じゅにあのTV視聴録

~視聴した番組のメモ、雑感などを書いています~


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【明日へ―つなげよう―】
「証言記録 岩手県大槌町~行政機能を失った町役場~」

(NHK総合・2016/8/28放送)
※公式サイト:http://www.nhk.or.jp/ashita/

<感想>

 東日本大震災で被災を受けた自治体の中で最も行政機能が失われたのが岩手県大槌町だと思います。町長をはじめ多くの幹部職員が津波の犠牲を受け、町の機能が壊滅的な状況になったところから町民の救済活動をはじめなければならなかったのですから。

 今回のドキュメントは、そういう意味で非常に多くの教訓を得るものだと思いますが、ただ気になったことは現町長となった平野氏が県からの支援要請を「余裕が無い」と受け入れなかったこと。これは当時、町のトップを失った状況という非常時を斟酌したとしても、今後に繋がるものではないと指摘しなければなりません。

 町の防災マニュアルに指揮命令系統の不備を補うものが抜けていたことは勿論あったし、仮にそこまで想定していなかったとしても町という単位自治体が県と協議して住民への生活再建に向けてどう進めていくかは最優先事項にしなければならなかったのではないでしょうか。忙しい、寝ていない、理由は分かります。しかし優先順位を冷静に考えたら、そこを抜きにしてはいけない。あえて厳しいことを言えば、大槌町長代理が町の幹部なのか町議会の人間なのかはともかくとしても、そこをきちんと岩手県庁とやり取りしなければいけなかったと私は思います。

 何でそこをこだわるのかといえば、地方自治体の根幹に関わるからです。どうやら現政権は「緊急事態条項」なるものを持ち出して、自然災害など「緊急事態」になったら、市町村や都道府県などすっ飛ばして、国があらゆる権限を一括して手にして強引に物事を進められるようにしたいと目論んでいます。

 そのモデルとして大槌町の今回のケースが挙げられたら、たまったものではありません。やり方一つで県と連携をとって上手くいけたものを、国が乗り込んできて強権的に進めるような形にする口実にしてはダメだと思います。そこのところを町長さん、しっかりと検証して今後の防災対策に生かしてくださいと言いたいですね。

 大槌町は今後、不通となっていえるJR山田線の復旧工事が完成した後、第三セクターの三陸鉄道に鉄路が移管される予定となっています。隣の山田町とともにこれから復興をどう進めていくか、観光事業とともに課題が求められています。私も何度か訪れている町ですが、これから先の町づくりを見守りたいと思いますし、また訪れたいと思っています。地元の人たちの頑張りに期待したいと思っています。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・東日本大震災で壊滅した岩手県大槌町。町の犠牲者は人口の約8%、1277人にのぼった。津波の爪痕を刻む建物は殆どが解体されたが、僅かに残るのが震災前の役場庁舎。
・あの日、大槌町の職員たちは高台に避難せず役場に災害対策本部を設置した。地震発生から約40分後、津波は高さ6mの防潮堤を越え市街地を襲った。
・役場庁舎は、ほぼ全体が水没。町長をはじめ災害対策本部に参加していた幹部職員の多くは屋上に逃れることができず、命を落とした。庁舎も舵取り役も失った大槌町は、行政機能が麻痺状態に陥った。
・職員たちは混乱の中、被災した住民の対応を始めた。遺体の確認という精神的につらい業務もあった。指揮系統は壊滅、幹部職員も冷静な状況判断ができなくなった。
・職員たちは心身ともに疲弊しながら、被災した住民の支援の奔走した。災害対応の要となるべき役場が被災したとき、どんな困難に見舞われたのか。これまでは多くを語ってこなかった職員たちの証言で見つめる。

<町の地震対策は高台に災害対策本部を設置することになっていたが…>
・震災前の大槌町、人口は約1万5000人。その多くは防潮堤に守られた海抜ゼロメートル地帯に住んでいた。役場は海から300m離れた場所にあった。
・震災当時、大槌町役場の総務課で防災を担当していた平野公三さん。津波の講習会を開催し、過去の津波で被災した地域を伝えるなど住民に対する啓発を行っていた。

