「メトロミニッツ」2007.2.20号より。

ここではまた別の視点から贅沢ということをとらえていた。藤原新也氏(作家)は「毎年の年の始めに一回、浪費とも言える贅沢をすることに決めている」という。

しかも、それはフグ、ホッケ、チャンポンなどをその年ごとに食べることだった。なんで、それが贅沢なのか?と思ってしまう。

しかし、彼の場合一杯のチャンポンを食べるためにわざわざ本場と言われる現地、長崎まで行くのだ。つまり、食べものに比べて交通費、宿泊代などのほうが数万円もかかる。チャンポン一杯はせいぜい800円程度だ。バカバカしいと言ってしまえばそれまでだが。

いくら本場とはいえ、食べものが安くて旅費、宿泊代が高いほど贅沢感が増すような気もしてくる。他の目的はなくただ決まったものを食べるためだけに行くというのは実に贅沢だ。浪費するのはお金だけではなく時間もそうだ。

地元や勤務先の近くで食べるなら、数十分で済んでしまうものを、場合によっては往復で40時間以上もかけることになる。そのほか出発までの準備も入れたらさらに費やす時間は増えるだろう。

たった一つのものを目的とするために生じる時間やお金の浪費は実に贅沢なものと気づかされる。効率が悪いことは贅沢であるのかも。いつもは急行電車に乗っているのに、同じ距離を行くのに各駅停車にゆったり乗っているだけでも・・・かな。
AD
「すべての愛について」浅田次郎著より。

この本は浅田氏と各界の人たちとの対談集だった。上記のフレーズは北方謙三氏との会話のなかに出てきたもの。このあとには「・・・ある心の豊かさみたいなものを獲得したということなんですよね。」と続いていた。

それに対して、北方氏は、かつて「三国志」を執筆中は他の出版社からの仕事はしなかったが、終わったとたんに原稿依頼が集中してしまったと語っている。結局そんな状態のなかでは、贅沢など感じていられないという。

そして、この二人の人気作家にとって一番贅沢なことは、自由な時間を獲得できたときだという。人気作家ゆえに収入は多くても、奪われる時間も大きいということか。まあ、金とヒマの両方があれば一番いいのだろうが、もしそんな機会があったとしても若さやパワーが失われていたりして。

北方氏はたとえ、お金をたくさん遣ったとしても、満足感よりも浪費をしたって思ってしまうらしい。やはり安心して一人で自由な時間にひたれるときは一番の贅沢のようだ。(しかし有名人ゆえにそれも難しそうだが)

時間のことを考えれば、自分では贅沢をした意識はなくても、若い頃を振り返れば無駄な時間を過ごしたことが贅沢だったかも、と痛感してしまう。(今でもだらだらと過ごしてはいるか・・・)
AD
「メトロミニッツ」2007.2.20号より。

ある都内の居酒屋の紹介記事の中にあったフレーズ。さまざまなメニューがある中で、その店の得意料理は意外にもありふれた「特製煮込み鍋」(380円)だった。人気の一品らしい。

ふだん私たちは、意識して少しだけ上質な時間を過ごそうと思ったりするだろうか。仕事がそれなりに充実していたり、家庭生活が楽しければそれで満足しているのではないだろうか。

一日のなかでのちょっとしたアクセントになるようなひとときがあるとウレシイかもしれない。仕事のあとで(アフターファイブ)気の合う仲間と酒を酌み交わすことが、アクセントだという人も多いだろう。

また特別なお金を使わなくても、どこかでお気に入りの本を読んだり音楽を聴いたり、時には画廊めぐりなどをしても上質な時間は過ごせそうだ。散歩や運動で体を動かし汗を流したり趣味に没頭できるなら気分もリフレッシュできる。

最近は一日の区切りはブログやネットサーフィンだという人も増えているでしょうね。などと思いながらふと、自分のことを振り返ってしまった。

こんなささやかな日記(ブログ)でも、読んでくださる方々がいることが確認できた時、それは自分にとっては上質な時間に変化するような気もしてきた・・・な。(書いてある内容は別として)
AD
「食の堕落と日本人」小泉武夫著より。

「彼は切れ者だ」という表現ならば、ほとんどイコールで“頭がいい”とか“仕事ができる”という意味だろう。しかし、単に「彼は切れる人だ」となると別の意味合いを持ってくる。さらに「切れやすい人」となるともっと困る状態だろう。

そうなると、それまで抑えていた感情が突然プッツリと切れて、暴力的な起こしてしますことを意味している。そのように切れてしまうのは、社会経験の少ない若者の方が多いようだが、気の短い大人もたまに見かける。事件はかっとした勢いで起こるものも多い。

