曇「メトロミニッツ」2009.12月号より。ウインク自転車スニーカー

つまり、ステイ(とどまる、滞在する)とバケーション(休暇)の造語で、長距離旅行に出かける代わりに“自宅滞在型のバケーション”のことだった。

で、どんなふうに過ごせば、近場でバケーションができるのだろうか。ただの休日の過ごし方とは異なっていなければならないのだろう。そのコツのようなものが記されていた。

1、日常的な“なすべきこと”は一切やらない。(=掃除、洗濯、洗車など、家事は事前に済ませておく)
2、開始日と終了日を設け、計画を立てる。(=スケジュールとプランをしっかりと立てることで、日常からの脱却に専心できる。)
3、あくまでもバケーションとして過ごす。(=留守電やメールのチェック、会社への電話もしない)

どれだけ印象的な休暇を過ごせるかは、クリエイティブなアイデア次第ということになる。具体的にどんなものが考えられるかは、明日また続きをじっくりと書いてみたい。
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曇「阿久悠展」パンフより。雨シャイ音符

これは「時代の風」と題して、阿久氏が1998年3月26日、武道館での卒業式で語っていた内容を掲載した詩の一部分だった。その詩のタイトルは“時代遅れの新しさ”となっている。

いかにも“アナログの鬼”と自ら称しているだけあって、表現も面白い。氏自身の現役時代の仕事は三十数年間、時代というものを常に追いかけながら仕事をしてきたと述懐している。

しかし、時代はどんどんと進んでいくが、それらすべてを信用していいのか、という疑問が阿久さんにこの詩を書かせたのだろう。

詩の中には次のようなフレーズもあった。『人間を馬鹿にした進歩、それらを正確により分け、すぐに腐る種類の新しさや単なる焦りからの変化には「パス」と叫んでも悪くない・・・』

ここでは人が追いついてゆけないほどのハイテク化やIT、また流行に遅れまいとする愚かさを連想させるな。

そして、最後の部分には『新しがるよりもっと正確に、時代の知識が必要になる…』ともあった。実に深い意味合いの言葉だ。こんな詩が読まれたことをまだ覚えているこの年の卒業生はいるのだろうか。
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晴れ「阿久悠展」パンフより。曇バツマル

ちょうど1週間前に、ようやく「阿久悠展」(10月15日~2010年1月31日)を見に行くとこができた。場所は氏の母校明治大学中央図書館のギャラリーだった。数年前から眺めたことはあったが、立派なビル(リバティタワー)にその日初めて入った。

上記フレーズは、阿久氏の御子息、深田太郎氏よる寄稿文からのものだった。阿久さんは自らを“アナログの鬼”と呼んでいたそうだ。生涯、手書き・縦書きにこだわり続けたという。

そして、持論は「ワープロ打ちの横書きの文章は首を横に振りながら読むが、縦書きは上から下へウンウンと頷きながら読む」だった。実に面白い理屈になっている。「ノー」と「イエス」・・・、それが上記フレーズの中身だった。思わずナルホドと首を縦に振ってしまいそうだ。


また原稿執筆時は高価な万年筆ではなく、一本105円の水性サインペンを使用していたというのも親しみがわく。この見開きの左ページにはその手書きの原稿『また逢う日まで』が掲載されている。会場にも展示されていたが、実に読みやすく味のある文字で書かれていた。
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晴れ「朝日新聞土曜版」2009.11.21付けより。泣く汗グー

“悩みのるつぼ”という質問コーナーで評論家の岡田斗司夫氏が回答しているなかでのフレーズ が気になった。それは次のような表現だった。“幸せとは「不幸の回避」ではなく、「乗り越えるのが楽しい不幸」だと思います。”と。

これは、ある主婦(34歳)からの「結婚して7年になり夫は子供が欲しいというが、自分は子供が欲しくない。そして、夫の希望には答えたいが抵抗がある」という悩みに答えたものだった。

つまり願望は、「子供が欲しくない」と「夫の望みをかなえてあげたい」という2つが矛盾したものだったのだ。岡田氏はどちらかをあきらめるしかないというが、それは当然だろう。

