先日衝動買いしてしまったものが“カバンの中身”という商品であることは12月28日の日記でふれたばかり。

いま使っているその中に何が入っているかは、(人にはどうでもいいことだが)一年の最後に自分の記録として残しておくのも悪くなさそうだな、と思った次第。

すでに、リンクされたページで商品をご覧になった方も多いことだろう。つまり、カバンの中を整理するためにいくつものポケットがあって、マジックテープ付きのふたがついているものだ。それが、カバンのなかにすっぽりと入っている。その中に入っている雑多なモノたちは次のようなものだった。

サインペン、ゲル状ボールペン、メガネのスペア、胃薬、熱や痛み止めの薬(実際は薬類は年に数回しか飲んだりしないが)、ホカロン2枚(貼るタイプ)、セサミンE(健康食品)、ガム、せんべい2枚(いただいたもの)、ポケットティッシュ2つ、ハンカチ、ポストイット一束、一筆箋20枚ほど、付箋、ポケットカレンダー、爪楊枝、カード電卓、名刺数枚、情報カード(12.5センチ×7.5センチ)5枚ほど、文庫本1冊。以上がそれぞれのポケットに分散して入っていた。

さらに、バッグ本体のポケットには次のようなものが入っている。メモ用紙、ゼムクリップ数本、輪ゴム数本、ダブルクリップ2つ、新聞の切り抜き、映画のチラシ(平成19年3月3日公開予定の「蒼き狼」)などだった。

これだけ入っていてもノートパソコン一台よりもずっと軽い。いろいろなものが入っているだけでも、ちょっとワクワクするもの。この“カバンの中身”を楽しめる賞味期限はあとどのくらいあるのだろうか・・・?
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「天才の読み方」斉藤孝著より。

ここではシャネルについて書かれていたが、ちょっと意外だったのは彼女は幼い頃に母親が亡くなり、父親にも捨てられていたことだ。あれだけの世界的なブランドを作り上げた人だから、さぞかし裕福な家庭に育ったかと思っていたが。

自分で選んだわけでもないのに、孤児院の修道院で育っている。そして、その修道院の生活で得たシンプルな生活の価値観を逆に武器にしていたのだ。多くの人は修道院の生活など知らない。世間ではそのことが希少価値になっている。

シャネルのファッションには黒、ベージュ、白というようなシンプルな色使いが多い。これは彼女の育った環境から生まれたものだったのだ。

そういえば、私も春、秋のシャネルコレクションショーは何度か見学したことがある。(もちろん仕事でだが)会場の派手な大音響のなかでモデル達が身につけているファッションは、それほどきらびやかな色彩を放っているわけでもなかった。

むしろ単純化された色使いの印象が強い。実際シャネルブティックでもバッグ、財布などの小物から衣料品までそれほどカラフルというわけでもない。またそこの販売員のユニフォームも黒が多い。(黒や白は強い色でもある)

シャネルは育った環境からつくられた感覚を技としていたようだ。そう考えると、かつて演歌でヒット曲を連発していた千昌夫や吉幾三なども地方独特のなまりや方言を歌やセリフにこめて特徴を出していたっけ。それも技の一つでもあったわけだ。

話はややそれてしまったが、ポイントは自分だけの世界に入り込んでしまわず、常に自分を客観視する、ということを忘れてはならないのだろう。自分の特色を打ち出して世間に通用するなら最高の仕事ともいえそうだ・・・な。
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昨日家に帰ると、“時間差郵便”の封筒が届いていた。
それは約一年前に私が自分宛に出したものだった。もしこれが10年ほどの時を経ていたらちょっとした感動もあったろうに・・・。(でも詳しい内容はほとんど忘れていた)

その手紙の書き出しは次のようになっていた。「一年後の自分への手紙。これはなかなか面白い企画でもある。たまたま昨日(1/10)買った雑誌「一個人」の付録としてついていたものだ。・・・」

そしてこのことは今年の1月10日の日記 でも触れていた。便箋5枚にびっしりと書かれている内容は、ブログのこと、仕事のこと、クリスマスカードのこと、体のことなどだった。まるで日記のようなものだ。

このなかで、やはり興味深いのは数字をいくつか記してしたことだった。ブログを初めて7ヶ月時点での読者数が336名、日記・ブログジャンルの登録数が61万人とあった。一年後読者数が500名くらいになれば、ともある。

またその時のウェスト87cmを一年後には84cmにしたいとも書いてあった。(しかしそれはならず。)そして、その手紙を書いたのが平成18年1月11日ともあった。

時間が経つにつれてこのような数字はあいまいな言葉よりも貴重にも思えた次第。
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衝動買いは無理しないで、できる範囲内であれば、ひとつのレジャー的な要素もありそうだ。衝動買いでたまたま買って食べたものが、予想以上に美味しかったりすればそれはそれでハッッピーになれる。(時には失敗もあるだろうが)

さて、つい先日私自身が何気なく衝動買いしてしまったものをご紹介してみたい。それはネットで見て購入したものだった。いくつかのページを眺めているうちにこれならいいかも、などど思ってパッと決めてしまった。

