晴れ「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。男の子

まず、神田と平が出会った時、神田はコンサルタントの先生で、平はその生徒という立場だった。お互いに学ぶことができ成長できたと振り返っている。その後よきライバルとして成長できる関係になったというからすごい。

平が独立する前に神田が彼にアドバイスしたのが、上記フレーズの言葉だったのだ。その理由は、そのほうがやりたいことがより明快になるからだった。

ところが、住宅業界の仕事をしているにもかかわらず、平のやりたくないことは、住宅営業だったのだ。それはイヤなお客さんに頭を下げるのが嫌いだったからだった。

中には値切るだけ値切って、最後にはクレームをつけて怒りだすようなお客さんがいることを経験してきたからだった。

しかし、家をつくったり、お客さんの喜ぶ顔を見るのは大好きだった。そこで、イヤなお客さんは断って、お願いするような営業はしないで済むようにすればいいと考えたのだ。

そして、そんな画期的な工務店をつくることにしたのだ。こんな非常識な発想で始めた会社は地元でナンバーワンの工務店となったという。当たり前の発想ではとても成長は望めないのだろう。
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晴れ「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。ヒマワリ

これはなんとなくわかることだ。人に使われて仕事をしていれば誰にでも不満はあるだろうが、これを無理に抑え込む必要はないようだ。怒りを封印することにエネルギーを使うよりむしろ、そのエネルギーをどこに向けるかにエネルギーを使ったほうが賢かった。

たとえまじめに仕事をしていても、理不尽なことで怒りを感じることもあるものだ。実際、筆者が独立起業を果たしている人十数人に話を聞いてみると、「当時働いていた会社への不満、自分自身への怒りが独立へのエネルギーになった」と語ったそうだ。

せっかくエネルギーがわいたなら、いい方向に使うべきだろう。そのことで、ある意味充実した時間を過ごせるとも言えそうだ。しかし、ここで筆者は、怒りのエネルギーはいつまでも利用してはならないともアドバイスする。

作家の森村誠一氏も怨念のエネルギーを作家としての成功にうまく利用した人のように思える。森村氏自身もいろいろなエッセイなどで、サラリーマン時代に自分らしい仕事ができなかった思いから、その怒りのエネルギーを書くことにぶつけたと語っていたのを思いだす。
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晴れ「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。ロボット

まずは、この本の背表紙の著者の部分で、神田氏はMBA役人崩れからカリスマコンサルタントへ、平氏は高卒現場監督から住宅業界の風雲児へ、とあった。本を読むと失敗を乗り越えて成功した経験も語られている。

実際会社から裏切られたり、リストラされたりしたときは辛かった時期もあり、自信を失っていたとも語っている。しかし、そこから逆襲に転じて成功をものにしていたのだ。

成功はコンプレックスがばねになって得られるともいう。ある意味障害はマイナスではないとも考えていたのだ。障害を成功に変えるためには鍵があったのだ。それは今までの経験に市場価値を見出す技術、自分を売る技術が必要らしい。

これは、タイトルにあげたように、仕事の成果をしっかりと伝えなければ、その価値は伝わらないということでもあった。アイデアも、文字や図面にして表現しなければ、正しい評価を得られないとも考えられる。やはり消えてしまうような言葉では弱いのだろうな。

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晴れ「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。あせる

これはちょっと気になるというより、実に共感するフレーズでもあった。というのも私自身がそれをしばしばやっていたからだった。

いずれにしても、現場のことをよくわかっていない上のものが勝手につくるきまりや、方針に従えという場合、実にやりにくかったりするものだ。

結局それでは成果が出しにくいということもしばしばだ。そこで、別にダメといわれていなければ、勝手に解釈して思い通りにやっていたものだった。そのほうが、仕事も楽しく成果も上がっていた。

たとえば、既成のパンフレットよりも自分が作り上げたチラシのほうがインパクトがあると思えば、それを作ること自体も楽しめる。とくに、自分流にビジュアルを重視して作り直したものだった。

仕事にやりがいを感じたいと思えば、やはり決まりきった業務をそれなりにこなしているだけでは不十分だろう。そこに何らかの自分なりの味付けがあってこそ仕事も少しは楽しめるはず。
晴れ「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。ヒマワリ

ここでのタイトルは“人生のエンターティナーになる”だった。すべての人がエンターティナーという考え方だった。しばしば、テレビで大阪の人と東京の人のリアクションの違いを実験している。

たとえば、商店街で通りすがりの人に向けて指で「バアーン!」と撃つ真似をすると、かなりの確率で大阪の人はその場で「ウワー」といいながら撃たれてよろめくアクションをしていた。

それに引き換え東京の通行人はそっけない様子で通り過ぎてしまう人たちの方がほとんどだった。こんなことからも大阪の人はノリがいいことがうかがえる。

一般の人もアドリブができるってすごいことだとも思える。大阪はかなり多くの人がエンターティナーなのだろう。やっている方も見ている方も楽しい。誰でもがちょっとした芸人にも思える。

ふつうネタといえば、すぐに芸人のことを連想してしまう。確かに売れている芸人はしっかりとネタ帳をつくている。しかし、実際に人前でウケるのはそのごく一部に違いない。

おなじネタはそう何度も使えない。そのため常に新しいネタをストックしておかねばならない。芸人に限らず人を楽しませるためにはネタが必要だ。つまり努力しなければエンターティナーではいられないということだとわかる。

