曇「トップ・プロデューサーの仕事術」梶山寿子著より。うるうるグッドクール

これは、気鋭のアートディレクター・佐藤可士和さんについて語られていた中にあったフレーズ。佐藤さんは若いころ作品を説明するには言葉はいらないと考えていたようだ。作品がすべてを語ってくれると信じていたものの、実際周囲には理解してもらえなかったと述懐している。

そんなことから、佐藤さんは人にモノを伝えるのは大変なことだと気づいたのだった。社内で難しいものは当然ながら、クライアントの宣伝部、経営者たちのハードルを越えることは不可能に近かった。

なぜこのデザインにしたのかという制作意図を論理的に説明しようとしてもうまくいかなかったという。それが説明できるようになるまでには5年間訓練した後、ようやくスキルが上がったようだ。そして頭の中を整理するとすべてが明快に説明できるようになっていた。

結果的に伝えたいことが整理されると、作品にも説得力が加わったという。まずは、本質を捉えて言語化することができれば、年齢や立場などを超えて相手に理解してもらえる。これが意外なた近道だったようだ。その時の苦労が今の活躍につながっているのだろう。
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曇「他力」五木寛之著より。シャイダイヤモンド!?

これは映画のアカデミー賞のデザイン部門で賞を受賞したグラフィックデザイナーの石岡瑛子さんに対して五木氏が言った言葉だった。まずは、ここにある“その方法”についての説明が必要だろう。(ここでの表題は「自分をはるかに超える仕事をするために」となっていた。)

石岡さんは日本でよりアメリカで仕事をすることが多く、いつも優秀なスタッフと組んで仕事をしているという。そのメンバーは石岡さんがオーディションで選んだ、本当にやる気のある人ばかりだから、仕事があっという間に進んでいくようだった。これが“その方法”というものだった。

ところが、日本の場合は5人のスタッフのうち、仕事のできない人が2人ぐらい加わってしまうから、ほかの3人が優秀でもすべてがだめになってしまうと考えていたのだ。それに対して、五木さんは上記のフレーズのように考えたのだった。

周りのみんなが優秀なら仕事も素晴らしいものができるに違いないが、それは石岡さんの才能の範囲内の仕事でしかなかった。本当に大きな仕事はそれを超えたところにできるはずという意味だったのだ。

極端な例かもしれないが、変な奴、やる気のない奴がいて、仕事で手を抜いたためにミスが起きることもある。しかし、それが結果的に予想もしなかったような結果になること、思いもかけない成功につながることだってあると五木さんは主張していた。

あらかじめ頭に描いた通りのことだけが、素晴らしいとは限らない。よくノーベル賞級の発見、発明は偶然に見つかったなどとも聞くことがある。そんな話とも似ていそうだな。組織では、いろいろな趣味や性格の人たちが集まっているからこそ、チームとしての力が発揮できるとも思える。
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曇「他力」五木寛之著より。退屈そば砂時計

五木さんには「蓮如」という著書もあるが、彼ほど他力を生き生きと生きた人物は珍しいと語っている。法然は難しい往生の修業を「やさしく」行うことを説いていた。そして、親鸞の仕事はやさしく説いた往生の道を、より「ふかく」極めたことだった。さらに、蓮如は親鸞が「ふかく」究めた信仰を「ひろく」人々に手渡そうと生涯を賭けたという。

これらの「やさしく」、「ふかく」、「ひろく」という3つの大きな働きで、日本仏教は日本人の心に長く定着したようだ。ここまで、書いてきたら、似たような言葉をどこかで読んだことを思い出した。

それは、永六輔さんの言葉からだった。以前『人を10分ひきつける話す力』(齋藤孝著)を読んだ時、“話上手に学ぶ”という部分に永さんの講演の時の文章があり、そこで見たものだった。ここで、あらためて、その本を取り出して確認してみた。

永さんは、友人の井上ひさし氏について次のように語っていた。「彼がいちばん大事にしているのは“難しいことを面白く、面白いことを深く、深いことを易しく”で、、これが彼が物を書くときの大前提なんです。・・・」

そういえば、永さんの実家はお寺でしたね。だから、自然に永さんふうに“難しいこと”から始まって、「おもしろく、ふかく、やさしく」という言葉がでたのでしょうね。
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曇「他力」五木寛之著より。シャイヨットメガホン

前日は、他力の風が吹くのは人事をつくした後だと書いていた。それにしても、ごくたまにはものごとが思った以上にうまく運ぶ時があったりもする。

たとえば、人によっては特に健康に気をつけているわけではないのに体調も悪くならない人も多い。タバコには害があるとは言われながらも、毎日数十本もタバコを吸いながらも病気にならない人もいる。

