「終活」を考えている方にとって、
オススメの本をご紹介します。

先日、仕事の途中で時間ができたので
三宮のジュンク堂へふらった立ち寄りました。

そこで購入した本が、
武田鉄也さんの
『西の窓辺へお生きなさい「折り返す」という技術』。

西の窓辺へお行きなさい


本より一部、ご紹介します。

(5ページから)
 「ユングは「中年の危機」を山登りに例えています。
  山に登ったという事実を完成させるためには、
  山から降りるとく逆説を歩かねばなりません」

 「降りてゆく」とは「登った」ことを完成させるための切迫の決心です。
  人は「降りて」ゆかねばならないのです。」

 (7ページから)
 「人の一生を一日24時間に例えてみましょう。
  午前零時を生まれた刻にします。
  年齢を「3」で割ると、出てきた数字が人生の刻限となります。」

 「朝の9時で27歳。正午で36歳。
  人生の夕暮れ時は6時か7時で50代の半ば。
  暮れなずむ光と影の中をいまだ登り続け、
  走り続けているのならやっぱり危険です。」

 「私はこれまで出会ったさまざまな人、
  また書物で出会った師とも言える人々から、
  人生の降りてゆき方を学んできました」

本では、
武田鉄也さんが今まで出会った人々や
書物を通じて出会った過去の人々との出会いを通じて、
感じたことを振り返りつつ、
「武田鉄也としての“降りてゆく”歩き方」を綴っています。

武田鉄也さんの兄との永年の兄弟の葛藤、
若い学生時代の恋の話、
金八先生の裏話。
高倉健さんやたこ八郎さんとの思い出話。
そして、金八先生の教え子たちとの再会。


私にとっては、

武田鉄也さんといえば、
小学校の頃に大ブームになった「金八先生」のイメージが強いのですが、

読み終えて、

武田鉄也さんがとっても勉強熱心な方で、
武田鉄也としてご自分の人生を
正直に、そして今、人生を降りいかれているのだな、と
ひしひしと伝わってくる本でした。

人生を“降りてゆく”のは登ることより難しい。

人生の時を午後1時を過ぎれば
自分の人生をどう降りてゆくのか、
と考えてみるのも悪くはないかもしれませんね。

私の人生を時刻にたとえれば、
正午は過ぎて夕暮れには、まだちょっと時間があるかなぁ。

私も
自分なりのそして後悔しない、
そんな人生の降りかたを見つけてみたいと、
思えた本でした。

終活を考えている方に
これからの人生どうやって降りていけばいいのか
ヒントを与えてくれる本になるはずです。

一度、手にとって読んだ見てくださいねシラー

ペタしてね読者登録してね
国本司法書士事務所の1月の2つ目のイベントは
「西宮えびすのお参り」です。

毎年1月9日の宵えびす、10日本えびす、11日残り福の
どれかには必ず参拝させていただいてます。

今年でお参り12回目。

今年もスタッフとともにお参りにいってきました。
西宮えびす


毎年恒例、奉納マグロにもお参りです。
マグロにお賽銭を貼り付けて「体にお金がつきますように!」とお願いです。
マグロの体にお金がつく

お参りのあとは、おみくじを引いて今年一年を占います。
おみくじ

私は末吉ガーン
スタッフがなんと「大吉」でした!
今年一年はスタッフの運気に付いていこうっと。ニコニコ



☆西宮神社の歴史は古事記の神代の時代に遡ります。

西宮神社は、兵庫県西宮市にある神社で、
国内にある「えびす様」をお祀りしているえびす社の総本社です。

主祭神は、「えびす大神」といって正式名は蛭児大神。

あまり蛭児大神様って聞いたことがありませんようね。

西宮神社の縁起をもっと知りたくて西宮神社のホームページをみると、
とても詳しく蛭子の神様のことが書かれていました。


蛭子(蛭児)の神様は、
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の神様の間に生まれた最初の神様。

ところが、
蛭子の神様は足が悪いためイザナギとイザナミの神様は
吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて海へ流してしまわれたそうです。

 (結構、神様、ざんこくね)

海に流された蛭子様を西宮鳴尾の漁師さんが発見します。
鳴尾は今の阪神甲子園の近くあたりの地名。

西宮の漁師さんが、西宮の海で網に人形のような神様像を魚と間違って引き上げました。

一度目は魚ではないと海に戻しますが、
そして、さらに西宮より西にある今の神戸の和田岬あたりで、
またまた先ほどの神様像を網で引き上げます。

「これはただ事ではないぞ」

と確信した漁師さんは、引き上げた神様像を家に持ち帰り、
丁重にお祀りをしていたところ、
ある日、お祀りしていた神様が漁師の夢に出てきました。

神様が夢で漁師におっしゃるには、

「吾は蛭児の神である。
日頃丁寧に祀ってもらって有難いが、ここより西の方に良き宮地がある。
そのに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい」

