朝日新聞朝刊(11/29付け)生活面より。

これは「元気」というコーナーでファッションデザイナーの横森美奈子氏が言っている言葉。

若い頃にはとくに体のことなど気を使わなかったものだが、中年以降になるとどうしても疲れがすぐにとれなくなったりする。そこで、機械や建物同様にメンテナンスも必要になってくる。だからといって大したこともしていないというのが現状だ。(自分の場合は)

彼女はファッションに携わっているからか「おしゃれに見える人で努力していない人はいない」というのが持論らしい。おしゃれな人はみんなそれなりに努力しているのか、とあらためて気づかされた。

また、同時に健康に対しても「元気に見える人は、それなりに努力している」という。つまりこれが“自分メンテナンス”なんだろう。この人自身かなりいろいろなメンテナンスに取り組んでいる。美容院、整体、エステ、各種クリニック通いなど。

いろいろしていても、義務的には感じないらしい。またストレスの気分転換にはショッピングや友人との食事もしてる。こう考えるとかなり気ぜわしいように思えるが、その気ぜわしさが彼女には健康法になってるようだ。

そうか、気ぜわしくてもそれで、自然と活動的な生活をしているからいいのだ。運動が嫌いでもそれだけ動いていることで自分メンテナンスにもなっているということらしい。ということは、意識的に気ぜわしくしれいればいいのだろうか・・・
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「文藝春秋」12月号より。

これは(ゴルフ)クラブデザイナーの沼沢雄二氏と元プロテニスプレーヤーの神和住純氏による、対話形式の「アクセス」というクラブのための宣伝コピーだった。

それはそうだが・・・道具だけあったって、それをプレーする場所こそが問題だろうって。思わずツッコミを入れたくなってしまった。

テニスなら家が十分建つくらいの広さのコートやゴルフなら森林を切り開いた広大な整備された芝生のコースが用意されている、という前提条件がなければならないのだ。

しかも、いくらいい道具を揃えたところで、それを使いこなす腕(技術)がなければ道具も宝の持ち腐れともなろう。一般人ならほどほどの道具があればスポーツは愉しめる。

しかし、プロともなれば一般人とは練習量も筋力も異なるから、プロ向けの道具が必要になってくる。話しはややそれるが、一流選手ほど道具を大事にしている。イチロー選手などはグローブもバットも常に丁寧に取り扱っているようだ。

そうそう、それからスポーツも楽しんで続けるためには一緒にやれる仲間がいてこそですね。ゴルフもテニスも道具だけあったって愉しめない・・・ですよね。結局は人とのコミュニケーションが先にたつんじゃないかな。
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「俺たちのR25時代」R25編集部編より。

この文庫本はフリーペーパーの「つきぬけた瞬間」という著名人のインタビュー記事をまとめたものだ。私もこの「R25」を読んだ後で、そのなかのフレーズを取り上げて、日記の中で何度か触れたことがある。

上記のフレーズは作家の石田衣良が言っている言葉だ。いましている仕事とは直接は関係ないことに打ち込んでいれば、やがてそれが仕事の上でも役立つときがくるという意味に解釈できる。

これは、とくに若い世代の人たちに向かっていっていることだが、もっと年齢が上の人たちにも通用しそうだ。たとえば、仕事とは別に打ち込むべき趣味があれば意外なときにそれが役立ったり、つながったりするものだ。

これは自分の体験からも間違いなくいえることだ。自ら体験を通して学んだことや理解したことは何かの機会に話題になった場合には説得力があるものだ。また何も知らない人に比べても関心の持ち方も異なるはず。

タイトルの部分では“仕事でがんばりたいのなら~”とはなってはいるが、そこまでいかなくても“仕事を自分なりに面白くしたいのなら”、と考えてもよさそうだ。

たとえば、もしこんな日記を5年間継続できたら、それなりに人に語れるものが自分の中に蓄積されるかもしれない・・・とは思っても自分にはムリかな。好きで集中できるものがあればいいのだが・・・
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『スポーツを「読む」』重松清著より。

つまりこれは、商談などのメインの仕事が終わったあとで、次に何を話そうかと思ったときのことだ。

最近の話題なら朝青龍の七連覇や琴欧州の大関への期待などならほとんど誰でも共通して知っているだろう。

自分が全くスポーツをやらなくても、周囲には熱心に話したりする人はけっこう多いもの。書店に行けばかなり多くの種目のスポーツ雑誌も並んでいる。ということは、それだけ多くのファン(読者)がいるということでもあろう。

そんな雑誌を買う人は、実際にそのスポーツをしている人ばかりではない。むしろ読んで楽しむ人のほうが圧倒的に多いはず。プロレス、サッカー、相撲、プロ野球・・・それらは観戦して楽しむものばかりだ。

たとえスポーツの競技そのものに興味はなくても、意外なところで相手との接点は見つけられたりする。例えば、プロ野球ならドラフトやオーナーの発言について、日本人メジャーリーガーの活躍についても可能だ。