昨日触れた、「簡単」というのが衝動買いを誘う仕掛けだったかも。何しろ、ネットで注文でき銀行に振り込んだ翌日には商品“バッグの中身”が届けられたのだ。

さっそく使い始めたが、今のところけっこう便利に使っている。(もちろんこの日記は商品の宣伝のために書いているのではないことをお断りしておく。)

私が衝動買いした“カバンの中身” を覗いてみたい方はリンクしたオレンジの部分をクリックして頂ければおおよそどんなものかはご欄いただけるはず。

(ただし、皆さんは私みたいに決して衝動買いなどしませんように)
「おまけより割引してほしい」徳田賢二著より。

前日触れた自分の衝動買い、ということが頭にあったのでちょっと気になったフレーズだった。ふつうはお金を使ってもかまわない、という感情が働いたときに、衝動買いをしてしまう。

しかも、その多くは売り手側の仕掛けによるものだっりする。たとえば、健康というのは一つのキーワードではないだろうか。どんなものでも“体にいい”とテレビや雑誌で紹介されると衝動的にそれが欲しくなってしまう。それも一時のブームが去れば忘れてしまうが。

売り手が仕掛ける場合には、パターンがあった。そのいくつかを抜粋してみよう。

1、割引・・・実に魅力的なものだ。特売、バーゲン、タイムサービス。限定で通常よりも安く手に入るとなれば買ってしまうもの。

2、目玉商品・・・大型電気店、スーパーのチラシには必ず数点含まれている。とにかくそれを目当てに開店前から並ぶ人もいるほど。

3、比較・・・高い商品の横に、比較的安い商品を並べることで相対的に安く感じさせる。ふと、財布の紐がゆるむ瞬間かもしれない。

4、簡単に買える・・・買う時に簡単な動作で済むことは衝動買いにつながりやすい。出かけるのが億劫な時に、ネットで簡単に注文できればそれで済ますこともある。

5、食べ放題・・・実際には人が一回で食べられる限度は限られているのに、いくらでも食べられると錯覚してしまう。

6、お試し・・・試食、試飲したらその時はうまいと感じたり、試着したらすごく似合ってみえたり・・・。

そう考えると、財布の中身を確かめずに「かね感情」が先に立ってしまうこともしばしばだな。
「おまけより割引してほしい」徳田賢二著より。

「ついでにすること」は価値に対して費用が発生していない。だから値ごろ感はかなり感じられる。たとえば、電車に乗ったついでに勉強する。友人と会ったついでに買い物を済ませる。乗り物のなかで居眠りをすることもそうだろうか。

旅行のついでに駅弁を買うこともそのなかに入る。しかし、デパートで催し物の駅弁フェアーで買うために出かけるのはそれが目的なら「ついで」ではなくなる。逆にその帰りに食料品や雑貨を買って帰れば、それが「ついで」ということになってしまう。

電車内で化粧をしたり、ケータイでゲームをしたりメールをする。また新聞を読んだり読書をする、ヘッドホンステレオで音楽を聴く・・・それらは全てついでということになる。

そこで、「ついで」に伴なうリスクも生じてくる。車内で時どき化粧をしている女性を見かけるが、それはすっぴんを暴露していることでもある。ほかの乗客はすっぴんから化けるプロセスを鑑賞しているかもしれない。(どうでもいいことだが)

電車に乗るついでに便利なのが駅やホームにある売店だ。ついでに済ませられるものばかりが並んでいる。前日に買い忘れたマスクがあって助かったこともある。また、駅構内に置かれているフリーペーパーも時間つぶしには役立っている。

スーパー、デパート、コンビニとどこに行っても、「ついで」に余計なものを買ってしまう。(私の場合、それは衝動買いかもしれないな)
「メトロミニッツ」2006.12.20号より。

短いコラムのなかで小説家の田辺聖子さんが語っていること。そう言われてみると、大人ってなんだろうって思ってしまう。一般的には二十歳過ぎれば大人の仲間入りしたことになる。(もう来月は成人式か)

で、中身は?と問われたりしたら、自信がない人が多いのでは。これは実際の年齢とは関係ないかもしれない。

さて、現在NHKの朝の連ドラでは『芋たこなんきん』が放映されているが、これは田辺さん自身の半生がドラマ化されたものだ。

田辺さんが嫁いだ“おっちゃん(=ご主人)”には亡くなった前妻との間に4人の子供が既にいた。

これだけみても、実に複雑な人間模様が想像される。苦労も多かったに違いない。だからこそ、ドラマにもなり得るのかもしれない。

どうがんばっても母親にはなれないと感じて子供たちには“聖子おばちゃん”と呼ばせていたという。それも辛いことではなかったろうか。血のつながりがなくても、とにかく仲良しになることを心がけていたようだ。

そこから思いやりの示し方、想像力の働かせ方を勉強している。田辺さんは“生きるってことは想像力を働かせること”ともいう。そこにはまた“大人”になるためのポイントが含まれているようだ。

