「知の休日」五木寛之著より。

これは“アートと遊ぶ”という章にあったフレーズだが、もともとは伊集院静さんのエッセイの一部だった。誰か専門家にこれは名画だと言われれば、その先入観で作品を見てしまうもの。しかし、美術館で自分のお気に入りの一点を探してみるというものけっこう知的な楽しみと言えそうだ。

ただし美術館も画廊もちょっと有名な展覧会、とくに印象派の作品だったりすると長蛇の列が出来やすい。地方都市でも一週間で十数万人を集客してしまったりする。もしそうなると、絵画より人の頭を見る時間のほうが長くなってしまいそうだ。


やはり絵画はゆったりと気持ちのゆとりをもって眺めたい。気に入れば同じ作品を何度でも見てみたい。五木氏はかつて、ルーブルも大きいが、エルミタージュ美術館を丹念に見てまわると三ヶ月かかると言われてげんなりしたことがあったという。それにしても日本とはスケールが違いすぎる。

しかも、名画をちゃんと見ると疲れるらしい。それは作品自体がものすごいエネルギーを持っているからだという。ちょっと面白い表現だ。画廊には時どき行って目的もなく眺めることはあるが、最近は混雑がいやで美術館にまで足を運ばなくなってしまった。

今度、あまり混雑しない美術館で自分のお気に入りの「この一点」を探してみるのも悪くなさそうだな。これもまた雨の日のいい過ごし方かもしれない・・・

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今日は朝の予報どおり、夕方から雨になった。カラ梅雨の感じがしていたので、ありがたい気もする。ただし、これが続くと実にうっとうしい。

夜に雨が降るなら、家にいればあとは寝るだけだからとくに気にすることはない。ただし連日の雨だと困ることも多い。うっとうしいと考えたらなにもしたくなくなってしまう。

雨が降ってきて助かったと思うのは、狭い家庭菜園の野菜に水をやらなくても済むからだ。とは言っても降りすぎも困るが。自然の天気にちょうどいいはなかなかありえない。

そこで、雨だからこそふだん手をつけられないことをやっておこう、と考えればかなり前向きかもしれない。たとえば、押入れや机の引出しの中や本棚の整理。これらは意外に時間をつぶせる。キッチリ出来れば達成感を味わえそうだし。

また、パソコン内のデジカメで撮った写真の整理。またはアルバムの整理。さらに、パソコン内の不要なフォルダやファイルの削除もめったにやってないことだ。しかも、写真などの画像を眺めているうちに、撮影した当時のことなどを思い出したりしてしまうもの。そこで、また余計な時間がつぶれる。

もっとも、一般的なのが晴耕雨読、つまり読書だろう。買ってはあったものの、まだ読んでなかった本や雑誌があったりする。そのうち、と思っている間に半年が過ぎていたり。もし、時間があれば気になった本を探しに図書館に出かけるのもいいかもしれない。

日本では四季のほかに、梅雨という別の季節が存在しているようだ。ジメジメとして蒸し暑いし外出するのも億劫になる。洗濯物も乾きにくい。外出時に夕方から雨になると予報されれば、とりあえず邪魔な荷物になる傘を持って出かけねばならない。

もっと暇があれば、過去の日記を読み返すのもいいかもしれないが、そんな時間はないかもしれない・・・な。
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「pront pront?」2007.7月号より。

“若シャチョー”というコーナーに登場していたのはトレンダーズ社長の経沢香保子さん(34歳)だった。かなりの美人だ!ここには“20歳から34歳の感度の高い女性をトレンドリーダーとしてネットワーク化し、収集した情報を企業の商品開発に活かすマーケティング手法で成長する”と紹介されていた。

つまり、女性に特化した未来予測型マーケティング企業というわけだ。経沢さんが起業したのは26歳のころだったという。はじめから順調に行ったわけではなかった。業績も思うように伸びず赤字も経験していた。

壁にぶつかるたび、別のアイデアと行動力で乗り越えてきたと振り返る。そして、今まで500回もう辞めようと思って、501回やっぱり続けようと思い直したから今があるという。とは言っても、まだ若い。

501という数字は「七転び八起き」と比較しているのだろうが、そんな数ではまだまだ甘いと言っているようだ。それくらい多くの挫折を乗り越えてきたという意味に違いない。また他にないビジネスモデルだという自信が、推進力にもなっている筈。

2000年4月設立、資本金1億6600万円、従業員25名をかかえる。さらに今年は売上げ100億円を目指しているというからスゴイ。この分だと、そのうち千転び千一起き?とも軽く言ってのけそうな気もする・・・な。

