シンシアリーのブログ

ようこそいらっしゃいました。私はシンシアリーと申します。ブログや書籍などで韓国の反日思想を論じています。韓国人でありながら、変わった形での活動になりますが、出来る限りのことを尽くしたいと思います。


テーマ:

・土地の所有


 公式統計で「地主」という用語は、自分の土地を所有していて、その土地で他人に労働させて農事(農作業)をしている人々を意味する。「小自作農」というのは、土地を所有していて、自分もある程度の労働をしている人々のことで、「小自作農で小作人」は自分所有の土地を持っていて自分で農作業をしながら地主からも土地を借りて農作業をして小作料を払っている人々、「小作人」は自分の土地を持っていない人々を意味する。しかしこの本では「地主」と「小自作農」を合わせて「土地所有主」。「小自作農で小作人」は「土地所有主で小作農」、「小作人」は「小作農」として三つに区分することにする。


 1924年初、韓国で「土地を所有している」世帯は62万7,896戸、「土地を所有していても小作をしている」世帯が95万1,667戸、「小作だけ」の農家は112万3,275戸だった。この数値から見ると、農業世帯全体の数が270万2,838戸、耕作地を一部でも所有している世帯が157万9,563戸、小作農家が112万3,275戸であるのがわかる。言い換えると全体農家の58%以上が自分の土地を所有していて、その大多数はまた他人からも土地を借りて耕作しているわけだ。


 総督府は初期に「小規模の土地を併合、大規模の所有地を形成すること」と「小自作農の破産を防止すること」をその内容とする命令を公布した。


 この命令は前にも言及した貪欲を制限するという原則で施行されたものだ。これはさらに、窮乏な状況の人々を助けるための二つの措置により補完されることとなる。一つは、開墾されていない国有地を低利で賃貸して、開墾が終わればその国有地を開墾者たちに無料で譲渡するということだ。もう一つは、開墾された国有地の小作農たちには10年割賦で代金を払うことを許可し、土地所有権の確保を手伝うというものだ。


 しかし総督府が小作農たちに所有権という存在を認識させるのはそう簡単ではなかった。小作農たちは国有地の賃貸料に加わる割賦金額は「搾取」だと思い込み、いつかその土地を自分たちの財産にするために割賦で払っている費用だとはわかってくれなかったのだ。結局、年単位で賦課される賃貸料は消えることとなった。


 小作農制度の普及は制限された期間だけの借地契約と、大変珍しい場合ではあるが永久的借地契約が基盤になっている。借地契約は三つに分類される。(1)獲得した収穫量に関係なく一定の小作料を払うと合意する、(2)地主または地主の代理人が小作人の面前で現在育っている農作物の推定価値を策定、それによって小作料を決める(これは地主が地主が自ら決めた予定収穫量が小作料の根拠になるため地主に有利で、この方式を採択する場合が増えている)、(3)地主と小作農が収穫物を半分ずつ分ける。


 小作の契約は毎年収穫が終わり翌年の春が来る前に締結される。地主は農作物の播種期間と収穫期間を除いてはいつでも小作人を変えることが出来る。農作業を怠けたり小作料の支払いを延滞するなどの理由が無いと小作契約は維持するのが慣例だった。


 韓国の地主たちは都市で暮らすのを好んだため、舎音(☆&※:韓国語ではマルムで、これは舎音=シャウムの発音から来ているそうです)と呼ばれる代理人を置いて小作地を管理監督させた。他の国でも同じだが、満足に働く小作人とそうでない小作人の決まりはこの代理人の決定によるところが大きかった。また韓国でもこの代理人たちは無力な小作人たちに対する小作権の管理という権力の誘惑に負けることが多かった。


 小作料は一般的に現物で払われていた。現物の配達にあまりにも遠距離を移動しなければならない場合も多分そうだろうけど、地主が現金支給方式を望んだ場合は精算された農産物の値段を時価で決め、その金額を現金小作料に反映するのが慣例である。


 小作料は締結された契約の種類と土地の状態によって差が大きかった。固定された小作料は平均収穫量の価値の35~50%で決まるが、高原地域ではこれより低い。生産量によって小作料が変わる契約の場合は小作料は作物推定価値の30~70%で決まる。収穫作物の半分を分けるという契約の場合は実際にそのまま配分されるが、地税を払ったのが誰なのか、種子の費用はだれが払ったのかなどで地主と小作人の間で配分量を修正する約定が結ばれたりもする。


 地方では農産物収穫量が平均生産量の50%以下のの時には(収穫量を基準にして小作料を決める場合の話である)契約小作料を低くするのが慣例だ。平均未満まで収穫量が減った場合はそれに合わせて小作料も減らすのが慣行だが、収穫量が平均の30%未満まで減った場合には小作料は完全に免除となる。

 


 ・農業資金支援


 20年前(※1900年代前後)、農業はほぼ全ての面で満足できない状態だった。耕作方式は粗末で、肥料は足りず、化学肥料は知られてすらいなかった。農機具は原始的な物でしかも地主から借りて使っていた。


