2006-10-31 21:30:43

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑦

テーマ:歴史の部屋

呂布が舞台をさった。



今度は劉備の番である。


劉備は曹操の客分として曹操陣営で馬鹿面を演じていた。



そのころ、袁術も急速に勢力が衰え、徐州を通って袁紹の元へ身を寄せようとした。


徐州の長官は車冑で戦下手で心もとない。


曹操は劉備は徐州の地理に詳しいということで朱霊とともに徐州に援軍に向かわせた。



劉備の馬鹿面芝居は完全に実った。


ついに、曹操の軟禁から脱出できた。


そのまま徐州に奇襲をかけ、長官車冑を血祭りにあげて徐州をのっとった。



曹操が徐州に攻めて来るのは必然なので、袁紹と同盟を結んだ。


徐州を攻めれば袁紹が曹操の背後をうかがえるからだ。



袁術は袁紹の元へ行くこともできず、道中で野垂れ死にした。



袁紹は残念ながらぐずであった。


曹操はそれを見抜き、自ら全軍を挙げて徐州を攻めたが、袁紹は兵を進めても背後をなかなかうかがってくれない。


劉備は曹操が全軍を挙げて攻めてくると情報が入っても信じようとしなかった。


自ら確かめに行ったら、確かに全軍で攻めてきていた。



城に関羽と妻子を残して、袁紹の息子のところに逃げてしまった。


城は攻められ、関羽は曹操に投降した。



曹操は今度は袁紹と対峙した。


袁紹がもう少し早く攻めていれば、曹操も危なかったかもしれない。


関羽は曹操に信任された。


しかし、劉備の幕僚である以上、妻子をつれて戻らなければならない。


誰が見ても分かる目覚しい大功を立てて曹操陣営から離れることを考えた。



袁紹の大軍と遭遇したとき、電光石火で単騎で敵の大将の首をとったのだ。


大将を失った軍隊は総崩れ、その戦いは大勝した。



関羽はそのまま劉備の妻子を連れて劉備の元へ走った。


曹操もあえて追跡しなかった。



劉備は袁紹の客分としていた。


関羽も戻ってきた。


袁紹は曹操配下の部下をおだてて、本拠地を襲わせようとした。


曹操もそれを見抜いていたので、警戒を怠らなかった。


なかなかうまくいかないので、劉備を助成に向かわせた。



劉備はこれ幸いとばかりに、袁紹陣営から逃げ出した。


袁紹の人望にもうんざりしていたので、助成もいい加減にやっていた。



結局、曹操配下の部下は撃破されてしまった。



さて曹操と袁紹の天下分け目の戦いは、袁紹が兵糧を焼かれて大敗し、袁紹は失意の中死んで行った。


この後、袁家は跡目相続争いが始まって自滅し、袁紹の領地は曹操の物となった。



劉備は袁紹との関係を絶ち、汝南へ拠ったが、曹操に攻撃され、劉表の元へ逃げた。



劉備はこれから、失意の生活が始まる。


曹操は中国の半分を手にし意気高揚としていた。



後は荊州の劉表、呉の孫権を叩けば、後は小勢力ばかり。


天下統一は目の前。



だが、歴史はなかなかうまくいかないものだ。



終わり。


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-27 22:50:50

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑥「呂布の最後」

テーマ:歴史の部屋

呂布は袁術と縁談を進める中、袁術と劉備の戦いを見事な弓の芝居で和平交渉に持っていった。



呂布は劉備を単独で叩くことを決めていた。


劉備は城で兵を集めていた。


大軍になる前に叩いてしまおう。



呂布は劉備を攻めた。


劉備は敗走し、曹操のところへ行った。



曹操陣営は劉備の扱いに困った。


劉備は俊傑で将来の競争相手になる。しかし、殺してしまえば有能な士が集まらなくなる。


結局、殺すことはいつでもできるから、様子を見ようということで客分として迎えられた。



劉備は馬鹿面を演じて何とか生き延びた。



呂布は徐州の長官となっていたが、すでに曹操からスパイが送り込まれていた。


呂布陣営に智謀の士が少なかったため、こぞって登用されたが、中にはスパイが紛れ込んでいた。



曹操が攻めてきた時の対処法で投降派と徹底抗戦派に分かれていた。


そこで、袁術が縁談を復活させようとしてきた。



投降派は縁談反対、徹底抗戦派は縁談賛成だった。


