今年総括

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平成16年も残り僅かです。あと数時間後には年が変わって平成17年になるんですね。そういうわけで、今年の自分を総括してみたいと思います。あ、振り返ったのとは別に、自分にとって今年はどういう年だったかを反省を込めて。

今年は就職活動と卒業論文というこれまでの私の人生の中で最大のイベントがありました。この二つがないと将来の展望は暗かったでしょうな。とりあえずこれらを無事に乗り切ることができたのは私の努力の賜物でしょう。それに加えて周りの方のご協力。本当によかった。

就職活動は一時は嫌になりましたね。会社説明会行くのはいいんですけど、次の選考までが長い。普通に2週間とか待たされたし。早いところは受けてから約一ヶ月ぐらいで結果が出たところもあったんですが、そんなところばかりではなく、早く結果を教えて次の選考に進ませろ、と無理なことを思っていました。今となっては楽しい思い出ですね。まぁそれもこれも私が第一希望の海上自衛隊にいけたからそう思うだけなんですけどね。

卒業論文では友人にお世話になりました。彼の存在なくして卒論はなかったでしょう。感謝しています。テーマ自体3年生に上がる前から大枠で「沖縄について」と決めていたんです。なぜ沖縄かというと、とある教授に「中国の地図では沖縄は中国の色になっていた」という話しを聞いたからなんです。危機を感じましたね。前から中共は危ないと思っていましたし、日本を狙っていることも大体予想はつきましたが、地図の上ではすでに中共の領土になっているというのが本当にビックリでした。で、尖閣諸島を含めた沖縄の守りを、という思いで今回の論文になったわけですね。自分ではまぁまぁの評価です。

それ以外に私に大きな影響を与えてくれたのが、5月の対馬へ行ったこと、そして8月の横須賀と靖国神社参拝。これはやっぱり私の心を大きく動かしましたね。この国を守る、それは単に敵から守るという意味だけではなくて、国の歴史とアイデンティティを守るということも含んでいます。就職活動、卒論の二大行事に加えて対馬と靖国という二大イベントが私の将来を決定付けたと思います。今年度で大学卒業、つまり新しい世界に飛び込むわけですが、そのための大きな糧になると思います。

そういうわけで、平成16年は私の人生における分岐点を乗り切るための力と方向を与えてくれましたね。平成16年はこれまでの私の人生において最重要の年となりました。来年は私にとって新たなる一歩の年となることを予想しています。どこに行っても柔軟に対応できる人間になりたいです。でも軍隊なので型にはまります。その型の中でジェルのようにプルプルと身動きしていきたいと思います。
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ふざけとる

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北朝鮮が日本との実務者協議を打ち切ることを示唆してきました。先の遺骨に関して北が「捏造」として強く反発しているんですが、日本の技術を嘗めてた向こうがバカなだけであって、こちらは証明しているんですから北に資料を提供する必要もないし、遺骨を返す必要もない。それならば北が誠意ある対応を見せるべきなですが・・・あの国に誠意という言葉、概念があるわけがなく・・・

これで我が国の対応は決まりですね。経済制裁。これしかないでしょう。あまりにもふざけとる。向こうが交渉を打ち切りにすると言い出したんですからね。いや、勝手にしろや、こっちはお前らを潰すことぐらい簡単やし・・・たぶん国内政治家の誰かが北との対話をといって、政府を止めようとするでしょう、北とつながりのある議員が。対話を続けたいんであれば、こちらは対等な立場に立たなければならないですね

交渉というのは相手と対等な立場にあってそれで初めて交渉できるんですよね。実はこれまで日本は交渉できてなかったんですよ。なぜなら相手と同じ立場になかったから。つまり交渉の裏側には軍事力という最大の後ろ盾が必要なんですよね。戦争は政治、外交の行き詰まったときの一つの手段。戦争は悪ではない。

では、これから日本がとる行動。これは国内で経済制裁の準備をし、それをすぐにでも発動できる状態を作っておくこと。それはどのような手段、規模で、いつまで行うか、そういったことを含めてすぐに準備する。交渉を打ち切ってきた相手を、そこまで支援する必要はない。もう一回言うけども、交渉を打ち切ろうとしているのは向こう。こちらはそれに待ったをかける必要はない。打ち切って困るのは向こうだということを認識させなければならない。そうすることによってやっと北が交渉を再開しようとするでしょうね。だって、向こうは交渉でこちらから食糧、エネルギー支援を求めているんですから。交渉を打ち切られるからといってうろたえてはいけないですね。

