雨「R25」2009.9.24号より。ハート目パー

この号は特別号で「ケッコン特集」だった。こんな特集は秋のブライダルシーズンに突入したからだろうか。そして、上記のフレーズは詩人の谷川俊太郎の「愛のパンセ」という本からの一部分だった。ここには8人のケッコン金言集があったが、そのなかの一つがこれだった。

この部分は次のようになっていた。「夫にとって、妻の上機嫌ほど慰めになるものはないのである。日常の下らない冗談は、ひとつの思想におとらず人を生かす支えになる」と。この名文句を残したのは何と26歳の時だったというからちょっと驚きだ。

家庭の中では相手が上機嫌であれば、確かにほっとすることが多い。妻にとっても夫が上機嫌であれば、やはり慰められることであろう。日常の下らない冗談はむしろ私のほうがほとんどだが。

これはとくにケッコンとは関係ないが、「笑いのない日は無駄な一日だ」というチャップリンの名言も思い出したな。不機嫌な言葉を発するのは簡単だが、明るさを維持するにはかなりの努力が必要かも・・・
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曇雨「アスパラ NEXT-AGE」2009.秋号より。コンピュータ本テレビ

これは予備校のカリスマ講師といわれる細野真宏の「マネー思考力」養成講座のなかのワンフレーズだった。まず、ある情報がインターネットで広がると、その盛り上がりを受けて雑誌が記事にする。さらにその後テレビが特集を組むという流れらしい。

そう言われてみれば、ネットの情報スピードはテレビよりもかなり早い。ネットで大きく話題になったホームページやブログの情報はしばしば雑誌やフリーペーパーの記事になっている。その評判を元にテレビで特集すれば当然ながら関心がある人が多いに違いない。

インターネット書店のアマゾンでは1時間ごとにベストセラーランキングが更新されている。やはりここでのランキング上位に長期間とどまっているという情報は、雑誌の記事にもなりやすいことだろう。またその企画を特集してテレビ放映してもそこそこの視聴率は稼げるのだろうな。

最近ではブームの発端はインターネットからスタートしているんだなぁ。かつて“ブログの女王”などと呼ばれた何人かのタレントたちは、その後もずっとそんな肩書がつきまとっているようでもあるな。一旦上がった知名度は強い。これもネットの力とも言えそうだな。
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晴れ「訊く」中島らも著より。曇スニーカーダッシュ

らもさんが対談している相手は気功の達人といわれる李さんという人で、この人の言ったことが上記フレーズだった。学生時代、体育は単に教科の一つとしてのイメージしかなかったが、予防医学とはちょっと意外だった。

これが体育の本筋だったのだ。そして、ラジオ体操はもともとアメリカの保険会社が広めたそうだ。というのも、会社にとっては保険に入ってもらっても、すぐに病気になられたら困るからだった。つまり保険料を支払わなねばならなくなってしまうということだろう。

しかし、ラジオ体操を始めたら、病気になる人が減って、保険会社は儲かるようになったという。本当だろうか。ウソのようでもあるが、私自身ラジオ体操を継続していると意外にも仕事を休むような病気にはなっていないことにも気づく・・・

別に毎日休みなしにきっちりラジオ体操をしているわけではないが、朝起きてから体を動かさないとなんとなくもの足りなくなっている。ここには、「健康の基本は日常生活と心の持ちようだ」とあったが、体によさそうな何かを継続しているという気持ちも意外に大事かもしれないなぁ~。

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曇「英雄の死」山口瞳著より。ウインクペン汗

もうこの言葉は過去のことなので、正確には「・・・という言葉があった」となるだろう。梶とは梶山季之のことで、筆者の山口氏もすでに過去の人となってしまった。この一冊を読んで二人の作家は実に長年にわたって仲が良かったことがわかる。山口氏は親友というよりもむしろ心友と呼んでいた。

梶山季之が亡くなったのはもう30年以上前のことで、私が氏の企業スパイ小説を読んだのはもう30年ほど前になる。亡くなった時は45歳だったから、まだかなり若かったことにも気づかされる。当時はすごい流行作家で売れまくっていた印象がある。(現在40代以下の人たちには山口瞳も梶山季之も馴染みがないだろうが。)

ある雑誌の柱になる人気作家が急病で二百五十枚ぐらいの穴があきそうになったときがあるらしい。すると困った編集者は梶山氏のところに執筆依頼に行ったのだ。そんなときわずか2、3日で二百五十枚の小説を書いてしまうのが梶山李之だった。