  (蛭子の神様、なんだか、ちょっと謙虚ね。)

蛭子の神様の夢のお告げを受けて、漁師さんは良い宮地を求めて西へ西へと進みます。


途中いく度が輿を下ろして休憩していると、
蛭子の神様が疲れてポックリポックリと居眠りをされてしまいます。
困った漁師さんが蛭子の神様のお尻を捻って神様を起こしたりしたこともあったとか。


 (神様でも疲れるのね。)

 (神話の神様ってちょっと人間に命令形で怖い神様も多いですが、
  蛭子の神様(えびす様)は、なんだか人間ぽくってお茶目でかわいいなぁ~。)




御輿を置いて一休みされたといわれている所が
西宮神社の近くに「御輿屋跡地」として残っているそうです。

今度、神戸地方法務局西宮支局に登記申請に行った帰りにでもいってみようっと。


そして、ようやく見つけられた良い宮地がこの西宮神社。


西宮神社にこんな歴史があったなんで、
全く知らずに12年間お参りをしていましたが、

イザナギとイザナミの神代の時代から続く古い歴史が、
身近に感じられた西宮神社のえびす様でした。


毎日の生活に目を向けると
わたしたちの現代生活にも
古代から続く歴史が今も息づいているかもしれませんね。


やっぱり歴史は楽しい☆

ペタしてね読者登録してね
昨年の末に打ち合わせをしていたお客様と
遺言書の話になりました。

(お客様) 遺言書っていつから制度としてあるんですか?

(わたし) 制度としてはいつからなのかしら??
      随分と前からあるんじゃないの~??

     (え~よくわからないよ~、と焦りながら答えるわたし。。。)

改めて質問されても即座に答えることができず
内心あたふたとしてしまいました。

仕事始めの2日目に残業しながら
昨年年末の誕生日にスタッフからプレゼントしてもらった
コーヒーメーカー「ネスカフェゴールドバリスタ」で
作ったコーヒーを一人で飲みながら
密かに調べてみましたニコニコ

ネスカフェゴールド


☆遺言書の起源は奈良時代の養老令

古くは奈良時代にまで歴史を遡ることができる遺言の制度。

養老令では生前に亡くなったあとの財産処分を
「在日処分」として定めることが認められていました。


中世の時代になると、
生前に「処分状」を作って財産分けをするのが普通となります。

そのため、
遺言で遺産の分配を決めることが例外になっていきました。


☆武士の時代は武士でななくて百姓が遺言書を残していた

そして、武士の時代。

武士は主君から封禄(ほうろく)を受けているので
自由に処分することができず、
遺言は私的な財産についてだけわずかに行われるだけとなります。


逆に、
庶民はとっては遺言相続がむしろ相続の原則。


自筆で遺言書を書いて捺印し五人組などがそこに加判します。
その遺言書を町内に寄託したそうです。

まるで現代の「「自筆証書遺言書」みたいですよね。


ただ、
江戸時代の遺言は財産分与よりも、
主に家訓的な内容のものが多かったようですね。

江戸時代のある百姓さんが遺した遺言書を国税庁のHPでみることも出来ます。

https://www.nta.go.jp/ntc/sozei/network/163.htm




☆明治時代「家督相続」で遺言書は不要に


明治時代「長男の家督相続」の制度が規定されます。

それに伴って
庶民の間で広くおこわなれた遺言の慣習も急速に衰え始めます。

長子相続で長男が財産だけでなく
家督やその地位まで相続するのであれば、
遺言書は要らないですものね。


☆子供はみな平等。でも遺言書は普及しない?

戦後、家督相続制度が廃止され新しい民法が制定されます。

ところが、
「老いた親の面倒をみたり、家を継ぐ者は長男だ!」

という明治以降の家督相続の慣習が
長く最近まで抜け切れなかった日本社会。


最近では
「兄弟姉妹はみんな平等」。
だから
「親の面倒は長男がみるもの」
という考えは随分と薄れていますが、

明治以降の家督相続の価値観の影響なのか
財産の分配について

「遺言書を残しておく」

という考えは、
現代社会でもなかなか浸透していませんよね。


☆時代の変化に遺言書も変わっていくかも

時代ともに遺言書の価値も大きく変わってきました。


相続税が改正され「相続」に注目が集まる今、
遺言書の価値もじんわりと変わっていくかもしれませんね。



やっぱり歴史を振り返るって、ほんとおもしろい☆


ペタしてね