しかし、曹操のスパイが縁談反対派の急先鋒となって呂布を説いたため縁談はなくなった。


呂布陣営きっての智謀の士徹底抗戦派の陳宮は歯がゆみしたに違いない。



はたして、曹操は徐州を攻めてきた。


スパイは寝返り、先頭に立って攻める。


呂布陣営も投降派と抗戦派が争っており、投降派が抗戦派を逮捕してしまった。


兵に戦意もなく、顔見知りの投降派が下れと行っているのでみんな投降してしまった。


もはや、呂布はなすすべはない。



呂布は縛り首にされた。


こうして、三国志の前半の主役は姿を消した。



その⑦へ続く

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-20 20:59:47

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその⑤「呂布のギャンブル和平交渉」

テーマ:歴史の部屋

曹操は本拠地を固め、食料を条件に、遷都させることができた。


そのころ、劉表に追われ、曹操に敗れた袁術は、揚州の太守を殺して新たな勢力圏を作り上げていた。



袁術は劉備の徐州に目をつけた。


徐州は劉備が太守であるものの、兵が劉備系兵と陶謙系兵の2種類おり、


陶謙の重臣に雇われたみたいな領主であったため、支配力はあまりない。


さらに問題児の呂布もいる。



袁術は呂布に謀反させることとした。


劉備は袁術に備えるために国境付近に出てきており、呂布は本城の近くに駐屯している。


本城には頭の空っぽの張飛がいるだけだ。


しかも、本城では軍指令官の劉備派の張飛と行政司令官の陶謙派の曹豹が不和になり、張飛が感情に任せて陶謙派の曹豹を殺してしまった。



袁術は呂布に軍糧を提供する条件を出して謀反を起こさせた。


本城では陶謙派が裏切って城門を開けたため、勇猛果敢な張飛でもどうにもならない。


主君の家族も忘れて逃げ去った。



劉備は進退きわまってしまった。


前方は袁術。後方は呂布。


呂布に攻撃を仕掛けても、家族を人質にとられているため士気が上がらない。



劉備は呂布に降伏することとした。


呂布は降伏を受け入れ、劉備が逆に客分となった。


呂布が簡単に降伏を受け入れたのは、袁術が軍糧提供の約束を破ったこと、また、劉備の配下となっているこの土地の大富豪かつ有能な経済官僚の援助を期待したからであった。


袁術は徐州をとることが目的だったため、呂布と劉備がもっと激しく戦闘して欲しかったが、思惑は外れてしまった。


しかも、2度の主君殺しをやっている呂布が劉備を殺さず客分として城まで与えているのは意外であった。


劉備にしてみれば手勢を温存できたため、大成功であった。



袁術は劉備が目の上のたんこぶであった。


もう一度呂布と同盟をむすび劉備を叩こうとした。


今度は呂布の娘と袁術の一人息子の縁談で同盟を結び、袁術が攻撃する際に呂布に援軍を求める作戦だ。


しかし、呂布は自分の力で劉備を叩こうとしていた。


劉備付近に小軍閥があり、劉備を攻撃した際、それら小軍閥を自分の見方につける狙いが袁術側にあったからだ。


縁談が進んでいる間、袁術は劉備が守る城を3万で攻めた。


呂布は援軍を出さず、逆に和平交渉をした。


槍の矛に呂布が放つ弓の矢が命中したら袁術側は兵を引くというギャンブル交渉だ。


誰もが当たるはずがない、そう思っていた。


しかし、弓の名手呂布は見事に槍の矛に矢を命中させ、袁術側は兵を引いた。


この噂は、すぐに世に広まったため、その交渉を拒否することは、袁術側のイメージダウンになる。


呂布はこんな芝居をうって和平交渉を成功させた。



その⑥へつづく

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-17 22:45:32

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその④「曹操の本拠地固め」

テーマ:歴史の部屋

劉備はなんとか徐州の長官となった。


曹操と反曹操グループの戦いはどうなったのであろうか。


100日戦って勝敗が決せず、引き分けた。


いなごの大軍によって、作物が一気に食べつくされたからだ。



曹操はこのとき屯田兵を思いついた。


食料あっての戦いだ。


