晴れ「1行の成功法則」竹村健一著より。音譜

実に短くて、なんともインパクトのある言葉だ。このフレーズを残したのは、ロケット博士で有名だった糸川英夫氏だった。

学ぶの英語には、確かにこの二つがある。しかし、あまり厳密に考えたこともなかった。learnは先人が考えた知恵や学績を学ぶことだった。それに対して、studyは、自分の頭で考えて学ぶことを意味していた。

シンプルだが、わかりやすい。大事なのは、後者で、そこには楽しさもあり、役に立つものだった。確かに自分の頭で考え、創意工夫したものは、身につくものだ。

すでに他人が言っていることを覚えても、面白くもない。studyは行動することが大事で、そうすることで、何かかしらが見えてくるようだ。その行動には工夫が伴っていることが必要なのだろうな。
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くもり「1行の成功法則」竹村健一著より。!?

もう、これ自体がこの部分のタイトルで、法則でもあった。ついつい、何かをしたくでも、できない状態の時は、「できない理由」を考えてしまう。忙しい、お金が足りない、などはそうだ。

竹村氏は自身の経験から、これで納得してしまっていたら、自分のプラスにはならいと指摘していた。むしろ、大事なのは「できる理屈」だったのだ。

どうしたら、できるようになるかをいろいろと考えることだった。「できない」と思ったとき、悲観するよりも、無理にでも「できる理屈」を考え出そうとすれば、視界もひらけてくるようだ。

さらに、理屈をひねっているうちに、ユニークな思考法も身についてくるともいう。いま、やりたくても「できない」と思っていることって、どれくらいあるだろうか・・・
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くもり「1行の成功法則」竹村健一著より。シラー

まずはじめに竹村氏自身のことが述べられていた。氏は若い頃から、腰の落ち着かない性格で、仕事でもいろいろ挑戦しては、中途半端で終わったことも多いと振り返っていた。

しかし、性格はそうそう簡単に変えられるものではない。逆にいろいろなものに手を出したことで、見当がつくことも多くなったという。

長い目で見れば、いい面もあるようだ。そして、何かにぶつかった時も、否定的に考えるのではなく、「何か解決の糸口はないか」と踏みとどまって考えるべきだという。

そして、フレーズにあげたように、意識的に可能性を考えることで、変わりたい自分への道すじも見えてくるようだ。ここでの法則は「自分」は変えず、「考え方」を変える、だった。
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くもり「岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。ニコニコ

これは忘れがちなことでもあるが、なるほどと思える。数百年もまえの歴史的建造物や創作物はその時には、どこにも見当たらない新鮮なものだったに違いない。

しかし、現在からみれば、すべては古典になってしまう。太郎が残した言葉には「法隆寺は焼けてけっこう」というのがある。失ったらもっとすぐれたものを作ればいいのだとも考えていた。

単に古いというだけで、守るべき伝統と考えるのはおかしかった。当時は、価値があったものでも、今も文化的・芸術的に生きて躍動しているわけではなかった。

太郎にとって常に大事なのは、過去でも未来でもなく、この瞬間瞬間に生きることだったのだ。形式よりも生命力こそに重きを置いていたようだ。
晴れ「岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。恋の矢

太郎は伝統主義との対決をしていた。それは、誰か偉い人がそう言ったからと言って、そのまま信じていることの愚かさでもあった。

一見典型的な日本のように言われている京都も、かつてはそうだったかもしれないが、いま残っているのは、恰好だけという。そう言われてみれば、それは現実の日本ではなかった。

奈良にしても、大陸文化そのものだった。古代の中国や朝鮮からの直輸入で、日本ではないと考えていた。つまり、太郎は、誰もが当然だとか、常識と考えていることを鵜呑みにすることはしていなったのだ。もっと本質的なものを追求していたのだろう。

大事なのは、まわりの評価ではなく、己の価値観だけを信じて前に進むことだった。これも、一平・かの子譲りの人生観だったようだ。
くもり「岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。!?

