かえっぺす!
ボランティアの朝は早い。みんなちゃっちゃと起きてそれぞれの担当の仕事をし、和やかに朝ごはん。食事当番の人以外にも、料理の得意な人が自主的におかずを作ってみんなに分けてくれたり、自分で持ち込んだ食材を分けてくれたり。
私は荷物が多すぎて何も持って来なかったけど、次回来るときは少しは何か持って来ようと心に誓う。
皆さん、ごちそうさまでした!どうもありがとう~~。
それから朝のミーティング。昨日の深夜に到着した方や今朝早くに到着した方も自己紹介。ベテランのリピーターも多いし初めての方もいる。それぞれ自分の住む町で仕事をしながら、こうして時間を作って唐桑まで来られている。まさしくボランティア。
私はミーティングを途中で抜け出して大急ぎでメイクにかかる。
女子部屋に戻って来たみんなが、メイク途中の私を見て大騒ぎ!変身が完了して表に出ると、全員がもっと大騒ぎ!!ほんとにねえ、我ながらこれほど場違いな格好はないよね…。
みんなでひとしきり記念撮影。こんな熱心な働き者の皆さんに笑ってもらえるだけで、まずは来た甲斐があったというものです。
ミスしゃっくりの姿でいつものストレッチ体操にも参加。体操しながらもみんなが笑っている。
ほんとにねえ…。
今日は3班に分かれて作業へ向かう。
そう、みんながみんな神社のお祭りに行けるわけではなく、通常業務も同時に進んでいるのだ。カキの養殖お手伝いチームや、竹林の撤去作業の力仕事のチームもいる。
私たちお祭りチームは車で神社へ!力いっぱい盛り上げるぞ~~!!!
肌寒い曇り空、今日だけはぜひぜひどーん!と晴れてもらいたいところ!
900年つづくという大変に由緒ある賀茂神社。この大澤地区は、唐桑半島のなかでも最も津波の被害の大きかったところで、180世帯のうちなんと140世帯が流されてしまったと聞いている。海のすぐ近く。
神社も半壊したそうだが、何とか修復され、無くなった神楽殿の舞台の代わりに仮設のステージも組まれている。地元の青年会と婦人会の皆さん、そして各地のボランティアの尽力で例大祭開催が実現した。
会場に飾られたたくさんの大漁旗が力強い。
地元の中学生たちが和太鼓の準備をしつつ、ミスしゃっくりを遠巻きに興味津々で眺めている。「アタマがおかしいんじゃないの??」とか何とか言いながら、げらげら笑っている子たちもいる。
そうよ!そりゃ~もうずいぶんとアタマがおかしいのよ!ひっひっひ。
みんなの和太鼓、おばちゃん楽しみだなあ。
お祭りらしくたくさんの屋台も立ち並んで準備に大忙し!綿菓子、輪投げ、ダーツ、ヨーヨー釣り、ハンバーグ、焼き鳥、カレー、甘酒…、、、それらのほとんどが無料。みんないっぱい食べて飲んで楽しめる。全国各地からのいろいろなボランティア団体によるもの。
音響さんもさっそくふわふわの綿菓子をぱくり!
神社が長い年月かけて集めてきた大事な音響機材なども全て津波で流されて何も残らなかったそうだ。今日のお祭りのために、別のところから何とか最低限の音響機材をかき集めて来て下さった。昔なつかしいラッパ型のスピーカーと、これまたすごい旧式のCDデッキとアンプが、今日のハレの舞台を支えてくれる。私はCDとiPodを用意していたが、何とかiPodも無事につながった。絹ちゃんが音出しを引き受けてくれて、これでひと安心!
10時前には続々と地元の皆さんが集まり始めた。ちびっこたちもいっぱい!
かっこいいねえ!お祭りはこうでなくっちゃ!
大鍋には甘酒がたっぷり。私も景気づけに一杯いただきました。
お面屋さんもフライドポテトも華を添える。
どんどん人が増える。後から聞いたところでは、震災以降ばらばらになってしまった地元の方たちがこれほど一堂に会したのはほとんど初めてのことだったそうだ。
地元の子どもたちによる和太鼓の演奏が皮切り。みんな真剣。
私も子どもの頃は地元のおじいちゃんたちに習って太鼓やちきりんを演奏していた。大好きな太鼓の音。お腹に響く音。
小学生も中学生もいる、この一緒くたな感じが最高!
