じゅにあのTV視聴録

~視聴した番組のメモ、雑感などを書いています~


テーマ:
【NNNドキュメント’15】
「南京事件~兵士たちの遺言~」

(日本テレビ系列・2015/10/5放送)
※公式サイト:http://www.ntv.co.jp/document/

<感想>

 南京で行われた虐殺を検証した今回の番組、緻密な取材と裏づけになる資料の掘り起こしで事件の姿が浮き彫りになったと思います。「事件そのものがなかった」という異説(私から言わせれば“珍説”)を真っ向から論破するに十分なものだったと思います。

 気になったのは、中国での取材がなかなか自由にいかなかったという点。これは中国側に問題があるのか、それとも歴史を真っ直ぐにみようとしない日本の為政者に対する不信感が問題なのか、どちらかは分かりません。

 ただ少なくとも言えることは、【NHKスペシャル】作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~で、山崎豊子さんが「大地の子」の執筆のために中国で取材したときは、もっとオープンだったのではないでしょうか。

 それがどんなに自分たちの国にとって都合の悪いことでも、加害の歴史をきちんと直視し向き合う。それは過去の検証だけではなく、現在・未来へと繋がっていくことだと強く感じました。

<視聴メモ・番組内容(いわゆるネタバレ)が含まれています>

※見出しは当方で付けました。

・中国の揚子江(長江)に寄り添う町・南京には、今から78年前の日中戦争当時の悲惨な出来事を伝える慰霊碑が幾つかの場所に建てられている。「南京虐殺」「南京事件」と呼ばれる事件。1937年12月以降、日本軍が行ったとされる中国人への残虐行為だ。
・中国側は犠牲になった人数を30万人以上と主張、東京裁判では20万人以上だといわれ、松井石根元陸軍大将が死刑になった。
・以降、犠牲者の数については多様な意見が飛び交っている。日本では数万人や20万人など議論にもなってきた。近年ネット上などにおいては「あれは虐殺ではない」「行為そのものは無かった」という声まで挙がっている。日本政府の見解は「被害者の具体的な人数については諸説あり、正しい数かを認定することは困難である」としている。
・「南京陥落」と当時勇ましく伝えられた南京攻略戦。しかし日本国内では残虐行為は報じられていなかった。南京戦に参加した兵士は口外するなと言われ、公式な記録の多くは終戦時に処分されたという。
・防寒着姿で倒れている多くの人々を写した1枚の写真がある。これは南京陥落後に日本人が入手した写真といわれているが、果たして南京で撮られたものなのか。
・また、南京戦に参加したある兵士が書き綴った日記も残されている。それは加害者側の告白だった。これらが伝えるものとは。南京攻略戦の中のある部隊の記録を遡る。

<捕虜を殺害した元上等兵の日記と告白>
・福島県出身の小野賢二さん(66)は、南京攻略戦に参加した部隊(福島県会津若松にあった歩兵第65聯隊)について長年調べている。
・兵士たちが綴った戦の記録(陣中日記)。小野さんは元兵士たちの家に何度も通ったという。集めた日記はコピーを含めると31冊ある。
・その1冊に古めかしい革張りの表紙に「支那事変日記帳」のタイトルがある。19年前に亡くなった元兵士の遺品で、1937年9月から南京が陥落するまでの3か月間がほぼ毎日書かれている。彼は山砲兵第19聯隊の上等兵で歩兵聯隊と行動をともにした。日記にはごく普通の農民だった彼が身重の妻を残し戦場に向かう様が書かれていた。
・上海などに上陸した上海派遣軍。当初の作戦任務は居住していた日本人の保護だったが、軍部の判断で当時中国の首都だった南京の攻略をめざしたのだ。
・日本を経って1か月、日記からは次第に故郷の話題は消えていき、食べ物についての記述が増えていく。突然のことだった南京への転戦、後方支援は殆ど無く現地の家から徴発した(強制的に物資を集める)ことが書かれていた。
・そして2か月前までごく普通の農民だった男性が、遂に民間人に向けて銃口を向けたというのだ。
・12月、日本軍は南京に迫っていく。中心部は高い城壁に囲まれた巨大な要塞。日本軍がとった作戦は幾つもの部隊による完全包囲作戦だった。男性が参加していた部隊は、歩兵第65聯隊などと揚子江沿いを遡っていった。この包囲作戦で中国兵や多くの民間人が揚子江を渡れずに取り残された。
・12月13日、遂に南京陥落。その後松井元陸軍大将の入城式が行われた。男性の部隊は武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵たちを捕虜にした。捕虜はその後も増えていき1万人を超えていった。
・そして次のような記述がある。

