僕は今まで生きていた中で最大の後悔を感じた。
「何でこんな五月蝿い場所に自ら来たのか。」
「日本に居れば、楽しい毎日がそこにはあったのに」
ガイドブックも無い、1ルピーが何円かもわからない。
何ルピーで1リットルの水を買えるのかも分からない。
1人でご飯を食べるのが不安で初日は何も食べれなかった。
僕の部屋には僕と親指サイズのゴキブリ2匹が居て、
ゴキブリを殺そうと思わなかったのは人生で初めて。
ゴキブリのガサガサする音が僕の生活を癒すBGM。
そのBGMを乱すようにホテル内で騒ぐインド人達。
部屋に鍵があるのに、バックパックに鍵かけた。
部屋の電気を消すのが怖かったから、電気つけたまま寝た。

僕の人生で最高の後悔を感じた4月3日から12月1日まで、
およそ8ヶ月の間に僕はアジアを旅し続けたことになる。
インド、ネパール、べトナム、カンボジア、タイ、ラオス、
中国、モンゴル、シンガポール、マレーシア、インドネシア。
正直、8ヶ月間もあれば世界一周できるんだよね。
僕も本当はそうしようと思ったんだ、当初は。
インドからどこに行くか全く決めてなかったから、
宿で知り合った人におすすめ聞いて、旅先決めようと思った。
アーグラでトルコのガイドブックを見つけた時は、
「おお、トルコアイス食いたいなぁ、ここに決めた!」
って思った、でも宿のおじさんはガイドブック譲らなかった。
その次の地、バラナシで東南アジアとネパールのガイドブックを見つけ、
それをパラ~っと読んで、アジア内を旅することを決意したんだ。
でも、もしあの時、違う国のガイドブックを読んだら、
僕はアジア内を旅しなかったかもしれないんだよ。
もしかしたら世界一周していたかもしれない。
もしかしたらまだどこかの国で旅をしているかもしれない。
それを偶有性の産物と呼ぶべきか多元宇宙論と呼ぶべきか。
ただ、人間には可視化されにくい「出会い」が溢れていて、
それはパラレルな世界を想像させ、僕らに道を与えると思うんだ。

何かしたいなぁって思っても動かない人が沢山いると思う。
僕らは大人になるに従い、賢くなって、その賢くなった脳みそは、
僕らの感情的な部分、特に行為を抑制するのだけど、
僕らはそれでも動かなければならないと、僕は思う。
ロンドンに留学する前、旅は僕にとって「言葉」に過ぎなくて、
それをしようなんて全く考えたことが無かったんだよね。
でも、ロンドンへの留学を僕が選択し、行動に移したことで、
僕は今まで知らなかった世界に触れて、今まで考えてない考え、
ここで言うなら「旅をする」というアイデアを持つことが出来た。
もし、ロンドンに留学する前に、
「僕は果たしてロンドンに留学する意味があるのだろうか」
とか、そういう面倒なことを自問自答していたら、
きっと今の僕はいないだろうし、その僕はきっと退屈だと思う。
僕は「考える前に動く」という類いの人間ではないけれど、
「動く前に、動かないために考える」人間になりたくないと思った。
それは意外に有り触れた思考パターンだと僕は思うんだよね。
その背景には不安だったり、精神的な負の部分があるのだと思う。

「もしあの時こうしていれば、こういう世界があったかもしれない」
そんなこと嘆くのは時間とお金に余裕のある貴族にのみ許される行為。
それを嘆いている間にも時計の針は進んでいるのだから、
今を生きて、そしてそれを行為に繋げていくべきだと思う。
そして、「今」から重ねられた行為によって、
あのとき後悔した過去に価値を認められるのだと思う。
悔やむにはまだ早すぎる年齢、何十歳ならいいのかわからない。
だけど、僕は今後、30歳になっても、40歳になっても、
自分の人生を悔やむにはまだ早すぎると思っていたいし、
そう思えば、きっと次に繋がるアクションをおこせると思う。
僕はいつか再び「旅」というアクションを必ず取る。
だから、「そして旅」なんだ、僕の旅はまだ終わらない。
でも、このブログはとりあえずこれでおしまい。
今後はこのブログ(H)imaginismでよろしく。
今までありがとうございました。
では、またね!






























