雨「プレジデント」2012.9.17号より。グッド!

たまたまバックナンバーを眺めていたら、鈴木敏文氏が語っているフレーズが気になった次第。つまり、顧客の期待度は一定ではなく、どんどん増幅していくものだったのだ。

だから、従来100点満点で美味しいと感じていたおにぎりも、同じ味のままなら、売れ続けることはなくなってしまう。どんなに美味しいものでも飽きがくるものだ。

またよく売れたからと120点の商品を出してもそれはまた顧客にとっては慣れてしまえば100点レベルなのだろう。だからセブンイレブンでは、顧客が気がつかなくても商品を常に変化させているという。

売れ続けるためには、より高いレベルに常にバージョンアップしているということなのだろう。売れなくなる原因は同じレベルのものを出し続けているということのようだ。

サービスも同様なものと思われる。従来と同質のサービスをくり返していたところで、いい接客だとは思われない。顧客にとっては当たり前のことになってしまうからだ。他にはないサービスをいかに作り出していくかが勝負の一つとも考えられそうだな。
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くもり『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。あし

これは、“知的な会話のエッセンス”と題した個所で目にしたフレーズだった。なかなか知的な会話などしたことはない。というより、できそうもない。

普段から、あまり知識を仕入れていないからだ。一度本で読んだぐらいでは、すっかり忘れてしまい思い出せない。かなり興味深いことを研究でもしていれば別だろうが。

まあ、世の中には、かなり専門的なことをしゃべれる人も多くいることは確かだ。そんな人たちは、普段から幅広く知識を仕入れているのだろう。

また知っていることをわかりやすく、面白く伝えることはそう簡単ではない。それがうまいと思えるのはジャーナリストの池上彰さんだろう。だからこそ、テレビでは引っ張りだこ状態のようだ。ついでながら、先日3年連続で「理想の上司」に選ばれていたのもすごい。

話がまたそれてしまったが、人と語れる人になることについて、板坂氏は次のように提案していた。まず、人も自分も面白がれる話を、常時数十個メモして、用意しておくことだった。そして、即座にそれらを取り出せればいいのだ。でもはたしてそこまでやる人がどれほどいるか・・・
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くもり『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。ニコニコ

便箋や封筒自体を使う頻度は、ほとんどなくなりつつあるのではないだろうか。簡単なことならもっぱら、メールに頼ることが多そうだ。

しかし、もし自己表現をしたいと思ったり、少しでも人に印象づけを望む場合は、メールよりアナログの手紙のほうがベターだろう。

DMの場合、宛名はほとんどが機械で印刷された文字によるものばかりだ。大量に送るわけだから、それが当然だろう。そこで、もし仕事でもアピールしたければ、また他との差別化を図るなら、手書きはいい方法だと思われる。

そこで、封筒や便箋までもオリジナルなものなら、より一層効果的ではないだろうか。個人的なことになるが、かつて長年営業の部署にいたときには、オリジナル便箋をパソコンで作って手書き文字で送付していたことを思い出す。

その方が、覚えておいてくれる確率は、たんなるDMよりはるかに高いことを実感したものだった。内容うんぬんより前に、自分らしさがある用紙を使うのも、おもしろいものだ。
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くもり『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。シラー

これは、第4章“知的でダンディな装いとふるまいへのヒント”と題して書かれている部分にあった。そこには、身だしなみやエチケットは教養、見る人にはわかるもの、と述べられていた。

年をとるにしたがって、ついついどうでもいいや、と思いがちになってしまうが、それは老化現象だと言われるとやはり、ショックでもある。

別におしゃれに関心などないが、着飾るというより、自分なりのスタイルを持っていることは必要だと思われる。流行などは若ものに任せておけばいいのだろう。

まあ、人から見て、そこそこ恥ずかしくない恰好でいられればいいのだろう。とはいってもそう簡単でもなさそうだ。たとえば、靴はそれなりのものを履いているかといえば、ノーだった。

この章の中にもお洒落は靴で締めくくるとあったが、やはりかかとまでは注意が行きとどかない。あまり神経質になりすぎても、しょうがないだろうが。
くもり『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。チューリップピンク

仕事がうまくいくかどうかは、かなり信頼関係が重要なポイントになっている。話が通じやすいというのも、普段からのコミュニケションがよくできていればこそだろう。

営業の現場でも、やはり人間関係ができていなければ、それなりの成果は上げられないものだ。また信頼関係は、短期間に築くのは無理だ。やはり数年かかるのがふつうだろう。

日々の地道なコミュニケーションの成果が、営業の成績にもつながると思える。いかに相手を感動させることができるかを常に念頭に置きたいものだ。

ほんの数年のうちに担当者がころころ変わるようだと、信頼関係も築きにくいだろう。担当者とお客さんが慣れたころに変わってしまうものは、裏切りのようでもある。

できれば、とことんそのお客さんと付き合っていければ、ベストななのだろうが。いつでも誰でもいいような仕事をしていては、深い人間関係はできないものだ。“あなただから買う”と言われたとき、個人はブランドになるのではないだろうか。
くもり『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。桜

