今日(10/31)はハロウィンということになっている。スーパーやデパートではそれにちなんだお菓子などが販売されいていた。そこで、ふと思ったこと。

第三とは、クリスマス、ヴァレンタインデーなどに続いてという意味で書いている。この数年でかなり日本にも浸透してきている感じがする。本来海外では神聖な行事でもあるクリスマスなども日本では楽しむ口実のためのイベントに過ぎない。

ヴァレンタインデーもハロウィンも同じようなものだ。とにかく、商売のチャンスであることには違いない。今後さらにマスコミ、流通業界を中心に盛り上がる可能性もあるだろう。

いずれにしても、お祭り騒ぎでもその影響で経済効果が上がれば悪いことではないだろう。ハロウィンがいったい何か、なんて知る必要もない。ただ、それを機会に消費が増えればいいことなのだ。

クリスマスなら、パーソナルプレゼントやケーキなどが思い浮かぶ、ヴァレンタインデーはチョコレートやプレゼント、それに対応してホワイトデーもそこそこお返しの口実に買い物がされる。

しかし、ハロウィンは“これだ”という決まった買うものが思い当たらない。ある業界によって、“これだ”というものがはっきり見えてくれば、もっと消費が盛り上がりそうな気もするが・・・。いずれにしても、日本人の商売熱心と平和を感じるな。

蛇足

今から約30年ほど前、実家に住んでいたころ・・・。

自宅の横の道を背の高いアメリカ人数十人がまとまって走っていたのを思い出す。彼らは隣の市にある在日米軍基地、居住地に住んでいた人たちだった。

しかも、いろいろな奇抜な仮装をして歩いたり走ったりしていた。それはハロウィンのためだとはわかっていたが、そのころはまだ国内ではその言葉さえも一般的ではなかった。
AD
「ぐっとくる題名」ブルボン小林著より。

まず始めに余計なことから触れてみよう。私が気になったのはこの著者の名前だった。(ブルボンとくるとお菓子メーカーを連想してしまう。)いったい何者だろうと思ったりした。なかにはすでにご存知の方もいらっしゃるだろう。

彼は第126回芥川賞を「猛スピードで母は」で受賞していた小説家で、本名は長嶋有だった。まだ30代の作家だが、エッセイは上記の名前で書いている。

さて、話は本題にもどって、タイトルのフレーズだが、かつてパソコンが普及しはじめた頃には、その入門書がベストセラーにもなっていた。表紙には、競って○十万部突破などとうたわれていたもの。

私自身も十数冊も分厚い入門書を買ったものだった。まだ書棚の奥には「わかりやすい・・・」などという題名のものが残っている。書店には「サルにもわかる・・・」「五分でわかる・・・」「今夜わかる・・・」といったようなものが並んでいたもの。

おぼれるものはワラをもつかむ・・・そんな気持ちでワードやエクセル、インターネット関連の基礎編や応用編を買いまくった一時期があった。

しかし、どれも似たり寄ったりで、本当に知りたかったことは、一冊のうちほんの数ページか数行に過ぎなかったこともあったな。

本の題名は買う際には“ぐっと”きても後から考えればどうでもよかったりするものかな~~~
AD
「ぐっとくる題名」ブルボン小林著より。

フレーズの前にこの本の題名がちょっと気になった。だからこそ、この新書を手にとってみる気になったのだ。本のタイトル自体に“題名”などという言葉を用いているものは見た覚えがなかった。(テレビでは「題名のない音楽会」というのがあったが。)

これは本の題名について述べられているが、テレビドラマ、芝居、映画、音楽、絵画、彫刻・・・と、あらゆる作品には題名がつけられている。たまに絵画の展覧会に行くと「無題」という作品にもお目にかかるが、それもタイトルかもしれない。

ホームページやブログにしても、それぞれ題名がつけられているし、日記や記事の前には多くの場合タイトルが先につけられている。私たちが書店や図書館で本を手にとってみようとする場合はまずそのタイトルに興味がわいたときだろう。

すでにある程度の予備知識があり、自分が探している本なら迷うことなくその本が分類されている場所に行って手に取ることはできる。しかし、ただ漠然と読みたい本を探す場合にはまず題名に目がいくはず。

逆に題名だけ見て手に取りたくない本もあるかもしれない。また、タイトルだけ見て作者がすぐに連想されるものもある。別にファンではないが、京極夏彦の作品はどれも難しい漢字の題名がつけられている。最近のものは『邪魅の雫』『陰摩羅鬼の瑕』など。

また「~~鉄道殺人事件」とくると西村京太郎の推理小説を思い出してしまう。最近、“ぐっとくる題名”の本に出会ったろうか・・・(まあ、それで内容がぐっとくれば、なおいいんだがな~)
AD
「絶品手づくりこんにゃく」永田勝也著より。