また、経営的なことでは、楽天はパ・リーグでは最下位だったもののリーグとしては利益を出したことなど。さらには、タレントと選手との芸能ネタまでも含まれよう。

このように、ほとんど無責任にスポーツ新聞ネタを語ることも可能なのだ。スポーツ新聞にはスポーツ以外の世間話で通用する話題も満載されている。

現在取り組んでいるスポーツや過去にやっていたスポーツの話題なら説得力もあろう。全く別なところでは、スポーツから健康関連の話題にも発展させることもできる。いま自分または相手が健康のためにやっていることなども関心があるかもしれない。

こんなふうに、スポーツは差し障りのない話題としても便利なものだな。仕事で冷や汗かくより、スポーツでいい汗かきたいもの・・・
「文房具56話」串田孫一著より。

文房具に関心がある私は、時どきこの本を取り出して読んだりしている。そのなかの、日記について触れている部分にあったフレーズ。

たしかに、そのとおりだと自分のことを振り返っても納得できる。学生時代にも数年間にわたって書いていたことがある。しかし、だらしのない性格はそのままだ。とても几帳面にはほど遠かった。とっておいたり読み返す気にもならず、すべて捨ててしまった。

最近はパソコンを使ってインターネット上に書いたりはしているが、それは従来の手書きのときと比べて、内容が異なってきている。やはり知らない人に見てもらうために書いているからだろう。

そして、ネットで書き始めるとそれは誰かに読んでもらい、さらにどう感じてもらえたかまで含めて(つまり書き込みやコメント)完成したと思うようになってしまった。

そして、なんでもとにかくどうでもいいようなことまでお気楽に書いてしまうようになってしまった。ある意味ウェブ日記依存症候群に陥った・・・のだろうか。

私の周辺には手書きで日記帳に書いているなんていう人は一人もいない。しかし、ホームページやブログで“読まれるための日記”を書こうという人はますます増えそうだ。日記というよりむしろ、交流の機会かもしれないな。
(もしこれを読まれた方がいらっしゃれば今後ともよろしくね)
『スポーツを「読む」』重松清著より。

なんだか、ちょっと変わった表現が気になった。筆者は大橋巨泉のことをこう言っている。

巨泉ははじめはジャズ評論家だったはず。それがいつしか、麻雀、釣り、将棋、ボウリング、アメフト、スキンダイビング、メジャーリーグ、ゴルフ、競馬、テレビ番組・・・といろいろなレジャーを紹介してきた。

テレビや本や新聞を通してこれほど面白いんだ、ということを自らの体験も通して独特の“オレはね、オレはこう思うんだ”というような調子で語ってきた。

その解説内容は、その道のプロではないから素人かもしれないが、そんじょそこらの素人とは違うぞ、というところもアピールしてきている。

だからこそ、“素人のプロフェッショナルだ”という表現があっているのかもしれない。そのためにいろいろな対象に徹底的に取り組んできたというスタイルが感じられる。

スポーツの面白さは、単に汗を流すばかりでなく、レジャーとしても(観たり、試したりして)楽しむものだといいたかったのかもしれない。

巨泉はいつくものスポーツや対象に精通したようだが、普通の人にはそのうち一つでも“素人のプロフェッショナルだ”といえるようなものがあればいいほうだ。

もし、そんなものがあれば、きっと人生をもう少しよけいに楽しむことができるんじゃないか・・・な。
はじめにお断りしておきます。残念ながら、私のことではありません。今日聞いた話しの前に知り合いのAさんはそんな“前置き”で話してくれたのです。Aさんはデパートのお得意様係をしている。

あるとき彼はお得意様から年末の30日にタキシードのクリーニングを依頼されたという。しかも新年の5日までに仕上げて欲しいという希望だった。ところが、Aさんの勤務するデパートではクリーニングの取り扱いはしていなかったのだ。ふつうなら、そこでお客さんには丁重にお断りすれば済むものだ。

しかし、Aさんは同業他店数店(デパート)にも問い合わせたのだ。しかし、やはり注文は受けるものの仕上がりは取引先の都合で5日以降だという。ふつならここまで説明すればお客様だって納得してくれそうだ。

ところが、Aさんはさらに考えた末、そのデパートの最寄のホテルに相談したのだ。すると、そこでは希望どうりの5日には仕上げることができるという。さっそくそこへお預かりしたタキシードを持参して、5日までには仕上がったタキシードをお客様にお届けできたのだ。当然お客様は感激したことは言うまでもない。

こんな話しを聞いても決して自慢話に聞こえなかったのは、「自慢話しになっちゃうかもしれませんが・・・」という前置きがあったからかもしれない。それにしても、通常のサービスを超えたところに真のサービスはあることにも気づかされた。今朝はちょっといい話に出会えたような気もした・・・な。