ここでの不幸とは、「育児ストレス」「夫の論争や口論」「自分はこのままでいいんだろうか」などを想定している。いろいろ考えられるなかで、夫と二人で乗り越えるのが楽しそうなものを考えるべきと提案している。

一見自分には不幸と思えることも、楽しく困難を乗り越えられればそれに越したことはないだろう。それは可能だろうか。簡単ではなさそうだ。結局、夫婦どちらもある程度の妥協をしなければ無理だろうなぁ。
曇晴れ「壁の本」杉浦貴美子著より。シャイ携帯桜

昨日もちょっと触れたが、私は数年前から地面に関心を持っていた。そのきっかけは、春の桜の花びらが道路に散り積り、その小道全体がピンク色に染まっているのを目にしたからだった。

その時思わず、手元のケータイで写真を撮りたくなってしまった。それを見られるのはほんの数日間だけでまた元の味気ない灰色のアスファルトに戻ってしまう。また桜の花びらの吹き溜まりを眺めるのも楽しい。

数年前、地元の空き地に車の轍(わだち)が数本あって、その線に沿って桜の花びらが降り積もっていたのは感動的だった。その翌年にはその場所には家が建てられ、もう二度とその場所ではそんな風景を見ることはできない。

また最近では、アスファルトの亀裂から草花が勢いよく目を出しているのが気になっている。夏頃、ほんのわずかなアスファルトの隙間から空に向かって枝葉を伸ばし、鮮やかな紫色の花を咲かせているアザミには生命力を感じたものだった。

雨上がりの道路では残った水溜りの模様もおもしろい。天候によって白、灰色、黒っぽく見えたり、また光ったりする地面の表情も一つのテーマとして興味深いものがあるな。

雨晴れ「壁の本」杉浦貴美子著より。ウインクバス足デジカメ

つまりそれは素材が古くなって亀裂が入った状態のときに見えるものだった。壁に数本の亀裂が入ると、その隙間に雨が浸み込み、風が吹き付け亀裂はどんどんと広がっていく。

白い壁なら黒っぽい不規則な線が現れる。それはまるで地図のようにも見えてくるから不思議だ。そういえば、田んぼのひび割れも同じようなものだろう。

また、よく似たものを地元のバスターミナルで見かける。それはコンクリートの広い地面に、たくさんのひび割れができたらしく、そこに新たに白っぽいコンクリートが埋め込まれているのだ。それらの線はバスの路線図にさえ見えてくる。

ただの亀裂さえも見かたによってはおもしろい。また微妙に色がついた状態の不連続の亀裂は抽象絵画の名画のようでもあるな。そして、それらは時間の経過とともに地図の形を変え、ある日突然上塗りがされまったく別のものになってしまったり。

蛇足
私が購入した時にはこの本はセロファンで封をされていたが、たまたまウェブでこの本を見てみたら、腰巻(本の帯)がついていた。


そこには、“街中に絵があふれている。ヒビ、錆び、剥がれ、痕跡・・・。ありふれた壁に潜んでいる、偶発的な美しさとドラマ。”とあった。実にそそるコピーでもあるな。もちろんこれがなくても買ったが。

曇雨「壁の本」杉浦貴美子著より。退屈学校紅葉

この自宅の二階の窓からは、隣の家のコンクリートの壁が見え、その上のフェンスの部分にはある政党の顔写真つきのポスターが貼られている。そこではフェンスも壁の一部だと考えられる。またそのすぐ横のコンクリート製の電信柱には不動産の張り紙がしてある。

家の中の壁を見渡せば、そこにはカレンダー、ポスター、小さな額、ちょっとしたチラシのほかにクローゼットのドア横の柱には色とりどりのシールが数十枚も貼られている。離れてみればカラフルな1本の線になっている。

つまり、それがフレーズにあげた垂直面だったのだ。それらは1センチ×2センチほどで、青、緑、黄色、白、オレンジ、紫色をしたクリーニング屋から引き取った衣類に付けられているものだった。なぜか意味もなく剥がしたら捨てずに貼りたくなってしまうのだった。

