「日経ビジネスアソシエ」2006.01.03号より。

“大人の日本語”というコーナーで外山滋比古氏が語っている言葉。

要するに、古典中の古典と言われる「徒然草」を書いた兼好法師でさえも、自慢話を書いていたからだ。第238段には“自賛のこと七つあり”とある。ここにはなんでもない手柄話が七つも並んでいたことに筆者の外山氏は驚いていた。

話し手からすれば、自慢話ほど楽しいものはない。しかし、聞かされる方としてはこんなにありがたくないものはない。むしろ上手な手柄話より、つたない失敗談のほうがはるかに面白いし興味深い。

筆者は“自慢話しに限らず、自分のこと、自分にかかわりのあることを吹聴するのはいくら上手に話しても、聞く人にうっすら不快の念をいだかせる”と言う。これはつい忘れがちなことでもあるな。

もし書かれたものであるなら、そんなものは読まなければすむことだ。しかし、目の前の人が声にだして話していることは避けがたいから困ってしまう。気をつけねば。

ということで、以上のことは自分の今年の反省と翌年の抱負としておこう。(ムリかもしれないが・・・)
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「森村誠一の写真俳句のすすめ」森村誠一著より。

かつて筆者がホームレスの取材をしたときに、新宿西口にある中央公園で賞味期限の切れた“可食物”を囲んで酒宴をしているホームレスの一群を見つけたときのこと。

超高層ビルを背景に満開の桜の下でそのホームレスのグループがとても豪勢に見えたと言う。超高層ビルのふもとで生きている彼らの人生、も選択肢の一つだと思ったのだ。つまりそれは、この世の責任や義務ときっぱりと絶縁した人生だったのだ。

生きている限りは意識しようとしまいと、何らかの義務や責任を負わなければならない。それが嫌ならホームレスになるしかないのかもしれない。もちろん彼らも好きでホームレスになったわけではないだろう。やむをえない選択のひとつだったか。

今でもこの公園の横を夕方通ると、食事を待つ長蛇の行列を目にすることがある。青いビニールシートの家も意外に丈夫そうだ。どこからこんなに多くの人が集まってくのかと驚くほどだ。誰もが素直に静かに順番を待っているように見える。待たなければ食にありつけないからだ。そんな姿を目にするたびに、自分は恵まれた境遇にいることを痛感する。

筆者は別のページで、無責任な勇気ということばを使っていた。それは家族や仕事や責任を捨てる勇気だという。そんな勇気を発揮したのはゴーギャンだった。彼はある日突然、けっこうな職と高収入と家族を捨て、南の島に移住して画業に打ち込んだのだった。ほとんどの人はこんな無責任な勇気など持っていない。持たないほうが幸せな人生を歩めそうだからだ。

蛇足ながら、私は学生時代、この新宿中央公園に何度かスケッチをしに行ったことがある。その頃は当然ホームレスなどは住みついていなかったし、もちろんそんな言葉すらなかった。ベンチに腰掛けて当時は少なかった超高層ビルを背景に四季の樹木を描いていたものだ。時どきこの公園の横を車で通るたびに、かつてはもっと明るくのどかな公園だったことが懐かしく思える。
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「森村誠一の写真俳句のすすめ」森村誠一著より。

筆者は超高層ビルを眺めて次の俳句を作っていた。「功なりて街の墓石や天高し」

功なり名遂げた人々の墓石が、生前の実績を競い合っているようにも見えたと言う。さすが作家の感性は鋭いと思わせる。私など、しばしば同じ超高層ビルを眺めるものの何も考えたことなどなかった。

私は20代から30代のはじめにかけて森村誠一の推理小説をむさぼるように読んでいた。その数100冊は超えている。だからこそ、氏がこのような“写真俳句のすすめ”(12月1日発行)を書いていたことが意外だった。

この「功なりて・・・」の俳句の解説には、久ぶりに森村節(ぶし)を思い出させるセンテンスが並んでいた。以下に少しだけ引用してみよう。

「都会は人間のあらゆる欲望を収納するきらめく容器である。都会には人間のどんな野心や欲望も叶えるものが詰まっている。だが、目に見えていながら、欲望の対象との間は拒絶的な透明な壁が隔てている。

チャンスに恵まれたものだけが、その透明な壁を通り抜けることが出来る。チャンスと同時に危険も多い。チャンスを得る前に危険につかまってしまった者のほうが圧倒的に多い。・・・・」

この部分だけでも、まるで氏の推理小説の一部分を読んでいるような気分になってしまう。“写真俳句のすすめ”を読みながらも、ふとかつて好んで推小説を読んでいた頃を思い出してしまった。
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「自分らしく生きる」の中で戸田奈津子さんが、ジム・キャリーというハリウッドのトップコメディアンの言葉を引用した部分。

