毎日をもう少し楽しくしたいと思うあなたを支援するコーチのブログ

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大げさな目標じゃなくていい、「夢」っていうのもテレくさい。
でももう少し毎日が楽しくなればいい、もう少しだけ頑張りたい。
そんなあなたを支援するコーチ 酒井秀介のブログです。
読んで少し気が楽になる、自分もやろうかなと思ってもらえる記事を書いています。

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ネーミングストーリーというものをやってみました。

 

 

酒井秀介(さかいしゅうすけ)

 

「お名前は?」と訊かれたら、「お酒の井戸でさかい、いい苗字でしょ笑?下の名前は優秀のしゅうに、介護のすけ、です」と答えてました。特に「優秀の…」っていうときになんだか抵抗があったんですが笑。これが今回、解消されてしまいました驚。

 

このネーミングストーリーは、自分の名前に使われた漢字の語源を調べて、それを自分を表す文字、イメージとして伝えよう、というもの(ざっくりした説明です)。それをやってみたところ…

 

酒: 

部首が、実は「さんずい」ではなく「酉へん(とりへん)」だそうです!そして「酉(とり)」は十二支の酉ではなく、「壺」をイメージした古代文字とのこと。お酒を入れる器の方が語源ですって。

 

井:

「いる(居る)」の「い」と同じく「一か所に止まる」「溜まる」「集まる」を意味し、、、(略)

 

秀:

すぐれていること。また、その人。最もすぐれていることを表す。

 

介:

「助ける」、「助け」、「助ける人」「なかだちする(二者の間に立って、事がうまくまとまるように手助けする事)」、「なかだち」、「仲人(なかだちする人)」。(成り立ち)「介」は「体の前後に鎧を身に着けた人」を描いている。鎧を挟んで「内側」と「外側」の2つに空間が分断されることから、「空間を分ける境目」という中心的な意味をもつように。

 

ここまでちゃんと調べたのは初めてです。そして、このネーミングストーリーの妙は、それぞれの漢字の意味ではなく、すべてを関連付けて自由に解釈をし直す、というもの。

 

今回のワークで、僕自身の名前の解釈がこのように変化しました。

 

Before: お酒の井戸。たくさん飲めるんです笑。優秀の秀(自分が優秀って言ってるみたいで少し照れくさい…)に、介護の介(別に意味なし)です」

 

After: 

酒 + 井 → 自分はいろんな人に立ち寄ってもらう、集まって、いてもらえる”器”の役割。中身は皆さんに満たしてもらって、居心地の良い器になれたらいいなと思います。

 

秀 + 介 → 自分が優れているということではなく、優れた人を助けるのが自分の役割。バランスを取るのが得意なので、仲立ちや仲裁をする、人と人を繋ぐ存在で価値を発揮できる。

 

これ、個人的にはものすごく「しっくり」来ました。

 

他の自己分析でも「サポーター」という診断が出てますし、中身は自分で見たさなくてもいいんだ、というのも昔よく感じていた「自分は空っぽだなぁ」という感覚に対する安心感になりました。

 

そして、自分の名前の解釈を変えただけですが、自分の姿勢というかアプローチも変化しそうな気がしています。「役割」「意味」が与えられたって感じ。

 

ぜひ皆さんもご自分の漢字の語源を調べて、解釈してみてください。仲の良い相手の漢字を見てあげるのも楽しいと思います(^_^)

 

 

僕はよく、なにかを心配しているクライアントに 「大丈夫ですよ」 と伝えます。

 

 

新しいことを始める、やったことのないことに挑戦する、誰かに言いにくいことを伝える、そんな時は不安が出てきます。そしてそんな時に、「大丈夫ですよ」 と言います。

 

僕が 「大丈夫ですよ」 と言えば 「そうですかね、なんかそんな気もしてきました」 なんて方もいれば笑、「大丈夫ですか…?」 とまだ不安が残る方もいます。当然ですよね。

 

たまに 「なんで大丈夫って言えるんですか?根拠はあるんですか?」 と訊かれることもあります。もちろん、根拠についてお話することもありますが、正直、根拠がないこともたくさんあります。

 

そうしたら、「根拠がなくても大丈夫」 と言います笑。

 

なんで 「根拠がなくても大丈夫」 なのか?

それは、「大丈夫じゃない根拠もきっとない」 からです(^_^)

 

「それが大丈夫じゃない根拠は?」 と訊くと、実はそちらにも根拠がないことがほとんどです。もちろん、中には 「いや、だって〇〇が××で△△だから、大丈夫じゃない気がするんです…」 なんて 「大丈夫じゃない根拠」 を話す方もいますが、それも良く考えてみると 「根拠っぽい根拠」で、僕が「根拠がなくても大丈夫」 と言ってるのと同じくらい曖昧な根拠です笑。

 

結局、どちらも根拠なんて曖昧ですし、もし大丈夫じゃない根拠が具体的になってきたら、今度はそれを心配するんじゃなくて「どう解消するか」を具体的に考えればいいだけです。

 

だから、「根拠はなくても大丈夫」 です。