ちょっと叱っただけでもすぐに切れてしまう小中学生もいる。そして、身近にある刃ものやモノを凶器として使ったりしてしまう。こんな事件の記事はしばしば新聞でも目にする。

筆者によれば、そういう子供はふだんからしっかりとした食事をしない子である割合が高いという。さらに、勉強などの集中力にも影響しているようだ。

子供の頃の偏食によって性格や気質にまで影響してしまうか。うちの子供らの場合を振り返っても何となく納得できるところもあるな~~
「食の堕落と日本人」小泉武夫著より。

納豆ダイエットの捏造番組事件が起こる数年前に書かれたのが同じ筆者による「納豆の快楽」という本だった。実はこの本はまだ読んだわけではない。ただこのタイトルが発酵の専門家である筆者らしいと思った次第。

昨日(2/23)の朝日新聞朝刊には、「納豆売り上げ、先月1.7倍」という見出しがあった。これは、番組をきっかけに納豆消費に目覚め、そのまま習慣になった人も多いということらしい。ダイエット効果の期待よりも美味しいから食べ続けているのかもしれない。

ところで、かつて赤ワインブームというのがあった。それはブドウの皮の中にポリフェノールという特殊な物質があって、それが血栓を溶かす働きがあるとマスコミで宣伝されたからだった。

赤ワインを飲んでいれば心臓発作も防げるだろうというふうに思われたのだ。しかし、そんな赤ワインブームの前から日本は世界一の長寿国でもあった。筆者によれば、納豆に含まれるナットウキナーゼという成分のほうが赤ワインのポリフェノールよりも血栓を溶かす力が何十倍も強いという。

ダイエットとは関係ないかもしれないが、もし健康のためなら高い赤ワインでなくて安い納豆でも十分だということになる。私は赤ワインも納豆も両方とも嫌いなほうではないが。
「食の堕落と日本人」小泉武夫著より。

鰹節といえば、目につくのは今ではもう削られたものが真空パックに入っているものばかり。しかし、私が子供の頃には木よりも硬い鰹節をカンナのついた削り器でゴシゴシとやって削ったものだった。今一般家庭でそんな削り方をしている人は稀だろう。

やはり削りたての香りはなんとも香ばしいものだった。この鰹節は世界でも群を抜いて硬い食品だったのだ。こんなに硬くなるのは、はじめカツオのいい部分をそのまま切りとって乾燥させただけのものかと思っていた。

しかし、実はそうではなかった。あの硬さは表面にカビを増殖させたものだという。一番カビ、二番カビ、三番カビまで発生させることで、鰹節内部の水分がカビに吸い取られてしまうからだった。

乾燥させるだけでなく、イノシン酸を中心とした旨み成分をつくり出してくれる。筆者は鰹節は日本料理の世界遺産とまで述べている。作るまでは実に手がかかっている。カツオを三枚におろしそれを煮る。薪を燃やしてばい燻し、それにカビをつけて作っていたのだ。

これを読んだ後、急に鰹節が食べたくなって、夕食時にパックに入った鰹節を納豆に入れかき混ぜて食べてみた次第。気のせいかやはり一味違っていた・・・な。
「朝日新聞、朝刊」2007.2.20付けより。

そう自ら言えるのは精神力が強い証拠だろう。彼はマイナー契約なのに普通紙の4分の1を割いた記事の扱いになっていた。それだけほかのニュースがなかったのかもしれないが。

その彼とは、桑田投手(38歳)のことだ。この2年間でも1勝8敗という成績だった。それにもかかわらず、約5千万円ほどでパイレーツとマイナー契約できたのは過去21年間の実績が考慮されたからだろう。

今の彼の強みは打球処理が抜群に上手いことだろうか。あとはコントロールが実戦の場でどれだけ通用するかが問題だろう。今までの21年間プロで蓄積した経験や技を発揮してもらいたい。

家族を国内に残し、自らに一人暮らしの生活という試練を与えている。そこでは、食事、洗濯、買い物もすべて一人でやっている。当然通訳もつけてはいない。他の日本人メジャーリーガーと比べても苦労が大きいことだろう。

しかし、苦労をするのが自分のスタイルとまで言い切っている。たしかに国内での現役時代からマスコミには叩かれ続けてきたから打たれ強いのだろう。まるで修行僧のようにも思える。