農民がせっかく育てた作物も、収穫時期になると軍隊が来て跡形もなくなる。


農民たちは勤労意欲を失い、流浪したり、造反グループに入る。


そこで、兵士に田を耕させた。


曹操の兵士は元は黄巾軍で田の耕し方を知っている。


これで、曹操は食糧難に困らなくなり、戦いに勝ち抜いていくことになる。



曹操は考えた。


今不安定な劉備の徐州を攻めれば簡単に取れるのではないか。


だが、優秀な部下は過去の名君を例えに出していう。


基礎を固めたからこそ、天下を望めたのですよ。


曹操は思い直して本拠地を固めることとした。



いなごの災害が終わり、戦いは再開された。


呂布は初戦は勝ったが、2回目は負けた。


再度、大軍を持って曹操を攻めたが、周到な伏兵で大敗した。


呂布は再び逃げ、今度は徐州の劉備の所に行った。



劉備陣営も考えた。


呂布を陣営に加えるかどうか。


劉備はまだ売り出し中で知名度はなかった。


呂布といえば世の中誰でも知っている。


その呂布を劉備が召抱える。


劉備は知名度を上げるためあえて陣営に加えた。



曹操は1年がかりで反曹操グループを一掃し、自分の本拠地を固めることに成功した。


そのころ皇帝は山賊あがりに擁護されており、旧董卓グループに圧迫されていた。


しかも、食糧は十分でなく、曹操に救援を求めた。


曹操も、君側の奸臣を粛清するという名目で都に乗り込み、その後自分の本拠地に皇帝を迎え入れたかった。


クーデーターは秘密裏に行われ、君側の奸臣はただ一騎逃亡してその他はみな誅殺された。


その後、曹操は本拠地へ遷都して皇帝を迎えいれることを申し出た。理由は食料問題である。


今の都の食料問題を解決できないのだから、誰も文句は言わなかった。


それよりか、今の都は食料がなく、朝から晩まで食べ物探しに明け暮れ、他人を殺してまで食料を奪う地獄のような場所であった。


それが、曹操の本拠地へ行けばたらふく飯が食えるという話を聞き、みんな喜んだ。


曹操の本拠地は屯田兵制で食料は十分にあり、皇帝はよろこんで曹操の本拠地へ行くこととなった。


ここで、曹操の本拠地へ遷都が行われ、皇帝は曹操が操れることとなった。



その⑤へ続く。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-14 11:02:46

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその③「鬼畜曹操」

テーマ:歴史の部屋

呂布は袁紹に暗殺されかけて逃げた。


そのころ、曹操は黄巾軍を青洲で下して青洲兵30万人を編入し、また眼下の敵の袁術を叩いて、完全に基礎を固めていた。


父に凱旋してもらおうと迎えにやった。


凱旋の道路の警護を地方の実力者たちに任せた。


しかし、父は大富豪であり、金銀財宝をつんで道中進んでいたので、徐州の陶謙の部下に殺されてしまった。


曹操は復讐の鬼となり、徐州を攻め、徐州の人間を皆殺しにしていった。


陶謙は公孫さんの武将田楷に救いを求め、劉備に救援を向かわせた。


ここから、劉備の登場である。


劉備は数千の手勢しかもっていない。陶謙は4000の兵を貸して、曹操の防衛に当たらせた。


曹操軍も軍糧が尽きていったん引き上げたが、徐州皆殺しはあきらめていなかった。


再び、徐州に出兵し、殺戮を始めた。


劉備は曹操に負け、敗走した。


このような殺戮戦争の中、曹操の本拠地で反曹操グループが形成され、本拠地を乗っ取ってしまった。


曹操は鬼畜に成り下がっていた。鬼畜を生かしておいては自分の身が危ない。



そのころ呂布は放浪を続けていた。


呂布はかつて陣営の参加を断られた小軍閥のところへ行こうとした。


前行った時より情勢は混乱を極め、少しでも兵力が必要と呂布は予想した。


その途中で、反曹操グループの棟梁と会うことができた。


反曹操グループは曹操を倒すために少しでも兵力が必要だった。


また、呂布の名声は天下に響いている。


それだけで威嚇になる。


呂布は反曹操グループの幕僚として参加することができた。


また、反曹操グループも呂布の名声を使って小軍閥のほとんどを味方につけていった。


呂布はそれほど恐れられていたのである。


曹操は激怒し、本拠地を取り戻すため引き上げることとなった。



命拾いした陶謙は気が抜けたかその年に死んだ。


