理解が浸透していくことを期待するところである。

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パピートラックという言葉がある。女性が出産、育児を機に職場のキャリアパスから下りることがマミートラックで、この男性版がパピートラックとなる。

個人的な経験から、この言葉について述べてみたい。


この言葉を痛感させられるのが、保育園でのお迎え。自分は職場近くに保育園が多くて入りやすかったため、職場近くに住んだ上で保育園へ入れ、自分が毎日の送りとお迎えを担当することにしている。これは保育園入所の難しさを思えば、自然な流れと言えるものだっただろう。

ただその送り迎えの中で、朝の送りは父親も母親も始業時間は同じようなものなので、父親もよく担当しているのを見かけるのだが、これがお迎えとなると、母親が来ているのがほとんどであって父親の姿を見ることがほとんどない。


何を当たり前な、と思われるかもしれないが、よくよく考えてみたい。育児への男女協働が謳われるのであれば、まず考えられる値となるのはお迎えも父母5割ずつで担当するということである。母親の方が子供の扱いに手馴れている、子供も母親のほうになじみやすい、という点は当然にあるのだが、この理屈を込みにしても、父親の2,3割がお迎えを担当していてもおかしくはないだろう。4人に1人といったところだろうか。


しかし現実はそうなっていない。お迎えに来るのは母親ばかりなのだ。都合がつけばたまにお迎えに来ているという父親がいる程度で、自分のように安定してお迎えに来ている父親というのは、本当に他にいない。4人に1人なんて数字でも夢物語に感じられるほどだ。

自分1人だけ父親がお迎えをしていて母親ばかりの中で浮いているものだから、あのお父さんはどんな暇な仕事してるんだろう、なんて印象を持たれているだろうし肩身が狭い。(法定内労働の1日8時間はきっちりこなしてるんだけどねと内心…。)

他にも1人や2人、安定してお迎えに来る父親がいればずいぶん空気が変わりそうなのだが、期待できそうな兆しは見えない。


こんな状況を生み出す原因として、お迎えとなると始業時間とは異なり、父親は残業を見越した時間を設定しないといけないから、という暗黙の了解が間違いなくあるだろう。その感覚に基づいて、自動的にお迎えは母親が担当するということになるわけである。

そして、そんな暗黙の了解が根付いている背後にパピートラックの現象を捉えることができる。男は残業時間も常に考慮していないと出世はできないよ?、という観念が依然として存在しているのだろう。父親が残業時間を取らずに育児参加しようものなら、「責任ある仕事は任せられない」と直ちに断じられてしまう。通常のキャリアパスから外されてしまうのだ。さらには一度キャリアパスを外された以上、元通りに復活しようとしてもできないという事態にもつながる。


こんな脅迫めいた価値観があるのならば、父親が週末のみならず平日の常日頃から育児に携わる、という意思はまず形成されなくなってしまう。母親も半ば諦め気味に、平日の育児は全て自分が負わなければならない、と受け入れている。

実際、父親が保育園のお迎えをすることがまずないというところを見れば、やはりこうした脅迫めいた価値観が存在しているのだろうと推測がつく。これは父母お互いにとって誠に残念な事態だと思うのだが、いかがだろうか。


自分は行政組織で仕事をしているので世間一般のことを語るのは難しいが、せめて小さい子供を抱えて育児をしている世代については、父親母親ともに法定内労働に留めさせ、残業時間は考慮させない、という配慮を事業者側ができないものだろうか? それでいてパピートラックやマミートラックに陥らないように、育児が落ち着いた頃(小学校入学あたり)から、努力次第で容易にキャリアパスを元通りにできるという枠組みがほしい。


現代の社会において、少子化を改善するため出生率を上げる必要があるなら、育児への男女協働は不可欠なものだ。出産しても母親が一方的に育児を引き受けさせられるというのでは、出産する意思が社会的にいくぶん減退してしまうだろう。

また、母親を手伝うために育児参加しようとする父親に対して、組織の中で落第者のように扱うというのは明らかに不適切な考え方だろう。

小さな子供の育児が落ち着くまでは父母で協働して取り組みたい、その間はキャリアを抑えて、落ち着いたら速やかにキャリアを再開したい、こんな心理はごく自然なもののように思える。こうした心理を許さない組織、社会というのはどうにも健全なものとは思えない。



長々と述べてきたが個人的な話に戻すと、自分の子供が保育園を終える5年後あたりには、安定してお迎えに来ている父親が4人に1人あたりまで増える様子が見えたら嬉しい。そこに社会の価値観が変わってきた兆しが見えることを期待したいところである。


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