急場を救えるのはすごいことだ。文章は当然ながら粗雑だったらしいが、内容は面白かったという。そして評判になって雑誌は売り切れてしまったようだ。それだけのエネルギーをもった作家だったということだろう。今でもそんな作家はいるのだろうか。

参考までに、ウィキペディアには、“十数年の作家活動であったが作品数は多く、死後も人気は衰えずに12年後までに120冊の文庫が出版され、1300万部の売り上げをあげた。サービス精神の旺盛な作家という評に加え、編集者や周囲の人々への気配りについてもしばしば語られている。”ともあった。
晴れ「壊れる日本人」柳田邦男著より。ジロテレビバツ

こんな家庭では乳幼児の心の発達にゆがみが生じてきていることがわかってきたという。これは日本小児科学会での実態調査の結果だった。

どんな内容だったかといえば、乳幼児から長時間テレビを見ていた子どもは、言葉の発達がおそく、表情も乏しかったのだ。さらに親と視線を合わせず、いっときもじっとしていないで、人とうまく関われない子が目立って多くなっているなどだった。

それが、子どもにテレビを見せなくしたところ、これらの傾向が改善されたという報告もなされていたのだ。日本より5年前には、アメリカの小児科学会では、「二歳未満の子どもにはテレビを見せるな」という勧告を発表していた。同様の理由からであろう。

筆者は、「ノーケータイデー」「ノーゲームデー」「ノーインターネットデー」「ノー電子メディアデー」などを提案していた。電子メディアとは、テレビ、ビデオ、ゲーム、ケータイ、パソコン、ネットなどの総称だという。

もし、そんな日を自主的にでも設けたら時間がかなりゆっくり過ごせそうな気もしてくる。「異常なこと」がことごとく「普通」になってしまっていると筆者は指摘している。便利さ一時の楽しさの反面失っているものもあることにも気付かねばな。
晴れ「壊れる日本人」柳田邦男著より。注意すっぱいはてな

この章のタイトルは「水をかけない消防士」となっていた。これは作家の井上ひさしさんが柳田さんに話をしたことだった。井上さんの自宅がボヤになったとき、119番に通報すると消防車が到着したのだった。ところが隊長らしい人物からは「もう少し火が大きくならないと、放水するわけにはいきません」と言われ、二の句がつげなかったという。

一定の規準以上に燃えていないと、放水はしないという決まりがあるようだった。結局、くすぶっている火に自分たちで水をかけて、ようやく鎮火させたという。確かに、放水によって水の被害が大きくなることも考えられる。しかし、そんなことを言う前に、率先して何らかの方法で鎮火に努めるべきだろうな。その後の説明なら納得できそうな気もするが。

しかし、実際には殺人事件の現場でも似たようなことが起きている。子どもが行方不明になったのでその捜査の依頼を両親がしたところ、「事件にならないと動けない」と警察は言って対応しなかったのだ。その間疑わしかった不良グループに監禁され殺害されていた、という事件が実際に起きていたのだった。

実際に被害にあってそれが確認されなければ動けないというのは、庶民からするとまったく納得できない。警察はむしろ事件が起きないように、捜査するのが務めなのではないだろうか。ちゃんと始めから捜査していれば、今までも未然に防げたかもしれない事件だってかなりあったに違いない。こんなマニュアルにばかり縛られていたら、本当の安心や平和はいつまでたってもやってこないだろうな。
晴れ「壊れる日本人」柳田邦男著より。レターポストクローバー

今どきの小中学生のほとんどは生まれたときから、インターネットやケータイが当たり前に家にあったのではないだろうか。だからたとえば、「文通」という意味もわからないかもしれないな。

ケータイは確かにスピードという面では便利ではあるが、別の面ではじっくり考えて結論を出すということを忘れさせていたのかもしれない。ケータイのメールも国内外にかかわらずすぐに届いてしまう。かつての文通という言葉は死語になってしまっているだろう。

高校生の頃には海外の学生の方たちと文通をしたことがあるが、じっくり考えて書いていた覚えがある。そして数週間後の返信も待ち遠しかったもの。相手の個性的な筆跡、インクや便箋の色、お国柄の封筒や切手など、一通のエアメールにもいろいろな楽しみがあったものだ。

手紙の文字もいったん書いては消したり、訂正されたりしている部分を見れば、じっくり考えながら書かれたものだと感じたものだった。デジタルの文字と違ってクセや個性がリアルに感じられるところも嬉しかった。

