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「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 、戦乱の旅、
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」史跡めぐりの旅です。
武田勝頼が木曽義昌討伐の際に布陣した上原城を紹介します。

史跡名ゆかりの武将住所
上原城武田勝頼、武田信勝、武田典厩(信豊)、諏訪信満、諏訪頼重、武田信玄、板垣信方長野県茅野市ちの
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kousyu_seibatu03a※文中の文字色は図と同色になってます。
阿部加賀守(勝宝)のもとへ※1木曽福島城主木曽義昌離反メラメラの報せが届きますが、武田典厩(信豊)、長坂釣閑斎、跡部大炊の3人は偽書と考え、使者を監禁します。
しかし、それが事実と分かると、勝頼は天正10年(1582年)正月28日、武田典厩(信豊)に木曽義昌討伐を命じます。(甲陽軍鑑、甲乱記)

「信長公記」によりますと、
2月2日、武田勝頼・信勝親子、武田典厩(信豊)は1万5千の兵で※2新府城から出陣し、上原城に入りました。
そして、上原から諸城へ指示を出しました。

2月3日、織田信長は諸将に出撃命令を出し、織田信忠は即日、森勝蔵(長可)、団平八(忠直)を先陣として、尾張と美濃の兵を※3岩村方面へ進軍させました。
※1.木曽福島城※2.新府城※3.岩村城の詳しい記事もご覧ください。



武田勝頼が布陣した上原城はJR東日本・中央本線茅野駅からほど近く北側にあります。
くるまr山頂に駐車場があります。

上原城は、諏訪信満が築いてより、諏訪家代々の居城でした。
諏訪頼重の代に武田信玄に攻められ落城し、頼重は甲府・東光寺に幽閉、後に自刃させられました。
その後、武田勝頼が一時期諏訪氏を継いでいるので、勝頼にとっては思い入れのある城なのかもしれません。
なお、山麓にある頼重院は諏訪頼重の菩提寺で、お墓があります。
また、自刃した東光寺にもお墓があります。
なお、山麓には居館跡・板垣平があります(城主・板垣信方の館があった場所です)


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勝頼が陣を敷いた上原城
籠城ではないので、山上ではなく、おそらく山麓の居館があった板垣平などに陣を敷いたと思われます。


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