どうしたら、幸せになれるのか

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いつも読んで下さり、ありがとうございます☆



これは、瀬川瑛太さんに書いて頂いた言葉です♪

『私は、どうしたら、幸せになれるのか』

私は、これが、一番の課題でした。

頭の中に、善悪のものさしがあり、
○○しなくてはならない、と、自分を縛り、
生きるのが苦しかったけれど、
存在することの価値、
に気づくことができました。

他人は自分の鏡

自分を守らない

否定的価値観に気づき、手放す

心はいつも、どちらでもよい、と思っている

もしお金と時間があったら、
何をしたいか

あと○日の命だったら、
何をしたいか

何のために生きているのか

自分の真実に、
気づくことができました。

Ayasofya 和泉さんの、メタ・フローラ プレゼンスの、8ヶ月のワークを終えた今、
津留晃一さんの記事を見て、
メタのまとめのように思い、
とても心に響きました。

以下、津留晃一さんの世界より引用させて頂きます☆

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=829548317189608&substory_index=0&id=362595003884944

恐 れ

今のこの三次元地球における
現象世界で、

皆様が行動、活動を
しているその基本要因は

100%恐れにあるようです。

原点として肉体維持のために
仕事をします。

源の恐れです。

より快適にと、

より良い環境、
より良い待遇を得ようと
頑張ります。

見下されることを
恐れる人は、

常に上を
目指さなければなりません。

基本環境が整うと、
その維持に躍起になります。

せっかく築いた環境を
失いたくないからです。

まわりの人達と
うまくやっていくために
気を使い、

より優れようと
努力します。

誤解されないよう、
悪く思われないよう

細心の注意が必要です。

常に気が抜けません。

持たないことを恐れ、
持ったらそれを
失うことを恐れます。

どんなモノも
手に入れたとたん
壊れ始めるからです。

あなたの
エゴの観点から見れば、

決して恐れから
逃れることは出来ません。

恐れは、
逃避しようと
すればするほど、

エネルギーを増して
あなたを襲ってきます。

恐れの解消法は
2種類あります。

ひとつはこれまであなたが
チャレンジしてきた古典的やり方、

すなわちあなたの外側にある現実に
対処するというやり方です。

攻撃して撃退するか、逃げ出すか、
そのどちらかですが、

そんなやり方では絶対に
究極的安心感が得られないことは
もうすでにご存じの事でしょう。

そろそろ恐れの根本原因である
あなたの内側の価値観に

意識を向け始めるときが
来たようです。

人は愛する人を得たいと
努力してきました。

愛する人のいない生活に
意味を見いだせないのです。

「存在する事の価値」
に気付いていない人は、

愛されるに値する人間に
ならなければなりません。

「仲良くしたい」も、
「愛されたい」も、

基本的には孤立することを
恐れているからです。

まわりの人達からの
拒絶を極端に恐れ、

偉くなりたい、
人に褒められたい、

認められたいという衝動に
対処しているわけです。

愛を分かち合う人が
出来たら出来たで、

今度は一度得た友人や愛人を、
失わないようにと
日夜努力が要求されます。

「存在する事の価値」
に気付いていない人達は、
傷つくことを恐れています。

他人からの拒絶を恐れます。

では、どうして
拒絶されることを
恐れるのでしょうか?

