「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『あとがき』


    連載 第18回  とうとう最終回を迎えました!


     ●すべてに感謝!!


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本編のオーストラリアのラグビーW杯2003からから

3年の月日が流れました。


早いものでもう今年2007年。ワールドカップイヤーです。
次代の日本代表チームを心から応援しています。


この文章は、私達が戦ったW杯の直後の

2003年の年末から2004年のお正月にかけて


東大ラグビー部の会報に寄稿するつもりで

書いた文章が元になっています。


会報に掲載した文章を、

共感してくれたラガーマンの手を通じていろいろな方が読んでくださり、

日本最高最強の伝説のロック林敏之さん、

トップレフリーの御領薗さん、慶応義塾大学の松永元監督、

京都産業大学の大西監督などそうそうたる超有名な方々が、
「村田くん!はじめまして。文章よんだ、おもしろかったよ」
と声をかけてくれてとてもうれしかったです。


その文章をぜひ電子書籍化したいと持ちかけてくれて、
遅筆の私をいつまでも待っていてくれた大元さんに

心から感謝したいと思います。


私は、この自伝的ノンフィクション小説の舞台となった

2003年のW杯の5ヵ月後、関東代表選手に選ばれ、

関西代表に勝利したのを最後に、プロラグビー選手を引退しました。


その後、三洋電機も退社し、スマイルワークスという会社を設立しました。


映像コーチングソフト「PowerAnalysis」は、

さらに進化を遂げ当社の主力商品として、

今では東芝府中ブレイブルーパス、NECグリーンロケッツ、

ヤマハジュビロなど日本代表でいっしょに戦った仲間たちの

チームにも活用され、私も映像コーチングのアドバイスを

する仕事もできました。


その縁がさらに広がって、NECレッドロケッツバレー部、
三洋電機バトミントン部や大相撲の普天王関など

他競技のアドバイザーもやるようになり、
とても面白い活動ができています。


3年間の映像コーチングのコンサルティングや

販売経験を通じてわかったことがあります。


それは映像を使ってコーチングするのは、

とても効果的ではあるけれど、
かなりの専門知識が必要だということです。


映像はとても強力なので、

使い方を間違えるとかえって悪影響が生まれます。


だから、映像コーチングには勉強が必要なのです。
ここでも私は、ラグビーの仲間に助けられました。


三洋電機でいっしょにラグビーをやった仲間であり、
現在ラグビー日本代表チームのコーチをしている

古田仁志氏と太田正則氏が協力してくれることになり、
私達は、日本eコーチング協会という協会を設立しました。


日本eコーチング協会では、


映像と情報技術(electric)を駆使して

教育的(education)で
心から力がわいてくる(empower)

楽しい(enjoy)

「eコーチング」を研究・普及し、スポーツだけでなく

ビジネス分野においても論理的かつ創造的に

問題解決できるパフォーマンスアナリストを
資格認定し育成してく活動を行っています。


この小説を読んでスポーツ分析や映像を

使ったコーチングに興味をもった人は
ぜひ日本eコーチング協会のパフォーマンスアナリストの

資格取得をお奨めします。


スポーツは勝ったり負けたりするので結果がとても早く出ます。


積み重ねた努力が正しかったのか?充分だったのか?

の検証がすぐできるので、
正しい努力の仕方を学ぶのにとてもいい教材なのです。


大学院の途中でテーマを変更してはじめた

私のスポーツ分析の研究は、

2年後にラグビー日本代表に採用されて実用的には

とても成功したと言えますが、1年で学術的に修士論文として

まとめるにはテーマが斬新すぎました。


在学中にはいろいろな事情が重なり

研究をまとめられず、三洋でラグビーに専念するため、

私は大学院の修士課程を中退してしまいました。


私の修士論文は幻となったのです。


自分では「まあしょうがない」と開き直ることができましたが、
学費を出し、期待してくれていた両親には、本当に申し訳なかったです。



「大学院ではアメリカズカップをはじめ、いろんな経験ができました。
どうもありがとうございました。

中退となり学位はもらえませんがこの経験を無駄にはしません。
これからの私を見ていてください。

だから勘弁してください」

と両親に説明したのを今でもよく思い出します。


母 

ようし。わかった。残念だけどしかたないね。
あんたがそこまで言うなら私たち応援するよ。


あんたの考えるように思い切りやりなさい。でもラグビーするのは心配だね~。
相手がボールをもって走ってきたらよけちゃいなさいよ!


私  

ありがとう母さん。でもそれじゃラグビーにならないよ。



両親はいつも私を心配し愛情をもって接し応援してくれました。
とても感謝しています。どうもありがとうございます。


引退後にテレビで、小学生が楕円球をもって目を輝かせて走りまわる姿と

高山先生という小学校の先生が、

「運動嫌いの子供たちがね、

目を輝かせてとり組むすごいスポーツなんですよ」
と話しているのを妻と一緒に見ました。


タグラグビーという誰でも楽しく安全にラグビーのすばらしい部分を

学べるスポーツに出会った瞬間でした。


その高山先生とも運命に導かれるように出会い、
授業を見学させていただき今でも仲良くしていただいています。

 
三洋電機の飯島さんの計らいで、

鹿児島の小学校でタグラグビーの普及に尽力されている
三原先生に弟子入りさせていただいて、

タグラグビーという素敵なスポーツの指導者になれた

感謝もここに記しておきたいです。


子供達や一般の皆様に、タグラグビーのコーチをするようになって学んだこと、
友達が増えたことは、今の仕事にも人生にもとても役立っています。


とても感謝しています。


また、三洋電機のサラリーマン時代の上司の大江さんから、
ある日「ラグビーはすばらしいよね。どうだい村田君。
ラグビーから経営とか人の生き方を学べるようなセミナーを作ってみたら。
村田君ならきっとできると思うよ」という言葉を頂きました。