毅然とした態度、そういうものではなくて当然の態度をとる必要があるんではないですかね?だから経済制裁、武力行使の準備をする必要がありますね。
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今年を振り返る⑥

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もっと今年を振り返ってみましょう。こんなにボロボロ出てくるのは私が日ごろから新聞を整理したりしていないからでして、ここ数日の新聞を見ていると今年の十大ニュースとかやってるんで、それを見て思い出しています。

メガバンクの合併、これはホントすごかったですよね。あのUFJが東京三菱とくっつくか!と。さらにそれに待ったをかける財閥三井住友。メガバンク同士がくっついてギガバンクなんてこと言ったりしまして(私だけ?)世界最大の金融機関が誕生するわけですよ。4大メガバンクができたときでさえ「お、これが淘汰されるということか・・・」とビビッたものですが、さらにメガバンク同士がくっつくと。誰が予想できたか、こんなに早く。思えば、これも今年起きたことなんですよね。

その合併は野球界にまで広がったんですよね。オリックスと近鉄。球界まで淘汰される必要があんのかい!?と思ったけどね~。さらにさらに新規参入合戦を繰り広げたライブドアと楽天。この戦いも面白かったですね。最初はライブドアが近鉄を買収してとかいう話やったんですが、いきなりの楽天登場ですよ。ライブドアと楽天、どっちがとるか!という戦いを見てましたね。結果としては楽天になりましたが。

そう言えば、ライブドアの社長、堀江さん、今日のミリオネアでミリオネアになりましたね。そのお金1千万円は新潟へ寄付すると。彼曰く「金額はたいしたことないけど、ミリオネアで1千万を取ることが名誉だ」そうです。まぁ、彼の感覚からしたら1千万円ごときって感じなんでしょう。これで堀江さんの好感度が上がったこと間違いなし(上がる必要あるかどうか知らないけども)、ライブドアの株もうなぎ昇りでしょうな。さらに新規参入を果たした楽天の社長、三木谷さんよりも「時の人」となりましたね。ずっと前から思ってましたけど。

たぶん、もっと他にもあると思います。でも、思い出せない・・・トシか・・・?まぁ、今年も残り少ないですが、今年の内にいろんなこと思い出して紹介していきましょう。
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姫路ということで

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今日は高校のときの友達(水泳関係ではない)と会いました。で、待ち合わせの時間まで時間があったので、久しぶりに姫路城に行きました。やっぱりいいですね。と言っても今回はそこまで時間があるわけではなかったので登りませんでしたが、三の丸広場から見る姫路城はきれいでしたよ。

姫路城の歴史についてはあまり深くふれません、というかまだまだ謎が多くて全てが解明されたわけではないので紹介しようにも諸説を紹介する程度になってしまうので止めときましょう。私より詳しい人はいくらでもいますからね。冒頭でも述べましたが、ホント久しぶりに行きましたね。近くで見たのは多分1年ぶりぐらいかな。大手門(お城に入るための最初の門)をくぐって三の丸広場(この写真をとったところ)に入るのが久しぶりです。前に見たときよりもきれいになってましたね。西の櫓が塗装されて白くなってました。

いつも思うんですが、姫路城っていいですよね。お国自慢になりますけど、ほんといいお城ですよ。日本でも世界でも最高のお城ですね、私にとっては。新幹線で帰ってくるときに窓から小さく姫路城が見えるんですけど、それが見えると「あぁ、姫路に帰ってきたな~」と言う感じがするんです。姫路城を見ないと姫路に帰ってきた気がしない。親がいなくとも姫路城があれば大丈夫!っていうぐらいですね。姫路城は私の故郷ですね。

こういう城郭文化というか、お城を研究する人っているじゃないですか。私はそういう人好きなんですけど、でもそんな研究意味がないっていう人がいるんですよね。何とふざけたやつらか。日本の文化を研究して何が悪い?自分の国の歴史を研究して何が悪いのか?ウチの大学にそういう先生がいるっていうのを聞いたので、というかそれが誰かもわかっているんですが、私は相手にしません。だってうっとうしいから。その先生のこと大嫌いなんですよ。日本文化を否定するやつ、歴史を否定するやつ。もう許せないですね。だからそういう人とは喧嘩になるのが目に見えているので、最初から相手にしないんです。進歩的文化人は嫌いだ!と姫路城を見ながら感じました。

