ついに引っ越しをしました。

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1月下旬から始まった引っ越し騒ぎで、まったく長い間パソコンを開くこともなく、ただただ引っ越しの急流に巻き込まれ、目まぐるしい日々を送ってしまいました。

たった3DKのせまい部屋に、よくもこんなに物を溜め込んでいたものだと我がことながらあきれ果ててしまいます。

 

33年も住んでいたことと、収納部分が沢山あったことで感情面での断捨離がまったく出来ていなかったということです。

 

娘時代、母に買ってもらった箏や三弦(プロになって歌舞伎座や大きな舞台に演奏家として立ちました)も、この機会に涙をのん処分しましたし、絵を仕事にするようになって溜まった額も生徒さんたちに車で取に来ていただいて、半分以下に減らせました。

 

手作りが好きで溜め込んでしまった布やレース、飾り紐などなど、その他もろもろの物は、娘のお友達がネットワークを頼んで、引き取り手を探して下さり、ゴミにすることなく、活かしていただけることになり本当に助かりました。

 

それでも、引っ越し業者さんと産廃業者さんのトラックが同じくらいのものになってしまったのは笑えます(大きな食器棚やその他の家具も思い切りました)。

 

娘の本や資料、私の陶芸作品に圧倒されながらの荷造りと荷ほどきは、高齢になった現在、ハードすぎて息を切らせる日々です。

 

2月末で、完全に引っ越しを済ませ、今は新しい住まいでの片付けに邁進しているところです。

 

こちらも、収納部分が多く天井までのクローゼットが3つと押入れ、それに天井まである靴箱収納で掃除機やショッピングカートなども収納出来て喜んでいます。

 

これからは、いつか要るかもと物を溜め込んでいくのではなく、目に触れて自分がキチンと管理でき、本当に必要で現在その物を楽しめる物だけ持つことを心したいと思っています。

 

(画像はネットからお借りしました)

 

 

 

 

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噛むことと歩くこと

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ようやく歯が全部そろいました。

 

昨年の6月から、歯の治療がずっと続いていて、どこかしら歯が無い状態が続いていたので、食べ物が思うように噛めませんでした。

 

途中、胃腸の具合が悪くなって、めまいを起こして内科医に行ったりしましたが、今日ようやくお昼ごはんから、全部の歯で食べ物を思いぞんぶん噛むことが出来、食事を心置きなく楽しめました。

 

特に炭水化物は、唾液にある消化酵素(アミラーゼ)によって消化されるので、口の中でよく噛み、唾液をたくさん出し、混ぜることで胃腸の負担が少なくなります。

 

一口50回以上は噛まないとペースト状にはならないのですが、特に奥歯(私の場合、奥歯ばかりの治療でした)が抜けていると、スルスル喉の方に行ってしまって、小さな塊のまま飲み込むことになってしまうので、神経を使って食事をしていました。

 

今日からは安心して食事ができます。

 

歯も含めて、肉体が満足に機能するということは、とても大きな幸せだと思います。

 

5日の晩に膝を痛めたこともあって、普通に歩けて、立ったり座ったりでき、階段の上り下りも不自由なく出来ることがなんと幸せなことか、いろいろ経験して、ようやく身に染みてわかります。

 

今は、膝もずいぶん良くなって、普通に立っていたり、歩くのは全く大丈夫になっていますし、

階段の上り下りも大分平気になってきました。老年で骨折せずに済んだのは助かりました。

 

歩けることと食べ物をしっかり噛めることは、健康な生活を維持するのにとても大事なことです。

 

自分の足で行きたいところに出かけたり、美味しいものを食べたり出来ることは、生き甲斐につながります。

 

食べ物を満足に噛めないままでしたら、柔らかい流動食のような物に偏り、食生活が楽しめません。

 

もし、骨折でもして行動が不自由になれば、することも限られて鬱々とした日々を過ごすことにもなりかねないですし、運動不足で血流も滞ってきます。

 

今回のことで、その大切さを思い知らされました。

いつもは身体について、スムーズに動くのが当たり前と思って、特に有り難いとも思わず使っていましたが、故障して初めて気が付くのですね。

 

この年になって今さらという感じですが、老年になったからと言って、「どうせ・・・」と思うのではなく、今からでも気を付けて、少しづつ鍛えて行けば、肉体はちゃんとそれに応えてくれるそうですから、身体を柔軟にしたり、筋肉をつくっていったりして、「こけないように気をつけなくては」と反省しています。

 

 

 

 

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濃茶の初点てに招かれて

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先日、娘のお友達でお茶の先生をしておられる方の初釜に招待していただき、お濃茶を練っていただきました。

 

薄の場合は「お茶を点てる」 と言いますが、お濃茶の場合は「お茶を練る」 と言うそうです。

 

最近は、抹茶をいただけるカフェなどもありますが、ほとんどは「お薄」 です。

 

正式な「お濃茶」 のお点前を見せていただくことは滅多にありません。

 

お茶席は、明り取りの障子から差し込む、柔らかな光源だけで、この日は少し曇っていたせいもありますが薄暗く、日常の喧騒から離れて、なんだか異空間にいるような、心も身体も静まり返っていきます。

 

写真は明るく撮れていますが、実際はもっと暗くて幽玄の世界です。

 

ただひたすら、お点前を拝見させて頂き、何の雑念もなく自分という意識もなく時が流れていくようです。

 

明日命を落とすかもしれない戦国武将が、薄暗い狭い空間で、ただ茶釜から立ち上る湯気を感じながら、無駄のない美しいお点前の動きを拝見し、「無」 の境地に誘い込まれていったのではないでしょうか。

 

情報過多気味で目まぐるしく変化する現代に生きる私たちにとっても、こういう場はとても大切だと思います。

 

ところで、お濃茶は一椀の抹茶を連座客で飲みまわしいたします。

 

湿らせた茶巾を折り込んでいきながら、飲み口がきれいになるように拭き取ってから、次の客に送ります。

 

一椀を飲みまわすことによって、お茶席に一体感が生まれます。

 

 

お濃茶の場合、お薄の3倍くらいの濃さを人数分入れ、丁寧に練られます。

 

とろっと濃い口当たりなので、飲みにくいと想像される方もいらっしゃるかも知れませんが、お濃茶のお茶は、渋みが少なく、どちらかと言えば甘みのあるお茶です。

 

黒楽のお茶碗に、抹茶の緑がとてもよく映えて美しいです。

 

 

(暗くて中が見えにくいので、写真をネットからお借りしました。これは「お薄」かもしれませんが・・・)

 

人数分が一椀に入っているので、3人なら3分の1ずついただくわけです。美味しいからと言って一人で飲み干してはなりません(笑)。

 

ある種の緊張感の中での時間の後は、和やかに会話してもかまわない「お薄」も点てていただきました。

 

「お薄」 のお茶碗は、いろいろな絵柄を楽しめます。

 

今年の干支の鶏の模様のものやお正月らしい松の模様など、また、細川護熙元首相が韓国で焼かれた高麗茶碗もありました。

 

私も、もう少し若いころ、陶芸にはまっていたときがありましたので、興味深く拝見させていただきました。

 

お茶の前にいただくお菓子も美しく、とても美味しかったです。

 

日本人の良き行事に招いていただき、膝を痛めて正座できない私用に椅子も用意して下さっていて、久しぶりにほっこり幸せなひと時を過ごすことが出来ました。有り難いことです。

 

 

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