恩師に勇気付けられて、私達は、仲間と協力して
「タグラグビーで学ぶ心とチームワーク」

という研修プログラムを開発しました。


その事業が今、当社の大きな柱に成長し始めています。


ラグビーが大好きで生きてきましたが、

今もラグビーにとても助けられて生きています。


私は、ラグビーから人生で大切な多くのことを学びました。
信頼と責任。感謝と挑戦。仲間への思いやり。人生の苦楽と美しさ。


そういうラグビーの大切なことを伝えることを、私は仕事にしています。
人生を心から楽しんでいます。


ラグビーから学んだすばらしいことをまた誰かに伝えていくのが

ラグビーへの恩返しだと考えています。


生まれてよかった。
ラグビーに出会えてよかったと心から感謝しています。


父さん母さん どうもありがとうございます。


ラグビーを始めた川越高校ラグビー部の恩師 

岡松先生 どうもありがとうございます。


川越高校ラグビー部、東京大学ラグビー部、

三洋電機ラグビー部、日本代表チーム、

関東代表チーム、三洋クラブ、駒場WMM、

座間タグラグビークラブ、NPO法人エミネクロス、


そして、「すてきな仲間といつも楽しくかんたんスポーツ」すいかクラブの皆様!


ラグビー人生で出会った恩師・先輩・同輩・後輩・師匠・仲間

そして同志の皆様に心から感謝しています。


どうもありがとうございます。



2007年6月 村田祐造



                          

「ラグビーワールドカップ奮闘記」~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
2007年6月25日発行


著者/村田祐造
発行者/木村浩樹


発行所/株式会社 パッションキッズ
〒150-0002
東京都渋谷区渋谷31-10-5 トータムビル4階
「イーブック・アスリート」http://www.ebook-athlete.com/


Copyright (C) 2007 Yuzo.Murata.All Rights Reserved.


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「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『エピローグ』


    連載 第17回!


     ●ラグビー好き・・・村田祐造


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日本代表や三洋電機の選手達と呑みに行ったり、
飯を食ったり、お茶をしているときに、
私は、よく東大ラグビー部のことを訊かれる。


試合をしたことのある選手は


「いやー東大と試合するのは嫌だったなー。
負ける気はしないんだけどね。


でもタックル低いし必死なんだもん。
怪我するよ。こっちは」


とみんな顔をしかめる。



すると私は


「まあねー。東大の魂はタックルとセービングだよ。
ひたむきさと泥臭さ」


と答えることにしている。


そして次のような東大の数々の伝説を紹介する。


「対面殺して俺も死ぬ!」吉岡先輩
「負けて泣くなら勝って死ね」青山先輩
「お前ら試合前に俺に遺書出せ」水上コーチ


「東大のプレースキッカーは個人で
毎回夜遅くまで練習していた。


しかもボールを拾い集めるときは、
タックルの姿勢で膝を曲げて低く腰を落として


一歩一歩前進しながらインゴールまで行くんだぜ。
他に誰もいないグラウンドで一人ぼっちでだよ」


佐分利先輩
「いいかFW。『頑張る』っていうのはよー、
最初の10mダッシュして最後の10mも
ダッシュするっていうことなんだよ。


ポイントからポイントの移動はそういう気持ちで走るんだよ。
それが、FWが『頑張る』ってことなんだよ。


BKが最後トライしたときには
FW全員が塊でインゴールになだれ込むぐらい
『頑張って』走ってみろ!」(この後選手を蹴飛ばす)