毎年恒例行事二つ

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昨日の夜には水泳部仲間の二人と会いました。一人は中学校のときからの後輩で、もう一人は高校からの友人です。二人とも元気そうでよかった。

まぁ、この二人と会うのは約半年振りで、何も変わってませんでしたね。二人とも若いままでした。高校のときの勢いが衰えていませんでした。まぁ私も彼らと一緒にいれば高校時代に返れるんですが。高校のときの話しをいっぱいしましたね。すごい楽しかったし懐かしかった。

後輩の車でお好み焼きを食べたに行ったんです。そのあと、一人を送って帰って、その後に後輩といろんなところに行きました。中学時代、冬のあいだ練習していた温水プールとか、私の高校へも行きました。すごい懐かしくて、教育実習を断って以来、行きにくかったので夜中に行って誰もいない学校で「ただいまー!」と叫んできました。涙が出るぐらい懐かしかったですね。いいもんですね、こういう懐かしい場所に行くのは。何も変わっていなくてよかったです。

そして今日、朝から墓参りに行って、その後は餅つきでした。たった今帰ってきたのですが、今年はけっこう楽でした。というか、私の腰の調子が悪いのであまり動かなかっただけなんですが・・・今年は撞き手がおらず、どうなることかと思いましたが難なく終わりまして、去年とか一昨年は、私と兄の二人でずっとやってましたからね。ものすごいしんどかった。まぁ、専ら私は合いの手のほうなんですが・・・というのも撞くのは兄のほうがうまくて、合いの手は私が一番うまいからなんですが、ちょっと自慢してみました。ま、たぶん私が餅つきにいるのは今年が最後でしょう。来年からはいないですよ。海上自衛隊に行くから。餅つきから解放されてすごいうれしいです。

水泳部の仲間と会うことが毎年恒例行事の①、餅つきが②なんですが、これからはこの二つがなくなるかもしれないですね。こうやって時間があるのは今の内だけ。来年からはそうはいかないと思うんです。いや、わからないですけど、そうなるかもしれないだけでして・・・一昨日の夜は、大学生活が終わって社会に出ることの不安を感じてしまったんですね。うまくやっていけるかどうか、私が行くのは普通のところではないですから、その不安は余計に大きいんですよ。うまくできればそれでいいんですがね・・・来年からは気合を入れて日本を守ろうと思います。

今年を振り返る⑤

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そう言えば、今年はオリンピックがあったんですよね。コロっと忘れてました。日本人選手が一生懸命がんばって、メダルもこれまでの最高数を取ったとかで。いや~スポーツにおいてはけっこう好成績を残してますね。

と言っても、私はオリンピックにあんまり興味がなかったんですね。私はこれまでずっと水泳をしてきまして、オリンピックを見るよりも世界選手権とか、パンパシフィック大会を見るのと同じ感覚なんですよ。皆がオリンピックで盛り上がるのはほとんどのスポーツが同時に世界レベルで競うから盛り上がるんですよね。正直、水泳以外には余り興味のない私にとってはどうでもいいんですよ。世界選手権とかパンパシフィック大会とどうレベルでしか見ていない。多分、いろいろスポーツやっている方は、例えばテニスをやっている方は、テニスは他の大会の方が見ごたえがあるんじゃないですかね?バレーボールもワールドカップ、サッカーもワールドカップの方が見ごたえあるんじゃないですか?

これは私の本当の意味での恩師であるロバート・ツチガネという方の著書「ニッポン人取り扱い説明書」と言う本の冒頭に出てくるんですが、日本人は国連、オリンピック、ノーベル賞と言えば日本では最高の権威があるというような錯覚をしている、と述べられています。確かにそうですよ。価値がないとは言いません。けっこうな権威と信頼性を持っています。しかし最高ではないと思いますね。私は模擬国連やってますけど、国連が国際政治の最高権威の場だなんて思っていませんよ。ただの一つの機構としか見ていないです。これ、皆の誤解しているところだと思いますね。国連も国際政治の一つの手段としてしか存在していないんです。間違ってもあれが世界政府だなんて言ってはダメですね。

それでも、オリンピックで盛り上がることが悪いことだなんてことは言いませんよ。日本人選手の努力が報われる瞬間にテレビを通して立ち会うことができるですから。美しい姿を見せてもらえることは私もうれしいですしね。まぁ、そういうオリンピックがあったのでちょっと思い出しました。

実家にて

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昨日、実家に帰ってまいりました。向こうより寒いですね。皆は実家でゆっくり過ごすというのが当然なのかもしれませんが、私の実家ではそうでもないです。実家のほうがうっとうしいです。

