へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。


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(^_-)おはよーございます。


今週も素敵に過ごせます様に。

では、今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますねー。



今日のテーマは「ヒーロー」かな?


世の中には色んなヒーローが居る。


人それぞれに問題があり、多くの敵がいるからこそヒーローに共感し、憧れていく。
みんなのヒーローはそれぞれで、みなそのヒーローに影響され、その人に容姿から似てみたいと願ったりするものかもしれない。


ヒーローは多くの悪い敵が居るからこそ存在する。

そしてヒーローは負けない。

ジーザスにも敵は大~勢~。

その敵とは何だろう?

闇を愛する事、そこに引きずり込む存在に従う人達かもしれない。

・・・・・・・・・・

jhn3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
・・・・・・・・・・


人は意識するしないに関わらず、誰一人としてそこに引きずられない存在は居ない。

そんな弱さをもって居るのが僕らなんだから。


だからこそ、
ジーザスは悪のある闇に引きずられる人達を、元々の聖い神の子とするために聖めるために来られた。


ペテロは自身のヒーローのジーザスが死なれる計画を知った時、

死なれないようにジーザスを説得しようとした。


ペテロはジーザスよりも自分の意見の方が正しい事だと信じたからだろう。
しかし、

ジーザスは神の計画を知り、時も空間も超越する御霊と共に歩んでいたから、

ペテロの思いが闇の支配するモノからでたモノだと見破られた。



時に良心は闇に引きずられる。
バイブルには 「邪悪な良心」 という言葉もよく出てくる。
そして、ジーザスが一番に思っていた事はこんな箇所からも伝わってくる。

・・・・・・・・・・

mar10:44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。

mar10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
・・・・・・・・・・


そして今日の箇所でもこう語られている。

・・・・・・・・・・

mar8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
・・・・・・・・・・



ジーザスは
闇に引きずられる人をこよなく愛し、

神の子として生きる為に当時最悪の処刑道具である十字架にかかって死なれた。


ジーザスはそれが生きる目的だった。


僕らの生きる目的は様々だ。
僕らに与えられてる仕事・問題・使命は其々。其々の使命を其々が歩む事が大切。
しかし、そんな使命は簡単なモノではない。

誰でもその問題、課題の大きさを知るにつれ足をすくませる。
そんな時、ヒーローが居てくれたら有難いんだけど・・。



ジーザスはいつも僕達の前にたって進まれる。


先頭に立って招いてくださるのがジーザスだ。



小学校では冬にマラソンをする。
先生はとても温かい格好で生徒たちを応援する。


「しっかり走れ~!!」と。

(自分は走ることは無い・・・。)




ジーザスはそんな方ではない。




スパイダーマンを知ってます?

蜘蛛の能力をもったヒーロー。蜘蛛の糸が飛び出してどんな所でも行ける能力をもっている。
放射能によって変化した蜘蛛に噛まれる事によって特殊能力を身につけた。


ジーザスはどうだろう。
神の子にも関わらず、全ての能力を放棄して、

時間に・空間に支配される不完全な肉体をもつ人として生まれられた。


ただ、御霊という神の霊と共に過ごされた。



ジーザスは僕らを神の子とする為、聖める為に十字架で死なれた。

三日後に甦り、

神の子として生きる為にジーザスを信じる人にジーザスと共に歩まれた御霊を与えて下さる。


ジーザスはいつも僕らの前を進まれる。
僕らはジーザスの特別なお気に入りだから。



僕らは一人ぼっちにされない。
見えないけれども、時を超え、空間を超えて存在されるジーザスのお気に入り。



・・・少し
恋人と歩く事を考えてみましょう。


付き合った異性がもし誰もが認める綺麗(格好良く)でスタイル抜群ならば、

腕を組んで歩む事なんて嬉しくて仕方ないかもしれない。

しかし、

人目を極端に気にする人であれば、そんな素敵な人でも恥ずかしいと思うかもしれない。

相手がそうでなければ、・・・ 更に恥ずかしいと思うかもしれない。



ジーザスは僕らに不釣り合いな方かも。

しかし、

ジーザスは僕らを全ての人に見せびらかすに違いない。

だって、僕らはジーザスのお気に入りなんだから。


そして、

ジーザスは僕らにとっても誇れる素晴らしいパートナー、ヒーローなのかもしれない。


僕らの真のパートナー・ヒーローは誰だろう?