今の時代は若者に限らず、総ケータイ依存症になっているから、自分たちを変だとは思わないのだろう。むしろケータイやネットを使わない人のほうが変人と思われるかも。まあこんな麻薬中毒的なケータイとは全く別世界の、古き良き一時代を過ごせてよかった・・・かも。

晴れ曇「壊れる日本人」柳田邦男著より。泣く携帯コンピュータ

つまりケータイなしではほとんど生きられないくらいな状態を指すのだろう。いったんこの便利さを味わってしまうと、それがなくなると実に不便に感じるという意味では、いま使用している誰もがケータイ中毒になっているのかもしれない。

ある大学では夏季に短期留学制度で学生をアメリカの大学に行かせていた。ところがその大学ではケータイ電話の使用が禁じられていたという。すると学生たちは、いつも何かが満たされないでいるような、不思議な不安定感にとらわれたらしい。

なかには気持ちが落ち着かなくて、日が経つうちに、焦燥感さえいだくようになった学生もいたらしい。そして、ケータイがない生活に慣れるまでに二週間もかかったという。周りのみんなが同様に使わなければ、ある程度安心感もあるのだろうか。

また同時に重要な変化が起きたのだった。学生たちはケータイが使えないので、だんだんと物事を自分でゆっくりと考えるようになってきたのだった。きっとそれまでは、わずかな不安でも自分で深く考えることもなしに、ケータイで誰かに相談して結論を求めていたのだろう。

そうそう、この本のサブタイトルは“ケータイ・ネット依存症への告別”となっていた。時にはそれら(ケータイやネット)を忘れることで、なにか新しい気分になれるかも。


晴れ曇「R25」2009.9.17号より。驚きびっくり1びっくり1びっくり1

「“極み”を極めた男たち」と題して、You Tubeのリンクの紹介で、上記はその中の強烈なワンフレーズ。「ヨーヨーで世界を極めろ!」では、今年8月に行われた世界ヨーヨー選手権の映像が紹介されていた。

その冒頭は「何かを極めた」ことってありますか?と始まっていた。どんなにくだらないことでもいいらしい。バカといわれるほど極めたものなどまったくなかった。もちろんどんなこととはいっても犯罪や道徳的に問題があることは論外だろう。

まあ、趣味や仕事あるいは日常生活の世界で、ということになろうか。この世界ヨーヨー選手権では、全7部門すべてで日本人が優勝という、とんでもない“事件”が起こったらしい。さっそくYouTubeで検索してみた。スゴイ!

約4分間の興奮があった。これはアートなのかスポーツなのか、まるでそれらが融合しているかのようにも見える。とてつもないスピードとテク二ックが繰り広げらる。こんなパフォーマンスがあるなんてまったく知らなかった!

2つのヨーヨーを操る(ダブルハンドスプリング)木村健太郎選手の技は、あまりにも早くて見えないほどだ。あんな複雑な動きをして、いったいどうして糸がこんがらがらないのだろう?実に不思議だ。世界のトップレベルは違う!

映像はYouTubeで「キムラケンタロウ 3A」と検索してみた。その他の優勝した選手も見られました。(リンクは下記より)
http://www.youtube.com/watch?v=AlEydUdhMX8
晴れ曇「メトロポリターナ」2009.9月号より。すっぱい汗汗

ここに興味深いアンケートとその結果があった。「あなたは、“才能がある”と思える事柄を持っていますか?」というものだった。「もっている」と答えた人は10.9%、「得意なことはあるが、才能とまでは言えない」が55.1%、「もっていない」は34%という結果だった。

これはウェブによるアンケートで対象は働く女性20~39歳、7098名の調査結果だった。約1割が才能をもっていると考えていて、そのうち7割以上が仕事にいかしていると回答していた。やはり自信があれば、それを仕事に活かすこともできるのだとわかる。そんな人は仕事をやりがいをもってやっていることだろう。

またアンケート結果では「才能とまでは思えない/もっていない」という人は9割だが、そのうち7割の人が才能を見つけたいと思っているようだ。ただし、そのためにどう行動したらいいかが分からないらしい。

つまり具体的に考え行動することが難しいのだろう。たとえ特別な才能が見つからなくても、そこそこ仕事にやりがいをもてればいいとは思うのだが・・・。ほとんどの場合は、多少の不満はあっても、今のままの生活で我慢するほうが多いかも。

以上は働く女性へのアンケートだったが、働くオジサンだって同じようなものではないだろうか。ただし、年をとるほど努力をするのが億劫になりがちだったり。(これは自分のことだが・・・)