運命か自由意志か。サティヤ・サイババによる第三の選択 | すまブロ

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May the whole world be happy,
May we see all that is auspicious,
May nobody suffer.

Samastha Loka Sukhino Bhavantu

 
 
Sai Student : Experiences and Musingsより一部抜粋翻訳・編集
 
授業での全く普通ではない先生
 
1983年の春、その多事多端な一日はスナンにとって忘れがたい日となった。
彼はクラスメートとともに座り、哲学のクラスが始まるのを待っていた。
講義はラグナータ・サファヤ教授によって行われることになっている。
彼は時間にうるさく、一度も授業に遅れたことはなかった。
 
しかし、今日はめったにない例外のようだ。
彼は鐘が鳴ってから少なくとも5分経ってから教室に入ってきたのだ。
それに、入ってきながら震えているように見えた。
生徒は互いに顔を見合わせ、何かおかしいことに気づいていた。
 
生徒らは、教授がかけている分厚い眼鏡の下の涙に気づいただろうか?
あるいは、彼がクラス全体に「グッドモーニング」「サイラム」と挨拶したときに、その声はかすかに震えていただろうか。
 
スワミの右の眼鏡をかけた男性がサファヤ教授
 
ここで、その尊敬される教授の簡単な経歴を紹介しよう。
サファヤ教授は彼の教科に精通しており、歴史と哲学の修士だ。
彼の故郷は北インドのチャンディーガルで、サティアサイインスティテュートオブハイヤーラーニングで講師として勤めるために、何百マイルも横断してきた。
以前はチャンディーガルのティーチャートレーニングインスティテュートに勤務していた。
彼の人生最大の情熱であり趣味であり愛好するものは、占星術と手相学だ。
それは先祖から受け継がれたもので、空の惑星や星、掌の線が人の人生に影響を与えることについての知識で、彼らは皆尊敬されてきたのだ。
そのためサファヤ教授は、家宝のようにして渡された一連のずっしり重い大量の占星術と手相学の本の持ち主だった。
彼はしばしば、歴史と哲学の知識よりもはるかに大きいように思えるそれら占星術と手相の科学の知識でも生徒の心を捉えていた。
事実、そうした科学に対する彼の信仰と信頼も、スワミへの信頼よりずっと大きなものだったのである。
 
彼によればスワミは社会で善を広めている非常に素晴らしく進化した人間であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
それが彼をスワミに引き寄せたものだったし、彼はできる限りスワミから善良さを吸収しようとしていた。
スワミの方は教授の努力にとても喜んでおられるようで、それを高く評価し、教授はよくインタビューに呼ばれた。
だからスナムとクラスメートは、その日また教授がそうしたスワミのインタビューを受けたのだということが分かっていた。
しかし、そのようにどうしようもなく感情的な状態にある彼を見たことは一度もなかった。
今日は何が起こったのだろう?
 
 
線の法則は支配者の法則に同調する
 
サファヤ教授自身がその朝のパワフルな出来事を語った。
 
スワミが彼をインタビューにお呼びになり、彼はインタビュールームに入った。
最初の数分間は前回のインタビューの方向通りに進んだ。
スワミは、調子はどうですかとか生徒はどうですか、などとお尋ねになった。
その後、突然スワミは彼にこう仰ったのだ。
 
「あなたは先祖の予言の科学を大変信頼しているようですね。
それは神の力への信頼すらも圧倒しています!
あなたが委ねるのと同じだけ私がすべての面倒を見るのだということを、信じますか?」
 
教授は不意を突かれた。
その質問は直接的で、ほぼ面と向かって言われたものだった。
だがそれでも、すぐにスワミへの敬意を絶対的な信頼に変えることは、彼にとって容易いものではなかった。
彼は神の恩寵と力について耳にしたことはあったが、彼が身につけるためのエネラルドの指輪を贈ったのはまさにこのスワミではなかっただろうか?
エメラルドは彼のラッキーストーンで、緑は彼のラッキーカラーだ。
御自身がそうした幸運のお守りを支持しておられるのに、どうしてスワミは彼に先祖の叡知として学んだもの全てを手放せと仰ることができるのだろう?
 
