雨「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。ウインクワイン家

つまりこれは、自分のブランドを作ろうとして、お金に頼るのはあまり意味がないことだと言っているわけだ。むしろお金に頼らず工夫することで自分ブランドができるようだ。

ものごとは仕込みが重要だったのだ。世界に一つの手作りをすることがポイントでもあった。たとえば100円ショップで買ったスケッチブックに何かを書いて渡すことだけでも手作り感が出てくる。

そこには絵でも文章でも表現できる。どれだけ工夫、細工ができるかで自分ブランドをアピールできるのだろう。自分に何ができるかという発想が大事なようだ。

要するに買ってきたものをそのまま渡すのでは能がない。お金を使ってハードな部分に頼るのではなく、ソフトの部分でいかに差をつけるかが大事だったのだ。
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曇「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。退屈足アメリカ

これは100年、200年と続いているブランドは、やらないことのほうが多いという意味だった。たとえば、ディズニーランドは、やろうと思えばもっといろいろなことができるがやっていなかった。

そういえば、あれだけの力と人気キャラクターを持っていれば、プロ野球、Jリーグなどのプロスポーツも経営できそうだ。また様々なお菓子メーカーとして食品分野でもいけそうだ。

まだまだ出版、広告代理店、化粧品、貸衣装、芸能スクール、学校経営・・・。こんなことをあそこがやったら面白いだろう、儲かるはずと思っても手を広げないからこそ、ブランドが続いているのだろう。

役者さんも、歌って、踊れて、芝居もできる人で売れている人はいないという。そこそこできても、どれか一つだけ必死にやっている人にはかなわない。

つまりこれしかできないという人のほうが強いということになる。だからその人に依頼がくるということのようだ。できてもこれしかやらないことに集中するためには、勇気もいるようだが。
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晴れ「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。笑顔つり飛行機

つまり、忙しい時でもしていることで、自分のブランドがつくられていくということのようだ。本当に好きなことなら、忙しくでも何とか時間をやりくりするのだろう。それも忙しいの程度にもよるかもしれないが。

年末は何かとあわただしい。しかし、私は昨年12月に一年で一番映画を観た回数が多かった。たまたま観たいと思う映画が集中していたのだろうが。意外に時間もあったのかもしれない。

ヒマだから何かをやるのと、本当にワクワクししてやるのとでは大きく異なる。たとえば時間があるから映画でも観ようというのと、絶対あの作品だけは観ておきたいと思って時間を捻出するのは大違いだ。

楽しむためには、忙しくてもやはりやっておきたいこともあるもの。それをスピード感をもってやれればいいのだろう。理屈、理由で考えているうちはまだそれが本当に好きではないことかも。
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雷「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。困る10OK

中谷氏がある新人の流行作家に、ブランドを確立するための時間を聞かれた時に、10年と答えたと語っている。たとえば著作でもお笑いでも舞台でも新人賞や何かを受賞したとしても、それは一時のブームに過ぎない。

芸能界に限らず普通の仕事でも長年第一線で活躍できることは極めて少ない。いい時期は長続きしないものだ。しかし、中にはしっかりと自分のブランドを確立しているタレントもいる。

それは、生き方のスタイルが世間に受け入れられたということにも思える。あの人はああいう発言、行動でいいのだということなのだろう。しかもそれが周囲の人から見ても悪くないことに見えるのだ。

これに対して、急激にブランドを作ろうとする人は、急激に消えてしまうようだ。よく言われる一発屋だ。やはりブランドを確立しようと思えばじっくりとやるしかないのだろう。

それが10年という単位らしい。趣味にしても、気がついたら10年以上もやっていたというものは本物かもしれない。人がやっているからと自分も試しても、長続きしなければ、やはり本当に好きではないことかもしれないな。
曇「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。退屈野球ダッシュ

プロで生きていくためには、やはりなにか人とは異なる強みを持つべきなのかもしれない。たとえば、ここには、プロ野球現役時代の金森選手(当時西武)のことが引き合いに出されていた。

彼の名前を聞いただけで、デッドボールのことを思い出す人も多いだろう。確かに現役時代は、デッドボールの数が1位だった。それだけでもファンに覚えてもらえるからすごい。

剛速球を前にしてバッターボックスの前に立つのはプロの選手でも恐いはずだ。しかし、彼はそれでも逃げることはなかった。ケガもほかの選手より多かったに違いない。

プロの投手は、そうやすやすとストライクを投げてはくれない。ボールかストライクか微妙なところにコントロールできる投手がいい結果を残すのだろう。よく言われるクサイ球というやつだ。

バッターの立ち場からすれば、どんな方法たとえば、ヒットでなくても四球でも死球でも振り逃げでも塁にでなければ始まらない。金森選手は出塁するためには平気で、デッドボールを受けにいっていた。

たとえは異なるが、営業成績で常に上位にいる人もいるが、失敗あるいは大きく落ち込んである期間目標に未達成であっても、そのリカバリーがすごければ印象も強いものとなるのだろうな。