まず、ご飯。これ普通は母親が作るんでしょうが、ウチでは誰も作りません。どうするか。私が帰ってきている間は全部外食で済ませる。なぜ外食で済ませるか。

理由①作るのがジャマくさいから
理由②片付けるのがジャマくさいから

それだけの理由で私はお袋の味というものを味わうことができないんです。外食となるとパターンも決まっていて、嫌なんですよね、実際。贅沢な悩みと思うでしょうけど、経験したらわかる。帰ってきたら間違いなく同じところばっかりに行く。それがすごい嫌です。

さらに、父親が嫌なんです。酒飲んだら、やたらとうるさい。自分の知らないことでさえ言い出す。知らんかったら言わないほうがいいのにと思いつつ、こっちが何か言いだすとすぐに怒りだすから私も何も言わない。勝手にしゃべらせて放置するんです。でもこれがお店でやからこれまた困ったもんなんです。他のお客さんに迷惑でしょ?うるさいから。これもあって外食というのが嫌なんです。友達と行くのであれば別に何の問題もないんですけどね。

で、帰ってきたら地元の友達、と言っても皆姫路にはいないんですが、それらとも会います。これがまた、皆元気やから夜中の3時まで平気で遊べるんですよ。何て言うんでしょうね、こう、しんどいというか、日付が変わると元気なくなるんですよ、私。だから遊ぶのはできるだけ日付変わるまでにしているんです。酒飲むとかであれば話しは別なんですけど、どこかに行ったり遊んだりするのは日付変わったら勘弁です。

ま、そんなこんなで実家ではゆっくりできないんですね。でも私が唯一ゆっくりできるところがある。それは姫路の「みゆき通り」交番の近くにある薩摩屋という雑貨屋さんというか、何と言うか、お店。ここのおじさんが大好きなんです。今日も行ってきました。でも大掃除中で、余りゆっくりできなかったんですが年が明けたらまたきてくださいといわれたので、初詣に行った後に行こうかなと考えています。

予定では1月4日に大学のある方へ戻ろうと思うんですが、どうなるかはまだわかりません。

今年を振り返る④

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私個人の今年を振り返る、7月から12月を振り返ってみましょうかね。

7月にあったこと、そうですね、このときは授業ばっかり受けてまして、テストも一生懸命受けてましたね。そのおかげで結果としてはいい成績をもうらうことができたんですが。あ、そう言えば生まれて初めてヘリコプターに乗りましたね。自衛隊関係で、乗せてもらったんですよ。ものすごい気持ちよかったです。何て言うんでしょう、普段では絶対に見ることのできない視点から自分達が生活しているところを見れたのがよかったですね。すごい視界が広いんですよ。大学を空から見えたのがよかったですね。多分私ぐらいじゃないですかね、大学空から見たの。

8月はいろんなところに行きましたね。まず最初は神戸に模擬国連の会議に行きました。私はC.6に参加しました。何を話し合ったかというと、クローンに関してです。まぁ、その詳しい話しはまた今度ということにしときましょう。そして今年最大のイベントであったのは横須賀訪問、靖国神社参拝。終戦祈念日に行きました。横須賀では記念艦三笠に乗艦、視察し海軍カレーを食し、軍港めぐりをしましたね。生まれて初めてイージス艦を見ました。アメリカのんやったけど。そして靖国神社参拝。生憎の雨でしたが、心から英霊の安らかな眠りを祈りました。翌週からは沖縄へと行きました。卒業論文の調査をするために。首里城とか、沖縄国際大学とか、ホントいっぱいいろんなところに行っていろいろ見てきましたよ。これもまた別の機会にしましょうかね。

9月には卒論をし始めましたね。いよいよ文章を書き始めました。方向性としてはかなり固まっていて、そのタイトルは「沖縄の帰属と領有を含む日本国防に関する一考察」です。まぁまぁいいのが書けたと思います。これもまた別の機会に書けますね。というかチョコチョコ書いてるんでまとめて書きたいと思います。9月の最終週には大道芸部の合宿がありましたよ。ここでは1年生をよく指導したと思います、と同時に皆で酒を飲んで醜態を晒してしまいました。何て言うんでしょうね、店とかやったら大丈夫なんですけど、プライベートな空間で飲むとエライことになってしまうんですよね。自分の中でもかなり飲んだ方に入りますね、あれは。そんな感じですね。