ふつうの人にとってはお笑いである必要はない。たとえば、今日こんな恥ずかしい思いをしてしまった、というようなことは共感を得られるはず。逆に自慢話は嫌われるだろう。
晴れ「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。フグ

もうここまでくると、「御用聞き」という言葉からはかなりかけ離れた内容になってしまいそうだ。しかし、東京にある老舗のバッグメーカーと筆者は書いているが、その内容から「吉田カバン」のことだとすぐにわかる。

確かにいろいろなものは中国製のものは安い。だから新しいバッグを作ってもすぐに類似品が出回ってしまう。そこで三代目社長は「中国でまねができないバッグを作ろう」と立ちあがった。

新しい技術を開発し、細部にこだわって中国にはまねのできない高品質の商品を生み出していた。つまりこだわり商品の背景にある物語が、情報発信の重要な材料でもあったのだ。

するとその製品はファッション誌をはじめ多くの雑誌で取り上げられた。かつてテレビ番組で流行った「トリビアの泉」的物語がメディアをひきつけたというわけだった。

やはり「へえ~」というちょっとした驚きや感動があれば、それが口コミとなって広がっていくのだろう。それはほかではまねのできない細部へのこだわりがいくつもあるからこそ可能だったのだ。
晴れ「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。えっ

オリンピックをはじめスポーツでの感動はわかりやすい。またモノ作りの世界でも同じようなことがいえるのだった。今ではインターネットで、素晴らしいモノ作りはすぐに世界に発信することができる。

それが世界的なものであるほど、反響は大きいものとなる。たとえば、実際にはどうい用途で使われるかわからないようなものでも、それを見た人が価値があると認めれば、その価値は貴重なものとなる。

ある意味、見せ球が、決め球を連れてくるということもいえる。それはたとえ、国内では認められなくとも、海外で認められて、新たに行内で市場が広まっていくこともありえる。

その例として、愛知のプラスチックメーカーが国際見本市に世界最小の歯車(肉眼では粉にしか見えない)を出展したところその技術が注目され多くの人に感動を与えたのだった。

その会社の可能性を認める大企業も多くあったのだ。その国際見本市から半年で全世界にその知名度は広がったという。限界に挑戦したからこそ生まれた感動だったのだろう。
晴れ「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。ブーケ2

筆者が全国の中小企業を訪問していると、情報を発信することで意外なニーズがあることがわかり会社が大きく変わっていた例があった。それはあるメッキ会社だった。

その会社は、それまで技術がまだ確立していなかったチタンメッキの新技術開発に成功していた。ところが大企業に行っても相手にしてもらえなかったのだ。

そこで、二代目社長がやったことは、1、英語で技術情報をホームページに紹介した。2、するとシンガポールから連絡が入った。3、そこでは遺伝子解析用の新しいチップを作るために要素技術を探していた。4、メッキの用途情報が向こうからやってきた。という流れになったのだ。

このように、発信した情報に価値があれば、さまざまな情報が引き寄せられるようにやってくるという例だった。意外にもメッキの技術が医療分野ににも生かせたのだ。結局この会社は、中小企業ではなく「ベンチャー企業」になったのだ。
晴れ「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。チョキ

名産品の取り寄せや地域限定商品の人気は高い。ということは地方にもチャンスはたくさんあるということでもあった。地域ならではの売り物があれば、それは大きな強みにもなる可能性がある。

ここでのタイトルは「地域が元気になるおばあちゃんビジネス」となっていた。つまり「おばあちゃん」が強みだったのだ。高齢化した農村が増えているが、長野県の白馬村の隣の小さな村にその会社はあった。そこでは高齢者が働き手で「おやき」という焼き饅頭を作っていた。

このお袋の味として伝わる料理はお年寄りが作る料理としてはちょうどよかったのだ。長年培った智恵と技術がいかせることは価値がある。つまり「おやき」のセールスポイントまたは付加価値は「おばあちゃん」だったのだ。

この「おやき」ビジネスの1年目の売上げは、1億5千万円で、18年後にはそれがなんと7億円にまでなっていた。そこにしかないものが、ビジネスチャンスを生み出していることがわかる。
くもり「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。ブタネコ

これは「理屈」というより、むしろ「感覚」や「動機」のようなものらしい。はっきり言葉に出せないが「なんだか、いいかも・・・」というようなものがあれば、」それが「付加価値」と呼んでもいいのではないかと筆者は語っている。

商品やサービスに「付加価値」がついて初めて人に振り向いてもらえるものも多い。ここに一つの実例があった。それは今治のタオルメーカーだった。今では中国に生産を奪われつつある商品だ。

そこであるメーカーの社長は、「中国に生産を奪われないタオルを作ろう」と決意したのだった。たんに水分をふき取るだけでなく、肌ざわりや安全性にこだわった製品作りだった。つまり「人にも地球にも優しいタオル」というのがコンセプトだった。

しかし、そんなタオルを実現するためには機械から改造しなければならなかった。いろいろな工程は専門化されていたので、容易ではなかった。新しいタオルを作るには複数の企業間の協力体制が必要だった。

結果的に出来上がった製品は価格が高くて日本では受け入れられなかったが、アメリカでは高い評価を受けることができ、それが逆に日本でも受け入れられることともなったのだ。やはり強い決意と行動力のたまものだったのだろう。