晴れ「人生を変える自分ブランド塾」中谷彰宏著より。ジロダイヤモンドバツ

人が何かにワクワクしていると話し方が興奮しているから、それが伝わってくることがある。約1週間前にもそんなことがあった。

ある女性(主婦)が伸縮可能なケータイストラップを広告チラシで見かけ、それがそれまで自分が探していたものだったと語っていた。そして飛んでその店に行って購入したと語ってくれたのだ。

しかも子どの分も含めて3つ購入したとそれらを袋から出して見せてくれたのだ。それを語っているときの目の表情が輝いていた。ワクワク感が伝わってきたのだ。

本当に欲しいものを手に入れた時には、やはり興奮するものだな。その人はいいもの、お気に入りを見つけることに敏感なようだ。それがその人自身のブランドのように思えた次第。

読んでいた部分のページには、「何もしないと、気がつかないうちに、無表情になっていきます」とあった。喜怒哀楽を忘れないようにしたい。ワクワクするものに出会いたい・・・


『通勤時間「超」活用術』久恒啓一著より。

意外に気がつかないところだが、確かにこれは真実だろう。仕事のできない人、魅力のない人に共通する特徴にギリギリ出勤、ダラダラ残業を挙げている。

これはどんな会社、組織でも言えることなのだろう。ある程度の余裕がなければ、いい仕事ができるはずがない。またそんな人には仕事など頼みたいとは思わない。

大事なのは仕事にかけた時間ではなく仕事の質のほうだった。また時間をかけたからといっていい仕事ができるとは限らない。

筆者は残業より早く出社して仕事をこなす“前業”をすすめている。始業時間までは限りがあるから、集中しなければならない。それがいい結果を生むという。

実績と自信を得ることができれば、自分のペースで仕事ができるはずだというが、それは同感だ。時間に追われている限り決していい仕事などできないな・・・
曇『通勤時間「超」活用術』久恒啓一著より。困るクール砂時計

この章の標題は“早起きは三割の得”とあった。またそのあとには“「朝の一時間」は「夜の三時間」に相当する”、ともある。

確かに夜は疲れ果ててしまい頭がまったく働かず、効率が悪いことが多い。久恒さんは早朝に起きて活動をすることで一日のリズムをつかんでいるようだ。

そんな体験から、一日のいいリズムは早起きがポイントのようだ。朝はだらだらしようと思えば切りがない。とくに休日は寝坊をしがちだが、時間がもったいないとも思える。

休日の夕方になるとゆううつになるのと、月曜(または休日)の翌日が楽しみだと言うのとでは大違いだ。そんな気持ちの違いは健康にも影響するもの。

筆者は時間に対して貧乏性でいることも必要だろうと考えている。つまり無駄にだらだらすれば、当然ながら時間はもったいないという考え方のようだ。

とはいってもたまにはぼけっとしたい時もあるが。要するにいいリズム、つまりメリハリを持って過ごせればいいのだろうな。
曇『通勤時間「超」活用術』久恒啓一著より。すっぱいバス時計

先月この本を読んで実に得るところが多かったので、娘にも一冊買い与えたが、ほとんど関心を示さない。とくに通勤時間は資源だというところがどうも理解できないようだ。

往復で疲れきってしまい本を読むどころではないらしい。だから通勤時間は短いほどいいと考えてしまうようだ。実に困ったものだ。

さて、三つの時間の内訳だが、それらは、朝の5~9時、昼の9~5時、夜の5~9時のことだった。どれも5と9という数字が分かりやすい。

昼の9~5時は仕事の時間になる。職種によって当然ながら前後はあるはず。また、夜の5~9時は仕事やつき合いがある。だから半自由時間ともいえる。

ということで、自分の意志で完全に自由に使える時間帯は、朝の5~9時になる。当然食事や通勤時間も含んでいる。実はこの時間を大切に使うことで人生が豊かになるというが、それは実感としてわかる。
曇『通勤時間「超」活用術』久恒啓一著より。ジロコメント日本

ここでのタイトルはちょっと意外だった。というのも、「通勤時間に“勉強”してはならない!」となっていたからだった。これはいったいどういうことかと気になった次第。

要するに自分の頭で考えることをしていないからだと言う。勉強というと、人が既にやってきたことを覚えたり、成功例の真似やアメリカの理論を日本に持ち込んだりが多かったからでもあった。

むしろ大切なのは、自分の頭で考えた「独自解」と呼べるようなものを作る力だと筆者は指摘している。それはしばしば自分の体験してきたことのなかにあるのだった。

効率を考えれば、人がうまくやった方法をたどればいいのだろうが、そこからはそれ以上の飛躍は望めないし、面白味もないのかもしれない。むしろ他社の成功が自社や自分に当てはまらないことの方がほとんではないだろうか。

久恒さんは、「図解」というどこにでもある手法をさらに分かりやすく広めたということで、自身大きく飛躍を果たしている。それも人真似ではなく、長年にわたって深く独自で研究してきた成果なのだろう。