2015-06-14 21:48:23

大神信房と北畠顕家の望み

テーマ:絵画


先日、6月10日は大神信房と北畠顕家の命日であった。



それに合わせて、


『三輪より先を望む北畠顕家と大神信房』という絵を描いた。



左の甲冑武者が北畠顕家。右の帯刀の神官が大神信房。36色の色鉛筆をかなり濃いめに使用した。これまでの人物画に加え、私にとっては久々となる風景画でもある。





二人の英雄の死




前にも彼らの絵は描いてあった。


今から677年前の建武5年5月22日。西暦でいうと1338年6月10日。ちょうど梅雨時である。


南北朝時代、随一のカリスマである北畠顕家は、石津の戦いで戦死した。大神神社の神官であり謎の武将の大神信房は阿倍野で戦死している。2人とも同じ日に大阪で死んだ。









1.設定



①物語のワンシーン



今回の絵が前とは違うのは、場面を切り取った風景画に2人が共にいることである。イメージでは、映画のワンシーンか紙芝居の1枚のような感じ。

信房が顕家を大神神社の見晴らしの良い場所に案内して、共に進軍ルートを話し合い、2人だけの軍議をしているシーン。これからこの先の山を越えて、敵を倒すべく大阪に進軍する決意を固めている。


想像では、顕家「あの山を越えれば河内か」、信房「川沿いに渡れば進軍しやすい」みたいな(笑)





②大神記ストーリー



絵を物語の序章とするならば、こうなるだろう。

「南北朝時代の昔、奥州の鎮守府大将軍・北畠顕家は、京都を奪った逆賊・足利尊氏を討つため、後醍醐天皇の命により騎馬隊を率いて西へ大進撃をしました。

しかし、大和国の般若坂の戦いで負けてしまい、日本最古の神社として名高い三輪の大神神社に助けを求めました。ここでは大神一族が拠点としており、同じく南朝側であった顕家を歓迎しました。大神神社は北朝側である興福寺に表向きは従っていたので、今回の加勢は極秘のうちに進められました。


顕家は5年前に父と大神神社に訪れており、神主の次男である大神信房と顕家は幼馴染のような関係でした。京都へ向かう足がかりとして、顕家は摂津国の四天王寺を抑えるべく進軍することを決めました。大神神社にとっても四天王寺は大事な聖地です。信房は顕家に付き従うことを決めました。

顕家と信房は見晴らしの良い丘に登り、これから進む先を眺めながら今後の展望を語り合いました。2人はここから見える山を越えることになります。」




③設定の根拠




信房は顕家の軍師として従軍したのだろう。当時の軍師といえば、従軍する占い師や祈祷師のことを指していたが、信房はそれだけではなく軍学の知識もあり、戦術家でもあったという設定。


この時期、北畠顕家は京都の足利幕府を倒すために、東北から大進撃をして近畿までやってきた。その進軍の道中、実際に奈良の般若坂というところで、顕家は初めの敗戦を経験した。


なので、援軍や加勢を求めて、同じく南朝側の大神神社に立ち寄ったに違いないと私は考えている。そこで信房が顕家に従って共に戦いにいったとするならば、一人の神官が武将として大阪の阿倍野で戦死した理由に矛盾がない。両者とも南朝側であり、信房の子孫は代々、北畠氏に仕えている。


これらの研究は、このブログの大神記シリーズ で連載している。このように私は一連の考察を『大神記』(おおみわき)という物語にまとめたい。ゆくゆくは信房と顕家の物語の絵をかき進めていき、このブログでの連載の挿絵にしたい。そして小説化した後には映画化である(笑)






2.風景画



①写実リアリティー主義



今年の2月19日と20日、私は奈良県桜井市の大神神社に実際に訪れた。そして、展望台に訪れて絶景を見てからは、今回の絵の構想が一瞬にして思い浮かんだ。本殿からは割と遠くに歩くと、「大美和の杜展望台」という高台がある。そこである。


きっと信房と顕家は、ここから景色を眺めながら軍議をしただろうな~と想像(妄想?)した。

リアリティー追求のため、実際に私が撮影した(撮影者は父だが)写真を元にして絵を描いた。南北朝時代の三輪周辺と奈良盆地を想像しながらも、実際の風景を参考としている。私が立っているのは実際の人物のスケール感を再現するため。