拒絶の恐れは、
人から嫌われたら
生きづらくなる、

不利である
という程度のものに
すぎないのですが、

人は今や拒絶そのものを
恐れています。

拒絶されたと判断したとたん、
心は猛烈な反撃を開始します。

「存在」が傷つくことなど
あり得ないというのに・・・。

でも本当はあなたを
拒絶することを目的として、

あなたを拒否する人が
いるわけではありません。

あなたが拒絶されたと
判断したその相手は、

単に自分が傷つかないように
防衛しているか、

すでに傷ついてしまった心を
癒そうとして、

そのような態度を
とっているにすぎないのです。

そんな傷つきやすい人を
恐れる必要などないのです。

あなたが常に
愛を持って接していれば、

どんな人も
恐れる必要なんかありません。

人に愛を持てなくなるのは、
あなたが傷つくからです。

人は「無条件の愛」
という言葉を聞くと、

それが素晴らしいことであることを
誰でも知っていながら、
でも自分には出来ないと言います。

それはこれまでの自分の人生の中で、
人に優しく出来なかったときの
記憶があるからです。

どんな時、
人に優しくできなかったか
思い出してみて下さい。

人に意地悪な思いが
わいてきたのは

決まって自分が傷ついていた時、
イライラしていた時で
あったはずです。

ですから大切なことは、
あなたが
傷つかないようにすることです。

気分のいいときは、
誰でも人に優しくなるものです。

では自分が
傷つかないようにするには
どうすればいいのでしょうか。

あなたはこれまで
他人の言葉や態度によって
傷ついた記憶があるので、

自分が傷つくのは
他人のせいであると
勘違いしていますが、

実は他人の態度を契機として、

あなたの内面にある
否定的価値観が

表面意識に
上がってくることによって、
あなたは傷つきます。

あなたを傷つけ続けているのは、
あなたの抱いた
否定的価値観です。

他人の態度が
あなたの手放すべき考え方を
教えてくれているわけです。

「このくらいしてくれて当たり前」、
「このくらい出来るのが常識」

と思っていると、
してくれない相手を咎めます。

出来ない相手に苛立ちます。

あなたの「あの人は冷たい」
という思いが
あなたの心にトゲを刺します。

あなたを
イライラさせる張本人は、

この「してくれて当たり前」、

「出来るのが常識」
という考え方にあります。

すべきであるといった
断定的考え方が
あなたの心を傷つけます。

どうか勇気を奮って、

「そんなの当たり前、
誰でもそう思っているのだから」

という考え方を
全て手放して下さい。

あなたの思っているみんなも
間違っているかも
しれないのですから。

自分ひとりだけ非常識なことを
するのを恐れないで下さい。

誰かがやり始める必要が
あるのです。

これまで使い古されてきた
常識という固定的価値観を、

白紙に戻すことによってのみ、
こ の社会は変わり始めます。

この社会を変えるのに
弁舌を持って他人を
動かそうとしても変わりません。

社会はあなたの反映なのですから。

あなたひとりが
その意識を変えることによって、

あなたの見える宇宙全てが
変わってしまいます。

地球を変えるのに、
あなたひとりの意識の
変容で事足りるのです。

他人の抱いている固定観念を
変えようと
努力する必要はないのです。

もしもあなたのまわりの誰かが、
光り以外の
何かに見えているとしたら、

それはあなたの中に、
何らかのかげりがまだ残っている
という証拠にすぎません。

あなたがある人を嫌いだとしたら、
その人の欠点を見つけだしている
自分に気付いて下さい。

その人の中に見える欠点を、
欠点と認識するために使った
あなたのモノサシは何でしょうか。

他人を良くないと
判定するための尺度に用いた
あなたの価値観を見つけて下さい。

その価値観の
対極にある考え方は何ですか。

その対極する価値観を使って

あなたの判断の天秤ばかりが
バランスするように
持ってきて下さい。

あなたの価値観を
ニュートラルにするという事です。

あなたの抱いてきた価値観が、

「どちらでもよい」
とニュートラルになると、

そのことに対して
比較することが
出来なくなります。

比較するための
尺度がないからです。

比較しなくなったら
判断もできません。

このとき、
人は初めて判断しない人生を
生きられるようになってきます。

比較するな、判断するなと
教えられても、

モノサシを持っている以上、
瞬間的に無意識に条件反射的に
判断が起きてしまうものです。

あなたの抱いている全ての、
善し悪しの価値観を
手放して下さい。

あなたの疑うことのない正しさに
対局する価値観をさがし、