大人たちもみんな嬉しそうに太鼓を聴いていた。
いくつかの和太鼓保存会の演奏がつづく。
ヨーヨー釣りにもちびっこたちが夢中で挑戦していた。
にぎやかなガールズ!女の子ってのはほんとに口が減らないよね!
食べる口としゃべる口が止まらない。シャイな子ももちろんいるし、笑い上戸の子も。
しゃっくりおばちゃんにも綿菓子を分けてくれる子がいるかと思えば、その矢先に「太るよ!」の鋭いツッコミが入る。「ねえねえ何歳なの?!」「どっから来たの?!」「名前は?!」などなど質問攻め。
口の減らない女の子が撮影してくれた写真。
絹ちゃんは地元のいろんな方たちとも顔見知り。頼もしい上に可愛くて、気配りがものすごく細やかな絹ちゃんはみんなから信頼されている。
「ほら見て!!宝石とったんだよ!!」と大自慢の小学生たち!きらきらの宝石、まさしく宝物だよねーーー!!!でも、大人にとってはあなたたちこそが宝物だ。
神社の大木に貼られたお祭りのチラシ。
かえっぺす!は「帰ろう!」の意。みんなが地元に帰って来る日。この大木も津波の被害を受けて枯れかけているそうだ。
お祭りに続々と集まったおばあちゃんやお母さんたちは、私の姿を見て目を丸くしながら「まあ~~!可愛いこと!どちらからいらしたの!まあ、東京から!それはそれは遠いところからありがとうございます。」と声をかけて下さった。少しお話をしていると、どの方もどの方も津波の話や避難所の話や仮設住宅での話をしてくれる。お祭りで、笑顔がいっぱいだったけれど、ここにいらっしゃる方のほとんどが家をなくされている。新築してまもない家が流されたと話して下さったおばあちゃんもいた。涙をこらえながら話す顔を見ていて、胸がぎゅっとなる。
「悔しいですねえ…!」と私が言ったら、おばあちゃんは大きく頷いて「ほんとうに悔しい。海を恨むわけにもいかないけど、悔しいねえ…」と言った。
海とともに生きて来て、海の恵みをよくよく知っているであろう大澤地区の方たち。その海からやって来た大津波。水への恐怖心から津波以来お味噌汁さえ食べられなくなった方もいるそうだ。
私のように東京で仮住まいのように生きる者がアパートを流されるのとは訳がちがう。ずっと代々、家族が暮らして来た大事な家が流され、コミュニティがばらばらになってしまったのだ。思い出の品も、家財も何もかも。想像も及ばない。
写真撮らせていただいていいですか、と言うと途端に恥ずかしそうな顔をするお母さんたち。
花だらけの私を見て「寒くない?」と心配して下さる方や「こんなの私も着てみたいわねえ!」と楽しそうに笑う方もたくさんいた。被災地にはカラフルなものがとても少なく、花を贈ろうなどの活動もあちこちで進んでいるとか。特に女性はやっぱりカラフルなものを見るだけでも心が明るくなるのではないだろうか。
大澤の皆さんにブーケを届けるような気持ちで、お祭りの間じゅううろうろへらへらと歩き回った。
地元の要となっている神社、その社の横には津波の高さを記した看板もあった。信じられない高さだった。
境内から見下ろす形でお祭りの広場がある。
午後になると曇り空が一気に晴れてくれた。よかった!!!日焼けするくらいの暑さ。
おや、子どもたちが真剣な雰囲気で集まっている。いったい何事か…??
ははーーん。
これね!
こんな笑顔も。最高のカメラ写りだねキミ!!
肝っ玉母ちゃんは子どもたちを怒鳴りながら、大鍋の豚汁をかきまぜている。ミスしゃっくりとも仲良くなって下さった。
一心に吹きまくるレディ。
こちらも吹きまくるレディ。お見事っす。
こちらの皆さんが手にしている可愛いタコは…、
小原木(こはらぎ)タコちゃん!
