曇「言葉の“頭の体操”」秋庭道博著より。ジョリーレターOK

ここでのタイトルは“なぜ人は会ってくれるのか?”となっていた。つまり、初対面の場合、まず名刺交換がスタートとなる場合が多いからだった。

しばしば名刺で仕事をするなというようなことがいわれるが、それは名刺がなくても仕事ができるほどの実力をつけろという意味だった。

むしろ初対面で、自分はどこどこのこういうものだといっても、すぐに信用してもらうのは難しい。まあ、知名度もないよりあったほうが有利だとは思えるが。

いくら実力のある先輩だって、始めのうちは名刺を出して仕事をしていたはず。また、会社、組織に所属しているからこそ、信用してもらえ、仕事もできているのだ。

自分の実力などたかがしれたものだろう。だからこそ、使えるならどんどん名刺や肩書きを使って信用してもらい、実績をあげればいいだけのことだった。

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雨「言葉の“頭の体操”」秋庭道博著より。ラブリー車新幹線

頭の体操とはいってもクイズではなかった。自己啓発的な言葉が多いコラムのようなものだった。ものはちょっとした考え方次第で結果もかなり変わってくる。

ここでは、一つの例として入社試験の論文について述べてあった。ある学生は論文に漫画について書いたという。それも人とは異なるテーマだと思ったからだった。

受験生は同じようなレベルの人が集まってくるから、人と異なることを書かねば意味がないと考えたのだった。そして数十倍の難関をくぐってパスをしたという。

どんなことも努力次第で、誰でもそこそこのレベルまでは上達するではろうが、その先にはなかなか到達できない。ならば、異なるやり方、道を選ぶというのもありなのだ。

仕事にも応用したいもの。結局何をどうやったら人と競合しない道なのかを考えることが、ある意味頭の体操になるということでもあるのかな。
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雨「もらった名刺は全部捨てろ!」内藤 誼人著より。ノーティー最低コメント

もちろん、これは学歴にはまったく関係がないことだろう。まず、語彙の量の前に、言葉づかいの問題もある。よく若い人が「マジ?」や「すごいっすね」などの言葉を連発しているのを耳にするが、大人の言葉としては浮いてしまう。

また、もうかなりの年齢に達した女性が「・・・でぇ~す」というように語尾を伸ばして返事をするのを耳にするが、これもいただけない。頭が悪そうな印象を受ける。これも自分ではいいと思っているのだろうが、悪いクセだ。

一概に難しい言葉を知ってるだけで、頭がいいとは限らないが、ちょっとした慣用句、四字熟語などがさりげなく会話の中に入っていると、スマートな感じがする。また大人として、ナメられないかもしれない。

語彙力を高めるのは、本を読みあさるのがいいらしいが、それを状況に合わせてきっちり使えるかどうかは練習次第だろう。筆者によれば、もし何かの意見を求められたら、「いいじゃないですか」よりも「非常に感銘を受けました。目からウロコとは、こういう状態をさすんでしょうね」と答えたほうがいいようだ。

また、何がどうよかったのかを自分の言葉でしっかり伝えられることもポイントに違いない。ただ漠然とした返答だけでは相手は納得しないだろう。だらだらと意見を述べるよりも、語彙が豊富であれば、要領よく数語でそれを表現できるはず。
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雨「もらった名刺は全部捨てろ!」内藤 誼人著より。ラブリーチョキOK

(前日のつつき)
感じがいいと思える人は、ものごとをポジティブに考える人の方だろう。経験的にも、常に批判的な意見ばかり言っている人には、同類の人が集まってくるようだ。

またそういう人とはあまり友達になりたくないものだ。逆にものごとを明るく考える人の周りには人が集まってくるのは当然だろう。比較的ユーモアを持ち合わせている人は、当然人気がある。

あまり否定的なことや皮肉ばかり言う人は、聞いていてもうんざりしてくる。もし食事をしていて、嫌いな野菜などがあれば、あえてそれを口にすることもないのだ。それはその人の勝手だろう。

むしろ、何が好みかを語ったほうが、話がはずむだはず。表現を「・・が嫌い」から「・・が好き」と置き換えるだけでよかったのだ。こんなこともコミュニケーションをうまく運ぶちょっとしたコツかも。

ビックリマーク「もらった名刺 は全部捨てろ!」内藤 誼人著より。くもり腕時計OK


ここでの小タイトル は“「好き」は口に出しても、「嫌い」は絶対口にするな”、となっていた。相手が語っている内容について、「NO」を突きつけてはいけないということだった。


人それぞれ価値判断は異なるから自分 の嫌いを人に押しつけてもあまり意味がない。それどころか、それを口にすることで相手には嫌な印象を与える可能性のほうが高い。


嫌いでも、それを口に出すことはないのだ。しばしば、話をしていると、あれは嫌いだとはっきりという人がいる。その人には、その気がなくても周囲の人から すれば、ややガッカリすることもあるだろう。


筆者は、基本的に口に出していいのは「好き・嫌い」のうち、「好き」の部分だけだという。これなら、いくら口に出しても周囲の人には悪い印象を与えないか らだった。

曇「もらった名刺は全部捨てろ!」内藤 誼人著より。ジョリー汗時計

この本のタイトルからして、やや刺激的で面白いと感じて手にとってしまった。外資系の会社では初めからそんなに厳しいとは知らなかった。後輩はライバルだという考え方があるらしい。だから、自分の仕事のやり方を教えて実力をつけさせてしまうと自分を脅かす存在になるからだった。

