まじめにその2

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もやもやするので書き残す。

原爆=原発=廃絶すべき
戦争=安保法案=廃絶すべき

って、安易に関連付けて反対してる人多すぎませんか?
最初の二項を勝手にイコールで結んでいませんか?
それも、一部を見てそれが全てだと認識してしまうことに由来すると思うのです。

広島・長崎と原爆の日が続いています。
核兵器は、今は無理でもなくなってほしい。
最終的にはなくすべきなのはもちろん明らか。

でも、同じ核分裂反応を利用しているにしても、原発を同じ土俵で議論するのはナンセンスすぎるでしょう。

核=危険
という一片だけで全てを語ろうとする。

中身は類似(同じではない)していても、使い方も背景も全く違う。

ウランの濃縮率も、3%と90%。
じわじわ核分裂と瞬間的核分裂。
殺人兵器と、持続的エネルギー採取。
物理的にも政治的にも異なる部分があっても、核分裂と危険性ということが全てというように認識されているような。

そんな例、山ほどあるのに、この件ばかり同じ土俵で語られすぎな気がしてなりません。

少し飛躍しますが、
銃と花火だってそうでしょう。
火薬の使い方次第。

原発も、使わずに済むに越したことはない。
それはもちろんそう思いますよ。
いまの科学技術では完全にリスクを除ききれないですからね。
どちらかといえば反対です。
特に将来的には。

じゃあなぜ原子力発電が存在するのか、
反対を叫びまくっている人はちゃんと考えているんでしょうか。

震災以降、火力発電中心でまかなっていますが、
化石資源が手に入らなくなったら?
すなわち世界で枯渇したり、輸出禁止措置がとられたら?
温暖化が進行したら?(二酸化炭素によって温暖化が進行してるかも既にグレーですが)
火力発電からのエネルギーで足りず、電気もろくに使えず、
室内でも熱中症が続出し、
経済も衰退する可能性も全て了承した上で反対運動してますか?
じゃあエネルギーどうするか、考えてますか?
ちょっぴり節電します、の話ではもちろんないですよ。

危険性を無くすための原子力技術開発だとしても、
「原子力発電のための技術開発」
という文字だけを見て、
将来の子供たちに安全な未来を!反対!
としていませんか?

報道は危険性とデモばかり。
利点と社会的意義、なぜ必要なのか、というところが明らかに少ない。

一部だけをみて、それを全てと思い込んでしまう人がたくさんいるのだから。
それは改めるべきだと思う。

こちらとしても、
なぜ?という疑問を持つことがもっと必要だと思う。
受身な教育から、素直に受けとるのが当然、という流れがあったかもしれない。

下手したら、
それは大きな正義感と小さな知識量。

その状態は考えに考え抜いて、メリットとデメリットを鑑みて、物事を適切な方向に導こうとしている方々に失礼であるし、
足枷にしかならない。


反日報道もそう。
一部だけをみるいい例だと思う。

あたかもそういう人ばかりだっていう風に見せてくるけど、
中にはそういう人がいるのも確かだろうけど、そんなに人って、攻撃的なひとばかりじゃないよ。

今まで会った韓国人も中国人もマレーシア人もアメリカ人もスペイン人もトルコ人も(後半は親日と言われている国か)、
皆とても優しくていい人。
その国に行っても、そうだよ。
優しい。

テレビの世界じゃなくて、
自分の目で見て、人を感じてください。
ひとまとめで、キライ!としないでください。

広くものごとを「見よう」とする人が増えてほしい。
一片だけで判断しないで。

反対するのは簡単。
拒絶するだけなのは簡単。
でも反対をするのであれば、
それ相応の論理性を持って、
よりよくなるにはどうしたらいいか示すべき。

そうでないと、もっと力のある人には、
それは子供が駄々をこねてるのと同じにしか見えない。
届かない。

偏った考え方だけで物事を見るのはやめよう。
広く、広く。
そうするだけで、「反感」やイライラが、
少しは減るはず。
「理解」は、1番のイライラ抑制剤じゃないかなぁ。

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