すなわち、この絵は相当な計算をして描かれているのだ。私のこれまでの作品とは、ちょっと一味違う。あくまで写実的でありたい。




彼らは大阪方面を望み、金剛山や葛城山の手前の奈良盆地には、畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)がそびえ立っている。実際に私がいった時もこのように後光が山を照らしており、とても神々しかった。さすが古来より神威を発揮する大神神社から眺める景色は別格だなと思った。

やはり実際の景色なのでテキトーには描きたくない。地元民からしてみれば、形だけで山がわかる。三輪周囲や奈良盆地の風景は全くの想像である。参考にできそうな資料はないし、とりあえず現在の風景から南北朝時代の風景を想像してみた。広大な田舎って感じ(笑)だが、彼らが進軍するであろう部隊としては、最適なステージである。





現代でこそ展望台として整備されているが、おそらく南北朝時代も大和を監視するために、このように展望台があっただろう。昔から高台は軍事拠点として有効とされており、物見櫓的に見下ろせるようになっていただろう。南北朝時代の大神神社は、城攻めなどの合戦こそなかったものの城郭としての機能もあったらしい。


顕家軍が大神神社に立ち寄ったと推定されるのが、3月20日。般若坂での敗戦の直後に立ち寄ったと考えられる。その甲斐あってか、顕家軍は息を吹き返したかのように次の四天王寺の戦いでは、勝利を収めている。きっと軍師・信房ら大神勢や大和の豪族の加勢のおかげだろう。

実はこれが、私が大神神社に行ったのと同じ日なのだ。全くの偶然であるが、絵を描く上での季節感も忠実に再現できていることに一役買ってくれている。信房と顕家もこのような冬の大和の景色をみていたのだろう。風が冷たかった。






3.人物画


①一枚ですべてを物語る絵を




親しいが互いに離れた関係でもあることは、絵の二人の立ち位置と距離を見ればわかる。互いにある程度の距離感を保つことが、相手を尊重することになるのだろう。

されど、護衛もつけずに2人きりで話しているのは、やはり互いに信頼し合っている証拠であろう。他の従者を描くのが面倒くさかっただけだが(笑)



解説しないとわからないような、私の頭の中で考えただけの妄想のような裏設定ばかりだが、ある程度なら絵を見る人にも世界観や雰囲気や設定が伝わっているだろう。一枚の絵が、すべてを物語っているように描きたい。





②二人の信頼関係

信房と顕家の関係は幼馴染のダチという感じだっただろう。私の妄想にすぎないが。一応は信房が顕家に仕えている主従関係だが、上下関係を超えた信頼関係が彼らにはあったのだろう。実際に、この絵の5年前に顕家は大神神社に訪れたという記録が残っている。信房の年齢は不明だが、顕家は14歳のときだったので幼馴染のような感じだろうか。


信房はタメ口で顕家に語りかけて、顕家もそれを許していたことだろう。顕家は公家ではあるが上下関係や礼節にはこだわらない性格という設定。でないと公家でありながら、あそこまで東北の武士の支持を得ることはできなかっただろう。






顕家は当時20歳、つまり私と同い年だが、今でいうと防衛大臣のような役職についていた。すなわち、とっても偉い人なのだ。一方、信房は一神官ではあるが、大神神社は当時の宗教勢力、神道界ではトップクラスの権威があった。大神の神威は凄まじく、神主の息子である信房はかなりの坊っちゃんだったかもしれない。やはり、上級貴族である顕家のほうが偉いが、信仰を集める大神神社の御曹司としての信房の威厳もなかなかであっただろう。



信房の生年は全く不明である。この絵の時代である1338年には10代だったかもしれないし、中年だったかもしれない。しかし、私は青年のイメージで描いた。年齢的には27歳ぐらいである。信房のほうが年上の兄貴的存在という設定なので、やはり互いに友人のような関係で信房は顕家にタメ口で話していたほうが、物語として面白いかもしれない。実際に2人は武将として北朝に立ち向かった戦友である。





③主人公・信房


名前:大神信房
通称:神二郎
職業:神官・武将・軍師
年齢設定:27歳
趣味:兵書読み


信房の表情を見つめてほしい。真剣な表情ながらも微笑んで顕家を見つめている。大将軍であり主君の顕家を仰ぐように見つめながらも、どこか年下の弟や友人のような感覚で顕家を見守っている。

信房はマイナーな人物だけに、インパクトを持たせるだけにやはりイケメンに描いてある(笑)私の全精力を使い、横顔イケメンを描いた(笑)横髪ありのポニーテールという現代の女子のような髪型だが、信房の神秘性を表現するには時代考証的にもこれがスレスレの現代アレンジとしては許されるだろう。