橋本コーチ
「東大のFWはコンビの最中によくインゴールでゲロを吐く」
「試合中はスクラムクラウチのときに、
プロップとフッカーがよくカラゲロを吐いている」


みんなゲラゲラ笑う。私も上機嫌になる。

東大ラグビー部の思い出は尽きない。
誰もがひたむきにラグビーに取り組んでいたからだろう。



ワールドカップの日本代表。


対抗戦の東大ラグビー部。

相似図形の窓から見えたもの。


「ひたむきに。ひとつひとつ心をこめて。タックルとセービング」


私は、「自分がなぜラグビーが好きなのか。
なぜラグビーをやっているのか」


自分のラグビー哲学がわかった気がした。
日本ラグビーが世界で生きる道が見えた気がした。


ラグビー日本代表チームのテクニカルとしての私の任務は終わった。

タックルとセービング。セットプレイの確保。合理的な戦術。


これらが周到に準備できれ日本代表は世界に通用することが分かった。


二〇〇三年のワールドカップが終わり、
私は、所属する三洋電機ラグビー部の一ラグビー選手に戻った。


代表ではスタッフだけど三洋では選手なので

私はワールドカップ期間中も分析の仕事がおわった深夜一時から


ホテルのトレーニングルームでウェイトトレーニングしたり、

だれもいない駐車場をインターバルトレーニングしたりして、
無理やりトレーニングを続けていた。


今から思うとバカみたいだけど私なりに努力していたのだ。



ワールドカップという最高の舞台を選手ではなく
スタッフとして経験できたことはすばらしい経験だった。


その経験を胸に一ラグビー選手に戻り、
三洋電機ワイルドナイツのグランドで
自分自身の向上を求めて楕円球を追い駆けるということは、
とても快感でとても貴重だった。



2003年12月27日、NECのBチームと練習試合があった。
次のサントリー戦に向けてのセレクションマッチだ。


試合前後にNEC所属の日本代表関係の仲間に声を掛けられた。



試合前。


久富
祐造さん!今日スタメンじゃないですか!
メンバー表見て驚きましたよ。熱いプレーを見せてくださいよ。


試合後。


浅野
楽しみにしてたんすよ。今日。
祐造さんのプレイ見れると思って。


網野
頑張ってたねー祐造。三洋いいチームじゃん。


箕内
泥にまみれて仕事しすぎっすよ。祐造さん。
どこにいるかわかりませんでしたよ。


秋廣
いやあー。ウチのロックの膝に思いっきり刺さってたもんね。
相手フィジアンだよ。外国人。
ガツーンと!あれ、壊されたかと思ったもん。
いたくないの?


中島
祐造の課題はアタックだなー。
もっと中間走は力を抜いてメリハリつけようよ。
もっとフランカーはチャンスを狙わなきゃ。
でも確かにディフェンスはいいね。目立っていたよ。



祐造さんも熱いっすね!


対戦相手にも友達がたくさんいるのは、嬉しいことだ。


自分のラグビーにまだ伸びシロがあるのも嬉しい。
もっとうまくなりたい。もっとうまくなれる。


タックル。

ボールが落ちたらセービング。

ひたむきに。

ひとつひとつ心をこめて。

ラグビーがすきだ。


(了)


次回 最終回へ続く・・・・

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~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造

『第四章 桜舞い散る』

    連載 第16回!


     ●JAPAN・・・フランス戦


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日本代表対フランス代表戦。
ハーフタイムのスコアボードを私は一生忘れないだろう。


FRA 20-16 JPN。


日本が世界を相手に立派に戦っていた。
眺めていたらまた涙が溢れた。


後半開始早々、栗原徹選手がPGを決めて
20対19になったときは狂喜乱舞した。


スコアボードを指差して「見ろ!あれを見ろ!なんだあれは!」
と英語で絶叫!

近くのオーストラリア人と大騒ぎだ。


あまりに暴れすぎて記録用に手にしていたノートPCを
お手玉して危うく落っことすところだった。


近くのオーストラリア人のおばちゃんが私のお手玉を真似して微笑んだ。
その隣のおじちゃんが私を指さしてゲラゲラ笑っていた。


健闘した。勝つチャンスは充分あったと思う。

疲れのでてきた後半の後半、
フランス代表の意地に突き放されて結果は51対29。


試合後さっきのおばちゃんとおじちゃんが笑顔で握手を求めてきた。
「Well-done Again, JAPAN team, You play very very well. It’s really amazing!」


東大ラグビー部の同期からも応援のメールが来た。


「なんか日本代表って東大みたいだね。
頑張ってタックル。勝てなかったけど人々は感動したと思うよ」


結局、その後のフィジー戦、アメリカ戦にも連敗した。

終わってみれば0勝4敗。


日本ラグビーの総合力がやはりまだ足りないのだと思った。

世界の背中が見えたと向井監督は総括していた。


最終戦の翌日の夜、日本代表チームは
シドニーのスポーツバーで呑んでいた。


私もへべれけに酔っ払った。


わたしが買ってきた直径60センチのジャンボアフロのかつらを、
箕内拓郎選手がかぶってとても似合っていた。


みんなビールを片手に踊っていた。

私達は肩を組んで「上を向いて歩こう」を歌った。

「上を向いて歩こう。涙がこぼれないように。上を向いて歩こう」



大久保
祐造さん。おつかれ。いい仕事したと思うよ。
どうもありがとう。


村田
おつかれ直哉、ナイスタックル。あんたすげーよ。
こっちこそどうもありがとう。


大久保
今度はラグビー場で会おうよ。グラウンドで。


村田
いいねー。スクラム対面でガンとばして向かい合いたいよ。
サントリー戦出られるように帰ったら猛練習するよ。あははは。


アンディ
ユウゾウ。前に僕達、日本の戦術について
議論したことがあるのを覚えている?


村田
うん。覚えているよ。


アンディ
あれ。やっぱりユウゾウの方が正解だったかもしれないよ。
ワールドカップ4試合やってみたけど、
相手は強くて本当にアタックのチャンス少なかった。  

トライとるのは本当に難しい。
ドロップゴールとペナルティゴールはやっぱりすごく大事。


村田
うん、うん。ありがとうアンディ。
でもすごくいい試合できたと思うよ。

フィジー戦のドロップゴールすごかったよ。
時間が止まったみたいだった。
あのDGは世界記録じゃないの?感動したよ。


アンディ
うん。ありがとう。


村田
アンディ、ワールドカップ楽しんだ?



アンディ
もちろんだよ。ユウゾウは?



村田
うん。最高だ



次回へ続く・・・

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「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~


元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『第四章 桜舞い散る』  連載 第15回!


