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「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、木曽福島城の紹介です。
get="_blank">武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」史跡めぐりの旅ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
※一部追記しました。

城名(別名)住所関連する人物
木曽福島城(福島城、向城)長野県木曽郡木曽町福島木曽義昌、木曽義康、武田勝頼
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、再読み込みすると表示されるようです。
木曽福島城へは木曽福島郷土館(地図マークの東側)から西方向へ向かって山道を車で登れます。
(地図はこれ以上詳細が表示出来ませんでした)
※ネットで見ると徒歩で登るっぽいので、車の通る道ではないのかもしれません。ご了承ください。
山頂付近で車を停めて徒歩で城へ入ります。
くるまr駐車場は…すみません専用の駐車場があったか定かではありませんが、車は停めることが出来ました。

木曽福島城は、18代・木曽義康によって築かれました。
その子が武田勝頼から離反した木曽義昌です。
この城、戦はしてないみたいです。
大きな曲輪は本丸二の丸三の丸の3つですが、それぞれはあまり広くはなく、大勢が籠れる感じではありませんでした。
武田勝頼の大軍が来たら持ちそうもない…ような気がします。
ただ、木曽は山奥なので、「山々に潜み要所要所で敵を撃破作戦」でいたのかもしれませんね。
現に、鳥居峠の戦いでは武田軍は散々にやられています。
その戦いはまた後ほどのブログで…。

木曽福島城の話に戻りますが、各曲輪間の堀切はカッコいいですグー


siro_kisofukusima01
縄張図。
この説明、分かりにくいですが、上の段城というのがで、詰の城というのがのようです。
その2つを合わせて(木曽)福島城というのが正解でしょうか。
上図は詰の城の縄張図です。
一の郭、二の郭…って書いてあるんですけど、それぞれの郭に行くと、本丸、二の丸って書いてあるんですよねー。
統一してくれないと…。



siro_kisofukusima02
三の丸へ。(二の丸方面から)
細い尾根続きになってます。



siro_kisofukusima03
三の丸。
決して広くはないです。


siro_kisofukusima01
三の丸・二の丸間の堀切。
手前が三の丸。
この堀切、カッコえーにやりにやり


siro_kisofukusima05
三の丸・二の丸間の堀切がそのまま竪堀になってます。


siro_kisofukusima06
二の丸。


siro_kisofukusima07
本丸・二の丸間の堀切。
手前が二の丸です。


siro_kisofukusima08
本丸・二の丸間の堀切から続く竪堀。


siro_kisofukusima09
本丸。
ここが一番広いです。
礎石のような石も多くみられました。


siro_kisofukusima11
この石垣、三の丸の外側の方にありました。
縄張図の三の郭と書いた字のあたりです。


追記。
過去、武田信玄が攻めてきた際には木曽義昌の父・義康は大瀧城に籠城していました。
大瀧城は木曽福島城よりさらににあり、木曽義昌の最終の籠城地は大瀧城であったのかもしれません。
※大瀧城(長野県木曽郡王滝村)は現在、ダムで水没していて水位が下がった時だけ姿を現すらしいです。

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