また、いくら健康に気をつけても病気は向こうからやってきたりもする。身体にいいからとどんなに努力しようとしても、長続きしないしないこともしばしばだ。

ところが、逆にあとで振り返って、どうしてあの時はあれだけ頑張れたのだろうと思うこともある。五木さんは、気持ちが充実してやる気が出る時は、〈他力」の風が吹いてきたときだという。

決断、勇気、努力、持続する力などが、自分で感心するくらいの時には、〈他力の光〉がさした時ではないかと感じているようだ。

五木さんは、別のページでも「自立の勇気をもたらしてくれる見えない力が、〈他力〉と繰り返し述べていた。うまくいっている、つまり他力の風が吹いてきた時には、〈他力〉に感謝すべき時なのだろうな。
晴れ「他力」五木寛之著より。ウインクパーOK

五木さんは、他力ということを説明する際に、ヨットの話をすることがあるそうだ。エンジンのついていないヨットは、まったくの無風状態であれば進まない。どんなに頑張っても風が吹かなければお手上げ状態になってしまう。

同様に、日常生活にも他力の風がなければ、思う通りにはいかない。うまくいっている時はなかなかそれに気がつかないものだが。ヨットでは、風が吹いてきたときに居眠りをしていたら、走る機会も逃してしまう。だから、たとえ無風状態でも、空模様を眺めて風を待つ努力も必要になる。

一見その努力は自力のようにも思えるが、それも他力の働きだというのが、五木さんの考えだった。つまり、無風でもじっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感や努力をヨットマンに与え、「いつかは風は吹く」とくじけない信念を持続させるものこそ、〈他力〉の働きだと思うようになったようだ。これはある意味悟りともいえそうだ。

よく、「人事をつくして天命を待つ」と言われるが、この「天命」を「他力」という意味に受け取っていたのだ。何事も自力でやり遂げたかのように思えても、それは他力の後押しがあったからだったのかも。ということは、他力が得られるほどの努力は常に必要だということになるかな。単なるラッキーはありえないか・・・

曇「他力」五木寛之著より。青ざめはてな角帽

五木さんによると、正直者はばかをみるのが当たり前だということになる。わずか3ページのなかで、同じような言葉が何度も繰り返し使われていた。そして、この部分の表題は『「できないものは、できない」と思う』だった。


五木さんは自分のことを、「努力型の人間ではありません。むしろ、その反対の、かなりいいかげんなタイプです」と述べている。しかし、努力するという姿にはあこがれてはいたそうだ。

何をやっても長続きしないのが生来の性格だと語るが、今までたくさんのベストセラーを世に出し続けてきた事実を知るととても信じられない。とくに20代のころは氏の作品を何冊も続けて読んでいたことを思い出す。


氏によれば、少年時代の過ごし方で、その後の考え方も変わってきてしまうようだ。そして、何をどうがんばろうと、大きな社会の変動や時代のうねり前には、ほとんど無力なのだと感じているという。

これは、今の状況を振り返ってみれば理解もできる。景気が落ち込んだ状態ではどう個人が考え行動しようが、たちうちできない。だから業績が伸びている企業はそれだけでニュースになっている。


景気低迷が続くために、学生たちは就職が困難で、すでに仕事に就いている人たちも先行きが不安なことは確かだ。少子化も今後も続きそうでもある。

そんなことを考えれば、個人の努力も善意も報われないのが当たり前だとも受け取れる。五木さんはむしろそのほうが多いのが人間の世界だとひそかに思っているようだ。


正直者はおおむねばかをみる。努力はほとんど報われない。報われる方が奇跡だとも考えている。でも早く努力が空しくならない世の中になってほしいものだなぁ・・・

晴れ「朝日新聞」2009.12.20付けより。すっぱい初心者最低

(前日のつづき)
いきなり、上記フレーズを言われてしまうと厳しい!と感じてしまう。きっと自分がやりたい仕事がそこにはあるに違いないと思って、どこかに就職しても、理想と現実のギャップに戸惑う人も多いことだろう。

また、社内で所属部署が変わったときなども同じ思いをするのではないだろうか。だからと言って、初めからなんの希望もなくただ何となくその仕事をやるのもつまらないものだ。

実は、自分がそこに入る前に、仕事はすでに始まっているわけで、すでに流れている川の水の中に飛び込むようなものだろう。流されながらも、技術を身につけ少しでも自分のペースで泳ぎ切れればいいのだろうが。

