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「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 、戦乱の旅、
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」史跡めぐりの旅です。
武田領へ侵攻してきた織田軍と武田軍の初めての大規模な戦い、鳥居峠の戦いを紹介します。

史跡名ゆかりの武将住所
鳥居峠武田軍:武田典厩(信豊)、阿部加賀守(勝宝)、今福筑前守(昌和)、跡部治部丞、有賀備後守、神保冶部、馬場昌房、多田治部右衛門、山縣三郎兵衛尉、横田十郎兵衛尉、仁科盛信、仁科伊豆守、秋山紀伊守、長坂釣閑斎、真理姫、武田勝頼
織田軍:木曽義昌、遠山友忠、織田長益、津田孫十郎、織田赤千代丸、稲葉貞通、梶原景久、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽氏次、梶原景久、織田信長、織田信忠
長野県塩尻市奈良井
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、再読み込みすると表示されるようです。
鳥居峠は中山道(木曽路)の奈良井宿と藪原宿の間にあり、街道屈指の難所でした。
くるまr車では行かれませんビックリマーク
鳥居峠へは奈良井宿、あるいは藪原宿から山道を歩きます。奈良井宿からの方が近いです。
※右地図は奈良井宿から鳥居峠への入り口をマークしてあります。
奈良井宿には駐車場があります。

ちなみに、現在、新鳥居トンネルが出来、車は峠を通らずに通行できます。

鳥居峠の戦いは、武田領へと侵攻してきた織田軍と武田軍が激突した最初の大規模な戦いです。
それまでの武田軍は、寝返ったり逃げ出したりという有様であまり大した戦をしていません。
詳しくはこちら。

以下、両者の戦いを記した書、「信長公記」「甲陽軍鑑」「武田三代軍記」「甲乱記」で、戦いの模様を紹介します。
※武田側は、織田側はで記します。

信長公記
天正10年(1582年)2月2日、
武田勝頼・信勝親子、武田典厩(信豊)は木曽義昌(木曽福島城主)の謀反を知り、1万5千の兵で新府城から出陣。
上原城に入る。


2月3日、
織田信長の出撃命令が出る。織田軍の侵攻開始。

2月16日、
武田軍は、今福筑前守(昌和)が兵を率い、藪原側から鳥居峠へと進撃。
織田軍は、木曽義昌に苗木久兵衛(遠山友忠のこと)父子が合流し、奈良井側から鳥居峠へと進撃。
そして、鳥居峠で激突メラメラ
戦いは、織田軍の勝利に終わり、跡部治部丞、有賀備後守、笠井某、笠原某ほか、40余りの将の首を取る。
木曽口から駆け付けた援軍は、織田源五(長益)、織田某、織田孫十郎、稲葉彦六(貞通)、梶原平次郎(景久)、塚本小大膳、水野藤次郎、簗田彦四郎、丹羽勘介(氏次)で、以降、木曽義昌とともに鳥居峠を占拠。
馬場信春の子・昌房は深志城(後の松本城)に籠り、鳥居峠と対峙した。

甲陽軍鑑
武田勝頼は武田典厩(信豊)に木曽に向かい木曽義昌を討つよう命じる。
阿部加賀守(勝宝)は、「木曽路とはたやすく攻め入れない難所なので、まず私が木曽に向かい木曽義昌の奥方・真理姫(武田勝頼の妹)を通じて木曽義昌をなだめますので、その間に典厩殿の軍勢を5騎、10騎と差し向けるのがよろしいのでは。」と進言するものの、長坂釣閑斎が反対。
武田典厩が出陣し、
鳥居峠で激突メラメラ
武田勢は敗戦し、神保冶郎をはじめ、多くの手勢を討たれた。
そこで、勝頼は上野・信濃・甲州の兵2万を動員し、諏訪に陣を張った。

武田三代軍記
武田勝頼、木曽義昌討伐を命じる。
大将・武田典厩(信豊)、副将・神保冶部、3千の軍勢で木曽に向かい、

鳥居峠で激突メラメラ
武田勢、散々に負けて引く。
織田源五(長益)、織田赤千代丸、津田(織田)孫十郎、稲葉彦六郎(貞通)、塚本小大膳、水野藤次郎、丹羽勘介(氏次)、簗田彦次郎、梶原平次(景久)、2万余りの軍勢、鳥居峠を越え、桔梗原に陣取る。
~中略~
武田勝頼は、馬場民部少輔(昌房)、多田治部右衛門を差し向け、深志城を守らせる。

甲乱記
正月28日、
武田勝頼、武田相模守信豊を大将に、山縣三郎兵衛尉、今福筑前守(昌和)、横田十郎兵衛尉、兵3千あまりを木曽に向かわせる。
その他、後詰として仁科五郎信盛(盛信)、仁科伊豆守(諏訪伊豆守?)は諏訪・高遠の兵2千騎あまりを率い、上伊那口へと向かう。
木曽義昌からは「叛意はない」との弁明の使者が来る。