価値をバランスさせ、
ニュートラルにして下さい。

この時、
人は比較判断が出来なくなります。

判断しなくなったあなたの心は
揺れようがありません。

こうして人は不動心を獲得します。

正しさを握っている限り、
社会の現実を見て、
心を動かさないではいられません。

正しさを持っている限り、
そこに悪を発見するからです。

不動心を得た人は、
現実を感情を交えず
見ることが出来るようになります。

即ちあるものを
あるがままに観るわけです。

全てのものを、全ての人を
正観出来るようになります。

見えてくるものの奥にある
「存在」が
感じられるようになってきます。

「ただ在る事のすばらしさ」が
わかるようになってきます。

至福に満たされます。

存在の美しさ、存在する事の
素晴らしさを実感します。

決して変わることのない、
永遠の巨大な存在を
感じられるようになってきます。

「私は今なぜこんなに
頭が悪く、力が無く、

矛盾だらけのジレンマの社会に
生きているのか?

私が神であるはずがない」
と考える人は、

「だから我々は互いに掛ける迷惑を、

最小限に止められるよう我慢しあって

ひっそりと生きていかなければいけない」

という考え方が正論となります。

これまでの考え方です。

この反対に、

自分が神である事を疑わずに
真理の中心にすえた時、

「ではなぜ、神であるはずの私が
矛盾をとく智恵がなく、
問題を解決する力がないのか」と、

その解答を用意する必要が生じます。

神である我々が、
ジレンマ社会にいるとしたら、

それを体験してみたくて、

ちょっと遊びに来ている
のだとしか考えられません。

子どもが恐いジェットコースターに
わざわざお金を払って
遊びに来るように・・・。

そして全ての現実を創っている
自分が
創造者であることを受け入れたとき、

自分のまわりで起きる全てに
責任を取ったとき、

もはや永久に被害者には
なり得なくなります。

被害者にならないとは、

もはやあなたは永遠に
傷つくことがないということです。

もう自分は傷つくことがない、

自分は永遠に安全であると
想像してみて下さい。

どんなに安らかに
くつろげることでしょう。

自分はそのためにこそ、

これまであくせく頑張ってきた
のだとは思いませんか?

本当はその感覚が
欲しかったのではありませんか?

そうなのです。

自分に起こってくる
現実の総てに対して、

自分が責任を取ったとき、

あなたはその瞬間から
永遠にくつろげる豊かで、

自由な存在へと変わります。

これは難しいことではありません。

単に
「自分の見るもの聴くものは総て

自分のハイヤーセルフが、
私のために創り出して
くれているのだ」

という、この一点を
受け入れてしまえば
それで終わりです。

それだけであなたは
完全なる安全を手にします、

完全なる安らぎに浸れます。

どうか恐怖から逃れようと、

責任を取ることを
回避するのではなく、

勇敢に総ての責任を
受け入れて下さい。

本当に「総て」にです。

永遠に傷つかない人だけが、
永遠に人に優しくできます。

それが無条件の愛の
体現者のことです。

すなわち「無条件の愛」を
体現するための必須要件が、

自分が
傷つかないということです。

あなたが
永久に傷つかなくなったとき、

あなたが
永久に被害にあわなくなったとき、

それは即ちあなたの世界から

完全に加害者が消える
瞬間でもあります。

あなたの世界に
加害者を出現させていたのは
即ちあなた自身だったのです。

あなたが
自分を守りたかったからです。

そうさせたのは
あなたの恐れなのですが、

あなたが
「自分を守ろう」
と決めたとき、

ハイヤーセルフは
あなたの希望どおり

守らねばならない敵を
あなたのために
用意して下さいます。

あなたの唯一最大の敵は

「自分を守ろう」
という思いにありました。

どうか進んで勇気を奮って
自分を解放して下さい。

「守る必要なんか一切ないのだ」

という一見無謀な考え方を
受け入れてみて下さい。

そこから
あなたの安心がやってきます。

その時あなたの世界から、

あなたを攻撃するものが
消えていきます。

天災にもあわなくなります。

事故も起きなくなってきます。

それを創っていたのが

あなたの「自分を守る」
という理性に
あったのですから・・・。

「自分を攻撃していたのは
自分の思いであった」

「自分の心を揺さぶっていたのは
自分の抱いた価値観にあった」

こんな簡単な理屈を、
人はやっと理解できるところまで
意識が上がってきたようです。
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