身長は175cmの設定。当時としてはかなりデカいが、主人公としてキャラが立つためにはこれぐらいのインパクトがいる。


人物像としては、神官ではあるが軍オタという設定。兵法書を読み漁り、軍学を習得して戦術家として軍師になり顕家に採用されたという感じ。きっと武将に憧れていたので、顕家に従軍したのだろう。そして初めての戦場の悲惨さを知ることになる。





前の信房の絵は軍装した状態だったが、今回は普段着。前の髪型はよくわからない耳かけのストレートだったが、今回はポニーテール。割と普通になった(笑)





若々しい重鎮・顕家




名前:北畠顕家
通称:陸奥守
職業:公家・武将・鎮守府大将軍
年齢:20歳
趣味:勉強?


顕家はひたすら先を見据えている。常にそうやって生きてきたのだろう。東北から掛けてきたのも、京都の足利尊氏を倒すためという一つの理由に基づいている。

そして、信房の案内を受けてこの展望台までやってきて、軍師であり兄貴的存在である信房のアドバイスに耳を傾けならがら進軍ルートを考えている。そんな少年としての素直さも顕家はある。





顕家は天才的で老練な人物とはいえ、やはり20歳の若者。私と同い年である。幼さまではいかないが、若々しさを感じ、貴公子らしいスマートな後ろ姿に仕上げてある。堂々とした姿だ。

顕家も信房のほうを向いていたら気持ち悪いので、遠く山の向こうの大阪を眺めているという設定で、顔は見えないが後ろ姿にした(笑)


髪型は普通といえば普通だが、スッキリとした冠下の髻(かんかのもとどり)という、男性貴族の髪型。


身長は163cmの設定。当時としては普通かちょっと大きいぐらいの背丈である。信房との身長差を設けることにより、年齢を表現している。顕家のほうがデカかったら、甲冑の厚みもあるし、ただの偉丈夫になってしまう。





前の顕家の絵は軽装だったが、今回は完全武装。前は軍事演習中なので軽装の胴丸という設定だったが、今回は兜こそつけてはいないもの重装備の大鎧という、合戦の後の装いである。





4.装束画

①時代考証と創作のバランス

私はあくまでも時代考証遵守派である。これもリアリズム追及の一環だ。しかし、創作物や芸術としての面白さとのバランスをとるためにも、ある程度のファンタジックさもとりいれている。それが信房や顕家の風貌などである。あまり当時にはなさそうな現代風の顔つきをしている。

甲冑一つにしてもできるだけ正確に描きたい。非常に面倒くさいが(笑)甲冑を正確に描くことは、その通にとっては、ガンダムマニアが正確にモビルスーツのプラモデルを作るぐらい重要である。私は甲冑の通ではないが、最近は少し勉強をして時代ごとのタイプなどがわかってきた。


やはり、その時代に存在した物だけを描きたい。オーパーツが絵にあってはならないのだ。時代考証にはあまり詳しくはないが、私の知識の範囲内でその時代にふさわしいものも描く。明らかにその時代のスタンダードではないものも描いたりするが、100%ありえないことはない。というギリギリのバランスを保っているものもある。

それに、フォロワーさんには甲冑や軍装に詳しく、上手に絵を描く人が何気に多い。色々と勉強になっている。なので、私が軍装を描くときもそれなりの配慮が必要なのである(笑)




ミステリアスな神官


狩衣(かりぎぬ):葵色(あおいいろ)
文様:竜胆唐草(りんどうからくさ)の浮織物(うきおりもの)
単(ひとえ):紅緋色(べにひいろ)
太刀:毛抜形(けぬきがた)



紫色の意味


信房は普段着である狩衣(かりぎぬ)を着ている。神官の服装は簡素すぎて面白くないので、普段着である狩衣を着た信房という設定である。

色は紫である。細かく伝統的な和色に分類すると、どうやら葵色(あおいいろ)になるらしい。色鉛筆で適当に赤紫と青紫を足しただけだが、そういう設定にしておこう。ミステリアスな信房を表すには紫という色が最適だった。

それと紫であるほか理由は、北斗の拳のシンの服の色と、仮面ライダーオーズのプトティラという形態の色だからである。




参照
アストロ祠の庭の主の正体とは!?|アストロ総裁のコズミック本部☆
プトティラと信房と三匹の龍☆|アストロ総裁のコズミック本部☆



まず北斗の拳のシンは、信房のモデルである。信房の性格はあんなに悪くはないが、南朝の神二郎、南斗聖拳のシンなのでピッタリだ。南北朝時代はリアル北斗の拳みたいな時代である。