高さはあるし、力はあるという、そういう要素もしっかりと住民の方々に対して津波の恐ろしさをですね、視覚に訴え、明記をいたしました(平野さん)

・浸水域が分かっているだけでも大槌町は、過去に3回の大津波に襲われている。しかし防潮堤の整備が始まると、その浸水域に役場が建設され周辺の宅地化が進んだ。
・一方で津波の襲来に備えた計画も立てられていた。職員が携帯していた防災手帳には、宮城県沖で大地震が発生することを想定し応急対策のシナリオが明記されていた。
・地震発生直後の対応として「災害対策本部を中央公民館に設置」と記されている。中央公民館は役場からは徒歩15分の高台にある。シナリオでは職員は標高40mのこの高台に避難してから災害対応にあたることになっていた。
・地震が発生したとき平野さんは2階の総務課の部屋にいた。

古い庁舎ですので、もしかしたら底が抜けるんじゃないかと。事務室の床にはヒビが入っていましたので、いったん出た(同上)

・庁舎内は危険だと考えた職員たちは一斉に外に退避し、正面玄関付近の駐車スペースに集まった。駐車スペースには机や椅子、ボードなども運び出された。ここに臨時の災害対策本部を設置することになった。中央公民館に避難しなかったのは、津波の危険が低いと考えたためだという。

大丈夫だろうという思いはありました。堤防もあることも事実ですので。結果的ですけれども、あれほどまでにね強い波のエネルギーっていうんですか、津波のエネルギーを想像できなかったというのが正直なところです(同上)

・平野さんの部下で防災担当の一人だった四戸直紀さんは地震発生から約20分後、外出先から駆けつけた。

あの白線のあたりにいましたね。訓練のときも机を出して情報収集をやるという流れでしたので、そこでやっているのに何か不思議な感じというのは感じなかったです(四戸さん)

・四戸さんたちは津波は意識せず、地震による被害の確認に追われていた。停電でテレビやラジオ、電話が使えなくなったため、消防の無線連絡が頼りだった。

<町役場に津波が襲来したが間に合わなかった>
・一方で津波を強く意識していた職員もいた。伊藤幸人さんは当時企画財政課の職員で、災害対策本部の一員でもあった。

津波っていうのが一番怖かった部分があります。結局全部建物で囲まれていますので、海の方の情報も何も入ってこないというところもありますので、何かしら情報が入らないと、ここから避難すべきかどうか。実際本部をたたむべきかどうかは、そのときのトップの方が決める形になるんでしょうけども(伊藤さん)

・伊藤さんは高台に避難すべきかどうか、町長や幹部が判断するための情報が必要だと考えた。そこで公用車のラジオをつけることを思いついた。ラジオは気象庁が発表した大津波警報を伝えていた。

聞こえてきたのは「大津波警報が発令されています」。周りの方には聞こえていたとは思いますけど(同上)

・しかし本部の方針は決まらなかった。幹部たちは住民の避難誘導を行っていた職員からの報告を待っていたという。

行った職員たちの情報を待つ、取りに行くんじゃなくて待つという、待ちの状況だったような気がします、対策本部は(平野さん)

・午後3時20分頃、中央公民館がある高台から撮影された映像には、川を遡り始めた津波が映っていた。
・災害対策本部を移すことが検討され始めたのは、この頃だった。

周りの人たちが三々五々、中央公民館に向けて歩き出しているのを見たことは見たんですよ。そういう思いもあってですね、中央公民館にっていう話は私かどちらか、総務課長とのやり取りの中ではありました(同上)

・総務課長は中央公民館の方向を指さし「やめやめ!城山に上がるぞ!」と叫んだ。職員たちは中央公民館がある城山に避難する準備に取りかかった。
・その直後、津波が防潮堤を越え市街地に襲いかかった。
・しかしこのときになっても役場にいた職員たちは、津波の襲来に気づいていなかった。
・津波は役場の正面から向かってきた。