ジーザスは
僕らの応えを待っている。


どこにも行かず
僕らの小さな声にも反応出来るようにいつも耳を傾けておられる。


今までそんな反応をした事無くても、今する事もできる。
気軽にやってみるのも悪くない。


まず体験する事も大切。
いろんな人と知り合う時も、出会う事なしにその人柄を知る事はかなり難しい。

僕らをいつもお気に入りとして見つめて下さるジーザスと触れ合ってみませんか?

まず、声をかけてみませんか?

「神様、あなたが本当に居られるのなら、

ジーザスを知りたいと思います。

目に見えないけど僕ら一人一人がジーザスのお気に入りだという事を体験させて下さい。
ジーザスの名前でお祈りします。アーメン。」



今週も素敵な出会いを体験出来ますように。。

お祈りしてまーす。





今日のメッセージの箇所は此処から。


。。。。。。。。。。


mar8:1 そのころ、また大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼んで言われた。

mar8:2 「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。

mar8:3 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます。」

mar8:4 弟子たちは答えた。「こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう。」

mar8:5 すると、イエスは尋ねられた。「パンはどれぐらいありますか。」弟子たちは、「七つです。」と答えた。

mar8:6 すると、イエスは群衆に、地面にすわるようにおっしゃった。それから、七つのパンを取り、感謝をささげてからそれを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。

mar8:7 また、魚が少しばかりあったので、そのために感謝をささげてから、これも配るように言われた。

mar8:8 人々は食べて満腹した。そして余りのパン切れを七つのかごに取り集めた。

mar8:9 人々はおよそ四千人であった。それからイエスは、彼らを解散させられた。

mar8:10 そしてすぐに弟子たちとともに舟に乗り、ダルマヌタ地方へ行かれた。

mar8:11 パリサイ人たちがやって来て、イエスに議論をしかけ、天からのしるしを求めた。イエスをためそうとしたのである。

mar8:12 イエスは、心の中で深く嘆息して、こう言われた。「なぜ、今の時代はしるしを求めるのか。まことに、あなたがたに告げます。今の時代には、しるしは絶対に与えられません。」

mar8:13 イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。

mar8:14 弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。

mar8:15 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」

mar8:16 そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。

mar8:17 それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。

mar8:18 目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。

mar8:19 わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」

mar8:20 四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」

mar8:21 イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」

mar8:22 彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、盲人を連れて来て、さわってやってくださるようにイエスに願った。

mar8:23 イエスは盲人の手を取って村の外に連れて行かれた。そしてその両眼につばきをつけ、両手を彼に当ててやって、「何か見えるか。」と聞かれた。

mar8:24 すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます。」と言った。

mar8:25 それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。

mar8:26 そこでイエスは、彼を家に帰し、「村にはいって行かないように。」と言われた。

mar8:27 それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」

mar8:28 彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」

mar8:29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」

mar8:30 するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。

mar8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

mar8:32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。

mar8:33 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

mar8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。

mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを搊じたら、何の得がありましょう。

mar8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。

mar8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
。。。。。。。。。。

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(^。^)お疲れで~す。
なんか暖かくなってきて嬉しかったんですが、何やら立春から寒さが厳しくなるって・・変な感じすね。


