晴れ「自分がブランドになる」石井竜也・中谷彰宏著より。キョログッドOK

個性ということについて述べられていた。中谷さんは、「こういうのが世間にウケるのではないかと思ってやり始めると、そこには大勢ライバルがいる」と話す。

むしろウケをねらうより、自分の好きなことをやっているほうが、誰もいないポジションに行くことにつながるという。人のやっていることを参考にする必要もないということだ。

ここには書かれていないが、当然ながら中途半端ではそんなポジションには行けないことだろう。しかもやっていることが飽きないことも条件ではないだろうか。

つまり人から認められるほどのレベルに達するには、繰り返し(継続)もポイントに違いない。個性がブランドにつながっていくなんて、そうそう簡単できることではないんだろうな。
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晴れ「朝日新聞」2009.10.27付けより。日本笑顔地球

文化面には今月、囲碁最年少名人になった井山祐太さんへのインタビュー記事があった。5歳の時に、テレビゲームで囲碁を知ったのがきっかけだったようだ。

とにかく強い人と打ちたいという気持ちの延長線上にプロがあっただけと語っている。はっきり意識したのは小学5年で、プロ入りの一局に負けた時だったようだ。その時の悔しさがその後のプロでの活躍のバネになったのだろう。

中学に入学時にプロになった時点で高校には行くつもりはなかったという。その時から囲碁は若い時が一番大事だと感じていたようだ。それは、中国や韓国でもプロ囲碁界は20代が中心だったからだと語る。

趣味としての囲碁について、“囲碁は無限に打つ手のある、答えの出ないゲーム”だと答えている。芸術に近く、絵を描く自由な発想とも似ていると考えている。

スポーツ界では若い選手がトップで活躍することでそのスポーツがはやっている。囲碁でも自分のような若い世代が活躍できることで人気の底上げをしたいと抱負を語っている。やはり地味な囲碁だが、若者の活躍でスポットが当たると面白そうだな。
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曇「朝日新聞」2009.10.25付けより。口笛びっくり2初心者

“朝日求人”の「仕事力」というエッセイのなかで、野田秀樹さんが語っていた言葉だった。野田さんの肩書は劇作家、演出家、役者、美大教授といろいろとあった。最近では、東京芸術劇場の初代芸術監督にも就任していた。実に忙しそうだ。

上記のフレーズは必ずしも若い人たちだけとは限らない。最近、野田さんは日本のエリートと言われる大人に悩まされているという。つまり、彼らは自分の頭で考えていないということなのだ。

「マニュアルや既成の価値観で仕事を続けていると、自分の裸の目で物事を見ることができなくなる」と表現している。この部分を読んで同感だと思った次第。

いつ誰によって作られたかもしれないルールに何も疑問を持たずに従っていることが、本当に幸せとは限らないだろう。時代の変化によって状況判断をして柔軟に、創造的に仕事も進めるべきだろうな。
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晴れ「日経新聞夕刊」2009.10.23付けより。ウインクグー汗

“学びのふるさと”というコラムの中で、エッセイストの岸本葉子さんが書いていた。岸本さんが高校生のときに、ある英語の先生から言われたのは、「『うちの子はやればできる、やらないだけ』と言う親がいるが、それは違う。勉強というのは『やるかやらないか』だ」とあった。

これはほとんど何にでもいえそうなことだ。「本当はもっとすごい仕事ができる」「書こうと思えばいつだって書ける」なども同様なことだろう。岸本さんはこのような言葉を聞くたびに、高校時代の先生の言葉を思い出すという。

そして、自分では絶対にこの言葉は言うまいと心がけているようだ。岸本さんが初めて原稿400枚を出版社に持ち込んだときに編集者に言われたことは、「本を出してくれるなら書く」という人は大勢いるらしい。しかし、実際に原稿を書いてくる人は、その何百分の一だということだった。

岸本さんは、そこで重要なのは「やるかやらないか」だと痛感したようだ。高校の先生の言葉を人生訓として、今も書き続けている。まだ何も形になっていないのに、「やればできるさ」というのは実に軽い言葉だなと思った次第。
晴れ「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。退屈!?爆弾

これもフォードルールの中にあったワンフレーズだった。今までアイデアといえば、ちょっとした思いつきや具体的な工夫程度にしか考えていなかった。

しかし、それとは違ったニュアンスの意味もあった。それは、理想や理念というものだった。実際、フォードが目指していたのはこちらの方のアイデアを指していた。

つまり、“だれにでも買える自動車を大量に作り、人々の暮らしを豊かにすること”であった。これが木の幹となってそこから個別のアイデアを生んでいったのだ。

もし行き詰ったときには、「自分は何を目的としてこの仕事をしているのか」ということを突き詰めてみるべきだと筆者はいう。それは必ずしも目新しさにこだわる必要はないようだ。

大切なのは自分のコンセプト=「idea」を確立することで、そこから「アイデア」を生み出していくということだった。これがフォードの発想の源ということになる。
雨「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。驚き車ダッシュ

これはフォード自身が述べたフレーズではないが、フォードルールの部分で目にしたフレーズだった。車にあまり関心がない人にはピンとこないでしょうが、ヘンリー・フォード(1863~1947)はフォード・モーター・カンパニーの創業者だった。

