「お店、終わり、ですか?」
その女の子は、
その場に、
スッと立っていた。
そして俺は、
泥酔していたことも忘れ、
その女の子の顔を、
しっかりと見ていた。
あぁ。
酔っている場合じゃなかったのさ。
俺は、女の子の問いかけに、
一瞬の間はあったものの、
気付かれない程に、即答した。
あ、あぁ、いや。どうぞ。
俺は、
その女の子に、席を勧める。
そして、
女の子は、
店のど真ん中のスツールに腰掛けた。
あぁ。
俺は、その女の子が、
店のど真ん中のスツールに腰掛けるのを見た、
その瞬間、
体内のアルコールが、
完全に蒸発するのを感じた。
そして、俺の頭に浮かんだことは、ただ一つ。
── 美月 ──
背格好といい、
立ち振る舞いといい。
あぁ。そして、
声が、まったく同じなのさ。
しばし無言の時間が、俺の店を包んだ。
「ワイン、飲まれていたんですか?」
あ、あぁ。
そして、
俺は、
明日、片付けようとしていた、
カウンターの上の、
ワイングラス二つと、ボトル。
そして、
その隣りにいる額縁を、
さりげなく、シンクに移した。
あぁ。さりげなくだ。
「ワイン。わたし、好きなんです。」
微笑みながら、その女の子。
「えと、捨てちゃうんですか?」
ワインボトルの中身の行き先が気になり、
見守る女の子は、悲しげな目線をした。
え。あ、あぁ。
飲んでみるかい?
あぁ。しかし、さすがにお客に、このボトルは ──
と俺は、
同じ銘柄のボトルを開けようと、
店の奥に行こうとしたが、
女の子は、俺の行動を遮るように、
声を発した。
「その、開いてるのが、いい。」
あ、あぁ。いや。
うん。俺がご馳走するから、
新しいのを開けないか?
俺は、
女の子に提案したが、
女の子は、
首を左右に振った。
そして、
さらに女の子は、
俺が飲んでいたグラスの、
もう一つの口にしていない方を、指差した。
ん。これかい?
さすがに、と俺は思ったが、
女の子の意思は変わらないようだ。
俺は、
シンクから、
中身が半分程残った赤のワインボトルと、
俺が口をつけた、グラス。
そして、
手付けずのグラスを、
カウンターの上に戻した。
どうぞ。
こちらは、当店からお客さまへの感謝の意でございます。
俺は、
冗談めいて、かしこまった。
女の子は、笑顔になり、
声に出して、可愛らしく笑った。
あぁ。ご馳走するよ。
「ありがとう、ございます。」
俺と、
女の子は、
軽く、顔の前にグラスを掲げ、
それを乾杯とした。
俺は、一口。
女の子は、さらに眺めるように、
ダウンライトの光源に、
グラスを掲げて、
ワインの色を楽しみ、
その後、香りを楽しんでいた。
そして、一口。
「おいしい。」
女の子は、
目を真ん丸にして、
楽しく驚いていた。
「マスター、これ、おいしいです。」
あ。あぁ。
それは、良かった。
このワインの時間も、
君に会えて、浮かばれる。
俺は、微笑んだ。
あぁ。久しぶりに、微笑んだ。
そして、
女の子は、俺の店をゆっくりと見渡した。
「いい雰囲気。
うん。やさしい時間が流れてる感じ。」
あぁ。ありがとう。
俺は、
女の子に微笑み返しをした。
「あっ。ギターだ。
マスター、ギター弾くんですか?」
お。目敏く、女の子は、
カウンターの中に、
雑に立てかけてあった、
黒のテレキャスターを見つけ出した。
あぁ。
いきなり核心に迫るのかい?
俺は、ざわめく心の中で、
ギターというキーワードを、
何て言うか、
恐れながらも、
待ち受けていた。
あぁ。ギターは、美月につながるキーワード。
それを、この女の子から、振ってきた。
あぁ。弾くよ。弾こうか?
あとは、俺が、どのタイミングで、
この女の子に、美月のことを切り出すかだ。
「うん。聞いてみたい。」
女の子は、ワクワクする気持ちを、
笑顔で表現していた。
タイミング。きっかけ。
あぁ。ちょっと待て。
落ち着け。
あぁ。わかっている。タイミングだ。
俺は、ギターを手に取ると、
軽くチューニングする振りをした。
さあ。聞くぞ。
あぁ。
俺は、ギターを歳がいってから憶えたのさ。
「へえ。誰かに、習ったんですか?」
女の子は、ワインを一口。
微笑みながら、
俺の話に耳を傾けていた。
あぁ。美月という女性にね。
言い切った。
俺は、女の子の次の言葉を待った。
「ふうん。いいなあ。」
あれ?
