辰年たつ子の自分癒し&夢へと昇る道☆

解離性障害と共に生きる自分ブログ



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先日母が亡くなりました、87歳でした。

入退院を繰り返し、結局入院先で肺炎をこじらせて亡くなったのです。
9月23日のことでした。


あまりにも気持ちが落ち着かずブログに書いてしまおうと思いました。


母が逝ってしまったことに私は悲しまなければならないのでしょうか?


昨年一年自分の中で悩み、今年になってから母に真相を訪ねはじめ、結局真相を答えを語らないままに彼女は逝ってしまいました。
恨んでもいいのでしょうか?


母が生きていた時に楽しい思い出もたくさんありました。
一緒に旅行に行ったり映画に行ったり…でもその裏で今まであったことを秘密にして素知らぬ顔をしていたというのでしょうか?
今までの時間は嘘の歴史だったのでしょうか?
私は虐待の歴史を何も知らずただただ母と幸せな時を過ごしていたというのに。
今までの50年という時を疑惑の目でしか見ることができません。
私は騙されていたのでしょうか?
何食わぬ顔をして優しい母、か弱い気弱な母を演じていたというのでしょうか?

外面はいいのです、とてもそんなことを隠している人には見え無かったのです。

ことの真相を知る人間はとうとう私一人になってしまいました。
今まで起こったことに誰も理解を示してくれません。
いえ、理解をしているがかかわりになりたくないということかもしれません。

近所で母が仲良くしていただいた奥様に少しだけ話をしました。
お向かいに住んでいらっしゃるので話さないわけにはいきません。
母が亡くなったことを知ると大変悲しがっていらっしゃいましたが、私に気を落とさないでと言いました。

仕方がなく、”母と私の間に確執があってそれを解消しないまま亡くなってしまいました。”と伝えました。
その人は何か”そんなことはないわよ、お母さんあなたのことを本当に気にかけていたから…”とそう話しますが、内容を知らない人に何を言われても私の心には全く響きません。
それよりも母をかばう内容に怒りがこみあげてきてうっとうしくてたまりません。
母が庇われれば庇われるほど私は追い詰められます。


このことが嫌で仲が良かったいとこにも真相を話せなくなりました。
私よりも母との付き合いは長かったと言っているのです。
”そんなことあるわけない”というに決まっています。
ご近所の人でさえそうなのです。
皆が母のことをかばえばかばうほど、私が嘘をついている、勘違いしているということになります。
かばう言葉は私にとっては投げつけられるナイフのようで、どんどん心に突き刺さります。
親戚にも話せず孤立したままです。
母との間に何かあったらしいということは知っていると思われるものの、私を見る目が変わっていることに気がつきました。


”母親に迷惑をかけたのに確執があったことで恨んでいてお葬式にも涙も見せないわがままで冷たい娘”。


たぶんそう見ているに違いありません。
私に対する同情は一切ありません。

以前職場で知り合った人に(その方も虐待された過去がありました。ただ私より比較的軽いのかもしれませんでした。)このブログを読んでもらうようお勧めしました。
次の日から全く無視されました。
虐待だけではなく私が起こした数々のことに恐れをなしたのかもしれません。
もしくは親に泥棒を働いたことを嫌ってのこともかもしれません。
性的虐待のことかもしれません。
その人が何処にいやな部分を感じたのかわかりません、何にせよ私はその方からその職場を離れるまで完全に無視される形になりました。
その前日まで仲良くお茶などしていたのも関わらずです。


我が家では、兄と義姉(兄嫁)にもこのブログ記事の最初のほうを読んでもらいました。
兄は一言も感想を言ってきません、義姉は”嫁に来た身だから中立だから”とは言ってくれました。

でもこの内容が本当かどうかはわからないとも言っていました。

では私が書いた内容は嘘だというのでしょうか?

じゃあ何でしょうか?すべてはこのまま闇に葬り去られるのでしょうか?
死んでしまえばすべて許されるのでしょうか?
私だけが知っていて(まだわずかですが)他の人が知らないことならば、”いい母でした、か弱い情けない人でした、優しい人でした”と言わなければならないのでしょうか?


