「キレイ事」ってナニ? | 続々・松岡奮戦記(カンボジア・ミャンマー教材開発編)

続々・松岡奮戦記(カンボジア・ミャンマー教材開発編)

日本の公務員生活を捨て、夢だった教師として2007年にシェムリアップの大学に赴任。が、無給講師且つ系列ホテルでフルタイムと告げられる。騙された?と思いつつ、やっと掴んだ教師の職。歯を食いしばり、この国の教育水準の底上げを己の使命として全力で取り組んでいます。

2017年から大学での仕事(教材開発)に専念する為に、計画的に行動し、しなくて良い事は段階的に削ってきました。

「全力で走ってるのに前に進めない夢」を見た事が何度かありますが、「解決しなければならない事に直面している」という暗示らしいです。

「そう言えば...」と思い当たる節があったので、遠回しにせず、率直な言葉で問題提起。

基礎知識や道徳の下地がない相手ではあったものの、「大学の為に学生が存在している」のか「学生の為に大学が存在している」のかを話の軸に据えて展開していきました。

その過程で、ある種の「炙り出し」が出来た様に思います。

今の大学に移って来て、それまでの様に「国会議員のおじがいる」という後ろ盾がない状態で、自分のやってきた事をリセットし、リブートする必要があり、相当なプレッシャーも感じていました。

色々な横槍を入れられた事も多々ありましたし、理不尽な思いを強いられた事も少なくありません。

ここ最近、教え子や現役学生達から「どうして先生は、そんな状況でも心が折れないのですか」という質問を受ける様になりました。

理由はいつも同じで「教師としての職務を全うしたいから」という単純なもの。

「キレイ事」と言われる場合の多くは、「理想論に過ぎない」や「実現不可能」といったマイナスのイメージを伴う事が多い様に感じます。

「生き馬の目を抜く」様なビジネスの世界ではが、「理想」という様な言葉は、まさに「キレイ事」の様に映るのかもしれませんし、その様に認識されるのかもしれません。
*ホテルで総支配人をしていた時、著名な方から「良い経営者の最低条件」を聞いた事があります。
「良い経営者」といっても、十人十色で様々な基準があると思うのですが、その方に言わせれば、その基準は至ってシンプルなもので、ずばり「会社を潰さない人」との事でした。

いくら人あたりが良く、優しいと言われていても、会社を潰してしまえば、多くの人を路頭に迷わせる事になる。なので、いくらもっともらしい事を並べてみても、「キレイ事」にしかならない。

逆に、どれだけケチだセコイと言われ、文句を受けようが、会社を潰さない経営者は、「良い経営者」となる。

人の周辺が異常なスピードで変化をする事で「便利さ」という恩恵を受ける機会は確かに増えて来ていると思いますし、私達が触れる事が出来る情報の量も、恐ろしい勢いで増え続けていることも否めません。

そんな折、今一度確認しておきたいのが、「本質は何か」という事。
ここの所を蔑ろにしておくと、表面的な部分にしか目が行かず、膨大な量の情報に翻弄され、核となる部分を見失ってしまいます。
*様々な意見が飛び交う「AI」についても、どれだけの人が、「本質」について考えているのか、一度じっくり考えてみるのも面白いですね。

ある時期に、私も「本質とは何か」を考える事を怠り、道を間違えそうになりました。
(正確には、自分のゴールを変えようとしました)

ですが、「教師」という道(ゴール)から外れる事なく、なんとかやって来れた様に思います。

教え子たちが持ってくれている私のイメージ「心が強い」ですが、実はそんなに強い訳ではありません。

ただ、「勉強が出来る様になりたい」や「もっと知りたい」と真剣に求め、頼って来てくれる学生、生徒、児童たちがいてくれるからこそ、その想いに対して1人ひとり、きちんと答えたいと思い行動を続けてきました。だからこそ、ここまで心が折れずに来れたのだと思っています。

幸いな事に、今は「大学」という場所に特化する事が出来ていますし、外国人の私を頼ってやって来てくれる学生達がいてくれる事が何より嬉しいですし、有難い事です。

そんな学生や仲間の為にも、「本質」を見失わない様に頑張るのみです。

そこさえ見失わなければ、教育の場でくらい「キレイ事」があってもいいでしょ??

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