小原木という地域の皆さんが避難所にいる頃に作り始めたタコのマスコット。全て手作りで色とりどり、形も大きさも様々。8本の足で幸せをしっかりつかむように、との願いが込められている。
こうした手作りの物を販売することで少しでも経済的に自立できるようにと、皆さんこつこつと活動されている。
私もひとつ買わせて頂きました~。
ベルトにぶら下げて、幸せの小原木タコちゃんと一緒に歩く。
こちらは子どもたちが「あげる!」と言って分けてくれたヨーヨー。サンキュウ、友達!
私は国内でも海外でもとにかく見知らぬ人たちにいろんな物(主に食べ物)を頂くことが多いのだけど、ここでも子どもたちがお菓子やらフライドポテトやらいろいろくれた。
…ほんとにありがとう。しゃっくりおばちゃん、すんごい腹ぺこに見えるのかしらね…。何だか申し訳ないわねえ。
お!子どもたちの元気なソーラン節が始まった!!
かっこいいな!!力強い。
震災直後から活動されているラーメン義援隊の隊長が今回はラーメンではなく餅つき大会を開催された。「みんなが参加できるように」との思いで。なんて素敵なアイディア!お祭りにはお餅が似合う!ちびっこたちも大人たちも。
重い杵を振り上げて、よいしょ!よいしょ!
姉妹で力をあわせて、よいしょ!よいしょ!
子どもたちのサポートをしているのは、青年会の山ちゃん。昔はやんちゃだったらしいが、ここ10年ほど毎年子どもたちのためにサンタクロースになって家々を回るという大変に心やさしい兄ちゃん。リーゼントだった頃にもバス車内で編み物をしていたというすごいギャップの持ち主。
おお、この女の子は先ほど宝石をゲットしていたレディじゃないか!宝石から杵に持ち替えて、可愛い手で意外なほどたくましく餅をつく。よいしょ!よいしょ!いいぞいいぞ~~~!
大人たちの手も必要というので、ミスしゃっくりも餅つきに参加させて頂いた。(誰か写真撮ってないかなあ~。)司会の千葉さんの盛り上げのお陰もあって、場内は大爆笑。しかもおじいちゃんやおばあちゃんたちからは「あんなに細いのに力があるねえ~たいしたもんだ!」とお誉めの言葉を頂いたらしい。いやあ、決して細くはないですし、思った以上に杵が重くて必死でしたことよ。
ラーメン隊長は「一粒一粒の餅米が、みんなの力で一つのお餅になりました。これからもみんなで力を合わせていきましょう。」と、静かに力強く語りかけた。
侠気あふれる隊長。
出来上がったお餅はお母さんたちがあんこ餅やきなこ餅にしてくれて、みんな美味しそうに食べていた。
私はさらにこのあと行われたヨサコイにもぜひにと誘われて、粋な姐さんたちと一緒に踊らせて頂いた。いや~ヨサコイ楽しい!なかなか激しい踊りです。(これも写真がないのがざんねん。)
ヨサコイチームの中にも衣装が流された人たちもいて、本来のお揃いの衣装ではなく仮のものがいくつか混ざっていた。それでも姐さんたちは元気いっぱいだった。
ヨサコイに参加してくれたお礼にと言って、こんな貴重な物まで頂いた。ほんとにすみません!
ありがとうございます…!まったくもうもらってばっかり。何しに来てんだか…。
そして自分の出番。
元気よくご挨拶して、皆さんの大きな声を頂いてショーのスタート!