では、
今日も早速、勝手にワーシップタイムをおおくりしま~す。


今日の主人公は 孤独なファイター

「バプテスマのヨハネ」さん。




ヨハネさんは神様から選ばれた預言者。
今日の預言者さんは
未来を予知して偉そうに喋る人ではない。
神に選ばれて神の言葉を預かって語る人の事。



神様はヨハネさんを悔い改めのバプテスマを荒野で授ける為に選ばれた。



悔い改めのとは、方向転換の事。

今まで歩んできた方向が間違いだと気づく時、正しい方向を選んで方向転換する行為。
間違いだと気づく事がなければ、僕たちは誰も悔い改める事なんて出来ない。



誤ってると気づく時は、正しいものを目の前にする時。
誰でも自分の選んだ道が間違いだといわれる時、抵抗無く受け入れる人はほぼいない筈。
ヨハネはそんな誤りを正す言葉を神様から預かった。

とても孤独で辛い役割に違いない。


多くの衝突を日々受けながら
ヨハネは語り続けたんだろうと思う。
かなり孤独なファイターかも。


孤独なファイターを駆り立てたのは
その辛さ孤独さよりも、
凄いモノに出会ったからに違いない。


ヨハネは神に出会い、
そのスゲー愛を真正面から受け
神様の選びに従って喜んで語り続けた。


その行動の源は 「愛」。


神との出会いによって
自分自身の虚しさ・誤りを知り
そんな自分自身を丸まる愛される愛を体感しちゃった。

その神の愛が隣人に注がれてると知った時
どうしてもその愛を語りたくなった。
そんな心の動きもあったかもしれない。


神を信じた時
僕らにも同じ事が起こる。


神は愛する人を選んで
まだ気付かない人たちに言葉を届けようとする。


神は言葉を届ける為
信じた一人一人に言葉を預けられる。
届けて欲しい言葉を
伝えてもらう人を選んで語られる。


少し聴いてみませんか?

僕ら一人一人にも神様は隣の人に届けたい言葉を預けてくれてるかも。

静まって意識すると聴こえてくる筈かもですね。
神様は大好きな僕らに語りかける。
僕らが関わってる一人一人をめちゃめちゃ愛しているから。。



そしたら、次に
その言葉を受ける人に視点をズラしてみよう。


言葉を受ける方からすると
語られた人の言葉が同意出来ない時、自分の選んできた事とのギャップに心が動揺する。
それをどう処理する?


多くの人たちと同様に
その言葉を語りかけた人に批判していく?

それとも
今の自分を少し省みてみようとしてみます?


日々の関わりの中では
勿論語りかけてくる人の間違いという事もある。

だけど、
その言葉を跳ね除ける前に
少し思い巡らす事も大切かもですね。


僕は短気だから
腹がたつことは頻繁なんだけど
受け止めて思い巡らす。って事大切にしてみます。


もしかして・・。
僕らの生きていくの範囲は限られてる。
全てが正しい世界でも間違いを選ぶ事なんか普通の様にある。
そんな普通に間違う僕らの事だから
間違う事は実は当たり前の事ですもんね。


語られた言葉を
受け止めて思い巡らす。


そして、

神から受けた言葉は
恐れる事もあるだろうけど・・

語ろうとする前に先ず

愛されてる事に目を向け
溢れる程注がれ続ける愛を体感してみる事から。ですよね~。


では
今週も素敵な神様との関係を味わう事が出来ます様に~。


祈ってます。


。。。。。。。。。。


luk3:1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、


luk3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。


luk3:3 そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。


luk3:4 そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『 主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。


luk3:5 すべての谷はうずめられ、すべての山と丘とは低くされ、曲がった所はまっすぐになり、でこぼこ道は平らになる。


luk3:6 こうして、あらゆる人が、神の救いを見るようになる。』」


luk3:7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。


luk3:8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。


luk3:9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
。。。。。。。。。。

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お久しぶりです。
いつも勝手ですが、今日も勝手にワーシップタイムをおおくりしますねー。
では!早速。


今日は
洞爺丸(とうやまる)沈没のお話しから。
長野県信濃町に宣教に赴いたストーン宣教師の話。
ある日会議の為に連絡船洞爺丸に乗り込んだが、台風の影響で転覆してしまった。
ストーン宣教師は救命胴着を着ていたが、見知らぬ青年に「君はジーザスを信じているか?」と質問をかけ自分の持ってた救命胴着を渡しそこで命を断った。

