独りぼっちの私に

テーマ:
赴任するのはいつも一人だけ。誰かと同じ艦に赴任したことは一度もない。この寂しさにはもう慣れた。
これからは私一人の闘いになる。私の力が試されるときがきたんだ。いよいよスタートする私の自衛官生活。これまでの2年間を無駄にすることなく力いっぱいやるだけだ。
独りぼっちの私にあるのはこれからの不安と闘いながら自分の力を伸ばすという漠然とした目標。やれるだけやる。できない分はこれまでに得た気合いと根性で切り抜ける。
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別れ行く我ら

テーマ:
今、赴任第1便が出ていった。もう二度と会うことのないやつがたくさんいた。同じ勤務地でも艦が違えばなかなか会うこともできなくなる。
今日、3等海曹として我々30期曹候は各部隊に赴任する。部隊は我々の着任を待っている。期待している。でも我々はその期待に応えることはできないと思う。不安ばかりがある。間違いなく全員が同じ不安を抱えている。不安は我々につきものだ。
別れ行く我らは不安のなか同期との絆を大切にしつつそれぞれの部隊でがんばっていくんだ。二度と会うこともできなくなるだろうけどそれでも舞教30期曹候の絆はずっと続くだろう。
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去り行く我ら

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今日の午後、昨日の彼はこの舞教を去った。私の宣言通りに笑顔と激励で送り出してやった。
次は私たちがこの舞教を去る番だ。明日、私たちは原点を巣立つ。本当に巣立つ。もう2度と帰ってこないだろう。ここで過ごす最後の夜。嫌なことも楽しかったことも全てが明日には思い出に変わる。
舞教ではいいことなんてあんまりなかった。ヘルニアになるし、わけのわからん新しい制度に付き合わされるし、あんまり意味のない厳冬訓練なんてするし、本当に無駄が多かったし、疲れた。でもそれらも明日には終わる。疲れたけど居心地はよかった。要領の悪い奴がたくさんいて、振り回されたこともしょっちゅうあったけど、それでも本当の意味で悪い人間はいなかった。話せば楽しい人ばかりだった。
入隊したときから考えれば、舞教は私たちのスタートであって、一つの区切りでもある。本当に多くのことを学んだ。いいことも悪いことも学んだ。多少なりとも自衛隊のいいところ、ダメなところが見えた。私たちはそれらの中で生きていくことになる。それを体験させてくれたのが舞教だ。母校とは思わないけど、思い出がたくさん詰まったところだ。
明日の修業式、泣くだろうな。今になってここを去りたくない自分がいることがわかった。でも潔く去ろうではないか。舞教がなくなるわけじゃない。
下手くそなサイドパイプも、決してうまいとは言い切れない飯も、無駄に広いグラウンドも、シンクロチームが練習しにくるプールも、苦しい思いをした短艇ダビットも、オバケが出そうな隊舎も、私たちの汗が染み込んでいる体育館も、全てが私の舞教での思い出だ。
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去り行く彼に

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明日、私の同期が退職します。東京の専門学校に行くらしい。彼は自分の夢に向かって新たなる1歩を踏み出すわけです。
しかし寂しい、寂しすぎる。2年間共にがんばってきた仲間が、兄弟よりも大事な同期がいなくなるのはあまりにも寂しい。入隊したときから決めていたらしい、それも知ってる。いつかくるとはわかっていた。
私からしたら彼一人との別れ、でも彼からすれば同期全員との別れ、寂しさは彼の方が何十倍も大きいだろうと思う。
だからこそ私は彼を笑顔で送り出してやろうと思う。新しい生活の始まりは私たちの笑顔と激励で飾ってあげたい。それが去り行く彼にしてやれる同期として最後のことだから、今までの卒業式等とは比べものにならないぐらい、盛大に門出を祝ってやろう。
大切な同期の新しい生活の始まりは私たちの笑顔と激励で始まる。最高の思い出になるようにしてあげよう。私たちの顔を一生忘れられないように。また会うときが来ることを待つ。