ラッパ型のスピーカーから最大限に音が流れる。願いを込めて建てられた舞台の上で、全力で歌って踊る。会場いっぱいの大澤の皆さんが熱心に観て、大きな拍手を送って下さった。子どもたちもいっぱい手をたたいてくれた。
ショーを終えたあとにはいっそうたくさんの方が声をかけて感想を伝えて下さった。「楽しかった!」「素晴らしかった!」「握手してください!」「すごいですねえ!やっぱりプロだねえ!」などなどの興奮気味の声を聴くたびにとてもうれしかった。こんな大事な場でショーをやらせて頂いて、心から光栄に思う。ラーメン隊長の提案で、場内のあちこちで子どもたちと記念撮影をしてもらう。さいちゃんと絹ちゃんが一人ひとりの住所を書き留めて、後ほど写真を送ることになった。子どもたちの住所のほとんどは仮設住宅だった。
その後には地元の伝統芸能である虎舞(とらまい)があった。獅子舞ではなく、虎の舞。胴体の長~い虎が勇壮に踊りながらみんなの頭をかじって行く。ラーメン隊長のブログによれば、むかし津波の難から逃れ残った七軒の家の人たちから始まったと言われているそうだ。
そして神社の宮司さんによる、めでたい神楽「鯛っこ釣り」が披露された。
仮設の舞台、鯛を釣り上げるまでにちょっとしたアクシデントもあったが、それもまたかえって会場を沸かせていた。毎年必ず行われて来た大事な大事な例大祭。その締めくくりの神楽を、地元の大勢の方が心から大事そうにうれしそうにありがたそうに観ていらっしゃった。
子どもたちは一日中元気に跳び回っていた。
絹ちゃんとさいちゃんとも記念撮影。ありがとう、二人とも!
こちらが青年会のさらに上の重鎮、千葉さん。
あたたかくてどっしりとした、心のこもった司会でお祭りをしっかりと進行されていた。ふつうのイベントでさえこれだけの規模になると進行は大変なことだが、足りないものや準備の追いつかないことが山のようにあったに違いない今日のお祭りにおいて、千葉さんは何が起こってもあたたかくゆるやかに受け止めて、ユーモアと大らかさと味のあるコメントで支えていらした。途中途中にも、時間が押していることを気にして「朝から来てくれてるのに申し訳ないですねえ」と私にもお気遣い下さったり、一つひとつの演目に対してほんとうにあたたかい言葉を飾らずにかけていらっしゃる様子を見ていて、何だかもう頭が下がるとともに何度も涙が出そうになった。
「今日は来て下さってほんとうにありがとうございました。」と深くお辞儀をして下さって、がっしりと握手もして下さった。
千葉さんはお客さんがどんどん帰り始めたあとも、最後の最後まで、このお祭りに協力してくれた全ての団体や人々への感謝の言葉をマイクで伝えつづけていた。今日一日だけで千葉さんはいったい何十回「ありがとうございました」を言ったのだろうか。
地元の青年会の皆さんとボランティア全員が広場に集まった。驚くほどたくさんの人たちがこのお祭りに関わっているのだった。青年会の黄色いジャンパーには「大澤」の文字。
それからみんなで一斉にバラシ。働き者のみんなの手にかかって、全てはあっという間に片付けられて行った。
神社にはこんな石碑もあった。
昭和8年の大震災の記念碑。こういうのがあちこちにあるらしい。
今日は何匹ものてんとう虫が私にとまって行ったが、記録係をしてくれていた堀ちゃんの腕にもホラ!
写真だと伝わりにくいが、すんごい大きい上に変わった模様のてんとう虫。
近くの川には大きな鮭が何匹も昇っており、みんなでそれを眺めて遊ぶ。
土手を上り下りした私にはバカ(※植物の種、くっつき虫?大分ではバカと呼ぶ)が無数に取り付いて、思わずぎゃあ!と叫ぶ。
面白いからという理由でミスしゃっくり姿で車も運転し、みんなでげらげら笑いながらセンターに帰る。海岸亭に着くとほかの班もちょうど帰って来る頃だった。
荷物を片づけて一息ついたところで、我が後輩をはじめスタッフの何人かと約束していた通り、今日のお祭りに参加できなかった皆さんのためにロビーでミニショーを始める。持って来ていたアンプがここでようやく役に立った。
スタッフ全員とマスターがロビーに集まって立ち見で観てくれた。ライブハウスとも劇場ともお祭りとも同様に、全力で演じる。ずっとずっと被災地のために地道に活動しているボランティアスタッフの皆さんから、大きな笑いと拍手と歓声を頂いた。
さいちゃんや絹ちゃんは「近くで観るとまた全然ちがった!やっぱり音が大きいとインパクトがすごいねえ~~!」と目を丸くしていた。後輩しょこたんと、その仲良しの美穂ちゃんは大よろこびで「センパイ、かっこいいっす!!!」と大声で言ってくれた。しょこたんは出会って以来ずっと「私もこんな36歳になりたい!」と言いつづけ、私のことをもはや名前ではなく「36歳!」と呼ぶ。勘弁してけろ若者よ…。
そのしょこたんとは今日でお別れ。
マスターとしょこたん。
あ、マスターから教わった気仙沼弁のうち、エロくないものをいくつかご紹介しよう。
してこび=おでこ
しじゃかぶ=ひざ
はまらいん!=こっちに加わって混ざりなよ!