「秘伝」というとずいぶんともったいぶった言い方にきこえるものだ。筆者のいう秘伝とは、今まで誰に知られることなく、世の片隅でほそぼそと伝えられ受け継がれてきた技を意味していた。

こんにゃくは、本来淡いピンク色をしたもので美しくかつ美味なる食べものというのがちょっと意外だった。芭蕉の句の紹介があった。「こんにゃくの刺身もすこし梅の花」

つまりこの句からも、梅の花びらのような淡いピンク色をしていたことがうかがえる。芭蕉は郷里の伊賀上野の名物「刺身こんにゃく」を好んでいたという。

こんなこんにゃくを作る方法は意外に簡単だった。(ただし材料が揃えばの話だが。)材料は生のこんにゃくイモとわら灰だけだった。大掛かりな道具や機械は必要なかった。

“本物ははるかかなたにあるものではない。我々の足許にちゃんと用意されている。”というフレーズもちょっと気になった。ちょっとしたコツやノウハウといったものは人々の地道な日々の営みの中から生まれてきている。

この一冊の中には秘伝といわれることが説明されいている。別の言葉では秘伝の公開ということになる。しかし、そんな一見単純明快と思われることでも、練習、試行錯誤がなければ本物に近づくことは出来ないに違いない。
「ことばのご機嫌」秋庭道博著より。

べつに大都会で生活しているわけでもないのに、土をまったく踏まずに過ごしていることに気づいた。一日中土を見ないこともあるかもしれない。むしろほとんどは土など意識して過ごすことはないものだ。

家から出るとコンクリートかタイルの上を歩き、舗道はアスファルトになっている。あとは乗り物や駅や建物の中を歩くことになる。また実際に歩き回るといっても、舗装されていない砂利道など歩く機会はほとんどない。

だからこそ、実際に土の道を歩くとなぜかほっとし、懐かしささえ覚えることがある。かつては砂利道があった。まだ小中学校に通っているころは、通学路には土の道があった。また、自宅を一歩出ると土の庭だった。

私が通った高校の校庭は春先になると決まって土ぼこりが上がっていた。そして、雨の日には水たまりができていた。それはグラウンドの顔でもあった。だからこそ、懐かしさがあるのだろうか。

たまに田んぼのあぜ道を歩いたりすると、デコボコの道が足に響いて心地がいい。嬉しくて走り出したくもなったりする。野球なども人工芝ではスライディングの際に火傷しやすい。転がるボールのスピードも速い。逆に天然芝はレギュラーしやすくそれがゲームを面白くすることもある。(野手には気の毒だが)

自宅の庭には家を建てたときから芝生が植えられて、その外側は家庭菜園や花壇のためのスペースになっている。だから、たまには土の上を歩くことはあるが毎日ではない。足の裏には土踏まずがあるが、実際足自体も土を踏まなくなってしまった・・・な。
「日経新聞、夕刊」2006.10.25付けより。

現在多くのアスリートたちはルーチンと呼ばれる動作をすることがある。それは、常に同じ動作をすることで、気合を入れるためでもあった。

いい例がイチロー選手が打席入って左手を右肩に当て、バットを立てて投手を見るという動作だ。そうすることによって、ある程度の緊張感の状態にもっていくようだ。

選手によって実践するルーチンはさまざまだ。それはいいときに自然に自分がしている動作を取り入れるといいらしい。

最高のプレーは技術と精神力がそろって初めて生まれる。このルーチンはアスリートだけでなく、一般の人にも応用できるものだった。

たとえば、受験、面接、プレゼンテーションなどで、これをすれば気持ちが落ち着く、というものを持っていると強い。

と、ここまで書いてきたら、それはお守りのようなものだな、と思い当たった。自分の力を100%発揮するためのサムシングがあるといいな。自分にとって“ここ一番”役に立つことはなんだろうか・・・?

気持ちを乗せるルーチンを探してみるかな・・・。(自己暗示でも何もないよりいいかも)
「日経新聞、夕刊」2006.10.25付けより。

“プロムナード”というコーナーで詩人の白石公子さんが述べていたワンフレーズ。

書棚を整理して、二度と読まないと思う本は処分してもいい、と決めて抜き取ってまとめてある。しかし、掃除などをした際にその本が気になることがある。

書棚にあるときには、つまらなかった本がそんな時に限って再び開いてみたくなってしまう。すると意外にもその本に引き込まれてしまうこともあった。

そのうちに処分しようと思っても、やはり部屋の片隅にあればやはり目に入るもの。本だけではない。筆記具などはまだ使えるものがあるのに、どんどん増えてしまう。

様々なものは、とりあえずとっておくか、というお気軽な気持ちで雑多なものが増え続けていく。洋服や靴などもそうだった。

引出しの中はいつしか使えるものと、使えないものが一緒になってごったがえしている。(うちの場合だが)もう、とっくに使えなくなったものなのに捨てることが実に下手だと実感している次第。