別のページにも似たような表現があった。「芸術は技巧や形式ではなく、自分が自分自身になるための手段だ」と。

岡本太郎にとって、単に絵画や工芸や何らかの制作物があるからといって、それは芸術とイコールではなかったのだ。

太郎の両親も世間一般の常識からかなり外れた生き方をしていたので、そんな影響も大きかったことはうかがえる。

そして、親から受け継いだのは、他者の目を気にせず、自らの美意識だけを頼りに生きるという、人生観だった。つまり生活が芸術であるということだったようだ。

太郎にとって作品制作は手段であって、目的ではなかった。それは、自らの思想を込めて社会に送り出すキャリアー(搬送台車)のようなものだったと筆者は語っている。これはわかりやすいたとえだ。

絵画、彫刻、執筆、テレビ出演も仕事としてやっているわけではなかったようだ。本職は何かと聞かれたときに、どうしても本職って言うんなら「人間」だと答えたらしい。これも彼らしい信念の現れだろう。
晴れ「なぜあの人には、センスがあるのか。」中谷彰宏著より。ブタネコ

まさにその通りだろうと思える。いっぱいいっぱいの人には、センスなど考える余裕はないものだ。

とくにユーモアのセンスは、かなり余裕がないと出てこないだろう。笑えるのは自分も相手もそこそこ気持ちにゆとりがある時だ。

筆者は面白いことを提案していた。それは辛かったその日のことを日記に書くなら、3日後に書くといいという。それは3日も経てば、いいことが起こったようにも思えるからだった。

数日経てば、ものごとも客観的に見られるようになって、いい経験になったと思えてくるというが、それは当たっている。

苦しかったことも、思い出となれば、まるでいいことだったかのように思えるから不思議なものだ。過ぎ去ったことは、美しく見えたりするものかな。
晴れ「なぜあの人には、センスがあるのか。」中谷彰宏著より。ニコニコ

単に笑顔であればいいというものでもなかった。それが“いい笑顔”かどうかが問題だったのだ。今までそんなことは考えたこともなかった。

中にはつまらない笑顔もあったかもしれない。人によっては冷たい笑顔もあるようだ。誰にでも同じような笑顔というのもつまらない。

笑顔のバリエーションが持てるようになれば、いい笑顔になるようだ。それが持てなければ、笑顔という無表情だともいう。おもしろい表現だ。

ここでのアドバイスは“ただの笑顔ではなく、いい笑顔ができるようになろう”だった。これもかなり意識して練習しないといけないな。
晴れ「なぜあの人には、センスがあるのか。」中谷彰宏著より。音譜

「どうせ」ということは、手抜きにつながっていくようだ。なんだか面倒なことに使ったりもする。いろいろなことを省略してしまうときに使っている。

「どうせなら」は逆にエネルギーが必要なことだった。たとえば、「どうせここまで来たのなら」ついでにここにも行ってみようというふうになればいいようだ。

何かを作る際にも、「どうせなら、もっと人が喜びそうなものにしよう」などと考えられれば前向きな証拠だろう。日常生活では「どうせ」のほうがほとんどかもしれない。

センスを上げるには「どうせ」を「どうせなら」に変えるといいようだ。そういえば、過去には、どうせ書くなら、自分だけのオリジナル一筆箋を作ってみようと試みたこともあったな。今でも使っているが。
晴れ「なぜあの人には、センスがあるのか。」中谷彰宏著より。ラブラブ

ここでの日常生活とは、普通に学校に行ったり、仕事をしたりしている平日のことをさしていた。リゾート施設や旅行に行けば楽しいのは当たり前だが、それだけではつまらない。

むしろ、特別なところに行かなくても楽しめることが大事だということだろう。それにはセンスがなければならない。非日常的なものだけで楽しく過ごすのは誰でもできることだろう。

むしろもっと身近にあるもので、小さいものでも、面白いものやオシャレなもの、カッコいいもの、感動できるものにいかに気づけるかというセンサーが大事なようだ。

イベントをつくりだしていくというプロセスも楽しみたい。それも個性的なものであるほど楽しそうだ。ここでの結論は“日常生活の中に、興奮できるものを見つけよう”となっていた。

最近は、近所の植物を眺めては、デジカメで撮影しているが、実に知らない植物に出会うのが楽しいと感じている。また、その際、たまたま出会った人に植物の名前を教えてもらえることもある。そんな時はトクした気もするな。