陶謙は遺言として徐州の長官に劉備を選んだ。


陶謙の重臣の進言によるものであった。


ここで、劉備は一州の長官となったが、子飼の兵士は数千、大多数の兵士は陶謙系で把握できていない。


重臣の雇われ領主だった。



曹操を敵に回した呂布と劉備の運命はいかに。。


その④へつづく。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-11 21:40:27

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその②「呂布奮戦する」

テーマ:歴史の部屋

呂布は董卓を暗殺し、身を寄せる場所を求めて、戦争の耐えない大軍閥袁紹の元へ行った。


袁紹陣営も呂布の扱いに困ったが、袁術陣営とは情勢が異なっていた。


周りの敵と戦い、また、自国内で反乱が起こって鎮圧で忙しいのだ。


袁紹陣営は戦力が是が非でも欲しかったため、呂布を働くだけ働かせて、後で片付けることにした。


呂布は自国内の反乱の鎮圧に向けられた。


呂布は袁紹軍の先方として戦い、野戦で反乱軍を破り、常山という山に立てこもった反乱軍を攻めた。


しかし、常山に立てこもった反乱軍は、死んでもともとの農民軍で、指導者にも恵まれていたため、呂布はなかなか勝てれない。


しまいには、雨を理由に自分の五原騎兵団を使わず、袁紹軍の兵士を使うようになった。


呂布の強引な攻めにより、反乱軍は撤退し、袁紹軍も撤退した。


呂布だからこそ反乱を鎮圧できたが、袁紹軍の兵士も不満を抱くようになった。


袁紹はここで呂布を片付けることにした。


呂布もそのことに気づいていた。


呂布のところに暗殺者を送ったが、事前に察知し逃げていた。


さて次はどこへ行くのか。。



その③へつづく。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-08 22:55:20

三国志~徐州攻防 劉備、呂布の戦いその①「放浪の呂布」

テーマ:歴史の部屋

私が三国志の中で一番好きなところが、劉備や呂布が奮戦した徐州の攻防である。


劉備の負け戦ぶり、しぶとさぶりには本当に感服する。


また、呂布も奮戦しているから楽しい場面である。



国内随一の実力者董卓は奪略、恐怖政治を行って誰からも憎まれていた。


王允は呂布をそそのかし、国内随一の実力者、董卓を暗殺してしまう。


呂布は軍権を握り、董卓の後継者になる予定だったが、残念ながらなれなかった。


呂布は直属の五原騎兵団ばかりを登用し、董卓直系の涼州兵を軽んじていた。


また、王允も董卓直系の兵を率いていた師団長クラスの恩赦を認めなかった。


それならば戦ってやると董卓派は集結し、呂布、王允ら反董卓グループを攻めた。


呂布は、「逃げるが一番」と直属の五原騎兵団と董卓の首を持って逃げた。


呂布は行き場所を考えた。


一族を殺され董卓に恨みを持っている袁術、袁紹に董卓の首を持っていけば歓迎されるだろう。


袁紹は場所が遠いから袁術を頼ることとした。


袁術のところへ行って歓迎はされた。


しかし、2度の主君殺しのため客分として優遇はされるが、陣営に入れてくれない。


呂布は学問のある部下に天下の情勢を研究させ、どこに行くのが良いか講義してもらった。


呂布は大軍閥にいけば幹部にうとまれ実力を発揮できないことを袁術陣営で経験しているので、小軍閥で実力を発揮し、あわよくばのっとってしまおうと考えた。


さらに天下の情勢を研究させ、とある小軍閥に身を寄せようとした。


しかし、小軍閥の棟梁も馬鹿ではない。婉曲に断わられてしまった。


呂布は仕方なく大軍閥で戦争が耐えない袁紹の元へ身を寄せることに決めた。



その②へつづく。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-10-07 07:18:41

野球観戦に行く

テーマ:旅行・出張

10/6(金)、野球観戦にナゴヤドームに行ってきた。


中日×広島戦。


先日、エース川上投手が広島佐々岡投手に投げ負けて、今日はどうかなと思いつつも、行ってきた。


仕事を定時で無理やり片付けて、電車、地下鉄で行った。



やっぱ目標があると仕事ははかどるね。



地下鉄で「ナゴヤドーム矢田駅」があるのではないか!!