私は自分がせっかちなせいか、相手がのろのろ、だらだらしたりして、反応が遅いとイライラしてしまうことが多い。確かに、何でもスローモーな人はいるものだ。むしろある意味自分はあわて者かもしれないが。

しかし、反応が早い人に出会うと、頭がいいと感じることがある。適切な対応はまたうれしいものだ。お店などに行ったときに、問い合わせると、すぐにその場で対応してくれると気持ちがいい。

日々の仕事でも、スピーディーな人ほど仕事ができるのではないだろうか。スピードがあるということは、同じ時間を使っていても、より多くの処理ができるということにもつながる。

また同時に、余裕もできるので、仕事内容もよくなるとも思える。たとえば、学生時代のテストを思い出してみても同じようなことがいえる。

効率よく解答するために早めに得意な部分から解答していき、あまった時間があれば、見直すこともできる。いい印象を与えるためにも、普段の行動でも、できるだけフットワークよくしていたいもの。
くもり『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。音譜

これは第2章の“人生に彩りと粋を加えるヒント”というところで、「愉しみは無用の用」と題して書かれていた部分にあったワンフレーズだった。

別にオタクではなくても、何か自分がお気に入りのものを集めるのは愉しいものだ。人から見れば、何でそんなものを集めているのか、と思われるようなありふれたものでも、あるテーマを持って集めるのは興味深い。

まあ、コレクションできるものを見つけられた人はそれだけでも人生を楽しんでいるといえそうだ。しかし、ほとんどの人は自分が興味あることを見つけられないのではないだろうか。

車のブレーキやハンドルにも遊びがある。だからこそ車が扱いやすくなっている。同じように一見ムダだと思えるモノ集めもそれがあるからこそ、人生をより楽しめるとも言えそうだ。
くもり『板坂元の「知的生活」事典』板坂元著より。電車

筆者はそれが、その人の幸福度を測る物差しになるのだ、と確信していた。ふだんこれは忘れがちなことだが、身近に使いやすい文房具があるだけでも、快適さを感じることはある。

逆にパソコンにしても、使いづらいとスイッチを入れて開くのが億劫にもなりそうだ。いくら高度な機能が搭載されていても、それを快適に使いこなせなければ意味がない。

実際普段使っているパソコンでも、機械が持っている能力のうち、使っていない機能のほうがほとんどだと思われる。それなのに、ケータイでもパソコンでもどんどんバージョンアップしてしまうのには、やや腹が立つ。

話がそれてしまったが、自分の場合モノへのこだわりのうち、一番は筆記具かもしれない。やはりなめらかに書けるゲル状インキのボールペンが使い易いので、年に数回はまとめて買いをしている。

また、しばしば一筆箋を使うこともあるが、それも市販のものにはお気に入りがないため、自分で作ったものを使用している。季節ごとにイラストを変えられるので楽しめる。しかも、市販のものに比べて格段に安くつくから、どんどん消費できるのも気分がいい理由でもある。
くもり「人生はオーディションの連続だ」中谷彰宏著より。温泉

どんなことでも、すべてうまくいくわけではない。むしろ思い通りにいかないことのほうがほとんどではないだろうか。チャレンジ自体を楽しむという考え方もありのようだ。

そうすれば、落ちても次へのチャレンジへと心が向うからだ。失敗が嫌だからと、成功するものだけをやっていても、面白味は少ないものだ。

私にも結果的に落ちたけど面白かったと思えたことがあった。それはもう40年以上前の大学受験だった。仕事上で長年お世話になっている女性の弁護士さん(私と同い年)がいる。

先日その方と話していたら、A大学卒だと聞いて意外なことに驚いた。実はその大学の学部は私も受験して補欠になっていたのだ。そんな偶然にも驚いた次第。結局私は別のB大に入ったが、私たちは40年以上前の同じ日に受験していたのだった。意外な偶然に気づくと、その場が盛り上がる。

彼女は卒業後、出版社に勤めていて、その後30歳の時司法試験にチャレンジして、2回目で合格したというからすごい能力だと驚いた。ここでのフレーズとはややずれたが、思い出したことを書いてみた次第。
晴れ「人生はオーディションの連続だ」中谷彰宏著より。音譜

すでにプロとして活躍している役者やダンサーでも、自分が出演したい舞台や映画にはオーディションを受けねばならないことも多い。

登場できる役は限られるから、受かる人のほうが少ないのは当然だ。落ちてもたまたまその時の企画には合っていなかったというだけのことなのだろう。

演技がいくらうまくても、その役(キャラクター)のイメージに合うかどうかが合否を左右しているのだった。そのオーディションに落ちても、そこで自分をどれだけアピールできるか、印象づけられるかが、次の仕事には大事なことだった。

むしろ通ることより、覚えてもらえるかに念頭を置くことが、大きな成功につながっているようだ。その時にいくら頑張っても監督のイメージに合わなければ通らないのだから。

しかし審査員に印象づけられれば、次の仕事の時に思い出してもらえるかもしれない。落とした人は審査員の財産だともいうが、そういう考え方もあるのだと気づかされた。