今日もいってみましょう。
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そうして三ヶ月のアメリカ生活が終わり、帰国したものの、帰国後もぼくはアメリカで勉強する方法ば
かりを考えていた。日本の大学から編入できないかと、学生課に問い合わせてみたりもした。いろいろ
と探しているうちに、交換留学制度を見付けた。受かるかどうかはわからなかったが、さっそく応募し
た。答えが出るのはまだまだ先だ。
ふたたび日本での学生生活が始まった。ウィンドサーフィンのサークル仲間で、ほぼナンパ目的の「南
紀白浜夏合宿」を実施したり、合コンに明け暮れて、渋谷のセンター街に繰り出す日々を送った。そん
な間も英語の勉強だけは欠かさなかった。
そしてアメリカ熱は冷めやらず、夏休みにはまた、アメリカに行った。高校の先輩に教えてもらったキ
ャンプツアーに参加。ロサンゼルスからニューヨークまで、大きなバンの屋根に荷物を載せて、キャン
プ場を転々としながら三週間でアメリカ大陸を横断するツアーだ。参加者は全部で十二名。同い年の欧
州の女の子が圧倒的に多かった。彼女たちはベビーシッターの仕事でアメリカに行き、休みを使ってキ
ャンプツアーに参加していた。
ロサンゼルスからニューヨークなんて、まさにアメリカ横断ウルトラクイズの世界。ラスベガスで生ま
れて初めて拳銃を撃って、モニュメントバレーをバックに馬で疾走して、グランドキャニオンを散策し
て、ニューオリンズではカキを何ダースも食べて、ジャズを聴いた。
「アメリカってスゲェ!」そんな気持ちでいっぱいだった。
夏休みが終わると、何度もTOEFL(アメリカ留学に必要な英語試験)を受け、留学の準備をした。
そしてめでたく、ぼくは交換留学生として三年生の夏から十ヶ月間、ワシントン州立大学に行くことに
なった。場所はシアトル。あのサマーキャンプ以来の生まれ故郷だった。憧れのアメリカでの大学生活
だ。
七月にはシアトルに行き、寮に入った。授業は九月からだったので時間があった。ぼくは例のアメリカ
横断ツアーを企画していた会社の、アラスカキャンプツアーに参加した。二十八日間のキャンプツアー
だった。
そのキャンプツアーで大事な友だちができた。寝るときは二人用のテントで寝る。初日に適当にコンビ
を組む。ぼくのテントメイトはロンというマレーシア人だった。恰幅がよくて背も高い。彼と過ごした
二十八日間のテント生活で、ぼくはいろいろなことを教わった。今思えば、ロンはぼくが生まれて初め
て出逢った、日本人以外のアジアの友だちだ。彼はマレーシア人だが、華僑の生まれなので、肌の色は
そんなに黒くはない。当時、三十二歳。ニューヨークで弁護士をしていた。そして彼は敬虔なクリスチ
ャンだった。
とにかく物知りで、何でもよく知っていた。本をたくさん読み、博学で、日本の歴史にも精通している
。「山本五十六」なんて名前もさらりと出てきた。ツアーのときは、十七世紀に書かれた英語の古典を
読んでいた。「昔の英語はとてもきれいなんだ。ラテン語に近い。そう、ぼくはラテン語の勉強もして
いるんだ」と言っていた。
そのアラスカのキャンプツアーに参加していたメンバーは、ぼくの他にもうひとり、ノリ君という大阪
から来た日本人がいて、ロンを合わせた三人がアジア人だった。南アフリカから来た女性がひとり、そ
れ以外はみな欧米から来た人ばかりだ。
ツアーのリーダーはカナダの女性で、名前は忘れてしまったが、髪が短くて男みたいな性格だった。顔
がジャック・ニコルソンにかなり似ていた。メンバーの年齢層は三十代が多く、ぼくとノリ君だけが二
十代だった。夜はキャンプファイヤーを眺めながら、いろいろな話に花が咲いたが、ぼくとノリ君は英
語力不足で、なかなか話についていけなかった。そんななかでロンは、いつも話の輪の中心にいた。同
じアジアの人が、欧米の人と対等に話しを楽しんでいるのが、なんだかとても頼もしかった。
ぼくとノリ君にとって、ロンは頼れる兄貴分だった。ロンは面倒見がよく、ぼくたちを弟のようにかわ
いがってくれた。彼は、キリスト教のことについても教えてくれた。
「ぼくは今まで、弁護士一筋できたけれど、これからはキリスト教の牧師として生きていくんだ。牧師
をやる上で、弁護士の知識が生かせると思う」
彼はそんなことを言っていた。それまでぼくは宗教というものにまったくといっていいほど、無関心だ
った。ロスからニューヨークまでのアメリカ横断の旅をしたときに、夜、キリスト教について仲間たち
が意見しあっていた場面があったが、内容が理解できなかったし、あまり興味が湧かなかった。当時は
、キリスト教にカトリックとプロテスタントという、大きく分けて二つの宗派があるという大前提も、
しっかりとは理解していなかったほどだ。しかし、ロンに出逢い、初めてキリスト教のことを詳しく知
った。
