交心空間

◇ 希有な脚本家の創作模様 ◇


テーマ:

 マンションの一室。とにかく広々としたリビングだけのワンフロアの部屋。
部屋の明かりは消えていて薄暗い。壁に埋め込まれたデジタル表示の温度計は
“20℃”と点灯している。真冬の室内としては快適な温度といえよう。片隅に
衝立があり、その向こう側にベッドが置かれている。ベッドの上。全裸の陽介
がうつぶせで、頭と左腕をベッドからだらんと垂らして、うつろな目と半開き
の口で静かに呼吸している。陽介に背中を向ける形で、千明も全裸で横たわっ
ている。目の前の淡いグレーの壁に、指で“ヨウスケ”とゆっくりとなぞって
いく。
 徐に陽介が垂らした左手を伸ばし、床に放り投げてあった煙草に手を近づけ
ていく。煙草のある位置はおよそのところ記憶しているのだろうが、顔を上げ
てそれを確認する気はなく、こんなところかなと、静かに指を床の上で這わし、
煙草を探している。煙草は、陽介の指先からあと数センチの所にある。ほんの
少し力を入れて上体を伸ばせば、手が届くところだ。しかし陽介はそれ以上動
く気配もなく、ただ虚ろに手探りを続けている。そんな微かな陽介の動きだが、
千明が敏感に反応して、寝返りをうって身体を陽介の方に向ける。一呼吸して、
やわら陽介に覆い被さる。千明の白い乳房が陽介の背中に密着していく。陽介
は、相変わらず手探りを続けている。見かねて、陽介の左腕を静かに押し出し
てやる。陽介の指先が届き、煙草をたぐり寄せ掴み取る。満面の笑みを浮かべ
た陽介が、意識を背中の上に向けて呟いた。
「寝てた?」
「うんん。眠れなくって……」
 陽介の背中に顔を埋めたまま千明が返した。
「……陽介は?」
 両腕を立てて上体を起こすと、陽介の背中に、ゆっくりと味わうように“ヨ
ウスケ”と舌を這わせていく。
「何となく」
 煙草を握り締めていた左手を開きながら、微かに背筋を反らす。手の中にあ
った煙草がポトリと床に落ちて、コトンと音を立てた。
「ねえ、何時?」

 千明が吐息混じりで聞いた。
「……真夜中」
 背中に沁み込む千明の温もりを感じながら陽介が低く返した。
「……そういうとこ」
「ん?」
「陽介の、そういうとこ」
「なに?」
「だから……そういうとこ」
「……」
 陽介は、首をひねって千明を見ようとするが、今の体勢では見えるはずはな
い。すぐさま諦めて、また頭をだらんと垂らしてしまう。
 怪訝そうにベッドを降りた千明は、足下からぐるりと回り込んで、陽介の頭
を跨ぐように立つ。千明の引き締まった足首が、陽介の視野に飛び込む。じっ
と見ている。ようやく身体をねじって、千明の脚に添って、視線を上げていく。
細く白く艶やかで美しい。やがて陽介の体勢も、うつぶせから仰向けになろう
する。物憂い表情で見下ろしていた千明が「フフ……」と薄笑いを残して、さ
っと振り返りキッチンの方へ行く。
 キッチンといっても、部屋の一角にセラミック加工の箱が立ち並び、キッチ
ンフロアなるものを形成しているだけである。そのうちのひとつの箱の前に佇
んだ千明が、スローなボサノバをぼんやりとハミングする。箱の扉を開ける。
箱は冷蔵庫である。
 ベッドで、仰向けの落ちかかりになっていた陽介が、ようやく上体を戻し始
める。べったり横たわったのでは千明の姿は見えない。そこで、ベッドの上で
壁と背中の間に枕をあてた形で身体をあずけてみる。自分の体勢に納得したよ
うに頷き、穏やかな表情になる。そして、冷蔵庫の中を見ている千明に視線を
向けた。
「何か羽織ったら?」
 と軽く腕を組んだ。
「別に、寒くないわよ」
 千明は、冷蔵庫から漏れる淡い光の中、全裸で膝を抱えてしゃがみ込んでい
る。
「そういう意味じゃなくって」
「あーん……」
 ピーンときて、前に垂れ下がった髪をゆっくりと掻きやる。
 千明の背中に、指を擦り抜けた髪の毛がサラサラと落ちてゆく。陽介の腕組
みがやんわりとほどける。
「ア……アハ……どうしたの? 一体」
「別に……」
 冷蔵庫から缶ビールを手に戻って来る。陽介の前に立つと、何やら含みのあ
る笑みを浮かべて缶ビールを開ける。
「最後の一本」
「ァ……今度買っとく」
 千明がビールをグイグイと飲む。口から零れたビールが喉元を伝わって流れ
ていく。陽介がゴクリと生唾を飲む。
「私が欲しい?」
「ァァ……ア……」
「まだ駄目。キーワードを聞いてから」
「?……」
「飲む?」
「俺は、ビールは」
「ノマナイ」
 と陽介の言葉に続けた。
「でも……飲む?」
 そして、缶ビールを陽介の目の前に差し出した。
 陽介は、ポカンと口を開いて千明を見る。ビールではなく、千明の美しい裸
体でもなく、千明のどことなく訴える瞳に、意識を奪われている。千明が缶ビ
ールを軽く振って催促する。缶の中で残ったビールがチャポンと音を立てる。
「いや……いい」
 陽介は目を伏せた。
「そう」
 軽く頷いた千明は一歩一歩後ずさりして、衝立の向こうへ消えていった。