私は悪魔ではありませんが天使でもありません。

相手はよぼよぼの足取りで耳が遠く、長年の抗がん剤でヨレヨレになった老婆です。
もう残された時間も少なくなった今頃、人生の棚卸を迫られて大変なことになったと思っていたのでしょう。

私は口を開けば事の真相を訪ねたくなりましたが、それではまるで攻め立てているようになります。
首を締め上げ肩をゆすり”真相を話せよっおいっコラアッ!”と言いたくなる自分がいて必死で止めていました。
また別な時間にはどうやって母を許したらいいのか、その方法や考え方があるのではないかと暗中模索指定ました。
黙したまま全く語らない母を前にして気が狂いそうでした。
それから1週間ほどして明け方ごろトイレに行くために歩き出した母は転倒し骨折して入院しました。

その当時は心底ホッとしました。


私が何かやっているたびにいちいち、”それは違う、こうだ””まだそれじゃダメ”とかさんざん文句を言い、物を捨てるにあたっては何時間も議論を重ね捨てる理由を述べさせられました。
私は生まれてから気持ちよく物を捨て、掃除をした記憶がありません。
今回母が入退院を繰り返している間、義姉が母を説き伏せ、本当に要るものだけを残して整理を始めてくれました。
それが無ければ本当に私が生まれる前から保存し続けてきた服や小物が全部とっておいたままだったでしょう。
数十年縫われること無くとってあった布地や服などが山ほどあったのです。
掃除をすることもなかった母は防虫剤を買い込んでは一緒にしまって保存していました。

今ではそれらにダニがわいてしまっていました。
母の死後、片づけ捨て始めた私は飼い猫とともにダニにたかられ大変な目にあってしまいました。


私は悲しいより何より、胸が焼けるような不快な感情にかき乱されていました。
私の刻んできた50年の歴史は嘘だったのでしょうか?楽しいと思っていた私はお人好しのバカだったのでしょうか?


亡くなる1,2週間前だったと思います。
母が会いたがっていると義姉から話がありました。
私は話を聞いて条件を出しました。
今までのこと、それについて何か釈明があるのかどうか。
また前のように『何も知らなかったわ、本当にごめんなさい』なんて言葉は許さない、きちんと一つ一つのことについて話をしてもらうのでなければ会わないと伝えてもらいました。
明らかに知らなかったでは済まないことが多すぎます。
このブログに書いたことは氷山の一角に過ぎません。
おかしいと思ったこと、知らなかったでは済まないことが本当はもっと沢山思い出されてきたのです。

もう耳もよく聞こえず、字を書こうにも手が震えていて上手くいかないので無理とのこと。
義姉との意思の疎通もそんな難しく長い話は無理だとのことでした。
それならば私は会わないと言いました。
病気を盾にとって今更会いたいなんて、娘である私の過去を清算しないのなら会う気はないと義姉に伝えてもらいました。


うちは祖母が100歳まで生きた長寿家系です。
体質が似ている(内臓系が丈夫、骨もしっかりしている)のでもう少し長生きするかと思ったのですが意外でした。
本当は私が成功している姿を見せて『ほーら私を見て!あなたがさんざん精神的な虐待をした娘はあなたの予想を裏切ってこんなに成功したんだから。』そう言ってやりたかったのです。

見返してやりたかったのです。

死なせて楽になどしてやりたくはなかったのです。


延命治療は断るという文章にサインをしていたとのことでした。
延命とは言っても栄養の点滴やらです。
気管切開や胃瘻(胃に穴をあけて直接栄養を注ぎ込む)ならいざ知らず、ご飯が食べられないなら普通そのぐらい病床で受けます。
少しだけ医療関係に携わっていた私です、そのぐらいの治療をなぜ断ったのか解せませんでした。
母は祖母に似て血管が細く点滴を指すところがなかなか定まりませんでした。
そのため大分痛い思いを散々していたようです。
更に太ももからの痛い点滴は耐えられないからやらないでいいとのことだったそうです。
もう少し”生きること”に執着して欲しかった。
こんな中途半端なまま私を取り残してほしくはなかった。

彼女は死でもってしか贖えなかったのでしょうか?
正直に話そうと思わなかったのでしょうか?