昔、信房の髪型をパッツンに描こうと思ったが、それはあまりに時代考証的にありえないのでやめた(笑)



そして、仮面ライダーオーズのプトティラ。オーズはOOOと表記する。三つの輪で三輪、信房のいる大三輪(大神)神社とシンクロする。そして、信房は阿倍野の石宮龍王という祠に眠っている。プトティラは恐竜をモチーフとした最強形態である。龍王=恐竜?なので、信房=プトティラということになっている。

それに、風水の一派の考えによると、南に紫がラッキーカラーらしい。南朝、南都の信房にはピッタリのカラーコーディネートである。



文様とインナー



狩衣の柄は、竜胆唐草(りんどうからくさ)の浮織物(うきおりもの)の文様。のつもり(笑)本当はもっと複雑な柄だが、描くのが嫌になった(笑)普通に丸さえ描けばそれっぽくなりそうな簡単な模様を選んだ。下着である単は、紫とのカラーバランスを考えて濃いオレンジ色である紅緋色(べにひいろ)。よくある色である。



霊力と武力を表す太刀



なぜ神官なのに太刀を持っているのかというと、信房は武将でもあるからだ。実際、この時代は神主などの神職が権威を表すために帯刀することもよくあったという。

毛抜形(けぬきがた)の太刀という、鎌倉時代中期の割と古いタイプの太刀である。なぜ古い太刀なのかというと、霊力の宿る神器であることを現すためだ。武器としての実用性を求めるならば、最新式の太刀を選ぶ。つまり、信房にとって太刀は、武将である身分証明と同時に、大神神社の神威を表す象徴であるのだ。



そして、顕家もそうだが、烏帽子が少し透けているのもミソである。実際に烏帽子は透けているし、髪型や向こう側の景色が見えることで重苦しさを防ぐと同時に、奥行きを持たせる効果がある。




③由緒正しき総大将


甲冑:大鎧(おおよろい)
大袖(おおそで):6段
縅(おどし):黄櫨匂(はじにおい)
絵韋(えがわ):牡丹唐獅子(ぼたんからじし)
直垂(ひたたれ):萌葱色(もえぎいろ)
烏帽子:引立烏帽子(ひきたてえぼし)



甲冑の複雑さ



次に顕家の軍装。まず甲冑は総大将らしい大鎧(おおよろい)。全て伝統的で由緒正しい装い。全ては先例なき道を生きていた顕家だが、さすがは有職故実を重んじる公家である。これを描くのが非常にめんどい(笑)

しかも背中から見た後ろ姿なので、総角、懸緒、水呑緒などのややこしく結んであるヒモなどは非常に複雑である。初挑戦ばかりである。


肩のプロテクターである大袖(おおそで)なんかは書き慣れているが、やはりめんどくさい。だが、彩色が豊かなのでそれなりに面白い。この時代の大袖は7段のものが多いが、少し古い様式ではあるがこの絵は6段である。同時代の武将の肖像画でも6段のものも見れられるので、時代考証的にはセーフである。7段も描くのがめんどくさい(笑)



カラーバリエーション



甲冑の柄、つまり縅(おどし)は、白→黄色→オレンジ→赤のグラデーションが綺麗な、黄櫨匂(はじにおい)というタイプである。縅にもいろいろ種類があるが、私が好きなカラーバリエーションを選んだ。やはり、この彩色が綺麗である。

大袖のトップ(冠の板)などにある絵柄は、絵韋(えがわ)という。ここの柄はもっとも色鉛筆で描きやすそうな、牡丹唐獅子(ぼたんからじし)にした。点々をひたすら描けばそれっぽくなるからである(笑)



若さを表す緑



甲冑の中に着ている服の直垂(ひたたれ)のカラーは緑。昔の和色名でいえば、萌葱色(もえぎいろ)。緑というのはやはり顕家の若々しさを表している。昔から、萌葱色は若さを表していた。

本当はもう少し青みがかった、エメラルドグリーンのような彩色にするつもりだったが、こうなった。まあいいか。若さを表すグリーンだが、深緑でもある。これは顕家の年齢にはそぐわない、精神的な成熟さや、教養・思慮深さを表している。ということにしておこう。



日本の甲冑の芸術性



烏帽子は、引立烏帽子という最もノーマルな合戦での被り物。主に兜を被らない時に着用するものだが、さすがに兜まで描くのは大変だった(笑)それに兜があれば、顕家の横顔すら見えないだろう。