     ●JAPAN・・・スコットランド戦


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スコットランド戦前日のミーティング。


「練習は試合のように。試合は練習のように」
という言葉をスクリーンに掲げた。


テクニカルチームからの熱いメッセージを込めた。
明日は練習どおり平常心で試合に臨めばいい。


練習は積み重ねてきたはず、プラスアルファの力は、
ワールドカップなのだから自ずと発揮される。


スコットランド戦当日のジャージ授与式。


「集大成。好きな道で志を立て一芸に秀でれば
望みは叶う」という言葉を掲げた。


最後に秋廣さんが編集した「感動ビデオ」が上映された。


歴代の日本代表が過去のW杯で奮闘している姿が、
中島みゆきの「銀の龍の背に乗ってー♪」という
メロディに乗ってスクリーンに浮かぶ。 


過去の日本代表が築いてきた歴史を受け継いで、
今度は俺たちが新しい歴史を創ろうというメッセージだ。


続いてアップテンポなトランス系の曲に変わり、
2003年新生ジャパンの好プレー(タックルとセービング中心)が
次々に出てくる。


締めはイングランドA戦のディフェンスの粘りから
奪った大畑大介選手のトライだ。


今日もあのときの粘りを80分間分見せて欲しい。
そんな気持ちが込められていた。


最後にマコーミック前日本代表キャプテンが登場した。


「待っていたらチャンスは生まれません。
積極的に自分からアタックしてください。
次の試合じゃなくて今日の試合、力出して、
自信を持って勝ってください」


滑らかな日本語ではなかったけれど、
心のこもった誠実な言葉だった。


日本代表対スコットランド代表戦の国家斉唱が始まった。


今までの苦労が蘇った。


ジャパンの仕事が忙しくて、ラグビー選手としての
自分の練習が思うようにできず、
精神的にきつい時期もあった。


自分の言動の意図がうまく伝わらず
誤解を受けて苦しんだときもあった。


答えの見えない闇の中で挑戦をあきらめかけたこともあった。
でもあきらめなかった。


「君が代」を歌いながら、もうこのチームで
自分が遣り残したことはないと確信した。


後は選手達を力いっぱい応援しよう。
自然と涙がこぼれた。


スクラムハーフの辻高志選手がスコットランドの大男に突き刺さる。


フランカーの大久保直哉選手もビックタックルを連発。


センターのルーベンパーキンソン選手も刺さる。


NO8の伊藤剛臣選手も刺さる。


こぼれ球をフッカーの網野正大選手がセービングする。


そのたびに私は絶叫した。


「いいぞ!ジャパン!頑張れ!」

途中まではほぼシナリオ通りだった。


ビーバー達が粘り抜いて試合を造った。


アンドリュー・ミラー選手が投入されて、
イーグルになったジャパンはすかさずショートフェイズの
一発サインプレーでワントライを奪い返した。


試合の終盤までどっちが勝つかわからない見事な試合だった。


しかし、あと一歩及ばなかった。大金星を逃した。

負けてめちゃくちゃ悔しかった。


試合後、街ですれ違うオーストラリア人にもスコットランド人にも
「Well-done, JAPAN, You play very well. It was very close.」
と言われた。


負けて悔しいけど、ちょっと嬉しい。


試合後の街のパブでスコットランド代表のキャプテンの
ブライアンレッドパス選手がいたので話しかけてみた。


村田

「今日はおめでとうございます。レッドパスさん。
ぼくは日本代表でテクニカルスタッフをしている祐造と言います。
だからあなたのことは良く知っています。よろしくね。」


ブライアン 
「やあ 祐造。今日、日本はよくやったね。
本当に勝つのが難しかった。今日は呑もうぜ。」


村田   
「スコットランドはカバーディフェンスが
厚くて精神的にタフでひたむきなチームで本当に強かった。
私はスコットランドのラグビー大好きです。
もう少しのところまでいったのに。
非常に残念です。ところであなたミスタービーンに似ていますよね。」


ブライアン (ちょっと怒った顔をしてから大爆笑)
「このやろー。よくも言ってくれたな。
ジョークのお礼にこれをプレゼントするよ。
今日の試合の記念のピンバッジだ。」


村田   
「うわーありがとう。いい記念になります。とても嬉しいです。」


ブライアン
「OK。祐造。次の試合の幸運を祈るよ。」


次回へ続く・・・

「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『第三章 苦闘するジャパンに見えた光』


    連載 第14回!


     ●セービングの大切さを映像で・・・・


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日本代表の三つ目の課題は、ハンドリングミスが多いことだった。

9月下旬。日本代表はワールドカップ直前の沖縄合宿に突入した。


しかし、まだ単純なミスが多い。


秋廣氏が撮影していたコンビネーション練習のビデオで、
宿舎に戻ってハンドリングエラーを数えてみた。


13回もあった。ミスが起きても誰もセービングしない。
パスの文句を言っている。


文句言う前にまずセービングだろう!


私は練習を止めて怒鳴りつけてやりたいのだが、
私はテクニカルスタッフという立場であってコーチではない。


グラウンドでは大きな声が出せない。


だから日本代表の練習に私も参加して、

ミスがおきたらセービングしまくって、
テクニカルとしてのメッセージを選手に伝えようとした時期もあった。


(日本代表に混じって練習してみたいという

ミーハーな気持ちが大半なのだけれど)


その件に関しては代表選手に怪我をさせたら、
誰も責任が取れないということで監督から既に禁止されていた。


確かにその通りなので仕方がない。


どうすればセービングの大切さを選手に伝えられるのだろう?