また食パンなどを買うと透明な袋に応募券のようなシールが付いていることがある。それらも、同様に食卓横の木の壁の部分に張り付けたままだ。わざわざシールを剥がして応募したことなどないまま数年が経っている。「とりあえず」、がそのままになっているだけなのだが。
晴れ「壁の本」杉浦貴美子著より。家クールチアフル

これは著作と言うよりもむしろ、壁をテーマにした写真集だがちょっとしたコラムも掲載されている。まず、壁ばかり撮影した写真に興味を持って買ったのだが、それらはまるで抽象絵画のようでもあった。

いつもどこかで眺めてはいるが、ただ通り過ぎていくだけでじっくりと壁など眺めたことはなかった。しかし、写真として切り取られた作品をみると実におもしろい。ほとんどは接写の状態で撮られている。

元々は新しかった壁に塗られたペンキも時間の経過とともに剥げ落ち、あるいは部分的にめくれあがり、微妙な色の変化を覗くことができる。風化して亀裂が入った海岸沿いの建物の壁も味わいがある。

またフレーズで取り上げたように、家の塀や外壁には蔦性の植物がからみついていることがある。それらは、実にスローペースで吸着根を伸ばして這い上がってくる。

かつて、自宅の壁の一面も蔦で覆われていた時期があった。甲子園の夏蔦と同じかもしれない。だからこそ、このフレーズが共感できたのだ。一度張り付いてしまうと人の力ではとても剥がすことは不可能だった。

ちょうと壁の塗り替え時に職人さんに取ってもらうことができた。実に恐ろしいほどの吸着力だった。それ以来家に蔦を這わすのはこりごり。遠くから見ている分にはきれいかもしれないが、家にはよくなさそうだな。

壁の写真は下記サイトでご覧になれます。
http://www.heuit.com/
曇雨「JAF Mate」2009.12月号より。うるうるパー音符

“未病にきくワザ!”というコーナーで目にしたもの。要するに音楽療法というやつだ。これを提唱するのは埼玉医科大学保健医療学部教授の和合治久先生だった。珍しい免疫音楽医療学というのがあるらしい。

モーツアルトの音楽には、3500~5000Hz以上の高周波音が豊富だという。それが健康に効くようだ。高周波音は自律神経などをコントロールしている視床下部を中心とした、脳の中枢神経を効果的に刺激するのだった。

「2週間程度で、高血圧・冷え性・不整脈・不眠症など、さまざまな不快症状が改善に向かうでしょう」、と語っている。聴き方もあった。BGMとして聞き流すのではなく、病気の予防改善という目的意識をもって、音に聴き入ることが重要らしい。

できれば1日3回、朝、昼、夜に30分ほど聴くのがいいらしいが、朝食前と寝る前に各10~15分ずつでもいいという。ということで、さっそくいまモーツアルトのCDをかけながらこれを書いている次第。でも“ながら”は駄目かな・・・
晴れ「眼力」齋藤孝著より。泣くパスタ天丼お茶

ここにはちょっとユニークな事例があった。日本電産の永守重信氏が社長をしていたときの採用試験ではなんと「早飯試験」が行われていたのだ。というのも、学校の成績が優秀だという理由で採用した人物は、育っていず、途中でギブアップして辞めた者も多かったからだ。

ところが、20年前に「早飯試験」で採用した者が会社の中心人物になっていたという。入社して20年ともなれば中堅だろう。最もパワーを発揮する時期にそれなりの仕事をしている者が多かったのだ。

その年の応募者は170名で、面接で約70名に絞り、彼らに昼食を食べてもらい早く食べ終わった順に33名を無条件で採用したのだった。食べるのが遅い私など初めから脱落だな。

永野氏は、飯を早く食べる人間は何をやっても早い、好き嫌い何でも食べられるのは健康な証拠だという仮説をもって採用していた。たまたまその時空腹でがつがつ早く食べた学生は合格したかも。

また一方、落とされた学生の側からみれば、成績も面接も問題ないのになぜ落とされたかのかは理解できないだろうなぁ。各社採用人数が減って厳しい現状だが、就活中の学生さんには、とにかく根性でがんばってほしいものだな。