10月、まぁ、この月はいろいろとあってかなりの忙しさでしたね。アルバムの写真撮影、大学祭での大道芸公演。撮影はかなりスケジュール的にきつかったんですけど、何とか終わりましたね。私が中心になって撮影立ち合って、先生にペコペコしましたね。あ~、胃が痛くなる・・・けっこうきつかったですね~、撮影以外にもアルバムの中でも他にもやることいっぱいあるし、このときの不安は撮影が順調に進むかどうかと、編集をどうするかでした。ま、それも何とかなったんですがね。大道芸はたぶんこれまでにないぐらいいいできだったと思います。けっこう自分でも楽しめたし、もう私の大道芸録の中では最高のものでしたね。皆で踊ったマツケンサンバ、当然技もしましたよ。男組み、4年生チームV.S1,2,3年生連合チームで対決もしました。今年は音響もすばらしいものを借りてきましたのでいいステージができました。

11月には海上自衛隊一般曹候補学生合格の通知がきました。その祝いで九州に行きました。そのおかげで腰が痛くなりました。自衛隊行くのに腰痛くなるなんて・・・今でも痛いです。大事にしておこうと思います。模擬国連の九州支部との合同合宿もありました。初めての議長をしましたね。学友会では球技大会をしました。そして何と言ってもやっぱりこれ、「安来のおじ」に会ったこと、そしてサインと写真を撮ったこと。これはかなり大きなイベントの一つでした。すごいうれしかったですね。というのも私が島根に来て以来、ファンになったんです。CDも買って、それにサインを書いてもらったんですよ。もう、本当にうれしいです。新年にテレビに出るみたいなんで、ちょっこし見てごしない。

そして12月にはアルバム編集の締め切り、アルバムの申し込みも開始して、順調に申込者も増えまして、まぁ、安心安心。いいアルバムができたと思います。また卒論も締め切りで、前述の通りいいものができました。そして12月に入ってからはウチの大学の統合法人化の話しを学友会で大きく取り扱って臨時総会を開いて決議を通しましたね。それはもう書いてますね。ま、そちらのほうをどうぞ。

多分これ以外にもいろいろあったと思うんですが、思い出せないですね。今年はいいことも悪いこともたくさんあったので、全部思い出せということが無理というもので。思い出したらその都度書いていこうかなと思います。

今年を振り返る③

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私個人にとっても非常に多くのことがあった年でした。今年の1月から6月までを。

1月は就職活動が始まるころで、就職活動の準備と大学の試験、レポートに追われまくりました。何と言うか、あのときの忙しさは殺人的でした。もう二度と経験したくないです。それに加えて自衛隊の一般幹部候補生を受験する予定でしたので、そのとき教職課程をとっていた私にとって、教職と自衛隊の二つを同時に準備しなければならない、それに加えて一般企業も受けてましたから、何かを切らなければ絶対にどれもダメになると思ったので、中学校のときからなろうと思っていた教師への道を断念しました。苦渋の選択です。でもはっきり言って、中学校からの思いよりも、今から、これからの思いのほうが大事なんですよね。そう思ったから教職を切りました。

2月は、主に就職活動で大阪、広島を中心に活動していました。就職について悩むのがこのときがピークだったと思います。ただただ就職活動をしていたという記憶しかないですね。

3月には祖母が他界しました。このときは本当に辛かった。数年前から入院と退院を繰り返していたんですが、それも3月に終わりました。病院で多くの先生に見守られ、姉妹に見守られて永眠したそうです。後で話しを聞いたら、祖母の様々な過去の話し、私の母でさえ知らなかった話し、約60年越しの事実が明らかになっていきました。すごい人生を過ごしていました。戦前に生まれて、大東亜戦争では姫路の工場で働いていたとか、戦後の話しもいろいろと聞きましたね。私は祖母が大好きです。今でも好きです。曾孫の顔を見せれるかもしれないぐらいに元気だった人が急に逝ったことには耐えがたいものがありました。しかし昭和天皇裕仁陛下も終戦を伝えるラジオ放送「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉を祖母もよく言っていたことを思い出し耐え難きを耐え、忍び難きを忍びました。その悲しい思いを振り切るためにも、広島県の宮島、厳島神社に行きました。ちょっとは気分が晴れたような気がしましたね。

4月から4年生となり、そこそこに自由な時間ができ始めました。といっても就職活動を少しずつやりながら自衛隊の試験に備える必要があったのですが、それでも一時期よりはだいぶん時間ができました。今思い出せば4月はあんまり何もしなかったような気がします。勉強ぐらいかな。あ、そう言えばこのときに確か内定が一つ出たんでしたわ。とりあえず一安心って感じでした。