これは、昨日田中真弓さんから頂いたメール中のワンフレーズ。

実はその前日、経営コンサルタントで作家の神田昌典さんのブログを読んでみると、そこには次のようにあったのです。

「号外ニュースです!ちなみに、私はとても興奮しておりますが、あなたにも一緒に喜んでいただきたいと思って・・・(中略)・・・実は・・・私、神田が書きました小説「成功者の告白」が来年10月に舞台化されることになりました! しかも・・・田中真弓さんが出演者に決定! 田中真弓さんは、「ワンピース」(ルフィー)、「天空の城ラピュタ」パズー)等々、声優界トップの大人気女優。・・・」

これを読んだとき、思わずなんでこんな組み合わせがありえるんだろうという思いでしたね。そこで、次の朝さっそく彼女にケータイメールを送信して確かめてみると、その1時間後に返信をもらい、その中に上記のフレーズがあったのです。あまり詳しいことはききませんが、いずれにしても彼女も意外だったようです。

私たちの日常で、全く畑違いの人と友達になる機会ってどれくらいあるだろうか。振り返ってみてもほとんどないことにも気づく。数年前まではよく異業種交流会なるものが流行っていたが、最近ではほとんどそんな言葉も聞かれなくなってしまった。そこでは主にビジネスマンどうしの交流が行われるのだろう。

神田氏の場合は異質な職業の人たち、とはいってもアーティストなどとの交流の中から別のビジネスにつながる何かを模索しているようだ。田中さんとのコラボレーションもその一つに違いない。舞台も面白そうだが、その後どんなビジネスのヒントになるかも興味深い。

いずれにしても、神田氏の作品が舞台化されるのは来年秋の話。田中さんからの案内を待ちながら、今から異色のコラボにワクワクしている・・・(私自身は数十年前から彼女とはお友達です)

「PRESIDENT」2005.11.14号より。

この号の特集は“会議の技術”だった。“「自己アピール、本音、反対意見」賢い人の話し方”、というなんだか長ったらしいタイトルの箇所にあった言葉。

自慢話は確かに知らず知らずのうちに話したりしているかもしれない。自信たっぷりの意見もそうだ。でも、聞かされる立場からすると別に嬉しくもなんともないものだ。

ところで、組織のなかでは、上司や先輩たちの考えたことが必ずしも優れているというわけでもない。ほとんどの人がこれは感じていることでもあるだろう。つまり、上司のプランより優れたアイデアが浮かんだときに自分の意見をどのようにアピールするかが大事になってくる。

そんなとき、あからさまに上司のプランを否定するのは厳禁だ。ここでは、否定語の言い換えというのがポイントになるかもしれない。例として、1.●●がダメ→▽▽なら余地がある。2.課題が多い→検討すべき点が少なくない。3.実行性が低い→中長期的な案件である。

このような言葉を使って、やんわりと上司のプランの問題点を指摘して、自分の企画を提案するといいのかもしれない。そういえば、昨年のベストセラーの一つに「上司は思いつきでものをいう」というのがあった。組織で働いている以上、こんなことを実感しない人はいないだろう・・・な。

自分の意見を話すにしても、その未熟さや欠点を逆に強調する、というのも相手に聞いてもらうためにはいいらしい。つまり、これが、タイトルにも関連してくる。自らの企画の欠点をあげながら話し続けると、相手も理解してくれやすくなるというものだ。

当然、これは日本に限ったことだ。アメリカだったら自信を持ったプレゼンこそが強そうだから・・・
文藝春秋」2005.11月号より。

誰もが何気なく口にする言葉かもしれない。これはファッションデザイナーの芦田淳氏の「人通りの少ない道」という随筆の中にあった一言。

氏の人生のことを振り返ってみると意味のある言葉でもあった。彼は8人兄弟の末っ子に育った。父は医者で子供たちは一流大学を卒業して欲しいと願っていたらしい。しかし、氏自身はあえて、大学にも行かず、好きな道を選んだのだ。すると家族中が悲しみ、兄たちからは露骨に軽蔑されたという。

厳しい選択ではあったが、好きなことに励めばよかったから、苦しいこと、辛いことにも耐えられたのだ。もしこれが、親の望むような道を選んだならきっと耐えられなかったに違いないとも述懐している。

皆と同じようによい大学を出て良い会社に就職することが、人生最高の幸せではないはず。また、有名ブランドが流行して、我も我もと飛びつくのは日本だけの現象らしい。人と違ったことで価値観を味わうことも大事なことだろう。

子供が小さい頃は「みんなが持っているから、自分も欲しい」という。その“みんな”はいったい何人のことを指すのかはあいまいなことが多い。“皆と同じ”はファッションでも安心できるかもしれないが、面白みも少ない。

美輪明宏氏のことばを借りれば、「シャネルなんてのは人の名前でしょ。他人の名前が書かれたカバンとかシャツを身につけて何が嬉しいの?」とかなり手厳しい。

J.アシダのプレタポルテは海外トップブランドのシャネルなどと比べれば高額品とは思えない。しかし、国内のデザイナーものとしては決して安くはない。まあ、庶民がお気楽に身につけられるものではないことは確かだ。

いずれにしても、芦田氏はファッションデザイナーとして成功した。これも、やはり人と同じようにしていたら、そうはならなかったということだろう。