詳しくは→トレンダーズ 。経沢さんのアメブロ

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「知の休日」五木寛之著より。

さすが、五木さんだ。面白いところに気づいている。今までなんの疑問も持たずに、古本屋の店名だと見過ごしてきた。意味を考えてみれば、OFFは確かに、離れるというような感覚がある。

ある意味それは正しい使い方でもありそうだ。なぜなら、店頭の看板やチラシにはいつも「お売りください」と表示されているからだ。つまり、家にある本を手離してくださいとお願いしていた。

古本を安売りしているから○%オフということばかり頭に浮かんでいたが、そればかりではなさそうだな。たまに時間があれば、覗いてみることはある。100円コーナーでお気に入りの本が見つかれば得した気分にもなれる。

以前不要な本を整理して何度か売りに行ったことはあるが、実に安く引き取られ、一部は値段がつかずガッカリしたこともあるが。本はいつしかどんどんと増えてしまうが、まとめて手離すとなるとその選定にかなりの時間を費やしてしまう。つまりふんぎりがつかないことがある。

五木氏自身も、学生時代高田馬場の古本屋で買った本さえ捨てられずにいるという。最もお気に入りの本を数冊だけ残して、あとは処分するとなると実に難しい。数冊の本を買うよりずっと困難なことだろう。(あと私の場合、一度に大量の本を動かすのは腰にも悪そうだな・・・)
「メトロミニッツ」2007.6月号より。

七夕が近づいてきた。幼い頃は色とりどりの短冊にいろいろと将来の夢や願いをしたためて、笹の枝につるしたものだった。「~になれますように」「~ができるようになりますように」などと。

しかし、大人になるにつれて、そんな行事からは遠ざかってしまう。サンタクロース、UFO、白馬に乗った王子・・・何もかも信じることはない。目の前にある厳しい現実ばかりで、いつしか夢もロマンもなくなっている。

さて、前置きばかりが長くなってしまったが、新潟の栗山米菓では七夕限定で「お願いばかうけ」を発売している。そこには煎餅と一緒に短冊が一枚入っている。その短冊に願いを書いて、会社宛てに郵送すると「ばかうけ稲荷」に奉納してくれるというのだ。この稲荷は会社内にあるものだ。

さらに先があった。奉納された短冊は旧暦の七夕(8月7日)福岡県小郡市にある日本で唯一、織姫様を祭った「七夕神社」へ社員の手で届けられお焚き上げをしてもらえるという。実に手間暇かけている。

ふつう、プレゼント企画なら応募者に何か賞品を送っておしまいだ。しかし、ここでは何も手元に届くわけでもなかった。こんな“何ももらえないキャンペーン”なのに、昨年は5400通もの短冊が届いたという。まだまだアナログはあなどれないな。星に願いを込めたい人・・・これからも増えそうな気もするな・・・・

確認はこのサイトへ→http://www.baka.to/tanabata/tn_top.asp
ブログをスタートしてからいつしか二年間が過ぎていた。

それより以前には2001年からホームページをやっていた。そこではただのコラム風の独白のようなものでもあった。そして、簡単ホームページは2004年5月からはじめていた。これはほぼ今のブログと同じようなスタイルで書いていた。そして2005年6月からはアメーバでブログをスタートしていた。

ブログをいったん始めてみると、ホームページよりアップするまでの時間も少なくて済むことがわかった。覚える技術もほとんどなく実に簡単だった。それ以来だらだらと駄文を書き続けてしまった。もうほとんど惰性に近くなっているかも。

ブログを始めたおかげで今まで以上に(コメントを通して)多くの方々との交流をさせていただき感謝、感謝の毎日。自分の思いつきよりもむしろ内容のある嬉しいコメントに啓発されている次第。

いったん書いてしまうと、自分ではほとんど読み返したりしない日記ばかり。いったい何のために書いているのか分からなくなっている。振り返ってみれば、きっとコミュニケーションが嬉しいのかもしれない。自分一人じゃきっと2年間も続けられなかった・・・な。
「知の休日」五木寛之著より。

この本のサブタイトルは“退屈な時間をどう遊ぶか”となっていた。五木氏は自らの経験を通してさまざまなものに関心を持ち、それを遊びとしてきたようだ。車、絵画、健康、靴、本、・・・あらゆるものにこだわった結果の遊びでもあった。