 窓から差し込む月明かりに照らされて、千明が広々とした部屋をゆっくりと
歩いている。フローリングの床に視線を落としたかと思うと、鼻で大きく息を
吸い込みながら天を仰いだりする。手にした缶ビールの側面を爪で引っ掻きな
がら、部屋のどこに視線を向けようか思案する。目に止まったのは、デスクの
上に飾られた写真だった。陽介と千明が写っている。足を骨折してギブス姿で
ベッドに寝ている陽介と、看護婦の千明が病室で撮った写真だ。二人、笑って
いる。
「私たち、出逢ってもう四年よ」
 呟きながら、写真を裏返して伏せる。それから、伏せた写真の横に視線をず
らした。強く奥歯を噛みしめ、その一点を凝視している。大きく息を吸い込ん
で、意を決したように口を開いた。
「これ、新しい彼女?」
「ああ」

 衝立の向こうから陽介が返した。
「いつから?」
「一ヵ月ぐらいになるかな」
「名前は?」
「セナ」
「前のエリカは?」
「会社の若い奴に譲った」
「エリカとの付き合い、一年くらいじゃなかったかしら」
「そんなとこかな。エリカは触った感じがしっくりこなくって」
「エッチ」
「それに時々ヒステリックになるんだ」
「で、セナちゃんはどうなの? スタイルはいいようだけど」
「ツツツツ……」
 陽介が舌打ちをしながら衝立の向こうから姿を見せる。
「それだけじゃないって」
意気揚々と、大股で一物をぶらつかせながら千明に近づく。
「賢明でそつがないし、一緒にいても落ち着く。とにかくセナは……いい!」
「ヘー、偉く御執心じゃない」人差し指で陽介の鼻をパチンと弾いた。
 満面の笑みを浮かべながら陽介が、セナに手を伸ばす。優しく愛おしく触る
指先は、千明の身体を愛撫するときと何ら変わりない。
「長続きしそう?」
「多分ね」
「そう」
「ァー……やっぱり何か着た方がいいな。君も」
「いやッ」
 ことのほか強い口調だった。
「……どうしたの?」
「生まれたときはみんな裸よ」
「ミンクは高価な毛皮着てる」
「ちゃかさないで」
「ァ……」
 軽く両手を上げ、降参のポーズを見せた。
「素直でいたいの。私も、あなたも」
 千明の目は、押し迫った感じで哀願していた。


----------------> 短編小説集【背中の男】「ミッドナイト・ロジカル」より 
----------------> つづきは本書でお楽しみください



◆ ミッドナイト・ロジカル ◆


冷たい風の中、陽介が千明を背後から包み込んだ。
「もう充分働いた。脳ミソが水分を欲しがってる」


     いつの日か本当に、セナのように優秀な知能をもったコンピュータ
     が現れるかも知れません。いや、既にどこかで開発され、世の中に
     デビューする日を待っているのかも。知能、知恵、ユーモア、アイ
     ディア、感情……等々をセールスポイントに様々な分野に進出して
     いくのでしょうか? ただ願わくば、創作の世界は遠慮してもらい
     たいものです(苦笑)。あれこれ思いながらも、千明の愛の強さに
     吸い込まれる一作でした。


短編小説集『背中の男』  文芸社

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