私が見たあの東大の壮絶なコンビネーションの練習を
ジャパンの選手達にみせてやりたかった。


だけどそんなビデオは残ってない。

その話を秋廣氏にすると、彼はこうつぶやいた。


「いいこと思いついた。そういうビデオをつくろう」


私達はさっそく作業にかかった。


次の日の練習前ミーティング。

選手がミーティングルームに集まって来る。


前のスクリーンに桜のエンブレムと「己を知る」「日本代表の誇り」
という言葉が大きな文字で映し出されていた。


定刻になり秋廣氏が前に出て「今日はまずこのビデオを見てください」

と言い、私が再生ボタンを押した。


イングランドの国家が流れる。

選手達は胸のエンブレムに手を当てて国家を歌っている。

感極まって涙を流す者もいた。


フェイドアウトしてオーストラリアの国家が流れる。
ジャージとメロディは違うが選手達の目の光と涙と魂は同じだ。


次に「私達が戦うのはW杯です」「私達は国の代表です」
という言葉が画面に浮かび上がった。


そして前日の日本代表の練習映像が映し出された。
ミスが起きたシーンが次々に映し出された。


ノックオン。パスミス。またノックオン。
そして最後に次のような言葉の静止画像で映像が終了した。



ミスしたら処理まで
落としたらセービング
相手のミスもセービング
こぼれたらセービング



ボールは命だ。落ちたら飛込め。
自分のケツは自分で拭くものだ。
失敗しても責任をとれる男は信頼される。


ジョセ・クロンフェルド



日本代表の選手達は声一つ立てずスクリーンを見つめていた。


沈黙を破って向井監督が最後にまとめた。


「昨日の練習ではハンドリングミスが非常に多かった。
ジャパンがあんなにミスばかりしていたら
勝てるもんも勝てんよ。


ミスを恐れることはないけど、
ミスしたら処理するところまで責任をもとう。


それがミスに厳しくっていうことや。
そうすればミスは絶対なくなる! よし練習に行こう」


その日、ジャパンの練習で起こったハンドリングミスは
たったの3回だった。


ノックオンのような、あからさまなミスらしいミスは
一つもなかった。


ちょっとしたパスミスで地面にボールが落ちた瞬間が
3回ほどあったが、すぐさま近くのプレーヤーがセービングした。


日本代表らしい引き締まった緊張感のある練習だった。


ひとつひとつのプレーに責任を持って、
心を込めてプレーしているように感じられた。


実は、ニュージーランド代表の偉大なフランカー、
クロンフェルドが本当にあのような言葉を言ったがどうかは、

私は知らない。
言ってないかもしれない。


なぜならあの言葉を考えたのは私だからだ。


でも、たぶんセービングについて訊かれたら

彼もそう言うに違いないと思う。
オールブラックスのフランカーはそんな男に違いない。


ラグビーはそういうスポーツだから。

信頼と責任のスポーツだ。
練習後、私は笑顔で秋廣さんとがっちり握手した。


やっと一つのチームになった。


これで戦えると手応えを感じた。



次回へ続く・・・

「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造

『第三章 苦闘するジャパンに見えた光』

    連載 第13回!

     ●もうひとつのゲームプラン「チャレンジイーグルス」


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いや、まてよ。

確かにアンディの言うことにも一理ある。

最後まで守ってばかりでは勝てないだろう。


後半勝負どころでは、敵を「敗者のネガティブスパイラル」に
叩き込むためにリスク覚悟で攻めねばならないときが来る。


逆転の発想をしてみた。


私はもう一つのゲームプラン「チャレンジイーグルス」も
提案することにした。


チャレンジイーグルスとは、ビーバーズが「造った」
試合を受け継ぎ、後半の勝負どころから
「勝利をもぎとる」ためのゲームプランだ。


獲物を狙う鷲のようにチャンスをものにする。


チャレンジイーグルスのポイントは以下。


○攻撃型の選手を戦術的交代で投入する。
それがビーバーからイーグルへの戦術転換の合図。


○リスクに挑戦する。


○敵陣でラグビーをする。


○PKは、PからGoでクイック勝負。


○トライを獲るまで連続攻撃する。


「ビルディングビーバーズ」と「チャンレンジイーグルス」。


春シーズン終了後、私は二つのプランを
テクニカルチームに提案した。


テクニカル統括の中島修二氏と
もう一人のテクニカルスタッフの
秋廣秀一氏も賛成してくれた。


ここで苦楽を共にしたテクニカルチームの
メンバーを紹介したい。


テクニカル統括の中島修二氏は、
元日本代表キャップ11のフランカー。


89年に日本代表がスコットランドに
勝ったときのメンバーだった伝説の男だ。


前回ワールドカップでもテクニカルを務めている。


歌がうまい。


ビートルズの歌詞を暗記していて
完璧に熱唱するので外国でも大人気だ。


特にラブソングが上手だ。そして笑顔が癒し系だ。
「激しいタックル・かわいい笑顔の中島修二」と親しまれている。


私は師匠と仰いでいる。


もう一人のテクニカルスタッフの秋廣秀一氏は、
NECグリーンロケッツでも7年間テクニカルをやっている
テクニカルのプロ中のプロだ。


選手を動かすためのツボと引き出しをたくさんもっている。


元高校日本代表で日体大時代は俊足FBで
スーパーカートリオと呼ばれた男の一人でもある。


彼の得意の宴会芸は、
「オーワンダフル、チャーワンダフル」と呼ばれる荒業で、
全裸になりお椀と茶碗で股間を交互に隠しながら
オブラディオブラダの節に合わせて
「茶碗だぜ!」「お椀だぜ!」と歌う芸だ。