彼女は俳優は夢が叶うより失敗するほうが多い仕事だと言っている。アメリカでは俳優をやりたい人の1パーセントだけしかその仕事につけないという。つまり、99パーセントは夢が叶わないのだ。それでも好きなことだからそれに向かって頑張っているのだろう。

ジム・キャリーの得意技は顔面芸だったのだ。子供のころから鏡の前で百面相をするのが好きだったという。そして、両親のところへ行って見せると、そういうsilly(お馬鹿)なことをするのはやめるようにと叱られていたのだ。

しかし、同じことを繰り返しているうちに、その一生懸命さが親に通じて、ある日突然funny(面白い)と言ってくれるようになったという。これはジムを支える言葉になったのだ。

そこで、後に人の才能の本質についてタイトルのフレーズ「人間は、親が心配するような・・・」となった訳だった。もちろん“心配するようなこと”とはいっても当然犯罪のようなことは論外だろう。彼は自分の才能を活かせたからこそ、わずか1パーセントの中に入って、トップコメディアンになれたのだ。

才能を生かすとはいっても、当然寝食を忘れるくらい夢中になれる何かがあるということが前提かもしれないな。何をやっても飽きっぽいというのは才能にはほど遠いか・・・
「自分らしく生きる」の中で戸田奈津子さん(映画字幕翻訳家)が言っている言葉。

彼女は字幕の仕事ができるまでに二十年間かかったという。もちろん待ったからといってその夢が叶うという保障もなかったのだ。自分で選んだ道だからたとえその夢が叶わなくてもいいと努力をし続けたのだ。成功の確率も叶わない確率も、ともに五十パーセントだった。

あらかじめサイコロがまずいほうに転がっても大丈夫という覚悟が必要だと述べている。夢さえ叶えばいい、というような考えなら、もしまずいほうに転がったときには立ち上がれなくなってしまう。

映画が好きで、字幕の仕事がしたいと思っていた戸田さんがアルバイトの仕事をみつけて映画会社にもぐりこんだ時には30歳を過ぎていた。そして、あるとき宣伝部長の水野晴郎さんから字幕の仕事がやりたいなら、俳優の通訳をやって欲しいといわれたのだ。

しかし、それまで英語を一度も話したことがなかったというから驚きだ。強引に記者会見の通訳をやらされてひどい目にあったらしい。それはもう思い出したくもないほどだったという。ところが、通訳はひどくても映画についての知識があったために後に字幕の仕事がきたのだ。

結局映画の世界では英語だけ知っていても映画のことについて知らなければ仕事をすることは不可能だ。転機は俳優の通訳の仕事を十年ほど続けた後に訪れた。それは、フランシス・コッポラ監督の通訳をしたときに、監督の推薦があったからだ。

チャンスはこのようにして突然やってきた。1980年封切りの「地獄の黙示録」は戸田さんにとって、字幕翻訳家としてのデビューとなったのだ。よく宝くじや賭け事で一発当てたら・・・というのはほとんど自分の努力とは関係ないことだな。
「デパートB1物語」吉田菊次郎著より。

筆者はべつにデパートの社員でもない。しかし、洋菓子店のオーナー社長をしていて、デパートの食品売り場に出店している人だ。

つまりサービス業の一員であることには変わりはない。するとそこでは、上記のタイトルにあるような人に聞いてもらいたいような出来事がでてくる。それらは、“冷や汗、脂汗、涙と笑い、そして感動の人生模様”でもあるという。

まあ、サービス業にかかわらず仕事をしていれば、また日常生活をしていてもそんなことはたまにはあるものだ。しかしデパ地下、つまり食品売り場では連日お客さんでごった返しているわけだから、平穏無事で過ごせることは少ないのかもしれない。

よくスポーツは筋書きのないドラマだという言葉を耳にするが、ここ(デパ地下)でも同様なことが起こっているのだ。来店客数が多ければそれだけクレームの発生する確率も高くなるだろう。お客は勝手なもので自分の主張だけを通そうとするものだ。

ちょっとしたこともクレームになりやすい。サービス業であることから、一方的に受け身にまわらねばならない販売員も苦労が多いに違いない。

どんな仕事でもそれなりにストレスは溜まるもの。それを親身に聞いてくれる人が身近にいればいいが、いつもそうそう都合よくはいかない。だから時には日記に書いて精神の浄化をはかる人も多いのだろう。

ホームページやブログを読んでいると、しばしばそんなひとり言日記に出くわすことがある。ウェブ上の日記ならそれを読んだ誰かが、その人の気持ちを理解して解決のヒントを与えてくれる可能性もある・・・かな。