2月2日、
武田勝頼、まず、鳥居峠を固める敵を追い払うべし、と命令。
今福筑前守を大将に、兵3千騎、鳥居峠へ向かう。

鳥居峠で激突メラメラ
鳥居峠は、一本道で険しく、氷柱鏡のごとく、雪はいまだ消えやらず。という状況。
武田軍は一本道のため大軍で押し寄せることは出来ない。
対して木曽軍は、山を知り尽くしているので、山々の峯に登って、鉄砲や矢を放つ。
武田軍は谷へ蹴落とされ、半死半生のもの数知れず、後陣の兵は前に進めず援軍に向かえない。
数百人が討たれ、大ピンチに陥る。

その時、他方から廻り込んだ諏訪越中守(頼豊)、諏訪伊豆守(頼忠)、秋山紀伊守の軍が来襲。
ここで大乱戦となり、それは巳の刻から、申の刻まで続き木曽軍は峯から下へ追い崩され武田軍は奈良井、贄川(犀川?)に陣取った。
木曽義昌は逆意のないことを弁明したが、武田勝頼の出馬を聞いて、織田信長へ助勢を求めた

…これにより、信長は子・信忠を大将として、滝川一益、川尻秀隆、森長可ら三万あまりを下伊那口から、木曽口からは織田源五有楽、遠山豊前守、美濃三人衆、根来衆の計3万あまりが侵攻を開始した。


以上が、鳥居峠の戦いの様子なのですが、各書によって日にち、人物が異なってるんです
なので精いっぱい考えてまとめてみました。


kousyu_seibatu04a1月28日、新府城の武田勝頼は木曽義昌討伐の命を出す。
武田信豊を大将に、山縣三郎兵衛、今福筑前守(昌和)、横田十郎兵衛が新府城より出陣。
仁科五郎の守る高遠城から、別働隊・諏訪頼豊、諏訪頼忠、秋山紀伊守が兵2千で出陣。


2月2日、
武田勝頼・信勝親子、新府城を出て上原城に入る。
先陣の武田信豊軍の中から、今福筑前守(昌和)が兵3千を率いて鳥居峠へ向かう。

対するは木曽義昌。
戦いは地の利を得た木曽軍が優勢武田軍は数百人が討たれるが、途中で武田軍の援軍、諏訪頼豊、諏訪頼忠、秋山紀伊守が来襲。
大乱戦の末、木曽軍は敗走
武田軍は奈良井、犀川に陣取る
負けた木曽義昌勝頼に弁明の使者を出す。
(記述はないですが、勝頼は聞く耳無しでしょうね)



kousyu_seibatu05a2月16日、
武田軍は、今福筑前守(昌和)が兵を率い、奈良井、犀川から鳥居峠へと進撃。
対する織田軍は、木曽義昌軍に苗木久兵衛(遠山友忠のこと)父子の軍が合流し、藪原から鳥居峠へと進撃。

戦いは、織田軍の勝利に終わり、跡部治部丞(神保冶郎?)、有賀備後守、笠井某、笠原某ほか、40余りの将の首を取る。
援軍の織田長益、織田赤千代丸、津田孫十郎、稲葉貞通、塚本小大膳、水野藤次郎、丹羽氏次、簗田彦次郎、梶原景久、2万余りの軍勢は鳥居峠制圧後、桔梗原まで駒を進めた。

馬場昌房、多田治部右衛門、深志城で籠城。

※信長公記の、「武田軍は藪原側から鳥居峠へ」、「織田軍は、奈良井側から鳥居峠へ」、というのは地理的に逆であり、誤記だと介錯しました。


まとめるとこんな感じです。
結論として、
鳥居峠の戦いは、2月2日と2月16日の2度あり、1度目は武田軍が辛勝。
2度目は織田軍が勝利し、勝ちに乗じて桔梗原まで進軍をした。

で、どうでしょうかはてなマーク
2月3日に信長が出撃命令を出しているので、2月2日の戦いは織田軍はまだ到着しておらず、木曽軍と武田軍で行われたと考えるのが妥当でしょう。
そう考えると、織田の戦いを記した書「信長公記」に2月2日の戦いの記載がないのも頷けます。
木曽義昌の離反を知りながら武田勝頼が2月16日まで何もしないというのも不自然ですので2月2日の戦いはあったと思います。

さて、
注目すべきは、2月2日の戦いです。
裏切り者の木曽義昌討伐のため、武田勝頼は諏訪まで出陣し、一族の信豊を大将(実動は今福筑前守)にして万全の態勢で攻め入ったものの、戦いは危うく負ける所まで追い込まれています。
そのうえ、勝ちに乗じて義昌の居城・木曽福島城まで攻め込むでもなく(余力もなく?)奈良井・犀川まで兵を引くという有様で、この戦い、いいとこなしでした。
(=◇=;) ←勝頼大ショック

これに織田軍が加わったら当然勝てるわけもなく、2月16日に大敗し、鳥居峠は完全に制圧されてしまいました。
勝頼は、もはや木曽義昌討伐どころではなく、一転して守る側になってしまいます。
なんか、可哀そうですけどね。


次回、鳥居峠探訪レポート書きます。
ぜひ、また見に来てくださいね('-^*)/



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