私に攻める気持ちがなかったとは言いません。
激しく問い詰めることも考えました。

母の一番近くに濃密にかつ長く一緒にいたのは娘の私です。
そして娘の私に一番近く濃密に長くいたのは母です。

母の歴史は私の一部です、楽しく作った思い出が嘘なのだとしたら私の歴史は嘘なのでしょうか?
私は自分の歴史を否定しなければいけないのでしょうか?

今は家族の誰も理解してくれません、唯一虐待仲間(前出の人とは別の方です)だけはその理不尽さを分かってくれています。
外面がいい親が虐待をした場合、子供がどう訴えても誰も耳を傾けません。
昔あった幼児期の虐待はその後何十年も隠され続けます。
子供が気が付かなければそのままいってしまいます。
親はその間自分の都合のよいようにポーカーフェイスで過ごしてしまうのです。


幼児虐待は裁かれないのでしょうか?
他人に危害を加えたら罪になるのに自分の子供に危害を加えた場合罪にならないのでしょうか?
親に罪悪感というものはないのでしょうか?

おまけになぜ”他の人に迷惑をかけないように生きなさい”と平気で言うのでしょうか?
自分の子供に思いっきり迷惑をかけるのは親の特権と許されることなのでしょうか?

虐待は犯罪です。


私は今信頼のおける解離性障害専門のドクターのもとで診療を受けることになりました。
初回の診療後ドクターは言われました、”年齢を考えて無理に過去をこじ開けなくてもいい場合もあるけれどどうしますか?”と。
本で読みましたが、今まで主人格として過ごしてきたホストの人格が、分かれてしまっていた人格と統合されると、このホスト人格が障害をきたす可能性があるとのこと。
今まで何とか生きてこられたのならそのまま生きていったほうが無難であることもあるのです。


私自身こんなことになるとは思っていなかった5年ほど前。
エンジェルオラクルカードに凝っていて何種類も買い集めていました。
当時スピリチュアルの真似事だけでもしてみたかったのです。
美しくて神秘的なカードは私の大切な秘密の魔法のアイテムでした。
当時引いていたカードで繰り返し出ていたカードがあります。

”Freedom”自由というカードです。

自分自身が自由を求めて泣き叫んでいる、表に出たくて訴えていると。

その時から今年になるまで全く意味が分からず絶えず頭を悩ませていました。
ひとつステップを昇って新しい自分に生まれ変わったと思ってもまた出てくるのです。
何をどうやったら、いつになったらこのカードが出てこなくなるのだろうと長く悩んでいました。
今でははっきりとわかります。
私の中に閉じ込めてしまった別人格が出たがっているのだと。
今までつらい部分だけ請け負わせて閉じ込めてしまった人格がいるのだと。
そしてその部分こそが、”小説家”になりたいと思っている本当の自分なのだと。