「十字架は
神があなたを信じてる印だ。だから、助かったら、十字架のある教会に行って話を聞いて欲しい。」

その言葉によって、生き延びた青年は十字架のある教会に行って話を聞き、素直に直ぐに信じた。

ストーン宣教師の身代わりの愛を体感してたからに違いない。
http://www.chiiki-dukuri-hyakka.or.jp/1_all/jirei/100furusato/html/furusato045.htm


今日の箇所は
ジーザスの子供の頃の箇所。
皆で祭りのために同じ地区の人たちは参加するために、皆で移動していた。

その時に、
ジーザスは通常では考えにくい思いがけない行動をした。

家族から勝手に離れある所に留まっていた。ジーザスは行動を別にした為お母さんのマリアさんは心配で心配で探しまくって、見つかったのはなんと三日後。

その時の会話がこれ。
・・・・・・・・・・

luk2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」

luk2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
・・・・・・・・・・
父の家ってのは、マリアさんの旦那のヨセフさんの家ではなくて~
神の宮である教会の事。

当然僕は自分の父である神の宮に居て当然じゃ無いですか~。ですって。


ネー。
不思議ですよね~。


しかし、何故なのでしょう⁈


ジーザスは神の御子と呼ばれてた。
ジーザスは神であり
神の子として地上に生まれた方だった。

人の為に十字架で
死ぬ為に人となられた神の御子。


まだ
当時12歳位。
その時既に自分の存在意味を理解し、その通りに生きていたと云うことなのだろう。
・・・・・・・・・・

phl2:6★キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

phl2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

phl2:8★キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
・・・・・・・・・・


ストーン宣教師から
救命胴着を受けた青年は
十字架のある教会で話を聴き
直ぐにジーザスがどれ程愛されてるかを知り信じる事になった。


身代わりの愛。


さて、僕らの
アイデンティティはどうだろう?
僕ら一人一人は自分自身の存在意義をどう理解してるだろうか?


僕ら一人一人は
神が命を捨ててまで愛されるに価値ある存在だと理解されてる?


だとすれば
こんな言葉もなるほど~と思える時がある筈。
・・・・・・・・・・

mat22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
・・・・・・・・・・

ストーン宣教師は
青年に向かい「君はジーザスを信じているか?」と尋ね、そして救命胴着を手渡した。


神の目で見ると
僕ら一人一人はどれ程高価で尊い方なのか?もう一度知ろうとして見る事は大切かもしれませんね。


自分で理解出来る範囲で
自分の存在を制限されますか?


その囲いを超えて神様の目線で見て見ませんか?


僕らはきっと
素敵な自分自身に出会える筈だから。


そして
周りに居る方々がどんなに素晴らしい方々であるかに気付き、そして愛する事も出来てくるに違いない。


それが本来ある僕らの姿。


バイブルはとても不思議。
今週も素敵な真理を体験出来ます様に。
(^。^) 祈ってます。
。。。。。。。。。。

luk2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。

luk2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、

luk2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。

luk2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、

luk2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。

luk2:46 そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。

luk2:47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。

luk2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」

luk2:49 するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」

luk2:50  しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。

luk2:51 それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。

luk2:52 イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。
。。。。。。。。。。
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(^-^)

明けましておめでと~ございます。


今日は早速
また勝手に年初めのワーシップタイムをおおくりさせていただきますw~。



今日のテーマは「神の恵みによって」



僕らは何かを信じてる。
神や仏を信じる者も居れば、そんなモノは無いと云う事を信じる者もいる。

信じるモノは何か。
それだけ。何を信じるのか。。



僕はバイブルの中にある神に出会い
信じる事によって体験した事によって神に対する信頼を深めさせられた。



信仰とは信頼。



出会う前から信頼は中々出来るものではない。

もしかしてこの方が?

