いただいたコメントを読ませていただきながらふと思ったこと。今日で今年の3分の1が終わります。今月も連日たくさんのコメントをいただき本当にありがとうございました。

しかも、私の思いつきを綴っただけの日記にも、実に質の高いコメントで恐縮している次第です。読んでいただいた上に、きっちりと書いてくださり感謝感謝です。また、たとえコメントという形でなくとも、わざわざ訪問してくださりご一読くださった方々にもお礼申し上げます。

短いコトバで核心をついたご意見、また数行にわたって私が書き忘れたことや思いつかなかった事柄や語彙不足まで補足してくださるコメントも嬉しいものですね。新鮮な刺激になっております。

考えてみれば、どなたともお会いしたことはありませんのに、わずかな時間でも共有できることは幸せでもあります。いつも温かい言葉に励まされております。

先般は数年ぶりに風邪をひき体調不良に陥りましたが、そんな折にも皆さまのお言葉(コメント)がエネルギーになっているようでした。年齢、世代を超えて交流できる嬉しさを実感する毎日です。

私自身はそっけないコメントしか書けないにもかかわらず、言葉に配慮しながらのコメントの温かさにいつも感心させられております。訪問してくださった皆さま、今月も本当にありがとうございました。
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ウェブサイトの「百式」(2/29付け)より。  

つまり、場合によっては質より量で行くことも必要だということだろう。以前(20年以上前)、企画のプレゼンをすることがあった。その際、これは絶対だ、という決め手に欠けるときにはとにかくいろいろなサンプルを集めせめて努力だけを見せよう思ったことがある。

それに似ていそうだ。数(量)さえあれば万が一先方の関心にひっかかるかもしれない・・・。でも、世の中そうそう甘くはないもの。

さて、いろいろなブログを巡っていると、中には一日に膨大な文字数を詰め込んだサイトに出くわすこともある。当然それを書くだけでもかなりの時間を費やしたことがうかがわれる。

書いた人の努力は認めざるを得ない。でも、連日休みナシで書いているわけでもない。実際それを読むとなると本当に興味がない人以外は読まないだろうな、とも思う。また、逆に空白が多すぎるサイトもあって、何度もスクロールを強いられるもの面倒になる。

べつに、ブログに限らないが3秒ほどのインパクト(印象)でその後を読むかどうかが決まりそうだ。関心があればその後の30秒は付き合ってくれるだろう。書店で本を選ぶときまずタイトルで本を手にとってみるのも3秒程度ではないかな。

新聞の見出しも同じだろう。だから、駅売りのスポーツ新聞、夕刊紙などは見出しだけで売り上げが異なってくるはず。自分もそれを眺めてから買うかどうかを決めている。広告はすべてインパクトだな。

一般に人気があるトップクラスのブログはどれも内容の密度が濃く量も多いものがそろっている。とても足元には及ばない。まあ、自分はマイペースでお気楽にだらだらとやっていくしか能がない・・・
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「タフな男になる80ヶ条」弘兼憲史著より。

この部分のフレーズはちょっと長かった。「いつのまにか備わったバランス感覚や、判断力や、駆け引きの技術というのは、無鉄砲な若さなど問題にしない。」となっていた。

若者というのは恐いもの知らずで、無鉄砲なところがあるもの。それが若さの特権でもあるだろう。若いからこそできることもある。若者のそんな勢いを見せられるとスゴイと思うこともある。

自分にもそんな一時期があったかもしれない。ただ前に進むことだけしか考えていなかった。好きな仕事にどっぷりと浸かっていた時期もあった。どこまでが運でどこまでが実力なのかも分からなかった。

世の中のことをまだあまり知らなかったという強さと、世の中の厳しさを知ってからの強さとは異なるかもしれない。40代、50代になると世間の厳しさが身に沁みてくる。

また歳を重ねたからこそできることもある。かえってそのほうが多いかもしれない。今の若いもんになんか負けられないよ、って言えるほどのものをどれほど内に秘めているだろうか。

