「朝日新聞」2005.9.28より

生活面の「仕事考」というコーナーで岡野雅行(岡野工業代表)さんはこう言っている。

学歴もコネも地位もない彼にあるのは誰にも負けない技術だという。こう思うことが自分の活力になっているらしい。

逆に言えば当たり前の発想やだれにでもできる程度の技術からは、そこそこのものしかできないということも言えよう。それでは誰にも注目されることはない。

世界一細い「痛くない注射針」を開発する際、大学の先生にも物理的に不可能と言われている。結果的には従業員6人の下町の工場で作ってしまった。そして、いまそれは量産されている。

この基礎となった金型の技術は明治37年生まれの父親から教わっていたのだ。しかもオヤジさんは土間に白墨で線を引いて製品をこしらえていたという。そして岡野さん自身も図面を引かずに自由な発想で製品をつくり続けている。不可能を可能にしてしまう秘訣はそんなところにもありそうだ。

しっかりとした基礎、そして縛られずにそこから飛躍できたときに世界で初めての製品は生まれるのだろう。それを支えるのはプレスの技術だ。それだけは誰にも負けないという確かな自信に違いない。

う~む、やはり自分の世界をもったたたき上げは強いと感じざるを得ない。
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朝日新聞2005.9.12付け記事より

これは「仕事考」というコーナーで岡野工業の経営者岡野雅行さんが言っている言葉だ。この人のことは今月もこの日記で触れていた。(9/8~10)

岡野さんの工場はどんな感じなのかということは次の説明がわかりやすい。“言ってみれば、大学病院で治らないって言われた患者が、最後の望みで小さな町医者をたよってくるようなもんだ。オレの腕が悪かったら、この製品は世の中に出ない。”

実に誰にでもわかりやすい表現だ。これは刺しても痛くない注射針を開発し製品化できたときのことだ。現在これを販売している会社の担当者は岡野さんの工場に来る前に全国の数十社に頼んで断られたという。こんな不可能と思われる仕事を可能にしてきたからこそ出る、シンプルで説得力ある言葉なのだろう。

この人がすごいと思ったのは常に次の開発を目指していることだ。たとえ成功してもそれだけにはこだわっていない。だから3年以上は同じ製品を作り続けることはないのだ。同じ仕事をしていると次の開発ができないかららしい。

それを岡野さんは次のようにも言っている。“止まれば水は腐ってしまうだろう。流れなきゃ。流れれば新しい情報や仕事が入ってくる。”

自分の日常の生活や仕事がマンネリに陥っているかもしれない、ちょっと反省させられた・・・な。

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「スマートモテリーマン講座」武田篤典著より

ためになるとか、ならないとかは別としてこの一冊は面白イラストとともにギャグマンガと同じレベルで楽しめる。(別に宣伝じゃありませんから)

この回の話題のはじまりは料理だ。サラダをオーダーした際に取り分け用の大きいフォークとスプーンがついてくることがある。それを片手で華麗に操ることができるのがモテリーマンなのだという。

すると、「この人家事とかやってるんだ」感で、単に器用なだけでなく優しさ的な要素もアピールできると言う。確かにがさつな男には思えなくなりそうだ。

生卵はよそ見しながら片手で割れば実力以上の“家事感”が立ち上ってくるのだ。さらには「あの人は家庭的だから」というイメージが作られる・・・らしい。(そんなことだけで家庭的だなんてありえねえという、ツッコミをいれたくなってしまう。が、これはあくまでギャグなのだ。)

サラダと卵を片手でさばくという一連の作業はあくまでさりげなくやることだポイントになってくる。たとえば、会話をしながら、テレビを見ながらなど“ながら”で出来るだけの練習は必要になってくる。

自分がテレビを見ながらできるのは今のところ、居眠りぐらいだろうか。スマートモテリーマンになるためには努力もせねばならない・・・か。でももう遅すぎる、あと20年早ければな~

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「スマートモテリーマン講座」武田篤典著より

このフレーズのあとには“それゆえ、人は背伸びをし知ったかぶりをするのだ。”と続いている。でも完璧に近い人ほど近づきにくいことも確かだ。

そこで、ここではその点をついている。モテる男は決して完全ではない。そこそこのダメさをあえて視覚的に演出することが必要なのだ。

カッコ悪いと思われる部分をあえて見せる3点セットというものが紹介されていた。

1.自分でボタン付けをする。(ソーイングセットを持っていなければならないか。)そこそこ家庭的ではあるが、ちょっと可愛そうな風景でもある。

2.しわしわハンカチ。洗濯はしてあっても、アイロンまではかけてない。(そういえば自分もいつもパリッとしたハンカチなどもってないか。)