それだけ?
俺は、この女の子の言動を、
チューニングの振りをしながら見ていたが、
美月という名前に、
まったく動じていなかった。
俺の頭の中は「?」で一杯さ。
美月と、
この女の子は、
まったく関係がないのか?
そして、
俺は、意を決して、
女の子に聞いてみる。
なあ。君は、
美月って、
名前の女性を知っているかい?
「ううん。知らないです。」
あまりにも、あっさりと否定された。
その女の子は、
ニコニコしながら、
不思議そうに、
俺の顔を見ていた。
他人のそら似?
世の中には、不思議な出会いがあるもんだ。
しかし、もし、
この女の子との出会いが、
神様のいたずらだとしたら、
俺は、その気まぐれな、いたずらに感謝するよ。
あぁ。そうか。
さあ。一曲弾くよ。
アンプは無しで、弦の音だけだ。
その美月って女性が、
この店に初めて来た時に、弾いた曲。
俺は、そう前置きをすると、
軽いタッチで、曲を奏でた。
俺は、少し、微笑んだ。
思い出し笑いだ。
左手の指先は、
弦を滑らかに、
動いていた。
右手では、
柔らかなリズムで、
弦をかき鳴らした。
俺は、
ギターを弾きながら、
ハミングでメロディーを歌った。
俺は、この曲を奏でながら、
店の空間の色が、変わって行くのを感じた。
音がフワリ、女の子とともに、俺の居場所。
5分くらいの、
俺の演奏。
客は、その女の子一人。
アンプは通していないが、
俺のギターは、
目の前の女の子を、
ビックリさせていた。
人は、本当に驚いた時、声も出なくなるだろ?
そして、俺の演奏は終えた。
女の子の少しの間。
「おおお。すごぉぉい。」
女の子の反応は、
見ている俺自身が、
恥ずかしくなる程の、
歓喜の表現だった。
鳴り止まない拍手。
俺の耳は赤くなった。
「すごい。スゴぉい。ビックリしたぁ。」
よせよ。恥ずかしいじゃないか。
俺は、
女の子を落ち着かせた。
その後も、
この女の子のテンションは、
キープし続けていた。
「ゴメン。マスター。酔いが覚めちゃった。」
笑顔で応える、女の子。
この頃、すでに、
ワインのボトルは、空になっていた。
俺は、
新しく同じ銘柄のワインを、
この女の子のために開けた。
「乾杯。」
乾杯。
この女の子との出会いが、
ワインの神様の仕業なら、
ワインの神様、
もう少しだけ、
俺を酔わせてくれ。
もう少しだけ、
酔い続けたいんだ。
俺は、女の子と、
この後、ゆっくりとした、
楽しい時間を過ごした。
この美月に、そっくりな女の子と。
ちなみに、
その楽しい時間とともに、
俺の心の中では、
たくさんのことを、
思い巡らせていた。
あぁ。
美月と、
この女の子とのことだ。
他人のそら似。
良く聞くことだが、
この場合、あまりにも似ているので、
その線は無いと、俺は、推測した。
そう。似過ぎているのさ。
俺の頭に浮かんだ答えは、
ただ一つ。
美月の娘ということだった。
しかし、
その女の子は、
美月の名前には、動じず、
きっぱりと、関係を否定した。
そうか。他人のそら似か。
そんなことを考えながら、
その女の子が帰る時間となった。
大丈夫、かい?
「うん。全然平気です。」
俺は女の子のために、
女の子には重い、木のドアを開ける。
「ありがと」
女の子は、まったく酔っていないようだった。
俺の頭の中で、
この女の子と、
美月の姿が重なっていた。
女の子は、
しっかりとした足取りで、
10メートル程、歩いていった。
俺は、
美月と出会った、
「あの日」のように、
心から思ったんだ。
なあ。君。
また、会えるかな?
俺は、女の子の背中に目掛けて、
大きな声を投げかけた。
女の子は、ピタリと止まると、
振り返って言った。
「それから。わたしの名前、ルナ。」
そう言うと、
俺に、ルナと名乗る女の子が微笑んだ。
えっ?
俺は、
その微笑みに、
驚いた。
澄んだ空気の星空。
そして、
大きく、とても、美しい月が、
ルナの姿を、
蒼白く、ハッキリと浮かび上がらせていたのさ。
…シンデレラ。はい。しかし、お珍しい。
お客さまが、ノンアルコールカクテルをご所望とは。
はい。かしこまりました。