「捕虜せし支那兵の一部5千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分に突き刺す。自分もこのときばかりと30人も突き刺したであろう。山となっている死人の上をあがって突き刺す気持ちは、鬼をもひがん勇気が出て力一杯に突き刺したり。うーんうーんと呻く支那兵の声、一人残らず殺す。刀を借りて首をも斬ってみた」

・投降した捕虜を殺害することは、国際法で禁じられていた。調査をしてきた小野さんは日記を書いた男性に21年前にインタビューもしていた。

「機関銃を持ってきて捕虜に向かって撃った。捕虜はみんな死んだが『弾に当たらないのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と突いて歩いた。おそらく30人くらい突いた。何万という捕虜を殺したのは間違いない」

<日記の裏づけと別の兵士の証言も>
・同じ作戦に参加していた別の兵士の日記(歩兵65聯隊 第八中隊少尉)にも1万7千25名の3分の1を引き出し射殺したと書かれている。さらに違う兵士の日記(山砲兵第19聯隊 第八中隊伍長)にも揚子江畔にて銃殺とある。
・小野さんが入手した日記や写しは合わせて31冊。その多くが捕虜の銃殺に触れていたのだ。中には銃殺があったとされる16日だけが消されて空白になっているものもあった。
・戦後になって諸説が出ているが、その根拠となったのは戦後になって記された文書だった。一方これらの日記は戦場で書かれたものであり「一次資料」だ。上等兵の日記に不自然な点や矛盾がないかさらに調べてみることにした。
・日記によれば、上等兵は神戸港から白馬山丸という船に乗って上海に向かったと記されている。神戸の資料館を訪ねると船は民間からの徴用船だったという記録が残されていた。日記では上海までは5日間掛かったとされているが、船の速度からみて矛盾しないことが分かった。
・上海上陸後の足取りの確認については、防衛省の研究施設に軍の公式な報告書が残されていた。日記と公式な記録が符合していた。ただこの部隊の12月以降の記録は見つけることが出来ず、南京に行ってからの記録がぷつりと消えていた。
・しかし別の資料が日記を裏打ちしていた。従軍記者が撮影していた捕虜の中国人の写真。これを報じた新聞によれば捕虜の数は1万4777人。翌日の報道は大漁鮨詰めと表現していた。
・捕虜のその後を捉えた1枚の写真がある。着剣した銃を担いだ日本兵の隣に後手に縛られ防寒着を着た捕虜が写っている。12月16日、捕虜は揚子江西の中国軍の海軍施設に連行されたという。
・機関銃の引き金を引いたという兵士の証言が残っていた。捕虜を“お客さん”と呼び、「今晩はお客さんが来て処理するんだ」と。“ピー”と将校の合図で一斉射撃したという(歩兵第65聯隊 元第三機関銃隊兵士)。
・処刑はこの日だけで終わらなかったという。翌17日、歩兵第65聯隊 第二中隊伍長が後日スケッチしたものによると、揚子江の別の河川敷に集められた捕虜を日本兵の機関銃が半円形に囲み一斉射撃。2日間で多くの捕虜の命が奪われていったという。

<捕虜銃殺の事件を再現すると>
・(取材班は)南京事件の現地取材のため中国・南京へ向かった。現在戦争の傷跡は少なくなったというが、所々に残る城壁の一部にはその痕跡があった。また、南京虐殺記念館の撮影を事前に申し込んでいたが、明確な理由が示されないまま断られてしまった。
・スケッチに描かれた銃殺場面はどこか。ある兵士の証言は「幕府山を右にまわり1時間」とある。スケッチにも細長い山があり、また当時の日本軍の地図にも幕府山には中国軍の砲台が記載されている。
・幕府山に行くと山頂付近に中国軍の砲台跡が残されていた。眼下には揚子江と中洲が見える。
・伍長の描いたスケッチとほぼ一致し描かれた場所が推定できた。16日に銃殺が行われた海軍施設は少し上流のところにあった。
・取材で浮かび上がった情報をCGで再現すると、16日の昼間、揚子江岸の中国軍の海軍施設に日本兵がやってきてコンクリートの壁に幾つもの穴を開け、機関銃を設置。後ろ手に縛られた捕虜たちは揚子江とトーチカのようになった建物に挟まれ、逃げ場はない中で一斉射撃されたのだ。
・翌17日は河川敷での銃殺。河原には鉄条網が張られ、外側に砂を盛って台座が作られ機関銃が並べられた。辺りが暗くなりやがて捕虜たちが到着。そして岸辺に用意された2つのたいまつが灯される。機関銃同士の相撃ちを避けるために、たいまつの間を狙って引き金を引いたという。
・伍長のスケッチの余白には、撃たれまいと人柱が3メートル以上でき、片っ端から突き殺した。夜明けまで石油をかけて燃やし、一人ひとり引きずって川に流したとあった。
・揚子江の岸辺が処刑場に選ばれたのは、多くの死体を処理するためだったという。この銃殺での犠牲者の正確な総数は今もはっきりとはしていない。
・戦後になって「捕虜を解放するために連行したが、暴動を起こされやむなく銃撃した」という証言がなされたことがある。小野さんが集めた一次資料には解放するという話は全く書かれていなかった。