5月には内定が二つ出て、希望の会社の内定ももらえたのでよかったという安堵がありました。さらに5月中旬には自衛隊の一般幹部候補生の試験がありました。まぁ、何と言うか、やっぱり幹部は難しいなという一言に尽きますね。5月の始めには模擬国連の広島セッションに参加しましたね。議題は核軍縮。会議の内容はとにかく、模擬国連全体の課題というものが露呈しました。それを改善していくのは次の世代ということですわね。卒業論文を始めたのもこのころだったかな?テーマは大枠で「沖縄」でした。忘れてはいけない、5月の最終の土日には日露戦争100周年、日本海海戦99年を迎えて、対馬に行ってきたんです。ただ対馬に行っただけではないです、あの西村眞悟議員と行ったんですよ。日本の国防に関することをよくよく考えさせられる2日間でした。この対馬での考えが私の卒論にも大きな影響を及ぼしました。非常に重要な時間を過ごすことができました。

6月、ここからは大学生活にも余裕が出てきて、自分自身の時間も多く持てるようになってきたので、大学自治組織=学友会執行委員会に入ることにしました。3年間過ごしてきた大学をより良くしようと考えて。私は4年の副会長として活動することになりました。私がやったこと、それは今も続いているんですが、卒業記念委員会で卒業アルバムを作ること。卒業生全員に関わることをやってきました。その活動は卒業式のその当日まで続きます。学友会は忙しいけど、楽しい。これが私の学友会に対する本当の気持ち。入ってよかった、後悔していない、むしろ感謝して、喜んでます。

平成16年の前半はこんな感じでしたね。たったの半年で、いろいろとありました。今思い出しても思い出しきれないぐらいの多くのことがありました。3月の祖母の他界が平成16年で一番悲しかった、また5月終わりの対馬が今年の前半では一番思い出深いですね。

次は私の平成16年の7月から12月までを振り返っていこうかな。

今年を振り返る②

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日本国内でも大きなことがたくさんありましたね。

今年は、本当に災害が多かった。台風、地震。台風は過去最多上陸らしくて、その被害もこれまでとは比べ物にならないぐらいのものでした。水害では兵庫県の豊岡市がものすごいことになっていました。今も復興作業が続いていると思います。それと広島県の宮島、厳島神社。これも大きな被害を受けてました。私は台風が来る前に行ったので、よかったんですが、あの風景を次に見ることができるのは、何年先になることやら。それぐらい甚大な被害が出ているということなんですね。

そして、これが国内で最大の災害だと思います。新潟県の中越地震。長い間、余震が続き、しかも余震とは思えないほどの大きな地震も何度も発生していましたね。多くのボランティアの人たちの活動もあり、復興作業も順順に進んでいるようで、私の大学でも募金活動をしましたし、有志はボランティア団体を結成してボランティアに行っていました。私は行ってません、すみません。天皇陛下も被災地をご視察されまして、大変心を痛めておられましたね。

夏には沖縄国際大学の敷地内に米軍のヘリが墜落するという事件も発生しました。私はちょうど沖縄に行くことがあったので、現場を見てきました。沖縄のテレビにインタビューもされました。日本の敷地内で起きた事件なのにアメリカの権力が日本の権力を排除するといったこともありました。日米地位協定の見直しが盛んに叫ばれましたね。

皇室のなかでもいろいろとありましたね。皇太子徳仁殿下妃である雅子様の人格、キャリアを否定するような動きがあったこと。これは宮内庁の人間が悪いわけですね。それと秋篠宮殿下との御公務に関する認識の差がありました。ご兄弟で対立するという事態が一瞬でしたがありました。また、高松宮喜久子様がご逝去されました。

それらを全て忘れさせてくれるかのような朗報もありましたね。そう、紀宮清子様の婚約が内定されたということ。国民としては非常に喜ばしいことでした。しかしちょうど新潟中越地震と時を同じくしてのことだったので、発表は延期になり、次の発表のときにも高松宮喜久子様のご逝去と重なってしまったので、お控えになられたと。そして今回のスマトラ島沖地震があったのですが、もう延期はしないとお決めになったとか。私としてはおそらく宮内庁の役人が清子様に発表することを強要したのではないかと考えているんですが。まあ、それは置いておきましょう。

けっこう思い出してきたぞ・・・