それに、出口を行くと、ドラゴンズロードという物があって、壁には各選手の写真とプロフィールが張ってあった。


ナゴヤドーム専用駅を作ったんだね。


おそるべし、ナゴヤドーム。。



ドラゴンズロードを通ってナゴヤドーム入りしたのは7時過ぎ。


4回途中で2-0で中日が勝っていた。


序盤で試合が決まっていたらどうしようと気がかりであったが大丈夫であった。


中日のピッチャーは山本昌。


最年長ノーヒットノーランピッチャーだ。


山本昌


2-0ということもあり、周りは大熱狂。


しかし、相手ピッチャーもがんばっており、追加点はなかなか取らしてくれない。


また同点にされて、もつれて延長にはいって帰りは12時ぐらいかと思っていた。



5回に試合が動く。


5回2アウトから、2番井端がヒットで出塁。


そして、最近3試合全くヒットが止まってしまった3番福留。


初球ボール。2球目はボールを空振り。


まただめかなと思っていた3球目。


目の覚める弾丸ライナーがレフトスタンドへ。



みんな総立ちで歓喜の嵐。


すごかった。



4-0で試合をある程度決まるような一撃だった。


しかし、簡単には終わらしてくれないのが広島。



7回、下位打線から、先頭バッターがしぶとく粘ってフォアボールで出塁。


1アウトはとったものの、続く選手が連続ヒットで1アウト満塁。


広島は代打緒方を送る。


山本昌は2ストライクと追い込むも、ライトとセンターの真ん中へ会心の当たりでライナーで飛ばした。


誰もが、抜けて3点入ったと思ったが、



ライト福留がランニングキャッチ。



3塁ランナータッチアップの犠飛1点ですんだ。


その後、1番東出にサード強襲のヒットを打たれ1点を取られたが、


2番山田を何とか討ち取って、この回を2点でしのいだ。


さすが、山本昌といったところか。



8回表からピッチャーは岡本。


山本昌が降板すると、中継ぎが打たれ、何回も山本昌は白星を落としていたが、今日は違った。


岡本は一人のランナーを出すこともなく、3人で広島の攻撃を終わらせた。


ファンの人も良く分かっていて、大丈夫かなと思いつつも、終わったあとはみんな喜んでいた。



投手が踏ん張り、8回裏。


打者はタイロンウッズ。


ピッチャーはストレートを投げ込む。


ウッズは負けじとスイングする。



ドームの天井に届くかというホームランだった。



タイロン・ウッズ


すごいホームランだった。


広い名古屋ドームの天井すれすれをとおって、レフトスタンドに吸い込まれていった。


もはや人間業ではないように思えた。



最後は守護神岩瀬が3人で抑えてゲームセット。


5-2で中日勝利。



良い試合だった。


金曜日無理して行った甲斐があった。



もう今年は野球を観戦できる機会はないけど、来年行きたいと思う。




いいね!した人  |  コメント(11)  |  リブログ(0)
2006-10-03 22:50:24

三国志 董卓の機転

テーマ:歴史の部屋

三国志で一時期、董卓が天下の実権を握れたのも、運だけでなく機転もあったからである。