堤防みたいなのがザーッと真っ直ぐ、黒い壁ですよね。一瞬、何だろうというのは現実思いました。これ何だろうなと思って。そこにいた先輩が「津波だ」って声を出して、その声を聞いて皆がクモの子が散ったみたいに逃げ始めたというのが(同上)

・正面玄関の近くにいた平野さんは、すぐに役場の2階に駆け上がった。そして廊下に備え付けられている梯子を使って、屋上に上った。

津波だっていう声で前まで来たら、もう既に黒い波が。それを見てもう屋上の梯子に向かって(四戸さん)

・四戸さんも平野さんに続いて2階に駆け上がり、屋上を目指した。2階では既に多くの職員が梯子を上ろうとしていた。屋上に逃れるためのルートは梯子しかなかった。

前に女性、妊婦さんが1人いて、ちょうど上るところだったんですけど、やっぱり子どもがお腹にいるので足が梯子の上まで上がらなくてですね、それを私がお尻を押し上げているときに…(同上)

・津波が2階に入り込んだのは、そのときだった。

早く上がってほしいという思いで押してたんですけど、やっぱり膝ぐらいまで来たら勢いが考えていた以上に凄くて、膝まで来たら一気に尻もちをついて(同上)

・四戸さんはそのまま奥の会議室まで流された。そこに高台の避難を指示した総務課長も流されてきた。

総務課長が廊下側の机に上ったんです。目を合わせたときに一気に水が入り込んできたので、もう何かしゃべろうとしたときに言葉を交わせなかったんです。いつもは細い目なんですけど、すごいびっくりした顔っていうんですかね。目を大きく開けて何かしゃべろうというような感じでした(同上)

・会議室は完全に水没。その後、壁が崩れたため四戸さんは意識を失いそうになりながら建物の外に押し流された。

沈んでいって、もう半分は諦めたときに足に何かが当たったんですね。もう最後の力でそれを蹴り上げた途端に水面に顔が浮き出てですね(同上)

・津波は屋上までは達しなかった。しかし約30人の職員が梯子を上ることができず流された。
・屋上にいた平野さんは、四戸さんが流される様子をただ見ることしかできなかった。

四戸がそういう状況になっていて、恐怖の顔で。その顔っていうのは忘れられませんね。あとは後ろの方には、がれきの中に上半身を出したまま死んでいった、沈んでいった職員もいますのでね。それを思うと何もできないっていうか、手が届きそうなところに人がいながらも、助けることのできない無力さをすごく感じたのはあります(平野さん)

・四戸さんは役場に向かって泳ごうとした。しかしそこに津波の第二波が襲いかかってきた。とっさに目の前の民家の屋根につかまった。屋根は一旦、山の方に移動した後、引き波で海へと激しく流されてきた。沖に流される直前、水道のポンプ場に近づいた。

もう沖の手前で残っている建物が大町ポンプ場しかなかったんですけど。たまたま本当にすれすれまで近寄っていって、梯子があるんですけど、最後はあそこに飛びつくことができるところまで近寄っていったので、梯子に飛びついた(四戸さん)

・四戸さんは全身が濡れたまま、ポンプ場のベランダで夜を過ごした。

助かったなと思ったんだけど、今度寒さでもうダメだなっていう。痙攣のように体が震え出して(同上)

」そこに飛び乗ったのは見ました。もう死ぬだろうと思いました、彼は。水の中に入ってましたし、寒くて。朝になったらば私は水が引いたらば、彼の遺体を確認するのは私の仕事だろうなと思いました(平野さん)

・3月12日の朝、平野さんたちは僅かな期待を込めてポンプ場に向かって声をかけた。

「四戸生きてるか」っていう声が聞こえて、もう体中痛かったんですけど、立ち上がって手を振って、生きてるよっていう合図を出して(四戸さん)

手を振ったので正直びっくりしました、生きたことに対して。生きてくれたんだという嬉しさはありましたね(平野さん)

・その日、職員たちは自衛隊のヘリコプターに発見され、救出された。自衛隊と警察は役場の周辺で生存者の捜索を続けた。しかし職員の多くは遺体で発見された。140人の職員のうち約3割にあたる40人が津波の犠牲になった。町長も亡くなった。