通算200勝まであと「27」なので、狙いたいという。そのためにはまず、メジャーのマウンドに立てるかどうかが当面の課題だ。とにかく日本人メジャーが一人でも増えれば野球ファンとしては楽しみも増してくる。ぜひ頑張って欲しいものだ。
「朝日新聞、朝刊」2007.2.20付けより。

この原石とは(編集委員の西村欣也氏の表現で)、プロ野球楽天に入団した高校生ルーキー田中将大投手のことだった。

どんな経験かといえば、紅白戦で前回に続いて2本の本塁打を打たれたことだろう。田中はこれで“プロはいくら速い球を投げても打つ。・・・ボール球を打たせたり、力まないで投げたりしないとだめ”と感じたようだ。

それに対して野村監督は「・・・コントロールの重要性が分かってくれればいい。思考が人生を決定する」と述べている。

さらに、「阪神に入ったばかりの井川によう似とる。ヘボ投手やったんや。それが今や大リーガー様やからな。考え方ひとつで変わる」と、さすが味がある言葉だ。

田中に限らず、プロに入団する新人選手はすべて“経験という粗いヤスリ”をこれからどんどんとかけられていく。そして才能があれば光ってくるのだろう。

まあ、似たようなことは新入社員にも言えることだが。ヤスリ研ぎに耐えられるかどうかが問題かな。今は3年以内に退社してしまう新人が多いようだが。

まあ中には何年もかけていくら磨かれてもただの石ころだったり、擦り減るだけだったり・・・(自分のことかも。)
一昨日は第1回「東京マラソン」が開催されたが、生憎の雨のスタートだった。たまたま新宿にいた私は青梅街道沿いでしばらくの間野次馬になって、都庁からスタートしたばかりのランナーたちの流れを目にした。雨の中を傘をさして見ているだけで寒さがしみてきた。

カッパを身につけ道路幅いっぱいになって走るランナーたちの姿は、まるで民族大移動のようにさえ見えた。その群れはなかなか途切れることはなく、その多さに圧倒された。

約3万人の市民ランナーたちは約95000人の中から抽選で選ばれ1万円の参加費を払った人たちだった。それほどマラソン参加希望者がいることにもちょっとビックリ。

まあ、ランナーは好きで走っているのだからいいが、それを支えるボランティアも1万人以上いたという。交通規制も厳しく、警視庁や東京消防庁も約7000人を動員する厳戒態勢だったようだ。

翌日の新聞によれば、参加者の荷物を11トントラック約40台でゴールに運んだという記事を目にして改めてすごい量に驚かされた。しかも、ゴール地点ではその受け渡しに1時間以上待っても荷物が出てこないなどのトラブルがあったようだ。

またあるランナーはゴールまで3回トイレに寄ったが、いずれも5~10分待ちだったという。寒い中では生きた心地もしなかったであろう。トイレ不足も今後の大きな課題のようだ。やはり、大量のボランティアがいなければ、このような市民参加型のマラソンも成り立たないか。
「メトロポリターナ」2007.2月号より。

いつも思うことだが、日本人ほどモノの包装にこだわる国民はないのではないだろうか。すでに紙にくるまったものでも、箱に入れられさらにその上から包装、リボンがけなどがほどこされる。そして手提げ袋に入れられる。それらが実に丁寧になされている。当然かなり過剰包装でもある。

日頃のパーソナルギフトではその仕上げのラッピングが大事な要素にもなっている。花にしろ、箱入りのプレゼントにしろ、それがどんなふうに包まれているかで贈られたときの印象は異なる。

包装紙やセロファン、リボン、紐までも豊富な色、柄が揃っている。それらはしばしば別途かなりの料金がかかることもある。和風、洋風さまざまだ。それだけ贈る商品の価値が高まり、贈り手の気持ちも込めらるのだろう。

また、それとは別に冠婚葬祭時にはお金で贈る場合もあるがそんな時も熨斗袋がちゃんと用意されている。しかも水引の色や結び方、本数もそれぞれ異なっている。そう考えると日本では贈り物の際には実に細かい取り決めがあることにも気づく。

また正月に子供たちが楽しみにしているお年玉用にもちゃんとかわいい小さなポチ袋が用意されている。ちょっとした贈り物にもちゃんとそれなりの袋や包装紙が用意されているのは日本独特なものだろう。

だからといって、資源のことを考えれば、過剰包装はよくない。最近はデパートなどからの贈答期の商品配送の際には簡易包装が増えているのはいい傾向だ。

贈り物は包装紙や箱を開ける瞬間がいちばん楽しい。そして、いつもキレイな箱や包装紙、リボンを捨ててしまうのはもったいない、と思ってしまうのは貧乏性だから・・・かな。