3.シャツの染み抜きの跡。カレーうどんを食べるときしみをつけてしまい、すぐさまシミを抜く。これはリスクマネージメント力がある証拠・・・らしい。イコールできる男の象徴になってしまう。

何でもいいように解釈してしまうところが笑える。自分など背伸びをしたり知ったかぶりをするとたいていそれだけで失敗してしまう。

だらしない人間の私がこんな真似をしたら、さらにダメ男になってしまいそうだ・・な。

昨日の朝青龍の6連覇を見ていてふと思ったこと。

昨夜から今朝にかけて、テレビのスポーツニュースでは朝青龍の千秋楽の取り組みを何度も流していた。それを見る度もう何年も日本人力士が横綱になっていないことにも気付いた。少なくとも、この一年間は日本人力士は優勝していない。

NHKのインタビューのなかで昭和の大横綱だった大鵬親方は「彼の7連覇の可能性はありますかね?」という質問に対して即答で「もう、可能です。できなかったらバカヤローといってやりますよ」と真剣にしかもにこやかに語っていた。

それは朝青龍にとってはものすごい激励でもあるだろう。勝つのは当然だろうと言っているようでもあった。その様子をみていた彼もにこやかに微笑んでいた。彼の、次も優勝したいと言う言葉は、心の中では史上初の7連覇をすでに思い描いている筈だ。

彼の父はモンゴル相撲の元関脇、兄3人もモンゴル相撲の力士やレスラーになっている。格闘技一家に育った彼もまた闘争心が強かったのだ。かつて横綱貴乃花、若乃花も相撲界ではサラブレッドのような存在だった。しかし、ハングリーさでは朝青龍には勝てなかっただろう。

もう一つの記録である、年間最多勝を塗り替えるかどうかも注目される。いったいいつになったら彼以上の日本人力士は誕生するのだろうか?

「日経ビジネスアソシエ」2005.10.04号より

この一年間、朝青龍の一人勝ちが続いた。今日(9.25)優勝を飾って大鵬以来史上2人目の六連覇を成し遂げている。

彼の相撲は憎々しいとまで言われる。勝負の世界では勝つか負けるかの二つしかない。誰もが勝つために土俵に上がる。とくに彼にとっては勝つことイコール生きることになっている。貧しいモンゴルから来たためかハングリーであるには違いない。これほど勝つことに対して強いこだわりを持っている力士はほかにいるだろうか。

今場所は優勝決定戦も朝青龍と琴欧州という外人勢どうしの闘いだった。彼に今の強さを見せ付けられると、いったいいつになったら日本人力士が横綱になれるのだろうか、という不安さえいだかせる。まるで、日本の国技を見ているような気がしなくなってしまう。

勝つというこだわりは、スポーツだけでなく一般の仕事のうえでもきわめて大切な要素だとふと頭に衝撃を受けた。あらためて、まだまだ甘い自分に気がついた次第だ。人目を気にしていいかげんなところで妥協している。もっと前に進むべきではないかという反省。

仕事は取るか取られるかの問題でもあろう。いくら地道な創意工夫も結果として実らなければ意味はなさない。仕事では成果だけが評価される。厳しさがまだまだ足りない自分にカツを入れねばな。

「スマートモテリーマン講座」武田篤典著より

こんな大して意味もない面白フレーズが気になることもある。ギャグにツッコミを入れながら読むのも面白い。このページを少しだけ紹介してみよう。

まず、仕事も料理も得意な男というところからクスクスしてくる。そのうえ、ゴミ出しにテクニックまであるのかと思わせるところが笑わせる。

冒頭は“問題は「どう捨てるか」ではなく「何を捨てるか」”で始まっている。つまり同じゴミの収集場を利用する若い娘さんや素敵な奥さんへどうアピールできるか、なんていうことが書かれている。