だからと言って、「捨てる!技術」なんていう本を読もうとは思わない・・・な。思い切って処分するのは簡単そうで、そうでもない・・・(要するに思い切りだな)

「男の作法」板坂元著より。

これは一般的なマナーについて述べられた本だ。自分では意識していなくても、意外なところで人に行動や振る舞いは見られているもの。クセなども自分ではほとんど気づかない。でもそれが他人から見ると、ナマーに反するものだったりもする。

ちょっとしたことで、“あの人はああいう人なんだ”、と簡単に判断されてしまう。しかも、それがいいことならいいが、だいたいが悪い事のほうが目につくもの。いいことは悪い事の影に隠れて見えにくい。

日本人の間では普通のことでも、外国ではマナーとして通用しないこともあったりする。マナーはさりげなく守ることができれば一番いい。もちろん他人に押し売りしたり見せつけるものでもない。

筆者は「自己表現の技術であり、自己主張の具でもある。背広のボタンを掛けないで歩いていたり、カカトの擦り切れた靴を平気ではいていたりすることは、マイナスの自己主張になる。」と述べている。

私にとって、“いつもあんな人なんだ”と思われないために気をつけなければならないことは実に多そうだ。そのためにはそれなりの知識と修業が必要なのだが・・・。ちょっと知っていれば、な~んだ、ということでも、知らなければ恥をかく元になってしまう。

意外に簡単そうでそうでもないか。頭ではわかっていても、いざという時行動できなければな~~~(意味はない)
「これも経済学だ!」中島隆信著より。

わかりやすい一例があった。中学、高校時代に制服で通学していて、大学に進学すると急に服装が自由になる。すると同じものを着続けるわけにはいかず、洋服をあれこれ変える必要もでてくる。結局、そのためにコストもかかってきてしまう。

中学、高校で校則が厳しい私立校にくらべて、公立校は比較的自由度がある。とくに女生徒は、茶髪にしたりマニュキアをしたり、化粧までして学校に行っている。まあ、これはウチの娘の場合ではあるが。勉強とはまったく関係ないことばかりやりたがる。(話しがそれてしまった。)

大学生になってファッションセンスにそこそこ優れていれば、自由な服装も楽しむことができるだろう。ただし、十分な金銭的余裕があればだが。ところが、そうでもない学生にとっては、下手なコーディネートで周囲から笑いものになってしまうかもしれない。(センスがない奴だなどと)

別なところでは、食事のコース料理は、おまかせ的な意味合いがある。組み合わせの選択の自由度は限られている。面倒くささがない。せいぜい、どのコースを選ぶかだけだ。まあ、それでも料金次第でけっこう楽しめる。時にはゼイタクでもある。

また、身近なところでは、ホームページやブログでも自由度は考えられる。あらかじめテンプレート(雛形)が用意された簡単HPやブログでは表現内容が制限されたり宣伝が義務付けられていたりする。でも、そこそこお手軽に楽しめることは確かだ。

ところが、まったく自由に作ろうと思えば、いろいろと覚えたり勉強せねばならないことも多い。また、専用ソフトも買う必要もでてきたりする。結局、自由に作りたいと思えば、コストも時間も予想以上にかかることを覚悟せねばならない・・・ようだな。
「ファイブエル」2006.10月号より。

これはいったい何のことかというと、「100円ショップ」のことだった。赤瀬川原平さんらしい表現で、ちょっと面白いと思った次第。つまりそこには“とりあえず”の物だけが並んでいるからだった。

私も時どき地元の100円ショップに立ち寄ったりすることがある。ある日、外出先から地元の駅に着くと雨が降っていたので、急に傘が必要になった。その時駅の近くの100円ショップで1本買い求め、ついでに関係ないガムやキャンデーなども買ったりした覚えが何度かある。

コンビニよりも安くて豊富な品揃えもうれしい。必要な時にこのように、店が近くにあると助かる。チャチな傘でもないよりはましなこともある。とりあえず、は役に立つ。しかし、風雨が強い時にはほとんど役に立たない。まあ100円の傘ではそれほど期待は出来ないからしょうがない。

ちょっと風が強い時に柔らかい傘の骨が曲がってしまったことがある。まあ、使い捨てが前提だからそれでも諦めがつく。だから100円ショップは使い捨て社会の出店なのだろうか。

しかし赤瀬川さんが言うように、別にすべての商品が使い捨てというわけではない。もし、商品を吟味したいなら、スーパー、デパート、専門店に行けばいいだろう。ただし、時間の余裕があれば、ということになる。

飲み屋に行けば、たいてい“とりあえずビール!”と言って注文したりする。しかし、100円ショップにはビールはないので、“とりあえず、つまみ”を2袋ほど買ったあとで、缶ビールを買ったこともあったっけ・・・な。