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女城主おつやの方は信長に斬られる!

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、岩村城の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道」史跡めぐりの旅ともリンクしていますので、よろしくお願いします。

城名(別名)住所関連する人物
岩村城(霧ヶ城 )岐阜県恵那市岩村町城山遠山景朝、遠山景任、織田信長、織田信忠、おつやの方、武田勝頼、坊丸(織田勝長)、秋山信友、河尻秀隆、団忠正、森蘭丸、森家、大給松平家
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、再読み込みすると表示されるようです。
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 日本100名城スタンプ
 No.38

 登城年月:2007年8月
 登城順:3/100

岩村城は、高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)とともに日本三大山城の一つとされています。
くるまr麓の歴史資料館、山上の出丸に駐車場があります。
※麓から歩きで登城するか、ズルして山上まで車で行くかは、時間に合わせてチョイスすればいいかと思います。

岩村城は、鎌倉時代に遠山景朝(とおやまかげとも)が築城したのに始まります。
その後の遠山家は7つに分家(遠山七頭とよぶ)し、岩村苗木明知をはじめとするそれぞれの地域を治めました。
いずれの遠山家も、隣接する斉藤武田織田という大勢力に、あるときは結び、またあるときは対抗しながら存続を図っていきます。
岩村遠山家の当主・遠山景任(とおやまかげとう)は織田信長の叔母・おつやの方を娶り織田家に属しながらも、弟・直廉(なおかど)の娘を信長の養女として諏訪(武田)勝頼に嫁がせて武田との融和も図りました。

女城主おつやの方の苦悩
1572年(元亀3年) に景任が亡くなると、信長は5男の坊丸(織田勝長)を遠山家に養子に出し、さらに結びつきを強めますが、坊丸はまだ幼く、実質的領主は後見人となったおつやの方でした。
おつやの方は女城主として武田と戦い城を守り抜きますが、1573年(元亀4年)、ついに城を明け渡し、あろうことか武田方の武将・秋山信友結婚し、幼い城主の坊丸は府中(甲府)へと送ってしまいました。
女としていろいろな葛藤はあったのでしょうね。

メラメラ激怒し叔母を逆さ磔にした信長メラメラ
その報を受け、怒り狂ったのは信長です。
1575年(天正3年)5月に長篠の戦いで武田の騎馬隊を破ると、子の信忠に岩村城奪取を命じ、その年の11月には岩村城を取り戻しています。
秋山信友おつやの方大島杢之助座光寺為清らは岐阜に連行され、長良川の河川敷で磔にされました。
おつやの方は信長自身が業物でぶった斬りました。
なお、城にいた兵も悉く焼き殺されたそうですメラメラ
怒りモードの信長は恐ろしいですねΣ(゚д゚;)


…ちょっと相関図が難しいので、色分けしてみました。遠山織田武田

遠山景任──結婚──おつやの方(信長の叔母)
遠山直廉(景任の弟)──結婚──織田信長の妹

遠山直廉の娘─→織田信長の養女となる──結婚──諏訪(武田)勝頼

次期遠山当主・坊丸(織田信長の5男)←─後見人はおつやの方

岩村落城後
おつやの方──結婚──秋山信友

坊丸(織田信長の5男)は武田の人質に


武田家滅亡への発端となった岩村城
岩村城の落城により、武田家は美濃の織田領への重要拠点を失ってしまいました。
それに加え、勝頼の援軍要請を木曽義昌が拒むという事件もあり、武田家滅びの第一歩が岩村城の落城ともいえます。



信長の岩村城奪取後は、河尻秀隆が入り城郭を拡張し、河尻秀隆が甲斐に転封となると、団忠直(忠正)あるいは森蘭丸に与えられたといいますが、いずれも入城はせずに本能寺の変で討ち死にしています。
その後は森家が入り、さらに城の改修を行っています。このころに城はほぼ出来上がったようです。
江戸時代に大給松平家が入封し、明治まで統治します。


さて、登城です。
まずは山麓にある岩村藩藩主邸跡へ。

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岩村藩藩主邸跡。
藩主の御殿は山麓にありました。



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岩村歴史資料館。
岩村城の山麓、岩村藩藩主邸跡にあります。



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岩村城のモデル。
難攻不落感がすごいですよね。
岩村歴史資料館にあります。



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藩校・知新館の正門。
藩校の名は「温故知新」からとったそうですよ。
なんか粋ですね。
これも岩村藩藩主邸跡にあります。



山上の城へと移動します。
今回は、出丸に車を停めて下へと下るコースを紹介します。
山麓に車を停めて登城する場合は順路は逆になります。

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縄張図。
ピンクが出丸赤が本丸紫が埋門青が六段壁水色が霧ヶ井黄緑が屋敷跡オレンジが大手門です。
車で山上まで登ると出丸に停められます。



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出丸近辺の石垣。
出丸の駐車場に停めるとすぐにこの石垣です。
テンション上がりますよねテンション高↑↑↑



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本丸埋門。



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本丸跡。



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本丸の石垣。



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六段壁。
このアングルがカッコいいにやりにやり



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菱櫓の石垣と六段壁(奥の石垣)
菱櫓の石垣が歪なのは山の地形に合わせて石垣を積んだからだそうです。



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霧ヶ井。
岩村城には山上にもかかわらず井戸がたくさんあります。
この「霧ヶ井」には以下のような伝説があります。
敵が城を急襲した際に、井戸へ秘蔵の「蛇骨」を投げ入れると、
たちまち霧が立ちこめ城を覆い隠してしまったのだそうです。
これが別名霧ヶ城といわれる所以だとか。



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屋敷跡。
屋敷跡でさえ絵になる。



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大手門跡。
かつては三重櫓が建っていました。


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