<津波で壊滅的になった町役場の機能>
・防災計画では10の部署に分かれ、それぞれ管理職のもとで災害対応を行うことになっていた。しかし11人の課長のうち7人が亡くなったことで、計画に沿った体制をとることが不可能になった。
・救出された職員たちは高台の中央公民館に改めて災害対策本部を設置し、住民への対応を始めた。しかしその指揮を執るべき町長と総務課長は津波に流され、行方不明になっていた。
・やむなく総務課長を補佐する立場にあった平野さんが、指揮を執ることになった。外部との連絡手段は限られ大槌町は、ほぼ孤立状態に陥っていた。

どこからも何も来ないわけですから、避難所にいる方々に対して何かをしなければならない。食事だったり水だったりっていうところだったんだと思います。でもどうしようもなかったっていうのが正直なところで(平野さん)

・四戸さんはヘリコプターで救出された後も寒さによる痙攣が続いていた。しかし病院には行かずに、その日のうちに業務を始めた。手探りの災害対応は、まず町内の避難所の状況を調べることから始まった。

やっぱり暖房器具も止まったり、冷えがひどかったと聞いています。今はこの暗幕が直っているんですけど、あれを切って毛布代わりにして一夜を過ごした人もいると聞いています。ただやっぱり、それだけでは暖がとれなくて、低体温でせっかく助かったんですけども亡くなる方も数名いたっていう状況です(四戸さん)

・行政には防災用の物資を備蓄することが義務づけられている。しかし大槌町には毛布や食料などの備蓄が殆ど無かった。

ちょっと備蓄等、間に合っていなかったというのが現状でした。そういった対応を立て直して、構築が必要だなと思いました(同上)

・平野さんは職員からの状況報告を集約し「災害対策本部日報」としてまとめた。聞き取りの結果、38の避難所で人口の3分の1にあたる5100人が避難生活を送っていることが分かった。
・どこの避難所も備蓄食料が足りず、食料不足に陥っていた。住民は近隣からの炊き出しや、持ち寄った食料でしのいでいた。職員たちは各地の避難所に常駐し、対応を模索することになった。

<避難所に配置された町職員は>
・特に深刻な状況に陥っていたのは、避難所には指定されていなかった弓道場の施設。周辺の指定避難所が津波で被災したため、487人が避難した。近隣住民からの炊き出しは人数分には全く足りていなかった。

食べ物のことは、ほんとおにぎり1個ですね。冷たいの、それだけですね。大きいおにぎりじゃなくて小さいおにぎりね(女性)

・避難所としての生活環境も整っていなかった。住民は土の上に段ボールなどを敷いて寒さをしのでいた。
・この弓道場に常駐することになったのは、前出の伊藤幸人さん。役場で津波に流されたが、奇跡的に屋上に辿り着き助かった。
・伊藤さんには弓道場の環境をどうやって整えるかという課題が突きつけられた。

床面が全部土だっていう部分があります。それと、ここに暖房器具も何もなかったっていうのもひとつあります。どういう形でここの寝泊りの部分を解消していったらいいかっていうのは、まだその時点では考えは何もできなかったですよね。やっぱり近隣の方にお声をかけて、毛布だったり何だったりっていうのを提供していただくっていうことしか、もう頭の中にはなかったですけどね(伊藤さん)

・弓道場に避難した住民の一人、中村盛観さん。

避難した後の食事だとか、あるいは暖を取るための道具だとか、そういったものの備蓄というのもなかったんじゃないかと僕が思うぐらい、非常に心もとない状況でしたからね(中村さん)

<町民からの苦情・要望が寄せられる中…>
・防災の備えが不十分だったため、食料も水も暖房もない。災害対策本部には住民からの苦情が次々と寄せられた。

自ら住民の方々がもう押し寄せて、物資が足りない、油がない。そういったものをどうにかして欲しいっていう。やってあげたいんだけど、何もすぐできない。こう自分に何ですかね、ジレンマがこう、気持ちがすっきりしないというかなんか(四戸さん)

