陸
賢治と思わぬ約束をしてしまい、その約束の日が近付いて来る。
私の気持ちは毎日揺れ動いて落ち着かなかった。
断る理由を考える時もあれば、夫へ何て言って出掛けるか考える時もあった。
しかしそんな私の気持ちを決定的にする出来事が起こってしまった・・・。
夫が珍しく遅く帰宅した。そして更に珍しく酔っている。
同僚に引きずられるようにして夫は帰ってきた。
夫を送ってくれた同僚から事情を聞くと、
『勧められたお酒を断ることが出来ずに飲みすぎてしまった』らしい。
そして、その同僚が教えてくれたこと・・・
『どうも上司に何か夫婦のことを言われて、機嫌が悪いと思うから・・・』
夫婦のこと?機嫌が悪い?
私はその同僚の言っている意味がわからなかったが、丁重にお礼を言って見送った。
玄関で半分寝ている夫をリビングに連れていき、水を飲ませた。
『大丈夫?酔いつぶれるなんて珍しいわね。』
『・・・うるさいっ!!』
一瞬聞き取れなかった。それくらい突然で大きな声で怒鳴られた。
結婚してから一度もこんなに大きな声を出した夫を見たことがない。
考えてみれば、付き合ってからでさえなかった。
優しい夫の変貌に戸惑い、なんて声を掛けて良いかわからない・・・。
『お前が悪いんだよ!!』
再び夫が怒鳴る。私が意味もわからず、黙っていると
『お前は悪いと思ってないのかよ!?え??』
『何のことを言っているのかわからない。』
私はやっとの思いで夫に言葉を返した。
私が悪い?賢治のことが頭を過ぎる・・・。
『お前に子供が出来ないから!!俺が肩身の狭い思いをするんだよ!!』
私は絶句した。
賢治のことではなかったという安心感もあったが、
子供が出来ないことを私一人の責任のように言われたことがとてもショックだった。
『そんなの私だけのせいじゃない。私だって悩んでるのに・・・』
涙が溢れる。搾り出すように私は夫に言った。
しかし夫は思いがけないこと口にした・・・。
『お前のせいじゃなければ、誰のせいなんだよ。』
どっちのせいかなんてわからないじゃない・・・。
そんなことを思ったのも束の間、
『俺は女を妊娠させたことあるから、俺のせいじゃない。』
一瞬で涙さえ止まった。絶句というより、全身が凍りつき窒息しそうだった。
夫は悪びれず、まるでそれが名誉なことかのように
『こんなんだったら、あの時子供産ませておけば良かった。』
と言い放った。
初めて夫に殺意を覚えた。頭の中では様々な思いが駆け巡る。
夫は言いたいことを言い満足したのか、一人でフラフラと寝室へ入っていった。
残された私。夫にだけでなく、世の中全てから取り残されたかのような孤独感。
誰にも拭われることのない涙をひたすら流し続けた・・・。
~続く~