そのあまりにもベタであまりにも破天荒な一発芸に
私は抱腹絶倒しながら同時に尊敬を禁じえない。 


彼はチームを盛り上げるためならそこまでやるコーチなのだ。

NECがあれだけ強いのもうなずける。

もちろん彼は宴会芸の達人だけではない。

ラグビー映像編集の天才、いや神様である。


彼はカメラとパソコンを駆使し、映像と音楽、
音声と文字で一つの作品を仕上げていく。


その作品は選手を勇気付け、
いいイメージで試合に臨むために大いに活用された。


作品に涙した選手とスタッフは数知れない。
人は彼をラグビー界のスピルバーグと呼ぶ。


とにかく「ビーバー」と「イーグル」は、
我々3人で充分に議論し吟味し検討してから、
テクニカルチームの正式提案として向井監督に提案された。


この意味は非常に大きい。


私の単独意見のままでは、
たぶんチームに浸透しなかっただろう。


テクニカル統括の中島氏が私の意見を理解し
各方面に根回ししてくれた。


だからチームにすんなり採用された。


苦難の道に大きく光がさした気がした。



次回へと続く・・・

「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造

『第三章 苦闘するジャパンに見えた光』


    連載 第12回!


     ●ゲームプラン「ビルディングビーバーズ」


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日本代表の二つめの課題は、
ターンオーバーからの失点であった。


攻撃中にターンオーバーを
食らってトライされるケースが非常に多い。


リードされていて時間がなくなってくると、
焦りが生まれてくる。


やけくそになって自陣から攻め始めるので
余計にターンオーバーからトライされるケースが増える。


それで実力以上の大差で負ける。


「敗者のネガティブスパイラル」だ。


日本代表の春のテストマッチは、
このパターンでほぼすべてのゲームに惨敗した。


例外は、イングランドA代表との第一試合であった。


前半から力ずくで攻めてくるイングランドA代表に対して、
日本代表は粘り強いディフェンスで凌いだ。


相手のラックからターンオーバーしたボールを
元木由記雄選手がスペースにパスして、

広瀬佳司選手が裏へキック、大畑大介選手が
それを拾ってそのままトライした。


日本代表は、ディフェンスの粘りからボールを奪い、
ターンオーバー時にできる一瞬のチャンスを
ものにしてトライを奪ったのだ。


前半42分まで10対6でリードしていた。


その試合も結局負けてしまったが
スタッフの我々も選手も一番手応えを感じた試合だった。


日本代表チームが、残り20分をリードして迎えることができれば、
焦りだすのは敵のチームだ。


最低でも僅差で喰らいついた状態でいたい。

点差が開くと「敗者のネガティブスパイラル」にはまってしまう。


日本代表は強い相手にも僅差で喰らいついていって、
まず試合を造ることが必要なのだということがはっきりとわかった。


私は、「ビルディングビーバーズ」というゲームプランを考えた。


ビルディングビーバーズとは、後半の勝負どころまで
「試合を造る」ためのゲームプランだ。


ダムを造るビーバーのように勝利への土台を築く。


ビルディングビーバーズのポイントは以下。


○タックルが得意な選手を先発で起用する。
ディフェンス重視。


○リスクを減らす。

○キックを使って敵陣に行く。


○陣地を取るためにキックオフとドロップアウト重視。

○PKは、射程距離圏内ならばすべて狙う。


○中盤から敵陣までは3次程度の
ショートフェイズでトライを狙う。


○停滞したラックが出来たら、ドロップゴールもしくは
インゴールにハイパントかグラバーキック。


必要以上の連続攻撃は避ける。


なぜなら、過剰な連続攻撃はターンオーバーされて一気にトライ、
もしくは陣地を大きく返されるリスクがあるからだ。


DGが成功すれば3点。失敗しても相手のドロップアウトだから、
また敵陣で攻撃を開始できる可能性が高い。


インゴールへのキックは味方が押さえれば5点。
相手が押さえたとしても相手のドロップアウトだからリスクは低い。


ディフェンスで粘ってターンオーバーからトライを狙う。敵陣にへばりつく。
時間を潰す。リスクを減らす。PGとDGで細かく加点していく。


ラグビーはある意味陣取りゲームだ。


陣地を確保していくことが、もっとも失点のリスクを抑え
得点のチャンスを広げていく。


15人制のラグビーは、こちらが加点すると相手のキックオフで
試合が再開されるルールになっている。


そのため、得点したチームは必ず自陣に戻らされて、
失点したチームにしばらくチャンスが訪れる仕組みになっているのだ。


ゲームが競った展開になるようにルールが考え抜かれているのである。
だからこそ、加点した後のキックオフの受けは、非常に重要なセットプレイになる。


このプランをどう考えるか。

スタッフ会議に提案する前に選手の意見を探ってみた。

前回ワールドカップに出場している大久保直哉選手に聞いてみた。


村田  
「~というようなプランなんだけど。どう思う?直弥?」


大久保 
「あー。うーん。確かに。つまんないラグビーになるかもしんないけど。
それしか勝つ方法がない気がしますね。」


村田   
「そうだろ。でもワールドカップで勝てば全然つまんなくないよ。
最高に面白いよ。日本中ひっくりかえるよ。これいけそうじゃない?」


大久保 
「うん。いけそう。でもどれだけそれを共通イメージとしてチームで共有して、
徹底して実行できるかが問題なんですよ。」


村田  
「うん。そうだね。そのお膳立てをするのがスタッフの仕事だよね。
向井さんに提案してみるよ。」

気をよくした私は広瀬佳司選手にも相談した。


村田  
「かくかくしかじか。どう思いますか?広瀬さん。」


広瀬  
「それがチームの作戦として監督さんから提示されれば、
その通り僕は動きますよ。」


アンドリュー・ミラー選手にも相談した。


村田  
「かくかくしかじか。どう?アンディ?」


アンディ 
「君の言いたいことはよく分かったけど、僕の考えは完全に正反対だな。」


村田   
「え?どういうこと?」


アンディ
「相手はスコットランドだろ?キックを使ったら相手にとってはイージーだよ。
オーストラリアは暑いんだ。
あいつらが疲れ果てるようにずっとボールを継続して連続攻撃するべきだよ。」


