シンシアリーのブログ

ようこそいらっしゃいました。私はシンシアリーと申します。ブログや書籍などで韓国の反日思想を論じています。韓国人でありながら、変わった形での活動になりますが、出来る限りのことを尽くしたいと思います。


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前のエントリー「大統領選出方式の昨日と今日」と重なる部分もあると思います。

ひょっとすると「次の本(?)」に載るかもしれません。




1948年7月17日、韓国の憲法が出来ました。民族≒反日だったこともあり、1945年8月15日以前の「反民族」な行為をした人たち、即ち「親日派」を処罰出来るようになっているのが特徴です。不遡及の原則(法律は成立する前の事案に対しては効力が無いという近代法律の鉄則の一つ)に見事に違反するものでした。


1948年7月20日、国会議員たちが大統領を選ぶ「大統領間接選挙」制度により、国会議長だった李承晩が初代大統領に選出されます。


1952年7月、なんと朝鮮戦争中に1次改憲。議員たちからの支持を失った李承晩は、大統領選出方式を直接選挙制度(国民投票)に変えます。権力のための改憲であることがバレバレだったため、反対する勢力も多かったですが・・何故か反対する国会議員が「共産主義者」として逮捕されていなくなったり、どこからか怖い人たちが現れて李承晩を支持する暴力デモを行ったり、警察が国会議事堂を包囲したりと無茶苦茶な展開になったあげく、やっと成立しました。


1952年8月、李承晩、再選(2代大統領)に成功します。


1954年、李承晩大統領は2次改憲を行います。重任(2回就任)までしか認められていなかった大統領制度を三選(3回就任)も可能にし、内閣に対する国会の連帯不信任権を無くすなど、これも権力延長のための改憲であることが明らかでした。当時の与党だった自由党は様々な手を使ったものの、改憲案の通過に必要な「在籍議員203人の3分の2である136人が賛成」に一人足りない135人の賛成しか得られず、11月27日、この改憲案は否決されました。しかし11月29日、なんと「203人の3分の2は135.333だ。0.333人というのは存在しない。だから四捨五入により、通過に必要な人数は135人である」という理屈をゴリ押しし、「27日の改憲案は通過されたとする」決定に至ります。某大学の数学教授を国会に呼んで「四捨五入についての説明」をさせる寸劇まであったと言われています。今でもこの2次改憲は「四捨五入改憲」と呼ばれています。


1956年、三選(3代大統領)に成功します。


1960年3月15日、4代大統領を選ぶための選挙がありました。李承晩が4選に成功したと思われましたが、投票から開票まで何もかも李承晩に有利に仕向けられた不正選挙だったことがバレてしまいます。なんと投票の4割が事前投票(前もって李承晩に入れておいた不正票)だったとか。


1960年4月、全国的に大規模デモが発生し、李承晩は辞任します。3月の選挙は無効。


1960年5月、李承晩、さっさと夜逃げ(アメリカへ亡命します)。


1960年6月、3次改憲。大統領直接選挙制度の反省から、責任内閣制に転換します。なんと「与野合意によるまともな改憲」はこれが初めてでした。


1960年8月、責任内閣制によりユン・ボソンが4代大統領に選出されます。総理は張勉(ジャン・ミョン)でした。


1960年11月、4次改憲。1960年の不正選挙関連者を処罰するためのものです。これもまた憲法不遡及の原則に違反しています。


1961年5月16日、朴正煕がクーデターを起こし、ユン・ボソン政権はあっけなく終了します。


1961年5月、5次改憲。責任内閣制を廃止、大統領直接選挙制度に戻します。朴正煕は政治家たちを悪党扱いしていたため、内閣制では不利だと判断した結果です。言わばこれも自分の権力のための改憲ですね。


1963年、国民投票で朴正煕が5代大統領に当選します。これも不正選挙だったという話はありますが、李承晩の時のような大騒ぎにはなりませんでした。


1967年、朴正煕、再選。6代大統領になります。


1969年、6次改憲。再び大統領の三選を許可し、大統領弾劾に必要な議員の数を増やすなど、またまた権力維持のためのセコいものでした。


1971年、三選(7代大統領)に成功するも、野党の候補だった金大中が支持率で追い上げてきて朴正煕を脅かす存在になります。以降、金大中は朴正煕から目の敵にされ、自宅に爆弾が配達されたり、大型トラックが突進してきたり、不思議現象(?)が続くことになります。1973年には日本のホテルから拉致されて死にかける事件もありました。


1972年、朴正煕は、どっかで聞いたような「維新」憲法というものを掲げて7次改憲を強行し、戒厳令を宣布するなど恐怖政治を強化します。また大統領選挙方式を間接選挙制度に変え、そのまま大統領に選出されます(8代)。「自分の権力のための改憲」の中でも、この維新改憲はもっとも大規模なものでした。大統領選挙に参加できる「選挙人団」を事実上掌握していた朴正煕は、これで選挙で負ける心配は無くなったと言えましょう。


1979年10月、しばらく選挙も何もなく、維新憲法体制のままでしたが、なんと朴正煕が部下の銃に撃たれて死亡。


1979年12月、間接選挙制度により崔圭夏国務総理が大統領に選出されます。


1979年12月12日、全斗煥がクーデターを起こし、崔圭夏政権はあっさり終了します。


1980年9月、間接選挙で全斗煥が大統領に選出されます。


1980年10月、8次改憲。恐ろしいことに、韓国の憲法で連座制が禁止されたのがこの8次改憲からです。環境や幸福追求権など国民の基本権も、やっと形を揃えることになります。


1987年4月、民主化のためにも大統領直接選挙制度への転換が必要だという要望が強くなったものの、「もう憲法改正はしない(選挙制度も今のままになる)」と発表します。


1987年6月、民主化勢力大激怒→デモ拡大→力で鎮圧→さらにデモ拡大→さらに力で鎮圧の悪循環が続きます。


1987年12月、仕方なく、全斗煥は9次改憲(今のところ最後の改憲)を行い、大統領直接選挙制度が復活しました。ただ、5年単任制度になり、今でも韓国の大統領の任期は1回だけです。










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