父親、母親と過ごしてきた偽りの時代を思い煩うことをしなくてもいい。

誰に理解されなくてもいい、親のエゴの餌食にされることの無い自分のためだけに人生を生きる時が来たのだと。


私は私だけのために、それのために生まれたのです。
そのために私は治療を受ける決心をしているのです。


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開運トウリーダー聖子から改め、辰年たつ子と申します。


私は現在解離性障害 と共に生きています。


細かく言うと解離性同一性障害と解離性健忘を発症していると思われますが確実にそうとはまだ言えません。


心療内科で解離性障害と診断されましたが、詳しく調べるためと今後の診療のために、改めて精神科にて受診予定です。


私は実父からの性的虐待+DV、実母からは過干渉+ネグレクトを受けて育ちました。

そう思うにいたったいきさつについてはブログ内の記事にて綴っています→


虐待を受けて育ってきたということを認めるまでにだいぶ長い時間がかかってしまいました。

現在私は50歳です。

自分が不幸な生い立ちの子供だと思いたくはなかったのです。

父はDVだったけど、母は口うるさく子供っぽくはあったけど、自分は普通にまともに育ってきたと思い込みたかったのです。


でもそれは誤った認識でした。

なぜなら普通に生きるために、本当にただそれだけのために払ってきた自分の多くの犠牲がありました。

それらに目を向けた時、このまま生きていくにはこれからもっと犠牲を払わなくてはならないことを知りました。


自分も年を取っていきます。

若いときのように体力だけでカバーすることができなくなってきました。

このままでこの先どう生きていけばいいのか、事の本質を見つめた時、初めて解決策を講じなければいけないことに気が付きました。

私は実は崖っぷちに追い詰められていたのです。


そのため私は本来生きたかった道を歩むしかなくなったのです。


私が自分を解離性障碍者として認識するにいたった本です。

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それまで私は解離性障害という言葉すら知りませんでした。

誰かに相談するにしても、自分の何がおかしいのか?何をどう相談したらいいのか?

誰に助けを求めたらいいのかすら知りませんでした。

アスペルガー症候群かと思った時期もあります。

でもアスペルガーの方たちの集いに参加したことで違うと分かりました。

思考パターンがまったく違うのです。


この先このブログでは、解離性障碍者としての私がどうやって生きていこうとしているのかを現在進行形で綴っていきたいと思います。


辰年たつ子龍


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近況報告…


ここ一年ほど細々とブログ記事で内面を描いてきました。
もちろんそれだけで生活をしていたわけではありません。

現在も借金を抱え、更にそれが終わったら引っ越し費用もためなければなりません。

(カードローンのみのこと、親に借金した分は引っ越ししてからまた返済する予定です)
そのため普通にせっせと働いています。


今の職業はコールセンターの短期でお仕事をさせてもらっています。

なぜコールセンターを選んだかなのですが…。

単純に言って自分のできる範囲でこれが一番何とか務めることができる職種だからです。


○一日中座り仕事だから。(ここ数年のむりがたたって立ち仕事ができないため)
○接客仕事をしていたのである程度の言葉遣いは何とかなる(と思っている)ため。
○短期の場合限られた内容になることが多い。
○最初からマニュアルがしっかりしている。
○何かあったらSVという管理者がいて分からないことはすぐ質問できるため。


私にとってマニュアルがしっかりしているというのがとてもポイントが高いのです。


普通事務でも接客販売でも配属が決まったら毎日だらだらと仕事を覚えていきます。
私はこのその都度教えてもらういう形式が超苦手です。
例えば、今はこうしたけど通ってくる部署が違うと対処がまた別…という時など再度教えてもらうときで違ったりするからです。

しかもマニュアルがあるところは本当に稀です。
この前こう言われたからこうでしょ?と尋ねると、〝あの時と今は違う”と言われてすごく混乱してしまうのです。
だからどう違うかと聞くと、教えてくれる先輩などは至極うるさそうに“とりあえず今はこれ覚えて”

とこうなるわけです。
これが何パターンにもなると法則性を見いだせないままどれをどう使うかで戸惑います。
そのうえ忙しくなるとどうしたらいいか考えなければならず、頭がフリーズしてしまうのです。
そうなると早くやってと怒られる、怒られると冷や汗をかきつつ何とかやろうと焦りも出てまた失敗を重ねることに…。

最後は身も心も緊張してしまい、一日が終わるとぐったり…。

今までですと、家に持って帰ってまで配属部署の関係性や仕事の流れなどを研究し、どういう流れになっているか、何が必要かなど考えつくしてメモに残してました。
その上でまだ誰も来ない早朝に出勤し職場をじっくり眺めて何がどこにあるか、昨日やっていた仕事を眺めて覚えなおし…といった作業を自分が慣れて人並みにできるようになるまで延々と繰り返していました。

大体ひとつの職場で3か月間ほどは毎日これの繰り返しです。
新たに何か変わることがあればさらに忘れないようにメモを残し毎日見直します。
大体毎日頭の中は90パーセントは仕事のことになってしまうのです。

(コールセンターでも長期の場合は似たような状況なのでダメなのです)


短期のお仕事の場合限られた時間内で覚えなければなりませんがそれも限られてきます。
しかもこのマニュアル制度のため自分でルールブックを作る必要がありません。
(もちろんメモは取りまくりますが)