たとえば、“見せるゴミ”を意識して、ふだんあまり見慣れない珍しいオイルやビネガーのビンを捨てる(見せる)からスタートだ。これが注目されるための第一歩なのだ。

次に生ゴミを出す男はイコール料理のできる男と思わせる、と強引に持ってきている。もちろんこの場合男は独身で一人住まいという設定だろう。・・・さらにコンビニ弁当の容器を捨てるのだ。これで女性には「お仕事たいへんなのね」を加味できる筈だという。さらには「私なんとかしなくちゃ」に発展を期待するらしい。

もし、世話好き的な奥さんなら「たまには手料理も食べないとね」と熱視線を送ってくる可能性もある・・・らしい。もうここまで想像するとかなり笑えてくる。

一般家庭の場合で男がゴミ出しをする場合は、「お父さんゴミ出しといて」と言われて、しかたなくやっている姿にしか見えない。(まあ、私のことだが)

まして、ゴミを出しにでて、娘さんや素敵な奥さんと出会ったことなど一度もないな・・・。そうこうしているうちに、自分が粗大ゴミ?
「デジタルの仕事がしたい」杉山知之編より

こう言っているのは映像作家の真島理一郎さんだった。とくに意味はないが何となくこの表現が気になったのだ。

私自身この辻仁成の小説は読んだことはないからそれについて触れることはできない。せいぜい知っているのはワイドショーレベルのことだけだ。彼がロックミュージシャンでかつ芥川賞作家、ワイフは元歌手の中山美穂であることぐらいはミーハーオヤジである私は知っている。まあ、ここではそんなことはどうでもいいが。

彼の作品には「冷静と情熱のあいだ」なんていうのもあった。それとは関係なくロックが情熱つまり「動」だとすれば、作家として執筆している間は「静」ともいえそうだ。そんなバランス感覚も辻独自のものだろう。

真島氏はすべてのクリエーターにはこのようなバランス感覚が大事だという。確かに熱くならなければ、作品はできないだろう。しかしそれだけでなく同時に客観的に物を見る冷静さも併せ持つべきだということだ。それはクリエイターだけに限らないとも思えるが・・・

とにかくタイトルのような比喩は面白く感じた。こんなユニークな表現を思いつくのもクリエイティブな仕事に携わっているからなのだろう・・・な。見習わなければ。

「デジタルの仕事がしたい」杉山知之編より

これは“メディアアーティストの仕事をするうえで、もっとも大切なことは何ですか?”という質問に対して八谷和彦さんの「楽しむこと」という言葉のあとに続く返答だ。

もちろん仕事をやっていれば、楽しくないことやつらいことはあるという。どんな仕事でも当然それはいえるはずだ。しかし、どんな仕事にも共通していることはそれを「楽しむ」ことなのだ。はじめから楽しいわけではないかもしれないが、自分なりにその中に楽しみを見つけなければ長くは続けられないだろう。

仕事をする以上ある程度の苦労は折り込みずみで、その苦労があるからこそ楽しいことも引き立ってくるとも彼はいう。

いずれにしても嫌々仕事をやっているうちは、ベストの結果などでないだろう。逆に仕事を楽しめたときほど結果もいいものだ。これは自分自身の経験からもそういえる。

今の仕事をどうやって楽しめるように持っていけるか・・・このへんがポイントだな。
「デジタルの仕事がしたい」杉山知之編より

この本の中身は11人の現役でデジタル業界で働く人たちによってその個性的な仕事が紹介されている。デジタルの仕事っていうのも幅が広い。この本はこれから社会に出ていく若者、主に高校生や大学生向けに書かれているものだ。

ところが、すっかり中年のオヤジになった私なんかが読んでも、デジタルの世界を興味深く知ることができる。古くなった頭にはけっこういい刺激になるかもしれない。

どれもこれもカタカナの職種だ。たとえば、モバイルコンテンツプロデューサー、キャラクターアーティスト、コンテンツメディアプロデューサー、クリエイティブディレクター、メディアアーティスト・・・とこんな具合だ。今まででは想像もできない個性的な仕事ばかりで、私のようなアナログ人間にはまるで別世界に思える。

さて、タイトルにあるフレーズはモバイルコンテンツプロデューサーという仕事についている宮谷さんという人の言っている言葉だ。今の仕事で大事なのは技術云々よりもむしろアイデアと“やる気”だという。

ところで、この本の発行は2005年8月19日だが、たまたま昨日書いたフレーズの内容(25年前の別の著者の本)ともほぼ同じようなことを言っていることにも気付く。結局、根底にあるのは人の持つ熱意やパワーなのかも知れない・・・な。