そんな出会いの中で
「もし、あなたがその神ならば・・」

そうした言葉から
信頼が生まれて来るモノだと思う。



その信頼についてこう語られてる。
・・・・・・・・・・


heb11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
・・・・・・・・・・

中々解り辛いかも。
他の訳ではこんな感じに。。


・・・・・・・・・・


「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」
・・・・・・・・・・



まだ見ていない事実がある。
その事実を知るのは時を超えた神を知る必要がある。


神が祈りに応え
必ず将来を備えられる筈だという信頼には・・


祈りに応えられる神との関係を知らなければならない。

その神を知る事で初めてどれ程神の目に僕らが特別な存在かを知る事になる。

・・・・・・・・・・

isa43:1・・・主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。


isa43:2★あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。


isa43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。


isa43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。
・・・・・・・・・・


神様との関係を知る事は
僕らの生きる力となるかも。。


神なんて居ないといわれてる事を信じて来た最中でも、神様の約束は絶対変わる事などない。


そして今、この様にして
バイブルの言葉を聴ける環境にある事は何故なのか?

・・・・・・・・・・


eps2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
・・・・・・・・・・



もしかしたら
目に見えない神は僕ら一人一人を今ある状況に導かれたのかもしれない。


そう思えるかもしれませんね。



今年一年
何を信じて過ごして行きますか?


素敵な神との関係を信じ
そんな神様に期待して一緒に祈って過ごせます様に~。


では(^-^)
本年も宜しくお願いしま~す。


。。。。。。。。。。

1cor15:1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。


1cor15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。


1cor15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、


1cor15:4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、


1cor15:5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。


1cor15:6★その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。


1cor15:7 その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。


1cor15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。


1cor15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。


1cor15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。


1cor15:11 そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。


1cor15:12★ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。


1cor15:13 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。


1cor15:14 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。


1cor15:15 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

。。。。。。。。。。

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(*^^*)今晩わ~。


今日は礼拝中気を失ってしまい
(居眠りしちゃって・・)
メッセージをよく聞けませんでした。



なので~
今日は礼拝の時聴いて泣いてしまったこの歌をシェア~させて頂こうと思いまーす。



http://www.youtube.com/watch?v=8-cdd5jy4lc&feature=youtube_gdata_player



しかし、
バイブルを信じる人の価値観って
神を信じない方々と比較するとヘンテコなのかも。って思わされた。




世の中は「欠け」だらけ、「ヒビ」だらけなら捨てられて当然なんだけどね。。




実は、ここで歌われてる歌詞は
「欠けだらけ」で「ヒビだらけ」でどうしようもない自分自身の実情をそのまま受け入れて感謝するってモンなんだから。




神という存在を
求めて知ろうとする時


どうしようもない僕らをそのまま愛される神の愛を体験していく。。



そんな神に出会った時
自分の欠けに気付かされる事でそれ自体を感謝し


そんな僕らにも拘らず、神が一人一人に与えられる役割りをしっかり生きたいっていう告白になっていく。




自分自身の欠けに気付かされる時がキーなのかもですよね。
その時
初めて僕らは神との素晴らしい体験をする事が出来るんでしょうね~。




そんな不思議な歌です。
今日はそれだけ~ なので、是非聴いてくださいね~。


http://www.youtube.com/watch?v=8-cdd5jy4lc&feature=youtube_gdata_player



今週も♪(´ε` )素敵な日々を過ごせますように~。



土の器

         作詞・作曲 田中瑠美子


土の器 欠けだらけのわたし
その欠けから あなたの光がこぼれ輝く
土の器 ヒビだらけのわたし
そのヒビから あなたの愛があふれ流れる

こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる
だから今 主の愛にこたえたい わたしのすべてで
用いてください主よ
私にしか できないことが 必ずあるから





・・・・・・・・・・


因みに今日の聖書箇所だけ載せておきまーす。
。。。。。。。。。。


rom15:1★私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

rom15:2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

rom15:3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。《と書いてあるとおりです。

rom15:4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。

rom15:5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

rom15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

rom15:7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。

rom15:8 私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、

rom15:9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御吊をほめ歌おう。」

rom15:10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」

rom15:11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」

rom15:12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」

rom15:13★どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

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