いま一度自分のなかで、“若さ”より経験、知識、内容などが勝っているものはないか問い直してみたい。

自分の中に「タフさ」はまだ残っているだろうか。これは体力ではなく、精神的にこれだけは譲れないという芯のようなものなのだが・・・

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「PRESIDENT」2006.4.17号より。

食物販のマーケターとして活躍する樋口武久氏はデパ地下のリニューアルを成功させエキナカプロジェクトにも参画している。彼の思考法を支えているのはデパートの鮮魚売場からスタートした25年もの現場経験だった。

デパ地下やエキュート(大宮駅、品川駅構内の大型商業施設)で扱う食品は、価格的には決して安いものではない。どちらかといえば「選ぶのが楽しい」「食べるのが楽しい」という付加価値がものを言う商品だ。このへんがコンビニの弁当や惣菜とは異なっているのだろう。

そのため単に食品のことばかり考えているわけではない。食以外の意外なところにもアンテナを張り巡らしていたのだ。たとえば、女性誌を読み、化粧品売場にも足を運ぶこともあるという。

自由に手にとれる試供品や見事にカラーコントロールされた売場やパッケージは、女性にとって魅力的な店や商品を考えるときの参考になるようだ。食品と化粧品を結びつけて考えるようなことは普通なら考えられない。

やはりここでも、フットワークで情報をいかにインプットするかがポイントのようだ・・・な。何ごともヒントをつかもうと思ったらそうそう簡単ではないな~
「節目に強い人が成功する」中谷彰宏著より。

ここではデパートのカバン売場が例として取り上げられていた。モノを売るスタッフは、ライフスタイルを提供することができなければいけない。しかし、実際はただモノだけを売っている人が多いもの。

たとえば、カバンをディスプレイする場合、雑誌を入れるとする。そのとき、どんな雑誌を入れるかで差がでてくる。当然おしゃれな雑誌でなければいけない。どこまでおしゃれなものを考えられるかがその人のセンスでもある。また、センスの限度でもある。

そんなとき、お客様のほうがセンスがよければダサイと思われてしまう。つまり、どれだけいろいろな雑誌を知っているかということも必要になってくる。おしゃれを提供していくということは、必ずしも高級品である必要はない。高いか、安いかではない。カッコイイかダサイかになってくる。

結局、おしゃれなライフスタイル、センスを訴えかけられるかどうかが問題になってくるのだ。実際は、それが欲しいと思うお客様は目が肥えていることが多い。でも、それに対応できるくらいの情報感度を磨いておくことも必要なのだ。

自分でもやはり、センスのいい販売員からいいアドバイスを受けたら買ってしまうだろうな。ということは、逆にいえば、いい提案がない販売員からは買う気も起こらない・・・か。
DCOM(デコム)2006.vol.3より。

ドトールコーヒーのフリーペーパーを眺めていたら、こんなフレーズが目に入った。このコーナーのタイトルは「愛にさまようモテオヤジに捧ぐ」というものだった。

これは筆者(眞嶋亜有さん、1976年生れ、学術博士)が恩師の教授に救いを求めたときのコトバだった。“心の美容整形”とはかなり強烈な印象を与える表現だ。すると教授は「そうだ、全くその通りだ。」と頷きながらも、「それにしてもチャン・ツイーっていいよね。」と話題はいつもの美人論に変わってしまったという。

彼女は、美貌をもつ女性に対する超差別的優遇措置は至るところで見受けられるという。その顕著な例として、女子アナをあげていた。「彼女たちの現役・引退後の眩しいほどの活躍とケタはずれな巨額な年収・・・ある種特権的な社会的上昇というものを認めざるをえません」と指摘していた。

さらに、美貌の威力を目の当たりにしてしまうと、「もはや21世紀は、男女雇用機会均等法ならぬ、容姿雇用機会均等法を制定すべきではないか、と同じオンナとして何らかの安全保障対策を切実に願ってやみません」とまで述べている。実にユニークな表現が目を引く。

