「暗黙のルール」海老沢泰久著より。

私たちが住んでいる社会は見えない法律や条令といったルールによって成り立っている。かかわりがなければ、空気のような存在だ。ルールによって守られている部分は多い。

たとえば、車を運転しなければ本人にとってスピード違反も駐車違反も関係はない。しかし運転者にとっては車検だって運転免許の更新だってルールのうちに入る。

一般的にルールを意識してみるのはスポーツだったりする。スポーツには細かいルールが決められている。それは窮屈なものだが、だからこそゲームが楽しくなるともいえる。

サッカー観戦でもやっとゴール!、かと思えばオフサイドのこともしばしばで歯がゆい思いをするもの。また、ラグビーでは後方の選手にしかパスはできない、しかし前に進まねばならない。

しかし、そんな歯がゆさはどちらのチームにも同じだけある。どちらが有利ということもない。せいぜいあるのは、ホームかアウェイで、地元応援団が多いか少ないかで、ルールとは全く関係ない。甲子園球場で、たとえ9割が熱狂的なタイガースファンでもグラウンドでは、決められたルールで坦々とゲームは進んでいく。

しかし、ゴルフではそうでもない。審判はその場にはいない。だからもし、プレーやストロークをごまかそうと思えばできてしまう。当然満足感は失われてしまう。考えてみれば、審判がいてルールをもとに判断を下してくれることはありがたいことなのだ。

打ったボールはほんのわずかでも打ちやすい場所に動かしてはいけない。またラフの長い草を平にならしてもいけないのだ。だから、どんな場合でも紳士であることを要求される。自己管理でプレーすることは逆に厳しいことなのだ。

日々の生活の中でも自己管理せねばならない時は実に厳しい。“休肝日”を作ることは大変なこと。とくに、“ま、いいか”が毎日の私には。
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昨日、図書館についてちょっと触れたら思い出したことがあった。

図書館は本や資料を読んだり探したりする場所であると同時に、ときには学習する場所でもある。図書館で学習室があるところは季節によっては、その9割以上が受験生で占められている。

そこではほとんど話し声が聞こえない。まるでその静寂さは人がいないようにさえ思えたもの。身近にある異空間でもある。かつて自分も利用したことがあった。さらに時間を気にせず無料であるのもありがたい。

さて、タイトルにあげたのはフレーズではなく本の題名だった。つまり映画の中には本屋や図書館が意外にも多く出てくるというものだった。

たとえば、学校などの場面では教室、グラウンド、校門などのほかに学校らしさを表現するために図書館も映しだされていたのだ。それは主人公たちの出会いの場でもあったりする。

ちょっと面白いのは映画やドラマに出てくる図書館員というと、たいていメガネをかけて地味な女性というパターンになっていることだ。しかし、実際はそんなことはない。

この本、『映画の中の本屋と図書館』(飯島朋子著)は前編、後編の2冊になっていて約100の映画が取り上げられていた。これもかなりユニークな研究であると思えた次第。

だからこそ手にとって見る気になったのだが。当然この本に出会ったのは地元の図書館だった・・・
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「ゴールデン・ミニッツ」2007.1月号より。

これは“世にも素敵な、大人のための図書館案内”というコーナーにあったフレーズ。私も地元の図書館には月に2回程度は足を運んでいる。それは借りるためとその返却のためだ。

図書館はタダで読みたい本を借りられるからありがたい。日当たりがいいソファで新聞や雑誌などを眺めていると思わず居眠りをしてしまうこともある。

喫茶店と違って話し声が少ないのもいい。また、リクエストをすれば希望の本を図書館が購入してくれ、それを借りることもできる。2年前には、どうしても読みたいが値段がかなり高額だったので、図書館にリクエストをして買ってもらい借りたこともあった。

また、同じ本を10回以上も借りたりもしている。それは植物関連の本で書店では見かけないものだった。そんなものも入れると年間で60冊程度は借りている。

図書館では古本屋と同じく掘り出し物がある。それはすでに絶版になっているものも、蔵書として保存されていたりするからだ。自由な空間のなかで知らなかった本との出会いは楽しいものだ。

“知の森”という表現はその通りだろう。そこには知識、知恵、知性を磨くための書物が豊富に揃っている。しかも、最近ではパソコンですぐに探しているを検索できその本にたどり着けるのもありがたい。

蛇足


たまたま今日は仕事で六本木に出かけたが、そこには「国立新美術館」が開館している。国内で5番目となる。そこのアートライブラリーには、一般の図書館では扱われない貴重な資料もある。蔵書は5万冊。

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「軽いめまい」金井美恵子著より。

べつにこのフレーズの内容がどうのこうのというよりむしろ、センテンスの長さに驚き、ちょと気になったのだ。文にはふうつ句読点があるが、この文章には読点「、」は頻繁にあるものの句点「。」はなかなか出てこない。

区切りが長いため読んでいるほうが“軽いめまい”を起こしそうな気もしてくる。読んでいてもどかしくなるほど、しかし内容は理解できる。タイトルにあげた部分からはじまるワンセンテンスは実に長い。単行本の199ページから最後の205ページまで7ページにわたっていた。