 このような状況下で牛や家畜を買うお金を用意するために農民たちが一番必要としていたのは「貸出」だった。農民たちが仕方なく借りるその貸出金には相当高い利子が付きまとっていた。


 1906年から1910年まで、日本の保護政治期間中日本人顧問たちは韓国政府に金融組合を設立したり農業従事者たちに適切な金利で資金を供給する方法を探ることで農業を奨励するよう勧誘した。そのような事業が始まったが農業信用(信用取引)の拡大が本格的に始まったのは併合後になる。


 併合後の農業信用の発展は1912年末と1923年末の農業資金貸出総額を見ればわかる。1912年には農業資金の貸出総額が500万円未満だったが1923年には1億3,400万円を超えた。農業資金の貸出金がここまで膨大に増えたのがただ農作物への融資を増やしたからではないという事実に注目しなければならない。農民たちは相当な額の資金を灌漑施設の建設、荒野の開墾、耕作地の改善などに使用した。実際、貸出金のもっとも多くがこのような生産的な目的に投資された。


 ・公式的農業奨励


 韓国の経済構造が農業を基盤である以上、農業条件の改善という問題を総督府がもっとも真剣に考慮するのは自然なことであった。


 韓国内の日本行政当局は日本の集約的な農業に精通していたため、相対的に遅れていた韓国人たちの農業方式には広範囲に改善させる余地があることを認知していた。


 次は韓国の農業の利益増進のために総督府が取った措置の概要だが、これはT.Hoshino(ホシノ・トクジ)の「朝鮮経済史」を参照したものだ。


 韓国の主要な自然条件は日本と似ていて、山地が著しい以外にも共通的な特徴が多い。人口密度は日本の半分にもならないが人口は比較的多い方で、生命と財産の保護が確実になりながら急速に増えている。


 韓国の農業の特徴は過度な地方自給にある。南側の方がワタの栽培に向いているにも関わらず、北側の農民たちは自分たちの需要を満たすほどのワタを生産していた。過去には輸送の問題からこのような非経済的な方式の農業が存在できたが、最近になって道路と鉄道が拡大されながらその存在理由はすべて消えた。


 韓国の農業改善のために日本が取った最初でまたもっと重要なものは示範(※模範)農場の設立であろう。もっとも規模の大きなのが京城から25マイル離れた水原(スウォン)にある示範農場だった(☆勧業模範場と呼ばれていたが1929年9月農事試験場と改称された)。地方にも出張所を置き、日本人と韓国人専門家で構成された有能な職員に管理させた。この人たちは農業実験や植物生態研究、農業と関連したすべての問題に対する教育事業などを実施している。


 水原の勧業模範場は1906年統監府の傘下機関として設立された。当時非効率的だった京城の農商工業学校を廃校させて水原農林学校を新しく設立、勧業模範場の付属機関として吸収させた。


 示範農場の事業推進を補助するため全国各地に種苗場が設置された。これらの重要な機能は地域の土壌を研究、種子と苗木を配布することだった。また職員たちは農民たちに改良農機具使用法と新しい作物の種子を導入する方法、荒蕪地を活用する方法と地域産の材料を原料にしてなどのドッチャリ(※敷物のござ)単純加工品を作る家内工業を教育した。


 地方を巡回しながら技術を伝授する農業専門家を雇用し、これらの事業を補完させた。


 総督府は全国的に「農会(☆農業協同組合の前身)」の構成を積極的に奨励した。現在農会の数は約600で、会員の数は300万人に及ぶ。首都の京城には朝鮮農会と呼ばれる中央会があり、郊外出張所を含めて会員の数が3,000人を超える。朝鮮農会の主要職務は農業関連書籍の出版、会に提出された質問に対する返事、公開講演、腕自慢大会開催、種子の培養及び流通などだった。この機関は総督府から年間補助金を受けていた。


 当局によって推進されたもうひとつの重要な措置は灌漑のために給水施設を調査、調整したことだった。韓国は昔から池から水を引いてきたり都内を横切る堤防を全国的に作ったりもした。しかしすべてを乾かせてしまった朝鮮王朝時代にはこれら施設もほぼ無用の物に転落していた。


 1908年統監府の勧誘で実施した調査によるとこのような使えない池と堤防の数はそれぞれ6,300と2万700だった。しかしこの中から410の池と1,527の堤防だけが復旧させる価値があると判明した。政府は住民たちに施設の復旧を奨励、補助金で手伝うことにした。1908年末には全てが満足できる水準まで復旧された。


 ・灌漑


 大規模な水利事業を目的に、当局は水利組合の構成を奨励した。総督府の英文報告書「朝鮮の改革と発展に関する年次報告書(1921~1922)」で灌漑問題を次のように扱っている。