さて、タイトルにあげたフレーズだが、これは五木氏個人の経験から出たことばだった。氏は常に締め切りに追われストレスのたまる仕事をしている。しかし、たまの休日には過度の緊張から解放され自由な一日を過ごすこともある。

ところがそんな時に限って、妙に頭が重くなってせっかくの休日を台なしにしてしまったこともしばしばだったという。この休日性頭痛の原因は、突然の心的弛緩にあったと判断している。過度の緊張の持続から、一挙になにもしなくてよい状況に投げ出されるからのようだ。その劇的な落差が心身の安定を失わせていたという。

結局その対処法としては新鮮な(楽しみのある)緊張感を用意することも必要だったと述べている。休日には自分に何らかの課題やテーマを与えて過ごすことがよさそうだ。むしろ軽いストレスはあったほうが、心身のためにはよさそうだ。好奇心や知的な楽しみもそのなかに入っているだろう。人に読まれるこんな日記も悪くないかな・・・
「素晴らしき日本野球」長谷川滋利著より。

昨日のネットや今朝の新聞のスポーツ面では、桑田真澄投手とイチロー選手のメジャー初対決について触れられていた。すでにメジャーを代表する選手として活躍しているイチローと39歳のオールドルーキーの桑田投手との対戦は実に興味深い。

日米を通じても公式戦初顔合わせでもあった。今回は緻密な投球術とコントロールに勝る桑田投手が三振を奪うことができた。しかし、これは“たまたまのこと”と控えめの発言をしていた。

そんな彼らも高校時代は厳しい猛練習に耐えて、日本のプロ野球を代表するプレーヤーだったからこそ、メジャーという舞台に立っていられるのだろう。長谷川も言っているが、日本の高校野球のレベルはアメリカよりはるかに上を行っているようだ。それは素晴らしい指導者と長時間の猛練習の賜物だろう。

しかも、それを可能にしているのは、上記フレーズにもあげた「野球留学や寮の設備といったインフラが整備されている」からだと長谷川は指摘している。ここでは、触れてはいなかったが、さらには今春マスコミで大きく取り上げられたように、「特待生制度」(授業料の免除など)もインフラとして大きくかかわっている。

高校によっては、レギュラーのほとんどが特待生のチームで構成されていた。甲子園を目指す高校野球は進化しすぎている、とも長谷川は指摘している。場合によってはプロに入る前に身体を痛めている場合さえある。

メジャーリーガーの中には40代半ばでも活躍している選手もいる。そんなことを考えると、今後は長くプロで活躍できるためのインフラも整備してもらいたいものだが。若い力強さもいいが、メジャーでも通用する桑田投手のようなベテランの技も捨てがたいと思った次第。
「ENGLISH JOURNAL」2007.6月号より。

(前日と同じインタビュー記事より)
では、一番いいのは何かといえば原書を読むことです、というわけだった。この部分は原文では、次のようになっていた。

“Translation is always a compromise.The best thing is the original.”

ここでは、compromiseが妥協という意味さえ分かれば、頭にはすっと入ってくる。とは言っても、原書などそう誰でも読めるわけないか。

そして、インタビュアーが、翻訳は翻訳者の解釈ですね、と言っている。すると、ルービン氏も、そのとおり音楽みたいなものと答えていた。「翻訳者はピアニストみたいなもので、作曲はしないけれども、原曲の楽譜から音楽を解釈するわけですから」と述べている。この例は実にわかりやすい。

同じ原書も翻訳者によって言葉使いも表現も異なってくるのはそのためだった。もっとも身近なところでは、同じ歌でも異なる歌手が唄えば別の雰囲気に聞こえたりもするか。この場合は妥協というより、それだけ楽しみ方も増えるということ・・・かも。(やや話はずれてしまったかな)
「ENGLISH JOURNAL」2007.6月号より。

ルービン氏が、『ノルウェーの森』を翻訳した時、とてもおかしなミスを犯していた。それは、「できればかわってあげたかった」という文を「できればわかってあげたかった」という文であるかのように訳してしまったのだ。

つまり「か」と「わ」を頭の中で勝手に入れ替えて、勘違いをしてしまったのだ。当然筆者の村上は気づいて間違いを指摘してくれたのだ。さらに自分が漢字を使わなかったことを謝ってくれたという。

そして、まるで村上自身の手ぬかりだったようにルービン氏に謝ったという。そんなところからも、彼(村上)をいい人だと言っている。ここで重要な部分は、英語のセンテンスでは、“As though it were his mistake.”という部分だった。

この“As though ・・・”を使うところにも今度はまたルービン氏の優しさも見えてくる・・・な。