村田
「でも、それじゃこっちが先に疲れちゃうよ。
あいつらのほうが個人はデカくて強いんだから。
ジャパンはディフェンスではコンタクトは避けられない。
だから体張らなきゃいけないけど、攻撃ではキックで敵陣にへばりついて、
PGとDGで点を稼いでコンタクトを避けるべきなんじゃないかな。」


アンディ
「そうかもしんないけど。とにかく私の意見は君の考えとは正反対だ。」


村田  
「……」


日本代表の司令塔アンディと考えが正反対ではどうにもならない。


私はへこんだ。


がっくりきた。


次回へ続く・・・


「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『第三章 苦闘するジャパンに見えた光』

    連載 第11回!


     ●タックルミスをPowerAnalysisで分析


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日本代表では、ボールを殺す役目は
二人目の選手がやるという約束事を提案した。


一人目は下に入ってボールキャリアを倒す。
二人目がボールの位置にタックルする。


もしくはオフロードパスのコースに体を入れる。


もしくはオフロードパスを受ける相手に
すかさずタックルする。


二人目の仕事の概念を「キルザポップ」
(ポップパスでつながれるのを防ぐ)
と一言で呼ぶことを提案した。


概念を一言で定義してチームで共有しておくと、
練習中や試合中に復唱して確認するのに便利になるからだ。


東大ラグビー部時代に嫌というほどタックル場の砂場で
この「キルザポップ」の練習をしたのを思い出す。


当時はそんな言葉の定義なんかは意識していなかったけれど。


ともかく私が学生の頃やった泥臭い練習が
ジャパンでも繰り返し行われた。


一人目は低く相手を倒す。二人目がボールを殺す。


特にタックルが高くて抜かれることが多かった選手には、
個人的に「PowerAnalysis 」を

使ってすべてのタックルミスのシーンを見せた。


個人のミスを見せるときは、全体ミーティングで
みんなの前で見せてはいけない。


その選手のプライドをつぶしてしまうからだ。 


ミスのシーンの確認は、マンツーマンで個人的にやるのがいい。


逆にいいシーンを選手に見せたい時は、
みんなの前で見せて賞賛する。


その選手はとてもやる気になるし、他の選手もみんなマネして
同じようにいいプレーをしてくれるようになる。


豪州合宿の試合のグラフを見ると、

難波英樹選手のタックル数が
ずば抜けて多いのだが、
「ヒットしたが抜かれる」という項目の数も多かった。


激しくコンタクトしているのだが、姿勢が高くて吹っ飛ばされ
抜かれるシーンがよく出てくる。


まず難波選手を治すのが近道だと思った。


村田
「ほらナンチャン。いいヒットしてんだけどねー。
抜かれているときは全部タックル高いよ―。」


難波
「あー。やっぱ外人にはタックルは下っすかね。」


村田
「そうだよ。ナンチャン、学生時代ガツガツ
低いタックル刺さっていたじゃん。
あれだよ。あれ。俺も帝京と対戦したからよく知ってるよ。」


難波
「あ、知ってる。いたような気がする。こんなのが。
東大っていっぱいいたなー。 低い奴が。
あの頃は自分も低くタックルしてたんですよねー。
社会人になってから高くなっちゃったんすよ。
次、低さを意識しますよ。」


次の試合、春のアメリカ戦から、
難波選手の低いタックルが決まり始めた。


自分の行った分析とそれに基づくコーチングが、
日本代表レベルの選手にもいい影響を与えることが
できると実感してとても嬉しかった。


意識一つでこんなに変われるとは、
さすが日本代表の選手だなと感心した。


同時に意識一つでこんなに変わるってことは、
コーチやスタッフの役目は、なんて重要なのだろうかと
身の引き締まる思いがした。


元々、難波選手は、勇気に溢れて骨惜しみしない
非常にひたむきな選手だ。


結局彼にはワールドカップでは、
フランス戦しかチャンスが回らず私は非常に残念だったが、
春のテストマッチでは、彼の低く激しいタックルが、
何度もチームを勇気付けた。


彼のタックルは、どんな言葉よりも雄弁で説得力があった。


「低くタックルすれば倒せる」


彼に引っ張られて、チームの個人タックルの精度を示すグラフも、
少しずつ少しずつ良くなっていった。


   次回へ続く・・・

「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『第三章 苦闘するジャパンに見えた光』


    連載 第10回!