<元海軍兵士が目撃した事件
・揚子江沿いで銃殺を目撃したという日本人が大阪にいた。当時18歳で海軍兵士として南京戦に参加した際に、目撃したという96歳の男性。
・これまで確認出来た処刑場所は2か所だったが、この男性が見た18日以降の場所は別の場所だった。揚子江沿いの幾つかの場所で行われていたことになる。
・男性は銃殺は連日続いていたという。余り知られてはいないが、海軍は揚子江を遡り南京戦に参加していたのだ。第24駆逐隊・海風で信号兵をしていたという。防衛省が保管している海軍の公式記録にも海風があった。男性は駆逐艦の上から死体を載せた筏が流れていたという。これについては軍の公式記録に「敗残兵南京上流より筏にて逃走」と記載されていた。
・そして男性は南京での戦いを終えて帰国すると、海軍士官から「南京で見たことは決して口外するな」と注意を受けたという。

<被害者たちが証言した民間人殺害の実態>
・(取材班は)捕虜の銃殺に関わった部隊や目撃者の取材を行ってきたが、現地では被害者側の声を聞くことにした。南京市政府から事件の被害者とされる中国人を3人紹介された。
・1人目は当時10歳の余昌祥さん(88)。親戚や近所の住民とともに店の地下に隠れているところに日本兵が来たという。おじを含む若者たちは上に隠れていたが、日本軍が来て7人が殺されたという。
・2人目は当時13歳の○洪桂(○は草かんむりに今)さん(91)。日本兵によって住んでいた家が放火され中にいた幼い弟が死んだという。私たちは2人の証言について裏付け取材を試みたが、当時の状況は大きく変わり、他の目撃者も見つからなかった。
・3人目は当時9歳の艾義英(アイ イーイン)さん(87)。農民だった父親と親戚を殺害されたという。

「村人が日本軍を歓迎すると言い出した。日本軍と握手をしたが関係なく殺された。日本軍は村の広場に村人を一列に並ばせて、機関銃で十数人射殺した」

・翌日村に再び日本兵が現れ、艾さんの父親を連れ去り殺したという。首を刺されて顔は血だらけだった。叔父も死んでいたという。
・さらに日本兵の仕打ちはそれだけではなく、親戚の女性も連れて行かれ強姦されたと訴えた。
・現在は南京中心部に住んでいるという艾さん。日本軍が来たときに暮らしていたのは郊外の許巷村だったという。南京の中心部から直線距離で約45kmの田園風景が広がるその村へ行くと、そこで暮らす男性が艾さんが語った内容と同じ話をした。
・さらに取材を続けると艾さんの親戚という男性で出会った。村の外れに立つ一族の墓に案内された。78年が経った今、辿りつけたのはここまでだった。
・民間人の殺害については、当時から南京の特派員たちが報じて海外メディアで指摘されていた。そして日本政府も「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」という公式見解を示している。
・南京陥落時、中国兵の中には民間人に紛れ込んでいた者もいたとされる。日本軍は兵士や民間人と区別が出来ない或いは区別しないまま殺害した例もあるという。

<写真の場所は南京だったのか>
・(取材班の)手元にある1枚の写真。防寒着姿で倒れている多くの人々が写っている写真が南京で撮られたものならば、後ろの川は揚子江と考えられる。手掛かりは後方に写っている2つの山の稜線と、右手にあるなだらかな丘陵。対岸に似た地形があった。

・戦争を振り返るとき、日本人は自分たちを被害者として考えることがある。しかし多くの命を奪ったという一面も忘れてはならない。歴史を踏まえこれからどう進んでいくべきか、いま問われている。

(2015/10/6視聴・2015/10/6記)

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