この記事の中にはモテオヤジについても触れていた。ここでは、モテたいオヤジも含んでいる。彼らは当然のように外見を気にしている。そこで、「飲む育毛剤」が発売されたとき、予約が殺到したという。つまり、モテオヤジの髪への情熱、執念は並々ならぬもののようだとも感じている。

とはいっても、女性の外見問題は、そんなモテオヤジのアタマ問題に比べたら死活問題らしい。実にいろんな問題があるようだ・・・・
「趣味力」秋元康著より。

この本は元々趣味について書かれているのが、このことは勉強や仕事についても同様のことが言えそうだ。つまり、あまりにも簡単すぎるともの足りない感じがするもの。それはある程度自分が努力したあとでの達成感を感じたいからではないだろうか。

趣味の世界はとくに仕事とは異なり義務ではないからある程度わがままになれる。しかし、だからといって自己流だけで上達できるわけではない。上達しなければ喜びもない。ある程度の基本やルールに従うことにより上達の速度も早まるだろう。ゴルフでもプロについて習ったほうが自己流で苦労するよりも早く上達するもの。

趣味が面白くなるにはコツをつかむというのもある。そのためには教室に通ったり人に教わることが近道だ。それはまた時間や仕組みに制約されることでもあるが、それらの苦労さえも楽しみに変えてゆけるところに趣味のよさがあるのかもしれない。

仕事に目を向けてみれば、予算や目標というものがある。それももし楽をして達成できるようであれば、喜びはそれほどのものでもないだろう。しかし、精一杯の自分なりの創意工夫、努力の末、大きな目標を達成できたときの喜びはかなり満足感も大きいに違いない。

楽だけをしていては、本当の楽しみを得られないのかもしれない、とふと感じてしまった。遊びも趣味も真剣だからこそ面白い。

会社や組織での仕事は一見自分ひとりで達成したようなものでも、実際は歯車のひとつでしかないことが多い。しかし、趣味なら1人だけの成功体験を味わうこともできそうだ・・・な。
「趣味力」秋元康著より。

この“こだわり”はしっかりした趣味趣向をもっていることともいえよう。逆にいえば、なんにでも平均点的な人間は面白くないともいえる。デコボコがあるから人は面白い。このこだわりは個性ともいえるかもしれない。

子どもが小さいときは、親も周囲も栄養も勉強もある程度バランスよく取らせるようにしている。しかし、成長するにつれて好き嫌いが当然でてくるもの。多趣味だという人はあまりこだわらない人かもしれない。でも、そういう人でどれも完璧にこなしている人は稀ではないだろうか。

趣味にはホビーといういう以外に「物事の味わいを感じとる能力」という意味合いもある。あの人は“着るものの趣味がいい”、という場合はある意味“着るものを選ぶセンスがある”とも取れるだろう。すると、その人の生きるセンスまでよく見えてきたりする。

人になんと言われようと、自分なりの趣味をしっかりと持っている人は、接していてもいろいろなヒントを与えてくれるようで嬉しくなってくることもある。それは仕事とは別に趣味を通じて独自の生きるスタイルを身につけているからかもしれない。

わがままな人間でもある自分を反省しながら、はたして自分には何かこだわりがあるのだろうか?と、ふと振り返ってしまった・・・つまらなくない大人になりたいもの。(でも、もう遅すぎる?)
せっかくお越しいただいたのに、なんの内容も無く申しわけございません。
連日のお見舞いとアドバイスをいただきありがとうございます。皆さまからのお言葉がエネルギーになっております。

体温は上がったり下がったりの状態です。今、左脇で測ったら37.2度、右脇で測ると36.7度だったのです。
いずれにしてもクスリの影響で安定していません。早くクスリを忘れたいものです。
今夜はこれにて失礼します。

昨日から今日にかけて皆さまからたくさんのお見舞いと激励の言葉をかけていただき本当にありがとうございます。
この場を借りて心よりお礼申し上げます。


昨日のコメントの中には“お茶を濁せばいいのに”というご意見がございました。その通りでございます。

本日はその通りにさせていただきます。
まだ本調子ではありませんので、皆さまのところへは後日お伺いさせていただきます。
申し訳ございません。