最後は「少し吐き気がして、電車の振動とは別の軽いめまいのように、目の前が微かに揺れる。」となっている。そのほかのページも一文が4,5ページに及んでいる。かつて、分かり易く読みやすい文章はセンテンスが適当な長さで区切られているものと教わった覚えがある。

しかし、文芸作品ともなると文体やリズムがその作家の特徴ともなっていることに気づく。長いセンテンスの中には会話の部分まで流れるように収まっていた。たとえば「・・・しかたなくつきあったんだけど、サテンで、あたしのこと好きか、なんて何度も訊くから、そんなこと、関係ねえーだろーって黙ってたら、・・・」という具合に。

ただし、長かろうが短かろうが形だけを素人がまねてもダメな文章になってしまうに違いない。内容がしっかりと伝わり、長年の修練の後に完成、到達した作品だけが世間的評価を受けるのだろう・・・な。
「PRESIDENT」2007.1.15号より。

この前提には、レッドソックスが松坂との交渉に約60億3000万円をつぎ込んだことがある。つまり、、正確な金額は5111万1111ドル11セントであったことだ。ここでのポイントは5000万ドルでも5100万ドルでもなく511という数字だった。

これはかつて、レッドソックスに在籍した伝説的なメジャー最強の投手サイ・ヤング(1867年生)の通算勝利511勝にちなんだものだった。この偉大なピッチャーの名前は現在でも、そのシーズン最高の投手に与えられる「サイ・ヤング賞」として存在している。(日本で言えば沢村賞だろう)

つまり、511という数字は球団の松坂への期待の表れに他ならない。この松坂争奪戦で敗れたのは、ライバルのヤンキースだった。そして、井川に対して落札した額は約30億円と高額だった。これも正確には2600万194ドルとなっている。その端数の194ドルとは、昨シーズン井川が奪った三振の数と一致している。

30億円という額は、外国人選手を除く阪神選手の年棒総額(29億円)に匹敵する。これは松坂への入札額35億4000万円がそっくりそのまま宙に浮いたからということもあるだろうが。

ヤンキースはこんなところで、松坂争奪戦に敗れた憂さを晴らしていたのだ。まあ、これだけ高額な入札を経て入団したからには井川には先発5人枠から外れて欲しくないもの。

それにしても、日本では契約金に数字でユーモアを示すなんてことはありえないだろうな。ユーモアはいろいろな面で余裕がないと・・・ですね。

(この記事は「R25」2007.1.26号も参考にしました。)
「産経新聞」2007.1.26付けより。

もし、映画ファンならこれだけで何の映画か想像できてしまうかもしれない。これは1月27日公開の作品『幸せのちから』について書かれている部分にあったもの。

ここにあった内容を要約すれば次のようになっていた。全財産が21ドル(約2500円)の子連れホームレスから億万長者になった実在の人物、クリス・ガードナーの波乱の半生が描かれている。

主人公のクリスはセールスマンをしていたが、仕事で失敗し生活は苦しくなってしまう。挙句の果てに妻には逃げられる。息子と2人でアパートで暮らすが家賃も払えなくなってしまう。そしてホームレスに・・・。しかし、ひょんなことから、一流証券会社の見習い社員に採用される。しかし正社員への道は厳しい・・・。

クリスが人生のがけっ縁から奇跡の大成功を収めることができた要因は、その明るさにあったようだ。さて、タイトルにあげたフレーズだが、これは2年前、ニュース番組で半生を紹介された際のクリスの発言だった。しかし、映画ではそれがセリフとして盛り込まれてないらしい・・・・

このフレーズがちょっと気になったのは、ただ“ホームレス”と“ホープレス”の言葉を並べた鮮やかさにうなってしまったからだった。(少しだけ真面目に考えれば、どんな苦境に陥った時でも希望さえ失わなければ克服できることもあるというメッセージだろう。)まあ典型的なアメリカンドリームでもあるな。
「叱ってちょーだい」リクナビNEXT編集部編より。

これも藤原和博さんが相談された悩みに答えていた。悩みは「新人に嫌われずに注意したいが、うまくいかない。強く注意したいができない。」というものだった。

所詮、一生嫌われないで生きていくこと自体が無理なことなのだ。藤原氏は次のように答えている。「9割の人に嫌われても結構。そのかわり1割の人をクリエイティブに10倍楽しませたいもの」と。

もし深い交流をしようと思えば、100のエネルギーを100人に分散するよりも、10人に注いだほうが効率はいい。わずかな人でも徹底的に感動を与えることがでくきるなら、その他の人に嫌われてもそれほど気にはならない筈というようなことも述べている。

これは、スキマビジネスにも似ていそうだ。オタクといわれるマニアックな世界で商売が成り立っているのは、その趣味の人たちに十分な満足感を与えているからだろう。しかし、大多数には全く関心がないことでもある。

趣味の世界では、よくそんなもので大きな商売ができているなと思えるものが多い。私の知り合いにもある高級玩具を取り扱っている男がいる。それでも客筋がしっかりしているせいか、かなりの商売になっている。並みのサラリーマン以上の収入があるらしい。