・避難所への物資の支援は、なかなか進まなかった。多くの職員が亡くなったことで、外部に支援要請を行う人手も不足していた。津波を生き延びた後、休みなく働いていた職員も限界に近づいていた。

やっぱ人がいなかったっていうのが一番、大変だったっていうか苦労したところですかね。横になれたのも2週間後ですね。みんなこういう状態で休み取っていました。朝起きれなかった方もいましたし(同上)

<遺体安置所に配置された職員は>
・精神的につらい業務もあった。津波の犠牲者が次々と遺体で発見され、その対応を迫られた。数百体の遺体を収容する場所の確保や、埋葬に向けた手続き。
・遺体の対応を行った職員の一人、中村一弘さん。町営の体育館を遺体安置所にして、その運営を担った。発見された遺体は、身元が確認され埋葬の手続きが始まるまで安置された。遺体安置所には行方不明の家族を捜す住民が次々と訪れた。

まず一応写真あるから写真見て、これに似たようなのあったら教えてねっていうので、そこに持って行って。でも見られる方と見られない方がありますのでね。水死した方はすごくパンパンに腫れた状態でありますし、また遺体でも一体のものもあれば部分部分遺体で、足だけ、腕だけ、そういうのもありますのでね(中村さん)

・中村さんはどの遺体に接しても何も感じないようにと、自分の気持ちを抑え続けたという。

私の知っている方もあれば、隣近所の方もあればという。そういう方があれば、ついついこう気持ちがあーってなりつつあるけども、我々自身も精神的にも持たなくなっちゃうから、もう業務だよ、仕事だよ。まずその対応するのも仕事なんだっていうので、一種の割り切り。そういうので対応してきたっていう。そうしなければ持続できなかったんです。あまりに暗い顔もできないし、笑い顔もできないし、普通に淡々と(同上)

<県からの要請があっても町の指揮命令系統は寸断していた>
・本部の指揮系統も混乱していた。幹部職員が足りず、指示を求める問いかけが平野さんに集中した。

本来ならば課長がいて補佐がいて係長がいてという組織の中で動くんでしょうけれども、それがもう完全に組織としての体がなくなってしまっている状況。自分たちが今何をしているのかという部分さえも、はっきりと分かっていなかったような気がします、全体を。私自身でさえもですね、全体がどう動いているか正直分からなかったんじゃないかなとは思います(平野さん)

・大槌町の災害対応が混乱しているという情報は、岩手県にも伝わった。市町村への支援を担当していた佐々木琢磨さん。被災者のニーズに応えるためには、県からも職員を派遣することが必要だと考えた。

住民の方々がやはり役場を頼って行ったときに、役場の方々も被害を受けてるというか、被災者だったわけですから。代わりの職員もいるわけではないということからですね、県の方でそういう避難所を回って何か足りないものありませんかとかですね、現地に入ってできることをやろうと(佐々木さん)

・県はまず大槌町の要望を聞き取るための連絡要員を派遣。応援職員の調整を行いたいと平野さんに打診した。しかし反応は意外なものだった。今の段階では応援の受け入れを考えている余裕はないという返答だった。

何をしてもらえればいいか分からないでしょ。人が来ればできるものじゃないですしね。どういう方がどういう形で入ってきていただけるのか分からない状況。何をしていただくのか分からないという状況の中では、正直なところ、どう手伝っていただくことさえも考える余地はありませんでした。(平野さん)

役場の中の平野さんも含めてピリピリしている状況で、なかなか県がこういうことをやりますと、こういう支援やりますという話を聞きに行ってもですね、まだそういう状況じゃないというような雰囲気がありましたね(佐々木さん)

・岩手県はいつでも派遣を始められるよう、準備を整えることにした。亡くなった役場職員の経歴などを調べ、どんな分野で職員が不足しているかを把握。その分野に精通した職員を派遣できないか、全国の自治体に問い合わせた。
・しかし準備が整っても、県の判断だけで派遣を始めることはできなかった。地方自治法で「基礎自治体優先の原則」が定められているためだ。市町村が行うべきことは市町村の判断で行い、国や都道府県は支援に徹するという原則だ。