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そうして三ヶ月のアメリカ生活が終わり、帰国したものの、帰国後もぼくはアメリカで勉強する方法ば
かりを考えていた。日本の大学から編入できないかと、学生課に問い合わせてみたりもした。いろいろ
と探しているうちに、交換留学制度を見付けた。受かるかどうかはわからなかったが、さっそく応募し
た。答えが出るのはまだまだ先だ。
ふたたび日本での学生生活が始まった。ウィンドサーフィンのサークル仲間で、ほぼナンパ目的の「南
紀白浜夏合宿」を実施したり、合コンに明け暮れて、渋谷のセンター街に繰り出す日々を送った。そん
な間も英語の勉強だけは欠かさなかった。
そしてアメリカ熱は冷めやらず、夏休みにはまた、アメリカに行った。高校の先輩に教えてもらったキ
ャンプツアーに参加。ロサンゼルスからニューヨークまで、大きなバンの屋根に荷物を載せて、キャン
プ場を転々としながら三週間でアメリカ大陸を横断するツアーだ。参加者は全部で十二名。同い年の欧
州の女の子が圧倒的に多かった。彼女たちはベビーシッターの仕事でアメリカに行き、休みを使ってキ
ャンプツアーに参加していた。
ロサンゼルスからニューヨークなんて、まさにアメリカ横断ウルトラクイズの世界。ラスベガスで生ま
れて初めて拳銃を撃って、モニュメントバレーをバックに馬で疾走して、グランドキャニオンを散策し
て、ニューオリンズではカキを何ダースも食べて、ジャズを聴いた。
「アメリカってスゲェ!」そんな気持ちでいっぱいだった。
夏休みが終わると、何度もTOEFL(アメリカ留学に必要な英語試験)を受け、留学の準備をした。
そしてめでたく、ぼくは交換留学生として三年生の夏から十ヶ月間、ワシントン州立大学に行くことに
なった。場所はシアトル。あのサマーキャンプ以来の生まれ故郷だった。憧れのアメリカでの大学生活
だ。
七月にはシアトルに行き、寮に入った。授業は九月からだったので時間があった。ぼくは例のアメリカ
横断ツアーを企画していた会社の、アラスカキャンプツアーに参加した。二十八日間のキャンプツアー
だった。
そのキャンプツアーで大事な友だちができた。寝るときは二人用のテントで寝る。初日に適当にコンビ
を組む。ぼくのテントメイトはロンというマレーシア人だった。恰幅がよくて背も高い。彼と過ごした
二十八日間のテント生活で、ぼくはいろいろなことを教わった。今思えば、ロンはぼくが生まれて初め
て出逢った、日本人以外のアジアの友だちだ。彼はマレーシア人だが、華僑の生まれなので、肌の色は
そんなに黒くはない。当時、三十二歳。ニューヨークで弁護士をしていた。そして彼は敬虔なクリスチ
ャンだった。
とにかく物知りで、何でもよく知っていた。本をたくさん読み、博学で、日本の歴史にも精通している
。「山本五十六」なんて名前もさらりと出てきた。ツアーのときは、十七世紀に書かれた英語の古典を
読んでいた。「昔の英語はとてもきれいなんだ。ラテン語に近い。そう、ぼくはラテン語の勉強もして
いるんだ」と言っていた。
そのアラスカのキャンプツアーに参加していたメンバーは、ぼくの他にもうひとり、ノリ君という大阪
から来た日本人がいて、ロンを合わせた三人がアジア人だった。南アフリカから来た女性がひとり、そ
れ以外はみな欧米から来た人ばかりだ。
ツアーのリーダーはカナダの女性で、名前は忘れてしまったが、髪が短くて男みたいな性格だった。顔
がジャック・ニコルソンにかなり似ていた。メンバーの年齢層は三十代が多く、ぼくとノリ君だけが二
十代だった。夜はキャンプファイヤーを眺めながら、いろいろな話に花が咲いたが、ぼくとノリ君は英
語力不足で、なかなか話についていけなかった。そんななかでロンは、いつも話の輪の中心にいた。同
じアジアの人が、欧米の人と対等に話しを楽しんでいるのが、なんだかとても頼もしかった。
ぼくとノリ君にとって、ロンは頼れる兄貴分だった。ロンは面倒見がよく、ぼくたちを弟のようにかわ
いがってくれた。彼は、キリスト教のことについても教えてくれた。
「ぼくは今まで、弁護士一筋できたけれど、これからはキリスト教の牧師として生きていくんだ。牧師
をやる上で、弁護士の知識が生かせると思う」
彼はそんなことを言っていた。それまでぼくは宗教というものにまったくといっていいほど、無関心だ
った。ロスからニューヨークまでのアメリカ横断の旅をしたときに、夜、キリスト教について仲間たち
が意見しあっていた場面があったが、内容が理解できなかったし、あまり興味が湧かなかった。当時は
、キリスト教にカトリックとプロテスタントという、大きく分けて二つの宗派があるという大前提も、
しっかりとは理解していなかったほどだ。しかし、ロンに出逢い、初めてキリスト教のことを詳しく知
った。
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