     ●信頼と責任のディフェンス


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2003年春。


ワールドカップイヤーのプレシーズン。
日本代表は苦難の道を歩んだ。


春の豪州合宿は1勝3敗。


スーパー12のBチームクラスが相手だった。
アタックは健闘してトライを奪うことはできるが、
ディフェンスがずたずたである。


吹っ飛ばされて抜かれる。
スピードで振り切られる。


とにかく1対1が止まらない。


お互いに信頼感がないから、仲間を信じられない人間が
自分勝手に相手に詰めたりして組織ディフェンスも機能しない。


テストマッチも連戦連敗だった。
アメリカ代表に敵地で惨敗。


2002年には快勝しているロシア代表にもホームの秩父宮で惨敗。

メディアはスタッフの批判を繰り返し、向井監督の退陣の噂もでたが、
現場はなんとかしようと必死だった。


韓国代表には勝ったが、豪州A代表にも連敗。
イングランドA代表にも連敗した。


最大の課題は1対1のタックルだった。
姿勢が高い。


日本代表の選手は国内では強いチームの選手達ばかりだ。
しかも大型な選手や攻撃が売りの選手が多い。


彼らの多くは、ボールを殺すためにと高い姿勢で
胸のあたりにヒットするタックルが癖になっている。


確かに社会人リーグではそれでも通用するのかもしれない。
だが外国人の一流選手には通用しない。


簡単に吹っ飛ばされる。
次はびびって腰が引けるからスピードで振り切られる。


組織で追い詰めて人数的に余ってない状況に追い込んでも、
最後にタックルする者が1対1で抜かれたら組織防御も崩壊する。


味方が信頼できなくなってみんな一人よがりのプレーをし始める。
一人一人の姿勢の高さが負の悪循環、ネガティブスパイラルを生み出していた。


どれだけ自分のチームが選択したシステムを信じられるか。
どれだけシステムの中で、自分の役割に対し責任を果たすことができるか。
どれだけ仲間の信頼に応えられるか。どれだけ仲間を信頼できるか。


信頼と責任が強いディフェンスを生む。


ボールの所有権を奪うことがディフェンスの目的である。

ラグビーは倒れたらボールを手放さなくてはいけない。

だからタックルは相手を倒さなくてはならない。


相手よりも自分の方が強くて胸の高さにタックルしても
相手を倒せるのならばそうした方がいい。


ボールのコントロールが奪えるからだ。


しかし、ワールドカップを戦う日本代表選手の場合、
相手の外国人選手はとても強く胸の高さにタックルしても倒せない。


倒すためには膝から腰にかけての低い位置に入り、
しっかりバインドして相手の足の回転を止めなければならない。

それができなければ、ボールがフリーになる。

ボールをオフロードパスでつながれる可能性が高くなる。


しかし、吹っ飛ばされて相手に突破されるよりよっぽどマシだ。
何度も吹っ飛ばされて抜かれたら、仲間に信頼してもらえなくなるからだ。



  次回へ続く・・・・

「ラグビーワールドカップ奮闘記」
~ひたむきにひとつひとつ心をこめて~
元ラグビー日本代表テクニカルスタッフ 村田祐造


『第二章 ひたむきに 泥にまみれ』


    連載 第9回!


     ●村田にとってのベストゲーム!


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風呂といえばこんなこともあった。

私が部室の湯船で練習の疲れを癒していると、

なにやら手の平サイズの泥太もものが
前面にべったりはりついた状態で湯船にザブザブ入ってくる奴がいる。


4年生のFWの関口だ。

猫背でみぞおちの辺りが凹んでいるため、

ヘコミさんというあだ名がついている。


「おいヘコミ。お前、すんげー泥ついてるぞ。そこ洗ったん?」

「あ。祐造さん。これ落ちないんすよ。
俺ジャンパーだから、リフティングのために糊スプレー塗ってるんすよ。
リフターの手がすべんないように。
練習のたびに塗るから、そのたびに泥がついて何層にも重なってて、
洗ってもこすっても全然落ちないんすよ。これ」


私は呆れ顔を覗き込んだ。

「マジ?でも、お前それじゃ彼女に怒られるだろ。布団汚れるしさ」


「もう諦めましたよ。ラインアウトでボールをとるために
一生俺はこの泥の十字架を背負って生きていくんすよ」
と関口は苦笑いを浮かべた。

文字通り泥臭い奴がいるもんだなと、私は心の中でまたニヤリと笑った。


信じられないくらい泥臭くてひたむきなチーム。
狂気にも似た「ひたむきさ」が充満していた。

それでいて、宋が練習中に仲間に要求していたように、
キツイ練習はコーチに「やらされる」のではなく、
自分から「やるんだ」そして「俺達はひたむきに体を張るんだ」

という強い意志がチームにあった。


そういうチームだった。

チームはターゲットにしていた筑波大には敗れたもの、
青山学院大に勝利を挙げ、創部以来の快挙を成し遂げた。


青学戦には私も出た。今でも私のベストゲームだ。

思い出すだけで嬉しい気持ちになる。

チームメイトの後輩達に今でも深く感謝している。


「どうもありがとう」

2000年の東大ラグビー部の対抗戦は、

人々から快挙と呼ばれる成績で終了した。


しかし、快挙の影に隠れているが忘れてはいけない試合がある。
最終戦の京都大学との定期戦には、敗けているのだ。

私はその試合にも出た。負ける気はしなかったのだが負けた。
快挙の後でチームにどこかフワフワした気持ちがあったのかもしれない。


試合後酒を飲みながら、宋が苦笑いで言った。

「やっぱ、俺たち気持ちで油断してたんすかね。満足しちゃってたって言うか。
東大ラグビー部がね、勝ちたいっていう気持ちが相手より弱かったら、
気持ちで負けてたら、どこにも勝てる訳ないっすよね。
あぁでも、それがわかっただけで今日の試合は意味があるな」


私も多くのことをあのチームから学ばせてもらった。


いいチームだった。



次回へ続く・・・