意外なのは、「一日八時間労働」というシステムは彼が考え出したものだった。それ以前の労働時間はもっと長かったようだ。また流れ作業の組み立ても彼が考ついていた。フォードは自動車の製造ばかりではなく、サービスにも力を入れていた。そして、サービスステーションを考案したのも彼だった。当時としては画期的なものだったようだ。

そして、「大切なルールは箇条書きに」していた。意外につまらないことのように思えるが、実はこれがフォードルールとなっていた。たとえ当たり前のことでも書いて、見えるところに貼っておくことが大事だったのだ。箇条書きは同時にチェックリストにもなっていた。

さらに、筆者の齋藤氏は大事にしたいルールがあれば、心の中に留めるだけでなく、自分の言葉にしてアウトプットすることをすすめている。つまりアウトプットを意識するからこそインプットも真剣になるということのようだ。上記フレーズのあとには、“実際にアウトプットすることで、頭に再インプットされる”ともあったな。
雨「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。曇驚き1

小林一三ルールの一つでは、「人に負けない得意分野を一つ持つ」だった。一三にとって、それは決算書に並んだ数字を見ることだった。

元銀行マンであったことから、決算書の数字を見ただけでその意味を理解することができたのだった。中身を理解できることが、強みの一つだったのだ。

人によっては、特定分野の技術的知識、業界の最新情報でも、これだけは誇れるというものを持つべきだろうという。

一番つまらないのは、あれもこれも及第点というやつかもしれない。突出した部分がなければ、その他大勢に埋もれてしまう。

人に認めてもらえる(単独トップの)レベルまで、自分の武器を磨き続けられるかどうか。結局それがポイントかもしれない・・な。
雨「凡人が一流になるルール」齋藤孝著より。ウインク学校角帽

これは小林一三ルールのところにあったもので、ここでは「看板の力を借りて自分を磨く」とあった。小林一三の名前を初めて耳にしたのは学生時代だった。その当時はただ優れた経営者としてだけ知っていたにすぎない。

宝塚歌劇団、阪急電鉄、阪急百貨店などいくつもの事業を成功させていた人物で、巨大な企業グループを作り上げていた。ふつう財閥系の経営者の多くは、家柄が良かったり、親の財産を引き継いで事業を興し発展させていた。

しかし、小林一三は何の後ろ盾もなかったのだ。子供のころから苦労の連続だったようだ。しかしその後、慶応義塾大学に進学し、三井銀行へ入行していた。かつて慶応義塾大学はいま以上に光り輝くブランドだったようだ。

慶応の卒業生というだけでも信用力があったという。もともと文学青年で、新聞社を志望していたが就職に失敗して、やむを得ず三井銀行へ入行したのだった。そして、世間に通用する看板を使うことで自らの仕事の経験を積んでいったのだった。

看板に頼り切らないで、中身(実力)を磨いたというところがポイントだったようだ。何のバックボーンがない場合は、看板の力を借りるのもアリということだった。
曇「JAF Mate」2009.11月号より。眠いチョキキラキラ

“未病に効くワザ”というコーナーでは押すだけで免疫力アップ「つむじ押し健康法」について書かれていた。まず、未病とは「病院にいくほどではないが、体調がすぐれない」というような症状を指しているようだ。

ここでは免疫学に造詣が深い医学博士の福田稔医師が指導していた。この先生の肩書は、日本自律神経免疫治療研究会理事長となっていた。それにしても、つむじ押しとは実にユニークだ。

さて、この先生は「身体を押して刺激することは、身体をコントロールしている自律神経の乱れを整え、免疫力を上げる絶大かつ不思議な効果がある」と語っている。多くの診療の経験から、頭部がうっ血して、下半身に十分な血液が流れていかず、冷えていることに気づいたという。

そして、いろいろと研究しているうちに、押して健康状態がよくなった場所はつむじだったそうだ。まずは、少し痛いくらいの強さで20回ほどリズミカルに押す、と書いてあった。
曇「朝日新聞」2009.10.20付けより。シャイ野球涙

スポーツ欄のコラム“EYE”で編集委員の西村欣也氏が書いていることだった。ここでは、寄せ集め弱小球団と言われてきた楽天を、クライマックスシリーズ第二ステージまで導いた野村監督について述べられていた。

せっかく、ここまで強い球団に作り上げてきたが、契約の期限切れで今年限りとなった野村監督の無念さについて、「人を遺すために、せめてあと一年監督を続けたい」というのが老将の願いだったと表現している。

試合後のボヤキは名物のようになっていた。毎回テレビで放映される野村監督のボヤキがらみのコメントは楽しみでもあった。選手について、「三流は無視、二流は称賛、一流は非難」という野村語録もあるようだ。

選手個人個人はこれを実感しながら、練習に試合にのぞんでいるのだろう。つまりいろいろとボヤキのなかで厳しく言われることこそ一流選手の証明なのだろう。そのボヤキが選手を育てていったともいえそうだ。

今年のプロ野球では、むしろ所属球団の選手の活躍がかすんでしまうほど最も存在感があった監督ではないだろうか。「老人力」はすっかり忘れていた赤瀬川原平さんの著書の題名だが、ここでは“経験からくる知恵”という実に前向きな考え方だなと思った次第。