シンシアリーのブログ

ようこそいらっしゃいました。私はシンシアリーと申します。ブログや書籍などで韓国の反日思想を論じています。韓国人でありながら、変わった形での活動になりますが、出来る限りのことを尽くしたいと思います。


テーマ:

<漁業>


 次の韓国の漁業についての説明は「朝鮮行政年報(1922~1923)」から抜粋したものである。


 朝鮮の海岸線の長さは島々を含めて1万700マイル(約17,220km)を超え、海には多様な魚種が生きている。併合以来総督府は漁業発展のために最大限の努力を注いできた。その結果、今年の漁業生産物の価値は併合当時の8倍まで増加した7,396万円に及んだ。


 1909年旧韓国政府は漁業と関連した法規を制定、公布し総督府が採択した。しかしこの漁業法は現在の状況とも将来の展望とも合わず、1912年4月に新しい漁業令が制定、施行された。新しい漁業令の内容は特定海上地域に対する排他的漁業権を許可し、近隣地域の漁業に邪魔になるような特定行動を制限または禁止し、出来る限り従来の慣例に合わせて漁業権申請者に許可を出し、すべての漁場で個人による独占行為を禁止する、などだった。誠実に働く人々の漁業権申請を奨励する反面、投機的風潮は制限する方向に施行されたのだ。


 漁業の保護と管理のために漁場と関連した規定と共に漁業関連規定も頒布、漁業方式と道具、漁獲の時期と場所に一部制限を置いた。底引き網による漁業は韓国周辺の全ての海で禁止、捕鯨船と潜水器も制限される。過去韓国政府では中国の船が漁業を目的に西海(黄海)によく姿を見せた。厳格に警戒している今でも僅かな数はあるが、最近になっては地方警察と漁業組合の警戒がさらに強まり、この密漁者たちはほとんど見られなくなった。


 地方の場合は漁業を大規模に推進したことが無かったため、漁業発展を奨励するため帝国特別寄付金の利子の一部と地方歳入からの補助金を使って地方漁民たちに教育をし、1915年には、群山(グンサン)、1917年には麗水(ヨス)にそれぞれ漁業学校を設立、漁業に関する教育を提供した。


 水産物検査と関連した規定も頒布され1918年7月から施行された。これは水産物の輸出量は毎年増加する一方だったが多様な水産物の品質が統一されず、不正直な慣行がいまだ残っていたためた。これによって日本本土と同一の等級基準が用意され、日本への輸出もより円滑に出来るようになった。


 1914年9月に発布された市場と関連した規定には魚市場の特別条項が含まれていたが、これは魚市場が普通の市場とは違うと考えられていたからだ。1912会計年度から約300ヶ所の漁港と港湾に年間補助金を支給して多くの改良作業を進めている。これらの港でもっとも重要な9箇所の作業は1920会計年度まで終結した。他の港でも大規模作業も進んでいる。


 ・水産物実験


 漁業発展を増進させるため総督府は1912年以来次のような三つの項目で水産物の実験をしている。

(1)韓国沿海でよく見られる魚類の種、分布、移動状況、漁獲方式の安定性、経済性

(2)1917年から中国やアメリカへの輸出を念頭に入れての塩漬け魚類や干物の実験準備(※1)。

(3)淡水魚類養殖実験と1912年からの咸鏡南道の高原での人工孵化実験及び1918年からの全羅南道のGOSHIN(※2)でのカキ自然移植実験などだ。


※1:この部分は意訳です。直訳は「1917年から中国やアメリカを念頭に入れた~の実験準備」となっています。
※2:「ゴシン」。確実ではありませんが生粋スレの意見で「康津」郡の可能性が提起されました。私も同意しています。


 これらの実験はいまだ続いているが幾つかの実験はすでに良い結果を得ている。漁業のこれからの発展のために実用的で科学的な調査がさらに必要であろうし、そのために1920年に釜山にその中心となる水産試験場を設立、今年完工した。



 ・漁業発展


 半島国である韓国は漁業発展に有利な条件を持っていた。しかし旧韓国政府が何の政策も実施しなかったせいで漁業の発展はありえなかった。総督府の設置とともにこのような政府次元での問題は消え、漁業活性化のために政府は多くの努力を注いでいる。生産される水産物の価値にも反映され、併合当時には810万円にすぎなかったが1923~1924会計年度には5,100万円まで増加、1911年に265万円だった加工水産物生産も1922~1923会計年度には2,961万4,000円まで増えた。


 漁の方式を見てみると、韓国人たちは昔の簡単なやり方しか知らず、近海を離れて魚を取ることなど考えられなかった。しかし日本の漁民たちがずっと有益な方法を使うのを見て、その真似をするようになり遠くの漁場まで出るようになった。よってその輸送のために汽船や発動機船を使うようになり、漁業の規模は拡大されていった。特にサバの場合1921年には500万円以上の漁獲高を記録した。


 韓国には水産物を塩に漬けるにも乾燥させるにも原始的な方法しかなかった。国内でしか販売してなかったからだ。しかし日本の漁民たちと一緒に入ってきた新しい方式が紹介され、1918年に輸出する魚類に対する検査体系が確立されなるとともに新しい塩付け、乾燥方式はさらに普及していった。


 旧韓国政府では漁業に対する統制がほとんど行われなかった。そのため海から多様な魚種が消えてしまった。時期も節気も構わず、漁場の形成を待たずに魚を乱獲してしまったからだ。しかし総督府の積極的な努力で推進された多くの事業が成功を収めた。そのなかでももっとも成功的だったのは慶尚南道と全羅南道で海苔を養殖したことだと言える。


 集団で韓国の海まで漁に来る日本の漁民のために1900年釜山に朝鮮海水産組合が創設された。よって日本漁民のための漁場はさらに広くなり、さらに多くの日本漁民が韓国に来た。移住した日本漁民の定着町は慶尚南道と全羅南道から始まり、政府の助けを得てほぼ全ての海岸地方で見られるようになった。漁民の数は1万4,200人以上で、5世帯以上の移住町40ヶ所が作られた。この日本の漁民たちは漁業発展に大きな助けになっている。


 ・漁業の経済的発展


 韓国の経済発展のなかでも注目すべき成長率を記録しているのが漁業分野である。1912年漁獲高は約800万円だったが1923年には5,200万円だった。同じ期間、輸出した鮮魚(約90%が日本への輸出)の価値は13万8,000円から900万円に、加工水産物の価値は150万円から1,400万円まで増加した。1923年現在の市場価値の順で並べると、韓国で漁獲できる主要魚種はサバ、イワシ、カタクチイワシ、タラ、幾つかのスズキの類、ニシン、マグロ、カレイなどだ。



※次は鉱業へ続きます

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