話しがかなりずれてしまうが、大多数にとっては関心が無いことも興味を持つごく一部の人に十分な満足を与えられれば、それで商売になって優雅に暮らせるものだな~。

いずれにしても好きなことを仕事にでき、かつそれなりの能力が必要そうだな。また、嫌われることを恐れてばかりいたら何ごとも前には進まないか・・・(いつも我慢じゃストレスたまるし)
「叱ってちょーだい」リクナビNEXT編集部編より。

藤原和博さんが、ある店で働く若い社員の悩みに答えていた。彼の相談は次のようなものだった。「その店では店長以外は正社員は自分一人だけであとはバイトばかり。しかし、経験が浅くてうまくまとめられない。」という。

たしかに、人の心をつかむのはそう簡単ではない。藤原さんは人の意識をつかむには芸があるかないかが、大事なことでもあると述べている。それは言葉を変えれば特技と言ってもよさそうだ。

もし、そんなものが無いなら、誰よりも猛烈に働くことを勧めている。つまり、“一番働いていること”自体が芸にもなるという。自分ひとりで掃除する。しかもおどろくほど、キレイにしてしまうとか。

この応用はかなりある。机の上や仕事のスペースが常にきれいに整理整頓されている。事務用品、ファイルがサッと取り出せるようになっている。コピーについては熟知していて誰よりもスピーディーにきれいにできる。会社周辺の地理に詳しい。取引先の名前や電話番号を大量に覚えている。ホームページを簡単に作ってしまう。外国語や計算能力が人よりかなり優れている・・・。

また仕事とは関係ないが、カラオケが抜群にうまいとか海外を自力で2年間一人旅をしてきたというならすごいかもしれない。結局今のままの自分で勝負できないと思ったら、何かで自分を磨く、またはその場に留まって一番働くしかないようだ。(若いうちっていろいろ可能性があっていいな~)
昨日、アントニオ猪木の(意外に思えた)ちょっと気になるフレーズをとりあげたら、ふと思い出したことがあった・・・

かつて多くの野球少年たちが長嶋や王にあこがれて、実力のある選手はプロ野球の世界に入ってきた。同様に、現役のプロレスラーの中には馬場や猪木にあこがれて格闘技のリングに上がっている選手も多いことだろう。

プロレス界では昭和50年代には新日本の猪木と全日本の馬場が頂点に立っていた。今でもリング上のまるで鬼のような形相の猪木の姿が目に浮かぶ。“燃える闘魂”とうキャッチフレーズがぴったりだった。パワフルでストロングスタイルの試合はファンを楽しませてくれたもの。

プロレスがまだゴールデンタイム(夜8時台)に放映されていたころだ。テレビ画面を通じて猪木の力強い姿が十分伝わってきた。(私自身、当時は会場に足を運んだりプロレス雑誌を読んだものだった。)

ところが、還暦を過ぎレスラーを引退してからも、彼の強烈なキャラクターでテレビCMやマスコミにもしばしば登場している。意外によくしゃべる人だ。バラエティー番組では大口を開けてゲラゲラと笑っている。

そこからはかつてリングの中で大技を繰り広げ死闘を繰り返した姿は想像できない。まるで別人のようでもある。ただ体のでかい、アゴのながい男としてしか見えない。しかし、いろいろな機会に呼ばれて笑いを振りまく姿にもある意味別の強さを感じている。

それは、私がかつて猪木と一緒に試合をやってきた同年代や後輩のレスラーたち(数人)を街で見かけているからだった。リングを離れた彼らはその後テレビやマスコミの話題にのぼることはない。また何より老け込んでしまっていて、外見からみても体のどこかが悪いことがうかがえた。体が大きいだけにより痛々しかったな。

それに引きかえ、テレビに出演し笑顔を振り舞いている猪木にはやはり強靭さを感じた次第。(実際には体のあちこちを痛めているはずだが)
「叱ってちょーだい」リクナビNEXT編集部編より。

あるフリーター(26)からの悩みに、アントニオ猪木が答えていた。彼の悩みは「子供の頃から役者になりたくて、オーディションを受け続けていたが、芽が出ない。そこで役者以外の職業は何が自分に向いているかわからない。」という内容だった。

猪木からは「甘ったれたことを言うな!」という厳しい言葉が投げつけられる・・・と思っていたが、そうではなかったのが意外。「旅に出て自分と向き合う時間を作ることが有益だ。大自然の中にいると、いろんな問題が小さく見えてくる」と述べていた。

猪木自身は、幸いに人を喜ばせるのが大好きで、リングに上がったら勝つことはもちろん、お客さんたちに喜んでもらうためなら、たとえ命をかけてもいい、とさえ思ってきたと述懐している。

そして、「人のために」という意識を持ってみたら、また違う自分が見えてくるはずだともいう。つまり、自分があれやこれが欲しいという前に「人のために~する」というところがポイントのようだ。

確かに自分がしたことで人に喜んでもらえれば、ちょっとした生きがいにも通じるだろうな。べつにそれはサービス業という職種には限らないかもしれない。