サファヤ教授は、神がそばにいれば不運ですら幸運のお守りになることを、ほとんどご存じなかったのである。
 
スワミは引き続き冷やかした。
「教授、あなたの科学は予言することしかできません。
何かが望ましくない場合に、それは介入の役に立ちますか?」
 
サファヤ教授は、これが真実であることを知っていた。
占星術と手相は近い将来の『災い』のための改善法を提案するが、そうした改善法はどれも絶対に確実なものではないことは分かっていたのだ。
 
そのときスワミは、想像だにしなかったことを行われた。
彼を近くに呼び寄せて彼の両手を握り、スワミは教授の上に向けた掌の上にゆっくりと御自分の掌を軽くこすらせた。
「あなたにはどんな人生があるのか、教えてください」
 
教授は自分の掌を見下ろした。
彼は毎日それを見ているので自分の掌の線を記憶しており、本当は見る必要もなかった。
その線は掌の線よりも強く記憶のなかに描かれていたのだ。
だから、自分の掌を見たのはスワミに対する敬意からでしかなかった。
 
だが、彼は衝撃に見舞われた。
 
教授は涙のなかで哲学クラスの生徒らに語った。
「見たとき、私の掌には一本の線も見えなかったのです。
きれいに消し去られていました…どんな小さな線の跡形もなく!」
 
 
明け渡しの力
 
クラスが息を殺して聞き入るなか、教授は語り続けた。
 
スワミは微笑んで彼の前に立ち、どうやら教授の狼狽と衝撃を楽しんでおられるようだった。
サファヤ教授はただ泣き崩れ、スワミは彼を優しくたたいた。
「何も心配しないように。ひとたび私に明け渡せば、私がすべての面倒を見ます」
 
教授はひざまずき、スワミの御足に触れた。
不可能だと思っていたことが実際に起きた…スワミに対する彼の尊敬の念が、一瞬にして絶対的な信頼に変わったのだ!
「はい、スワミ!私たちが委ねるのと同じだけあなたが面倒を見てくださることを信じます。全託とは、完全に守られた人生を意味します!」
 
スワミは微笑み、再び彼の掌に触れた。
すると、線はまた全て元通りになった…細部に至るまで。
教授は、自由自在に掌の線を消し去り再び描くことができるこの導師の存在に圧倒されていた。
 
「私があなたの人生を引き受けているときに、心配すべきことは何もありません。
ただ委ねなさい、それで十分です」
その後このインタビューは終了し、スワミは扉を開けて教授を外に出した。
もうインスティテュートの授業の時間で、スワミは彼が時間にうるさいのをご存じだったのだ。
しかし、明け渡しに関する対話はとてもパワフルだったため、教授は一時的に時間厳守を中断することにした。
 
インスティテュートに向かって歩くかわりに、彼はまっすぐ自分の部屋へ向かい、大切な家宝の占星術と手相の本を集めた。
大きな布のなかにそれをすべてをまとめて包むと、部屋からその包みを運び出した。
インスティテュートのビル横のプラネタリウムの裏にある、地上の大きな井戸まで歩き、
それ以上考えることもなく彼はすべての本をその井戸のなかに投げ捨てたのだ。
そして涙をぬぐい、彼を待つクラスへと歩いていった。
 
運命か自由意志か
 
「親愛なる生徒たちよ」。彼は語った。
「実に、占星術や手相はスワミの恩寵や力とは比べものになりません。今日、私は本当に救われました」。
 
武術家のデイヴィッド・キャラダインは言う。
「いつでも三番目の道があり、それは他の二つの道を合わせたものではなく、違う道だ」
 
その三番目の道が、私にとっては明け渡しなのだ。
 
 
皆さんは、カルマの結果から逃れる方法はあるのだろうかと思っているかもしれません。方法はあります。神の恩寵を得た人々には可能です。
ひとたび神の恩寵の受取人になれば、カルマ・パラ(行為の成果)の影響を受けることはなくなります。
ですから、神の恩寵が得られるよう努力すべきです。
カルマから逃れるのは不可能だ、と学者は言います。
学者の言っていることもある程度は真実です。
けれども、ひとたび神の恩寵を得たならば、たとえカルマの結果 を被らなければならないとしても、もはやその痛みを感じなくなるのです。
薬が入ったビンを例にあげましょう。ビンには薬の有効期限が記してあります。
有効期限を過ぎれば、薬の効き目はなくなります。
それと同じように、神の恩寵はカルマ・パラを「期限切れ」にします。
つまり、神の恩寵はカルマの結果 を無効にするのです。ですから、カルマの結果から逃れることは可能なのです。
人間は神の恩寵を受けるに値することができるように、必要な強さと意志の力を培うべきです。
ひとたび神の恩寵を得たならば、カルマの足かせから解放されるのです。
 
シュリ・サティヤ・サイババ
2005年7月21日 グル・プールニマ祭の御講話

Om Sri Sai Ram 
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