木村さんはユニークな表現でこれを説明していた。それは、ドッジボールのようにすでに試合は始まっていて、仕事に入る人は試合の途中から入るメンバーだという。仕事では痛い目にあいながらも、ルールを覚えて上達していく。

動き続けるゲームの中で自分のポジションを探していくことが仕事というものだと説明している。だから、どんな会社でもまずは3年は体験してみるのが先だという。

フリーターやニートという人たちは、ドッジボールに参加したくない人たちで、そこにいる限りはトレーニングはできないとも語っている。実に面白い表現でもあるな。
晴れ「朝日新聞」2009.12.20付けより。口笛ケーキカクテル

(前日のつづき)
木村(政雄)さんは、かつて「有名塾」という自由な塾を運営していたことがあった。(関係ないことだが、その反対の名称の「無名塾」は仲代達矢の演劇塾で、入塾審査の倍率は非常に高く、劇団の東大と称されるほどの狭き門であると以前読んだことがある。いま活躍する役所広司は二期生だった。)

さて、この「無名塾」は役職とは離れて、年代や老若男女関係なく、主婦も学生も一堂に会する集まりだった。これについては以前どこかの雑誌で読んだことはあった。親がつけてくれた名前に戻って、グループに分かれ出し物などを完成していく活動をしていたようだ。そこではみな不思議なほど元気になったという。

木村さんは、その経験から自分の名前でいられる世界を持っておくことは、エネルギーになると実感したようだ。そういえば、以前何かの本でも、ある社内向けポスターを作ったときに、それを作った人の名前をどこかに入れたら評判が良かったという記事があった。

やはり、自分の名前で何かができることは張り合いにつながるものだろう。それが評価されることで、次へのエネルギーになることは容易に想像できる。もし、あの仕事は自分がやったんだ、という誇りが持てたら最高でしょうねぇ。
晴れ「朝日新聞」2009.12.20付けより。驚き唇パー

“朝日求人”のコラムの中で木村政雄さんが語っていた言葉だった。無所属の反対はどこかに所属するということになる。そんな感覚はちょっと安心感があったり、時には力が発揮できたりするものだ。

そこに属していればこそできる仕事も多いはず。しかし、それで本当に実力がついたと勘違いしやすいことも確かだろう。看板の力は自分の思った以上に大きいものに違いない。

今所属している企業や組織にいかに守られているかを、時にはちょっと振り返ってみる必要がありそうだ。木村さんは「どこかで片足を外に出しておこう」という表現で提案している。

これもかなり意識的にやらないとついついニュートラルな無所属の意識は忘れてしまうだろう。ただ群れているだけでは、客観的な判断力を持ち続けることはできそうもないな。
晴れ「朝日新聞」2009.12.20付けより。ウインク唇チョキ

一昨日はM1グランプリ決勝戦をテレビで観戦していた。視聴率も毎年かなり高いようだ。その決勝戦に残るコンビはいくら若手漫才とはいえ、結成してから1、2年では無理だろう。

8、9年も下積みで実践を積んだコンビが勝ち残ってくる。すでにテレビで頻繁に見られるコンビでも、今年は4629組が挑戦したのだから、決勝戦の舞台に勝ち残っているのはきわめて狭き門だ。

しかも極度の緊張感のなかで最高の舞台にするのは並大抵ではないはず。ほとんどの組が力を十分発揮できていなかった。芸人の技能はそうそう簡単には上がらないようだ。トレーニングあるのみかな。

最終決戦で満票を獲得して優勝したパンクブーブーに、テレビなどの出演オファーが20件以上も殺到したというウェブニュースがあった。このコンビも9度目の挑戦だった。ぜひ長く生き残ってほしいものだな。

毎日どのチャンネルをつけても、様々な番組にお笑い芸人さんは登場している。クイズやバラエティでは司会者もゲストや回答者もお笑い芸人であることもしばしばだ。

製作者側としては若手芸人ならギャラも安上がりで済むという台所事情もあるのだろう。もちろん人気が落ちればそのスペアーはいくらでもあるので便利かもしれない。当然ながら芸人さんは常に賞味期限を延ばす努力を怠れない。

木村(政雄)さんは最後に「仕事は、技術と個人の意識、その両輪があってこそ伸びる」と話している。もちろんそれはお笑いに限ったことではなく、日々のルーティーンワークにも当てはまるはず。

(蛇足)
そういえば、M1決勝戦の翌日、都内高円寺近くの公園では「人力舎」に通うメンバーが何と!6組もしゃべくりの稽古をしていた。ふだんは1組程度なのだが、やはりM1を見て刺激を受けたのだろうか。みんな頂点を夢見ているのだろうな。