 保護政治期間中にも水利組合と関連した規定が公布されたが、条項が単純すぎですぐ時代の発展と合わなくなり、1917年7月に新しい規定が発布された。しかし農民たちは調査をするための専門化を雇用する責任を避けようとしていた。よって水利組合に提供される補助金と関連した規定が1919年に発布され、総督府は200町(約500エーカー)以上の地域はどこでも道知事や水利組合の発起人、または水利組合の申請を受けて調査を実施できるようになった。調査結果によって面積が最小200町歩(町)以上の地域では4万円を超える水利施設を作る場合に総費用の15%までを補助金で支給した。


 また米穀の生産増加計画によって1920年12月に土地改良事業補助金と関連した規定が発布された。この規定のおかげで個人が実施する土地改良事業もその種類によって費用の25~30%を補助金でもらえるようになった。1920会計年度末には土地改良事業を実施している組合の数が29、その面積は4万600町に及び、他の21の組合も合わせると2万6,100町以上の土地で積極的に改良のための工事、または準備作業が進行されている。総費用はすでに3,100万円を超えている。しかしまだ80箇所以上の土地が改良を必要としており、その面積は13万町に及ぶ。


 1920年から総督府は15年間に及ぶ事業計画を樹立、現在も着実に進行させている。この事業は総80万町に及ぶ未開墾の土地の少なくても半分を改良することを目標としている。もっとも重要な業務は改良、または開墾される土地の基本調査であった。この調査で土壌(土質)や土地の範囲、事業推進方法、予想費用などを適切に決定できるようになる。このために総督府は1920年から各地方に土地調査の専門家を派遣している。この専門家たちは今回の会計年度まで353万4,000町以上の土地を調査した。


 灌漑は農業従事者たちの公益に符合するものであったし、しかも水利組合によって提供される灌漑施設は事業の推進を明らかに立証するものであったため、総督府は私的水利事業も認可し、水利組合も奨励している。しかしこのような事業は多くの人々に影響を及ぼすため、水利事業には必ず認可が必要になっている。今まで認可された事業は117件、9,600町以上の地域で事業が進行中である。



 ・農業労働


 韓国の農民は農機具をほとんど使わず、牛の助けを得ながら手で農作業をしている。農家の労働力も自給、即ち家族だった。女性が畑の世話のほとんどを担当する日本と違い、韓国の古い慣習では女性は家事だけをする。しかし一部の地域では女性も男性を手伝って農作業をするようになった。日本人の農民以外には日給をやって人力を雇用することはあまり無かった。しかしその日本人農家も数は少なく、全国で14万戸程度だった。農民とその家族を除くと活用可能な労働力は次の三つの出処から供給された。


(1)・農家のモスム(作男)。一定期間雇用される。普通1年~3年、ある時は5年まで延長する。合意期間中には家族の一員となり衣食住を提供される。状況にもよるが年間50~100円の現金給与をもらう。

(2)・契約労働制。これは労働賃貸の性格を持つ。小作人が特定期間中に農家に必要な労働を提供すると契約することだ。彼らは賃貸料を払わずに居住し、給料の額と支払い方法は慣例によって異なるが、普通土地面積1段(約0.25エーカー)につき10~15円を前払いでもらう。

(3)・韓国の南側地方には「ノウシャNosha」または「ドゥレ」と呼ばれる農民組織があったが、洪水など非常事態によって多くの労働力が必要な時に相互扶助するために作られたものだった。


 農民組合が労働力を提供する時守るべき一般的条件は、その労働力によって恵沢を受ける農民は作業中に会員たちに食べ物や酒、タバコなどを提供し、一人に10~15セントを払う、というものである。


 普通6月から11月までの6ヶ月は農業労働者には苦労しなければならない次期で、残りの6ヶ月は比較的簡単な仕事をする。1年間の農作業は次のようなものである。


 1月には家庭用の焚き木を集め、秋に種を撒いた畑に肥料をやり、ワラで必要な物を作ったりする。
2月には旧暦の正月の準備をしながら比較的楽しく過ごす。
3月には家庭用の焚き木を集め肥料を運び春麦の種を撒く。
4月には麦の畑に雑草を除去し肥料を運び稲の苗床を用意し蔬菜(野菜)の種を撒く。
5月には稲の苗床に種を撒き稲を植える田を耕作し草とその他の緑肥を集める。
6月には苗床で育った稲を移植し秋に種を撒いた麦を収穫、豆とエンドウの種を撒く。
7月には稲を移植し家庭用焚き木を集める。
8月には雑草を除去し、その他の作物を栽培して家庭用焚き木を集め秋に収穫する蔬菜の種を撒く。
9月には家庭用焚き木を集め蔬菜を間引く。
10月には秋麦の種を撒き稲を収穫する。
11月には稲を収穫し蔬菜を漬け、現物で小作料を払う。
12月には麦畑に肥料をやり屋根を直し家庭用焚き木を集める。


 家庭用焚き木を集めるためにここまで時間を使うのは中国と同じで、韓国も以前山林保存に必要な全ての措置を無視し全国の山林にほとんどの木が残っていなかったからだ。この問題は12章「林業」で扱うとしよう。


(11章、終わり)

 


 


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