県としての意向はお伝えしていますけども、大槌町の方々に一応了解を取った上でないとですね、そこはやはり実現できなかったというところがありますし。うちの方から結局、大槌町さんが納得しないままに役職員出すっていうことはあり得ないので(佐々木さん)

・県は大槌町に対し協議を申し入れた。職員派遣の準備を進めていることを伝えた上で、どんな業務で何人の職員を派遣すべきか確認を求めた。
・しかし平野さんは、受け入れの具体的な内容について判断を求められても戸惑うばかりだったという。

市町村が自治体が、ものを考える余裕があればいいんですよ。殆ど寝てない状況で動いているのに、頭動きますか。もの考えられますかって。簡単に受け入れなんていいますが、みんな必死で動いているんですよ。悲しみも苦しみもふたをして動いているんですよ、私たちはそのときは。その中で受け入れがどうだとか冷静にものを分析なんてできません(平野さん)

<避難所では町民独自の動きが始まっていた>
・災害対策本部の混乱が続く中、避難所に常駐した職員と住民との関係には変化が生まれ始めていた。弓道場を運営した伊藤さんは、食料や燃料の確保など夜も休まずに働いていた。その様子を見た住民の間で職員を助け、危機を乗り切ろうという機運が高まっていった。

彼らは彼らなりに、伊藤さんたちはね、右往左往しながら何とか皆の面倒みなきゃいけないと思って、苦心したんだと思うんですよ。それは我々も分かりました。だから協力しなきゃいけないと思ってやったんですけども(中村盛観さん)

・3月下旬になると大槌町には全国からの支援物資が続々と届いた。届いた物資の運搬や仕分け、配給などの作業は住民が総出で行うようになった。
・避難所の運営を住民に任せられるようになったことで、職員たちは役場本来の業務を再開するために歩み出すことができるようになった。

<住民票サービスを再開させるために県が動いた>
・4月1日、大槌町は行政機能の回復に向けた組織改革を行った。津波で亡くなった幹部職員の代わりに新しい管理職が決まった。
・緊急課題の一つは、住民票の発行などの行政サービスを再開することだった。その責任者として町民課長に任命されたのは中村一弘さんだった。遺体の対応を続けながら、行政の要の業務を担った。

前の町民課長は役場で被災しました。だからもう、どういうものかという状況をお聞きすることもできなかったし(中村さん)

・役場庁舎もノウハウも失い、手探りで始まった業務の再開。すぐに致命的な問題が明らかになった。

結局はうちの方の基本的なシステムのものも津波でやられてしまって、個人情報がすべてなくなってしまった。失ってしまった。それがなくなるっていうことになれば証明書は出せない(同上)

・戸籍や家族構成、課税状況などのデータを保存していたサーバーが津波に被災し故障、バックアップのデータはなかった。行政事務の基本となるデータが失われたことで、住民の生活に欠かせない住民票や印鑑登録証明書などを発行できなくなってしまった。
・住民データの喪失という問題を岩手県は特に深刻に受け止めた。行政サービスの再開を求める声が、県にも直接寄せられたためだ。

皆さん、着の身着のままで避難されているので、通帳とか印鑑お持ちになっていないと。現金も殆ど持っていない中でですね、ご自宅が流されたりしたときに自分を証明する証明書が欲しいと。ただ役場がその証明機能なせないと誰が自分のこと証明してくれるんだ、誰がその証明書を発行してくれるんだという話がおきまして(佐々木さん)

・特に懸念されたのは、被災者が国からの支援金や全国から寄せられった義援金を受け取れないということだった。それらの支援を受けるためには、被害状況に応じて市町村が発行する罹災証明書が必要になるためだ。

罹災証明書を出してくださいって言われたときに、どちら様ですか、うちには台帳がないので、あなたがうちの住民だということは証明できませんということになってしまって、それはやはり住民の方々にとってはあってはならないことですので、役場としての行政機能が成り立てないということになりますよね(同上)