三国時代前の後漢時代も末期状態で、皇帝は遊びに金をかけすぎて、増税だけでは対処できなくなり官職を売ることにした。

金をもうけたい人は税金が取れる地方の官職を買い、税金の取立てを厳しくして利益を上げた。


また、政治では賄賂が横行しており、当時起こっていた黄巾軍を鎮圧しても、皇帝付近の宦官に賄賂を贈らなければ、報酬を受けるどころか、現行の地位を取り上げられてしまう始末であった。


当時、皇帝の妻の弟「何進」が大将軍の地位にあり、皇帝付近の宦官と不仲になっていた。


中軍校尉の袁紹も宦官を嫌っていたので、何進をそそのかし、宦官皆殺しの計画を立てた。


また、地方の軍隊を中央へ呼び出し、宦官の軍隊が出てきても対応できるようにした。


そこで、董卓にお呼びがかかった。


袁紹は宦官も何進も両方始末して自分が大将軍になりたかったらしく、


あっけなく宦官皆殺しの計画は相手側に漏れて何進は殺され、宦官は何進を殺したということで、地方の軍隊を突入させて宦官を皆殺し。皇帝を見つけて、宦官に謀反の罪を押し付ける予定であった。


しかし、ここで皇帝が見つからないという誤算がおこった。


皇帝は逃げていた。


そこへ董卓の軍隊と皇帝が遭遇した。これは董卓が運がよかった。


ここからが、董卓の腕の見せ所。


皇帝は二人兄弟であり、兄の現皇帝はあまり出来は良くない。弟はしっかりしている。世間に知れ渡っていた。


現皇帝は後ろ盾があり、政治の実権は握れないが、弟に皇帝の座を渡れば、自分が実権が握れる。


現皇帝より弟皇帝になれば、政治は良くなると世間は認めるはずなので、反対勢力を弱めることができる。


しかし、董卓の兵力はこの時3,000人。


袁紹や曹操に及ばず、勢力圏でないため、徴兵で兵力を増やすことができない。


そこで、何進の旧部下を自分の部下にすることを考えた。


何進の旧部下は一番強い勢力に付きたがっていた。


董卓の兵力はこの時3,000人。


1,000人を宮廷に残し、2,000人を毎晩こっそり抜けさせ、翌日2,000人入場させる。


「勢力圏から続々兵力が到着」


何進の旧部下は董卓につくこととなった。


それでも、まだ兵力が及ばない。


次は、地方の軍隊に目をつけた。


丁原の軍隊が白羽の矢にたった。丁原の部下の呂布に目が行ったのだ。


董卓と呂布は一度すれ違っただけだったが、董卓は呂布に自分と同じ物を感じたようだ。


董卓は呂布に父子の約束をするから丁原を殺して部下をのっとって来いと連絡をつけ、


その通りの結果となった。


これで、中央で実力NO.1となり、袁紹、曹操らを抑えた。


そして、前皇帝を廃して、弟の皇帝を立て、自分は後ろ盾となって実力を握った。



結局、董卓も奪略、恐怖政治で人心を失い、同じにおいを感じた呂布に暗殺されてしまうのだが。。



悪玉でも上に上がっていく人はそれなりのことをしているのだなと感心しました。



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ろいた

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。