朝日新聞土曜版2005.12.24付けより。

こんなひと言とは、たとえばニート、フリーター、オタクなどのことだった。無業の若者のことをさすニートもいちいち説明しようとすれば面倒だが、この言葉の登場で理解しやすくなっている。

たとえ、“Not in Education Employment or Training” の頭文字をとったものと知らなくてもすでに今では定着した言葉となっている。はじめは英国から生まれた言葉らしいが、日本のほうが一般化していたのだ。

ある英国人記者は「それは、日本人の好きなラベリングですね」とまで言っている。ラベリングとは、名前をつけて分類することだ。つまり、先ほどのほかには新人類、三高、少子社会、コギャル、ストーカー、負け犬、ヒルズ族、勝ち組、負け組、萌え・・・とたくさんある。

ずいぶん前からこんな分類がされてきたが、確かにこんなくくりは、ひと言で本質をつかみやすいものとなっている。日本人は手先ばかりでなく、こんなネーミングにも器用さを発揮しているのだろうか。

また、「日本人はなぜラベリングが好きなのか」、なんて考え出したらそれだけで論文のテーマになってしまいそうな気もする。ラベリングなどという言葉を知らなくても、グループ分けやクラス分けでも通じそうだ。

このようなことは本質をつかみやすいという点でまた、(変な表現だが)図を使わない図解のようにも思えてきた・・・な。
「相鉄瓦版」平成17年12月号より。

この号の特集は「横浜ラーメン物語」だった。そのなかでラーメン評論家という肩書きを持つ石神英幸氏がいっているフレーズ。

だいたいこのような肩書きがあること自体が意外だった。彼は中学時代からラーメンの世界に足を踏み入れたという。東京近郊のラーメン店を一日一軒のペースで訪れて、高校時代には全国規模に拡大していた。

今までに(20年間で)訪れた店はおよそ7300軒、8300杯以上は食べているというから、もう想像も出来ないくらいだ。その結果、テレビ東京系の「TVチャンピオン」のラーメン選手権で2連覇していた。つまりラーメン王だ。

そこからラーメン評論家となり、フードライターへの道を歩んでいる。さらに現在はラーメン店のプロデュースなども手がけているのだ。

ラーメンだけでもここまで徹底してくるとすっかりプロの仕事になってしまうんだな~。タイトルとは関係ない話になってしまった。

彼によれば、A級も超A級ラーメンもあるという。そして今まで味わったことのない一杯にめぐり会うためにこれからもラーメン行脚を続けるらしい。たまたま今日のお昼は自宅でラーメンを食べてました。

私の仕事場近くにも行列のできるラーメン店はある。どうして連日こんなに繁盛するのかと不思議でならない。かつて私もその店で食べたことはあるが、もう今では並んでまで食べる気にはならない。

たかがラーメン、されどラーメンかな・・・
PRESIDENT2006.1.2号より。

ということは、逆にいえば説明しなければわからないようであれば、まだブランドとして浸透していないとも言えるだろう。

そして、そのブランドだから買い求めるという人はブランドを信用しているとも言えそうだ。当然ブランドには好き嫌いがともなうだろう。たとえ世界の一流ブランドといわれるシャネル、カルティエ、ベンツ、BMW、ロレックス・・・であろうとも、好き嫌いがある。

いずれにしてもそれは、そのブランドを知っているということでもある。知らなければ好きも嫌いもありえないからだ。

一般的にはその製品の品質が信頼され信用されているからそこ、ブランドの名前で購入する人がいるのだろう。ブランド物が高いといわれるのは、品質に対する安心料でもありそうだ。もちろんそれなりの宣伝料も含まれるだろうが。

しかし、ブランドを確立するというのは並み大抵ではないだろう。あるブランドが説明不要になるまでには、長年の地道な努力の歴史がなければ不可能だ。また、製品の場合はロングセラーの証拠でもあろう。

いま自分たちが知っているブランドもはじめは世間の誰も知らなかった・・・とも言えるか。
PRESIDENT2006.1.2号より。

なんでも、合理的ならいいというものでもないようだ。そのときだけはいいかもしれないが、そればかりではその後も成果を期待するのは難しくなる。

それを避けるためには「とりあえず投資しておく」といったことが重要になってくるようだ。もし、ふだんからこのような行動をしていると、よりよい偶然が起こってくる可能性がでてくる。偶然が積み重なれば必然ともなるのだ。

仕事以外の部分で刺激を受けることで、本来の目的とは違ったところからアイデアが浮かぶことがある。それが結果的に仕事の成果に結びつくことはよくある。

近道ばかり見つけようとするよりもむしろ、遠回りしているうちにもっと近道が見つかって意外に早く目的地につけるかもしれない。(急がば回れにちょっと似ているか)

でも、そんな近道を見つけるためには、ふだんからあちこち歩き回って土地勘をつけておく必要もある・・・ってことかな。