・佐々木さんは、この問題については大槌町の対応を待つべきではないと考え、県が直接乗り込むことにした。大槌町に強く交渉した上で役場庁舎に立ち入り、津波に被災したサーバーを回収。データを回復できる可能性はないかと専門業者に問い合わせた。

本来であれば大槌町さんの所有物なので、県の担当が行ってそれを引き上げてきて修理に出すということはないとは思います。でもそういう状況ではなかったですし、地方自治法を犯すというか違反しているということを考えるよりは、もうできることをやりましょうということだけで行動していたような気がしますね(同上)

・住民データは全て無事だった。サーバーが津波に襲われたとき役場は既に停電していたため、データの破壊を免れることができた。
・4月中旬、大槌町は臨時窓口を開設し、行政サービスの受付を再開することができた。罹災証明書もようやく発行されるようになった。支援金を申請できるようになったのは、被災から約2か月が経った5月9日だった。隣の釜石市よりも1か月遅れで生活再建に向けた支援が始まった。

<非常時の行政の在り方に課題を残した>
・役場機能が回復し始めたことで、大槌町は5月から応援職員の受け入れにも応じることができるようになった。岩手県から幹部職員も派遣され、指揮系統もようやく整った。
・大槌町が今年までに受け入れた応援職員は685人。それでも役場の人材不足は続いてきた。復興事業は計画よりも大幅に遅れている。
・平野さんは震災後も4年間、総務課で働き、去年町長に選ばれた。あの日、津波を意識できず役場に留まってしまったことが、その後の対応を狂わせる大きな原因になったと反省している。

結局、役場職員が多く亡くなったことが、その後の様々な緊急復旧対応、応急対応に足かせとなって、住民サービスを十分に確保できなかったという現実がありますから、やはりそれは津波防災だと声高々に言ったものがね、空言で何もなっていなかったんだろうなという強い反省があります(平野さん)

・5年経った今、平野さんは積極的に応援職員を受け入れられればよかったと考えている。その一方で、県には現場の状況をより深くくみ取ってほしかったという思いがある。

国なり県に対してこうしてくれというようなことを言える状況であればよかったんでしょうけども、言える状況ではなかったということですね、現実は。現実を冷静に見られるのは県だと思いますので、県は今の状況を被災自治体の状況はどうなんだっていうのを見て、現実に難しいと、この人数ではこの状況ではできないだろうと、思い切って踏み込んでその状況を把握をして、支援をしていくという体制を県なり国が取ってほしいなとは思います(同上)

・東日本大震災では330人の自治体職員が犠牲になった。大災害で役場が崩壊したとき、残された職員、そして県はどのように対応したらよいのか。大槌町は非常時の行政の在り方に新たな教訓を残している。

(2016/8/31視聴・2016/8/31記)

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【明日へ―支えあおう―】証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市~避難所と在宅避難者のモノ語り~
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【明日へ―支えあおう―】証言記録 東日本大震災 福島県~原発事故 想定が崩れたとき~
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【明日へ―支えあおう―】いくぞ~!北の出会い旅~東北・宮城~
【NHKスペシャル】シリーズ東日本大震災 元気に老いる~生活不活発病・被災地の挑戦~
【明日へ―支えあおう―】生命に何が起きているのか~阿武隈山地・科学者たちの挑戦~
【ドキュメント72時間】海辺の街のコンテナカラオケ
【明日へ―支えあおう―】証言記録 東日本大震災 宮城県石巻市雄勝町~子どもたちを守れ 決死の救援要請~
【FNSドキュメンタリー】ようこそ!槌音が響く丘へ~被災女将 笑顔が戻るその日まで~
【明日へ―支えあおう―】復興サポート・子どもたちで祭りを創ろう~宮城・岩沼市 Part4
【明日へ―支えあおう―】ボクらの夢は、終わらない ~福島・南相馬に集う若者たち~
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【明日へ―支えあおう―】証言記録 東日本大震災 第40回“いのちの情報を届けろ”広報臨時号~岩手
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