海保

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今日、海保学校のお偉いさんがきて講話をされました。階級がよくわからんのやけども、一等航海正だか保安正だかで、聞くところによると海上自衛隊の1佐ぐらいにあたるらしい。ほんまかどうか知らんよ、俺保安庁じゃないし。らしいやから、間違ってたら失礼やね。
で、その方の講話の内容が大変興味深かったのでついつい聞き入ってしまいました。変な表現ですけど、引き込まれたんですよ、話に。すごい物知りでさすがだと思いました。
海運業界のことを中心に領海のこと大陸棚のことなど、本当にいろいろと勉強になりましたわ。
印象に残った一言、「海に生きる者は心が通じる」確かにその通りだ。漁師にとっては恵みの海、商船にとっては世界へ通じる海、海保にとっては彼らの安全を守るための海、海上自衛隊にとっては守るべき海。いい話を聞けた。
海運に関しては長くなりそうなので別の機会に。

そろそろだな

テーマ:
我が母校もそろそろ卒業式だと思う。巷では袴姿の人を見かけるらしいが、舞鶴では一人も見てないぞ!
私ももうすぐ学生を終える。卒業とは言わずに修業と言うが、それは同時に正式に特別職国家公務員になるということですな。長かった2年間、つらいことの方が多かった。本気でやめようと思ったこともある。楽しいことなんて数えれるほどだったろう。でももういい。全ては私のこれからのためにあったと考える。たぶん今までよりも質の高い辛いことが今までの数倍、数百倍出てくるだろうと思う。それに対する不安は今の時点でたくさんある。
不安は誰にだってある。いずれ不安に思っていることはやってくる。誰もが怖い、怖いに負けてはいけないと言うは易い。
だからこそ私ははっきりとこういう。なるようになる。なるようにしかならない。失敗じゃない。なるようにしかならないだけなんだと。どんなにあがいても、もがいても何も進展しない。なるようになってこそ、そこから道が拓けてくると思う。

苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが男の修行

山本先輩はいいこと言うなぁ

はっきりさせよう

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今日の山陰中央新報のコラムを読んだらなかなか面白いことが書いてあった。
最高裁は君が代を演奏することは思想、信条の自由を侵害するものだとして、演奏を拒否した教師の訴えを退けたと。その判決の内容は物足りないと言っている。
判決では、君が代伴奏は職務上の命令であり、思想、信条の侵害にはならないと、そういった内容らしい。で、山陰中央新報は個人の内面の自由に公共の利益というたがをはめ込んでいる、個人の信条を制限してまでえられる公共の利益とは何か、そこまで具体的に判決を出したらどうか最高裁、となかなかおもしろいところに踏み込んでいる。
しかし、私はそんなことは思わない。最高裁の判決はそのままで十分に通用すると思うし、それ以上は裁判所にはタッチできないんだと思う。
まずね、公務員の仕事に思想、信条なんて無いんだよ。君が代がイデオロギーを含んでいたとしても公務員は上司からの職務上の命令には服従する義務がある。それを淡々とこなすのが公務員なんだよ。もし思想、信条の自由が公務員に認められるなら、私は社民党や共産党の人間を守りません。見殺しにします。どうぞご自由にぶっ殺してくださいと差し出すだろう。
でも、絶対にそんなことはしない。何故ならどんな人であれ我が国の国民だから、国民の生命を外敵から守ることが私の仕事だから。そこには思想も信条もない、ただあるのは上からの命令、与えられた任務を遂行することのみやからね。
その教師は言ったら職務放棄をしたわけだ。だから処分される。これをパワーハラスメントと言う人も中にはいるかもしれない。でも義務を果たさずにパワーハラスメントが成立するだろうか?これは理不尽なことだろうか?職務放棄に対する処分はそれぞれの公務員によって異なるだろう。もし根拠がない処分なら訴えても勝てるだろう。
今回は完全に教師の負け。この教師が考えているほど公務員には自由がないのよ。