だいん=おいで
はまらいん、って可愛いねえ。この言葉を藤井フミヤが気に入ってラジオで紹介したんだよ~とマスターは自慢していた。大分弁で言うと「かたりよ!」かな。英語ならJoin us!だな。
いい言葉だ。
これはしょこたんと美穂ちゃんの馬鹿コンビ。彼女たちがいたお陰で空気がとても明るかった。
スタッフの皆さんにも喜んで頂けて、ミスしゃっくりもほっとする。
夕方のミーティングのあと、大急ぎでそのままの格好で再び神社の打ち上げにお邪魔する。宮司さんはじめ青年会の方が大歓迎して下さった。乾杯してたくさんの方とお話する。
それにしても宮司さんのエロっぷりが最高だった。袴を脱いだらもう仕事は終わりだからいいんだそうだ。宴席は笑いに次ぐ笑いの渦。にぎやかで元気いっぱい。やっぱり酒とエロは大事だな!
…そういえば4月に救援物資として陸前高田に酒の紙パックをいっぱい送ったんだけど、あれは無事に被災地に届いたんだろうか…。誰か飲んでくれたかな?
大人たちがにぎやかに呑む横で、所在なさげにジュースを飲んでいた19歳の男の子が、先輩たちに促され立たされて、短い挨拶をした。うるさかったおいちゃんたちが、しんとなった。
「こんなおいちゃんばっかりですけど…、
震災以前はあまり関わりはなかったけど、震災以降にいろいろと可愛がってもらうようになって、
感じたのは、この、みんなは家族なんだな、ということ。
大澤に生まれてよかったな、と思いました。」
おいちゃんのうちの一人は「おわぁ~…っ!」と言いながら、感極まったようすで後ろにゴロンとひっくり返った。
今日までに、どれほどのことがあったんだろう。
青年会というつながり。地元の強い絆。老いも若きも幼い者も、一緒に暮らしているところ。
家族、ということばの持つ、もっともっと大きな意味。その力。
私が暮らしている東京の自分の町には、友達はたくさんいるけれども、こういう家族はいない。もしも震災が起きて地域の避難所に行ったとしたら、知っている人は一人もいないだろうと思う。
大澤の大家族の皆さんは「またぜひ来て下さいね!」と何度も言って下さった。
また必ずお邪魔します!