それらは、あまり気を揉まないこと、がんばりすぎないこと、無理しないことだという。一見単純そうだが継続するのは大変だろう。幼い頃は大人びた子供だと言われたり、大人になればちょっとしたことでも大人気ない、などと言われたり。

生きている限り、“大人”になることは永遠のテーマかもしれないな・・・
「日経新聞、夕刊」2006.12.18付けより。

“こころの玉手箱”というコーナーで福田繁雄氏(グラフィックデザイナー)が語っていたこと。氏は1972年、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金賞を受賞している。ここではそのときのことを振り返っていた。

ポスターなどはまず、アイデアの良し悪しが勝負といっていいだろう。このコンクールへの出品要請を受けて、氏は図書館に通い、古書店めぐりなどをして、ビジュアル資料を収集したのだった。それはアトリエの作業机いっぱいになったほどだったという。

それらをもとに、アイデアスケッチを重ねたが、「これだ!!」と決め手になるほどのアイデアはなく不満だったようだ。そして、数日後無造作に広げた写真の一枚からヒントを得ている。結果的にはその作品で最高賞を受賞している。さらに数週間後、入賞作品を収録したカタログが送られてきたとき、福田氏は驚いた。

それは、そこにあった入賞作品の多くは福田氏自身が考えたアイデアと同じようなものばかりだったからだ。そのことから、自分がそれまで考えた10のアイデアは誰でも思いつくと痛感したようだ。つまり自分ではある程度いけると思ったアイデアも意外にほかの人も考えるありふれたものだと確認できたからだ。

だからこそ、真のアイデアはさらに最後の一ひねりがなければ注目されないということか。(つまりそれが11番目という意味かも)私などありふれた一つのアイデアを思いついただけでも有頂天になってしまう・・・・(いかんな)


「おまけより割引してほしい」徳田賢二著より。

当たり前のことだが、感覚的に楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。逆に辛い、苦しい時間はなかなか進んでいかない。

テーマパークの人気アトラクションでは、90分、120分待ちなどざらにある。しかし、どうしても入場したいと思えば、だらだらと待って我慢するしかない。USJやディズニーリゾートではどれだけ無駄な待ち時間を過ごしたことだろう。しかし、パーク内の雰囲気の中にいるということだけが救いだったかも。

話は変わって、仕事場の近くに昼時になると連日行列のできるラーメン屋がある。待ってでも食べたいという気持ちが強いのだろう。かつて私も何度か行ったことはあるが、その味はもうすっかり忘れている。もう、5分でも外で待ってまで食べる気にはならない。

人を待たせられるというのは商品力の強さの証拠でもあるだろう。今流行りのゲーム機器なども待っても年内には手に入る可能性も少ないという。一般的には、安いものを買うときには待ち時間をなるべく短くしたいと思う。たとえば、コンビニ、100円ショップ、回転寿司、駅の売店、その他のファーストフード店では当然のことだろう。

しかし、百貨店や専門店で高級品や高額品を買う場合は、待ち時間、探す時間はそれほど気にしないもの。また逆に時間を気にしながらではショッピングは楽しめない。

で、仕事はどうだろう。これはできるだけ楽しくやって短く感じたいものだが。“えっ、もうこんな時間?”などと感じられればしめたもの。理想は遊び感覚かな。

また人と待ち合わせをして、首が長くなるほど待たされても、その後の笑顔や楽しい会話、またイベントなどがあればそれまでのことはすっかり忘れてしまう・・・なんてこともあったり。
「産経新聞」2006.12.21付けより。

コラムの中にあったフレーズ。この木はヒイラギのことだった。漢字では一字で「柊」と書かれ、まるで冬の木の代表のようにも思える。この樹木の特徴はのこぎりの歯のようなギザギザの葉っぱだろう。

しかも、樹齢も80年にも達するとその鋭い棘も失せてしまうようだ。私はまだそんな棘のない柊にお目にかかったことはない。初夏の新緑の頃には黄緑色の小さな葉はまるで赤ん坊の手のように柔らかい。

しかし、それも秋になれば硬く鋭い棘を持つようになる。素手で触れるとケガをしてしまうほど。そういえば、ライオンやワニにしても生まれたばかりの頃は可愛いが、成長するにしたがって野生のどう猛な動物になってしまう。

人間は若い頃には角があったりするものだが、社会の荒波にもまれて次第に丸くなるとはよく言われる。柊のトゲがなくなるのも長い年月がかかっていることから、そんなことを連想してしまった。

いま自宅の庭の片隅にはセイヨウヒイラギの赤い実がぎっしりとついている。緑の葉と赤い実はしっかりとクリスマスをイメージさせてくれる。しかし、これは意外にも先ほどのヒイラギとは全く別の種類だった。

蛇足

ご参考までに・・・

ヒイラギについては「雑かわら版」(ホームページ)の第51号 、セイヨウヒイラギについては第99号 に書いてました。雑文ですが、お暇な方だけちょっとだけ覗いてみてください。