とはいっても、その先輩の方法がベストだとはいえないだろうが。たかだか数年前に入社したからといって、いきなり素晴らしい仕事の技術を身につけているとは限らないからだ。また超ベテランの先輩なら、そうそう簡単に新人がライバルに追いつけるとは思えない。

日本の会社なら、かなり丁寧に先輩は後輩に仕事の指導をすることもある。私も職場で何度も新人や後から異動してきた後輩の指導をやらされたことはある。自分にとってもいい経験だった。とはいっても、自分のやり方がその人にあっているとは限らないが。

まあ、仕事は先輩から盗んで覚えていくという心構えのほうが正解だろう。そういえば、数週間前に、娘が仕事がうまくいかないのでやり方を教えて欲しいと言ってきた。その時は、やっている仕事も職場も別ではあるが、できる限り具体的に教えると、納得していたようだ。

自分で編み出したワザやノウハウは、そうそう他人には語れないものだが、子どもともなれば別だ。はじめはどうしていいかわからなかった様子の娘も、目が輝きだしてやる気になっていたな。うまくいくといいが・・・

晴れ「喪失」森村誠一著より。ビー携帯びっくり2

これもこの本の中の一つ「地球から逃げた猫」という短編からのものだったが、たまたまケータイについて触れられていた。何となく頷ける言葉だ。

主人公の刑事も当然ながら携帯をもっている。オフのときはよく散歩するらしい。しかもどこに行くときも携帯は絶対に忘れなかった。つまり紐付きのオフだという。

きっと多くの人が同じようなものだろう。しかも、自分では紐付きという意識さえないのかもしれない。むしろ自分から紐を付けているのだろう。私も同じだが。

ここには「すべての人間が携帯を“携帯”しているので、みななんらかの紐付きといえよう」、「武士が刀を忘れないように、携帯は彼の体の一部になっている」などとも書かれていた。

だから、むしろ携帯を所持していないと「山間離島にでも隔離されたように不安になってしまう。」これを携帯シンドロームと呼んでいたのだ。心理的な問題だろうが。

最近ではむしろこの中にかなり多くの個人通信、交友情報が含まれているのがさらに一層シンドローム化しているのではないだろうか。相撲の八百長問題もこのケータイから多くの情報が証拠として読みとられていたし・・・。
雨「喪失」森村誠一著より。ストロール携帯ポスト

この本は六つの話が掲載されていて、「準犯人の愛」という短編からのフレーズだった。主人公にとっての便利さとはケータイのことだった。

主人公のKは携帯の奴隷にはなりたくないと抵抗していたものの、時代の波には逆らえなくなってしまい持つようになっていた。しかもさまざまな機能があってさらに便利だ。

すると、たちまちその便利さに飲み込まれ、逆に携帯なくしては過ごせなくなってしまったのだ。これは自分たちも同じようなものだろう。一度持ち始めると逆に身につけていないと不安になってしまう。

しかも、Kは一機では足りなくなり、プライベート用、社用、家庭用と3台を使い分けるようになってしまったのだ。彼の周囲にはそんな人はいなかった。2台程度ならざらにいるだろうが。

そういえば便利さといえば、シャワートイレ(ウォシュレットなど)も、快適で一度家庭で使い始めるともう、その便利さ快適さにはすっかりなれてしまう。外出先でそれがないとガッカリするくらいだ。

雨「朝日新聞」土曜版2011.5.14付けより。曇コムバラ

(前日のつづき)
川に入って魚をとろうとするときの注意事項だった。魚釣りではあまり関係ないだろうが、実際に網をもって川に入るときは、靴をはいていたほうがいいようだ。そういえば、子どもの頃、裸足で川に入ってケガをしたこともあった。


そして、この記事の下には「これがあれば・・・」ということで、何と!“水陸両用のシューズ”の紹介があったのだ。こんなものは、今までまったく知らなかった。やはり気にしていないと、そんなものには気がつかないもの。


これは水遊びで岩や石ころが多い川で遊ぶ時には、滑りにくくなっている。当然海辺でも便利なはず。普通の靴と違って、水辺から出ると靴の水がスムーズに出ていくという。ゾウリに比べて水のなかでも動きやすそうだ。

オヤジの私が実際にこれを使う機会は今のところ考えられないが、こんな便利なものがあることを知っただけでも楽しい。きっと川遊びもいろいろな道具があればそれなりに面白さはましてくる。安全でこそより楽しめるかな。

野遊び、魚とりなどは子どもばかりでなく、当然ながら大人だって楽しい。レジャー感覚で身近な自然を散歩しながら楽しみたいもの。これからがちょうどそのいい季節かもしれない。

晴れ「朝日新聞」土曜版2011.5.14付けより。雨驚きつり

これは「野遊び大全」という記事のなかで作家の阿部夏丸さんが語っていたことだった。阿部さんは、ある日車で通りかかった橋の上で、小学生が川の中の魚を「捕まえたい」と騒いでいるのに出くわした。

そこで、さっそく車に積んであったタモ(魚捕獲用の網)を取り出して、使い方を知らない子どもたちに指導してやった。すると、子どもがやっても何も捕れなかったが、何種類もの魚が捕れたのだ。

子どもたちも要領がわかると捕れ始める。これはかなり興奮して楽しいことだろう。そして、知らない生物が捕れるとその名前を図鑑で調べたくもなる。つまりそれが学習につながるというわけだった。

遊んでいるうちに、魚やいろいろな生物の生態を無意識のうちに理解していくようだ。自然はいろいろなことを教えてくれる。身近にこんな自然があるのは、実はかなり贅沢なのかもしれないな。