ほんとうにありがとうございました。
海岸亭に帰るとのりピーさんがもつ鍋を作ってくれていた。みんなで鍋を食べながら呑む。お酒も持ち込みや差し入れのもの。みんなで笑いながらいろんな話をする。
ボランティアについてのあれこれも聴かせてもらった。面白おかしいエピソードもあればシビアな話もいっぱいある。地域によってボランティア格差というものもあれば、ボランティア同士での摩擦も少なくないようだ。何しろいろんな人たちがあちこちから集まるわけだから。様々な考え方、様々なスタンスがあり、キャラも職業も立場もキャリアも実にいろいろなのだから。
私は正直に言って昔からボランティアと呼ばれる人々の独特の雰囲気がどうも苦手だった。だいたい集団行動があまり得意ではないし。活動の対象にものすごく過剰に気を遣う感じとか、案外とミスを許さない感じとか、異様なほどに人が善い感じとか、とてつもなく細かく確認を必要とするところとか、カリカリしている人たちとか、やたらと熱くて持論を押しつける人とか、ダサくてともすれば不潔な感じの人とか、目が合わなくてぼそぼそしゃべる人とか、逆に恐ろしいほど声がでかい人とか、ヒッピー的なラブ&ピースな人とか、仕事の速さや体の丈夫さを過剰に誇る人とか、とにかくいろんな苦手なタイプをいっぱい目にして来た。
だから今回ここに一人で乗り込むのはほんとうに心配だった。
実際やっぱり苦手な感じの人もいないわけではなかった。でも、それでもやはり来てよかったと心から思った。それぞれが何か、ほんのちょっとでも、被災地の役に立ちたいと思っているのだった。身近に親しい人を震災で亡くされた方もいれば、阪神大震災の経験者もいれば、東北にゆかりのある人もいるし、ぜんぜん関係なく来ている人たちもいる。
ボランティアの活動というのは、難しく考えればいろいろと複雑な部分もあるし、細かい問題も尽きないのだろうと思う。
でもいま絶対に必要なことは間違いない。この大震災はボランティアの力なしには乗り越えられないだろうと思う。これから冬を迎え、ボランティアはどんどん減って行くだろうと言われている。
支援物資も寄付も人手も、何もかもが減って行くという危機感で現地はいっぱいだ。そして何よりも、被災地への関心がどんどん薄れていくことが、みんなが一番怖れていることだ。
私は今回ほんとうに貴重な機会を与えて頂いた。ここでもらったご縁をちゃんとつないで、どんどん育てて行きたいと思う。私は深刻に眉間にしわを寄せながら、ぎゅんぎゅんと有能な仕事をできるような人間ではないので、自分にやれることを出来るだけ楽しく大事にやって行きたいと思う。上手に出来るかどうかはさておき、とにかく順番にやっていこう。
笑ったり、ほっとできたり、ふざけたりするようなこと。辛いことをちょっとだけ忘れられたり、嫌なことや腹立たしいことをうっかり許せたりするようなこと。時にはわっはっはと笑って「全部込みじゃ!」と投げ飛ばせるようなこと。まいっか、悪くないかもな~!と一瞬でも思えるようなこと。
そういう時間とかきっかけを少しずつでも創れたらと思う。
この2日間で「道化」の役割についても何となくだがいっぱい考えた。
これまで以上に考えた。
たぶん震災以来ずっと考えつづけていたことだが、実際に被災地を訪れてみて、そこで人と話したりショーをやったりする中で、いっそう考えた。言葉でというより感覚で考えた。
まあ肩書きや名前なんてどうだっていいんだけどさ。芸人だろうがアーティストだろうが道化だろうが何だっていいけど、たぶんミスしゃっくりにも役割がある。へらへらしつづけるという…。
人と会って、ちゃんと体に触って、声を直接聴いて、そのなかでしか出来ないことがやっぱりある。ネットも重要だけど、私はやっぱり触るのが好き。
そして余計なお世話だが、ミスしゃっくり以外の方にも、それぞれの役割があるのだと思う。
みんなそれぞれが、得意なところでちょっとずつ力を出し合って行けばいいと思う。
私みたいにボランティアという言葉に抵抗のある人もけっこういるのではと思うが、被災地に行ける機会のある人はどんどん行ったらいいと思うし、行けない人や行きたくない人は別の方法でいくらでもやれることをやって行けばいいと思った。
賢い人は賢いなりに、ガテンな人はガテンなりに。
馬鹿な人は馬鹿なりに、シャイな人もシャイなりに。
なんだって力になり得る。忘れさえしなければ。
いや~、えらい長くなってすみません!
その上まとまらずにすみません!いっぱいいっぱいです。
深夜にみんなで長い階段を降りていって観た、海の景色がすごかった。ここから見える日の出がすごいんだよ、と初芽ちゃんが教えてくれたので、明日の朝は早起きする予定。(※ただし初芽ちゃんに起こしてもらう前提という他力本願。)
ヤノミ
追記:唐桑にて堀ちゃんが撮影してくれた写真たち。堀ちゃん、ありがとう!