しても大鎧は最も格式の高い甲冑とされているが、本当に軍装なのだろうか。複雑な模様や構造。ほとんど芸術品を着飾って戦場に出るものだ(笑)確かに、大鎧は強そうでカッコ良いが。シンプルな西洋の甲冑からすれば信じられないほどに、派手で複雑だが、昔の日本人は戦場を華のステージとしてとらえていたのだろうか。ファッション的な側面も大きいだろう。描く側からすれば非常に迷惑な話である(笑)だが、それが面白い。





5.総括



①大雑把かつ丁寧に

細かく見えて以外と大まかに描かれたこの絵だが、私の性格を反映しているとも言える。私は几帳面に見られることが多いが、本当はかなり大雑把である。実はそこまで細くないのだ。O型である性格上、丁寧に見えて雑である。


強いて言うならば、人物は細かく丁寧に、風景は大雑把にだろうか。私にとって久々の風景画となったが、やはり自然を描くのは面白い。風景画ならある程度のアバウトさなら許されるし、空なんかはアバウトに描いた方が幻想的に見える。

しかしやはり、和装を描くのは面白い。最近、昔の人の絵ばっかり描いてるし、日本の風景を描くのも面白い。要は和が好きなのだろう(笑)和風ではなく、"和"である。




②絵を描いて彼らと会った

2人とも昨年から私がずっと追っている人物である。最近は日常生活がおぼつかない程に、ずっと彼らのことを考えている。2人とも私の先祖に倒された人物である。慰霊の気持ちというより、憧れに近い感覚で彼らの残像を追っている。特に信房のことを追及している。かなりマイナーでほとんど歴史に残っていないような彼の真実が知りたい。

マイナーでミステリアスなものに惹かれる私の性格を揺さぶる。薄霧をつかむような話だが、きっと彼らの存在を解き明かせば、私の先祖のこともわかるはずである。すなわちそれは自分自身を識ることである。私の先祖は顕家と信房を討ち取った功績で、大出世を果たした。彼らには謝罪の念というか、感謝の念である。私自身に贖罪の感覚は全くない。むしろ彼らは友達のような感覚だ。会ったことはないが。


過去の人間という気がしないのだ。できるならば彼らに会いたい。いや、このように絵を描くことで彼らと会えたのかもしれない。彼らの命日に捧ぐ絵である。





③逃れられぬ戦い


正直、信房のような本当に実在し方もわからない人物(ちゃんと記録に残ってはいる)を追い求めるのは、幽霊を追っているようで、変なことかもしれない。彼は既に死人であることには間違いない。正直、こんなに研究に没頭してしまうのは辛い。だが、この苦しみにも似た喜びから解放されるには、ひたすら解き明かすことしか道はないのだろう。

本当にミステリアスな存在を追うのは楽しい。私の性である。使命感は全くない。ゲーム感覚で顕家や信房を追っている。きっと私には天から彼らを探るのが使命として与えられており、自分に流れる血からしても逃れられない宿命なのだろう。逃れられぬ運命に従い戦う。きっと顕家や信房もそんな心境だったのだろう。私と同じかもしれない。彼らを解明することが私の戦いである。私はニヤニヤしながら戦う(笑)


 
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コメント

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6 ■Re:Re:Re:無題

>アストロ総裁☆さん

シバターっていうプロレスラーは好きです☆
阿倍野は魔界です(笑)制覇したいですね~^ ^

5 ■Re:Re:無題

>鬼将軍さん

2代目タイガーマスクの三沢光晴さんです^^
阿倍野には、まだまだマイナーな歴史遺産?
な場所が多いので調査したいですね~♪

4 ■Re:こんばんは

>くろかんさん

ありがとうございます☆2日もかかりました(笑)
お仕事のご依頼でしょうか?^ ^以前、玉山鉄二の顔で尊氏を描きました(笑)

3 ■こんばんは

鎧がめっちゃ上手に書けてますね。すごい。時間もかなりかかったのだろうと思います。機会があったら、僕の好きな足利尊氏も書いてほしいです。

2 ■Re:無題

>アストロ総裁☆さん

ありがとうございます♪(´ε` )
那智の滝のような天流れです(笑)
三沢さんって誰ですか?(笑)

1 ■無題

素晴らしい記事ですね^^ 感服しまする♪

信房のミステリーを天流れで解明するのが
御用だと思ってまする。忍

6月13日は三沢さんの命日と閣下の記念日に
シンクロですね!

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