そしてこれもありがたいのですが、ほかに働いている人と無理やりコミュニケーションをとる必要がありません。
孤独にもくもくと過ごす人もいれば、積極的にお友達を作りランチをしている人もいます。
つまり私も一人っきりでも気を遣わずゆっくりと休むことができるのです。

これまで生きてきた中で一番自分自身のために時間を使えている気がします。


でも3か月ぐらいのお仕事が主なので終了するたびに次を探す苦労があります。
前もって登録している会社へ連絡をとり次を紹介してもらうことになります。


そして今回はっきり“自分は解離性障害者である”ということをカミングアウトしました。
もちろん現在所属のところからは次回のお仕事紹介をいただくことをお断りいたしました。
新たな派遣会社へ解離性障害者であることを履歴書に明記し、説明して登録しました。
そのため残業はできないこと、近場で紹介していただくことを条件に入れさせてもらいました。

何件か紹介してもらえましたが、私自身の希望に細部が合わないためお断りさせていただきました。
本当に希望に沿ったものを紹介してもらえるかどうかはまだわかりませんが致し方ありません。

無理をすればするほど精神状態が悪くなっていくのはこれまでの経験で分かっているからです。

これ以上自分をいじめるのは止めにしたのです。


以前は次の仕事を探す期間にものすごく恐怖を感じていました。

もし仕事が来なかったら…お金が無くなる…そうなると借金が払えない…家族にまた出て行けと言われる…。

以前はホームレスになることも真剣に考えましたが、それだけは何とか免れたいと思い家族に頭を下げました。


でもこのお金が無くなる恐怖感ですが、今はそれほどでもなくなりました。
なぜならここ1年何とかなってしまっているからです。
何週間か時間は空いてしまったりすることもありますが、それもまたじっくり自分を見直す時間になりこのブログ記事を書いたりと有意義に使えています。
必要なお休み期間だったと今は思えます。

逆に最近は時給は1100円以上で通勤圏はこれぐらいでと条件付けしたりしています。
なぜなら条件を付けなければどんどん紹介が来てしまい迷うことになってしまうのです。
そうなるとかなり条件の悪いところに行くことになり、また精神状態が悪化してしまうのです。
条件付けをすることによって迷いがなくなり結果良いところに配属してもらえています。

しかし今回はカミングアウトしたのでどうなるか全く分かりません。
それもまた今後このブログの中で書いていきたいと思います。


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前回もそう思ったんですが…。
ブログに書き綴っている内容がもう読者様のためではなく、純粋に自分のためではないかと。
そしてその意味は…、のちにこのブログを覚書として自分で本を出す為ではないかと。
もちろん、当初の自分の目的を果たしたその後になりますがその為にこのブログは存在しているのだと思います。


今回はその為に今まで私が生きる中で自分のルールとして作り上げてきたことを書きだしていきたいと思います。


私はここ数年、自分がアスペルガー障害なのではないかと疑っていました。
物が片付けられないし掃除も苦手、過集中もありますし時間を守ることも人を疑うことも苦手です。


でも実際のアスペの方たちとお逢いしたところ、どこかが違うのです。
感覚?悩みどころが違うのか、自分自身を分かりたくて参加していたアスペの方たちの集いでさらに孤独感が強まりました。

そして長いこと考えていた末にたどり着いたのがこの本でした。

子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)/学習研究社
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偶然に(私の場合“偶然”と書いて“必然”と読みますが…)アマゾンの検索にこの本が上がってきました。

(アフィリエイトはしておりません)


幼児のころからの虐待で様々な障害が発生すると云う内容にひどく驚きました。
その中に解離性障害というものがありましたが、私にとってはとても納得のいく内容でした。



“解離とは、脳が目に見える器質的な傷をうけたわけではないのに、心身の統一が崩れて記憶や体験がバラバラになる現象の総称である。”


~本文より↑~



私は忘れ物が多く、小学生の時には忘れ物クイーンという不名誉な称号もいただいてしまいました。
子供の頃から覚えが悪く、特に算数や英語が本当に苦手でした。
そのため高校は商業系で数学や英語の授業が少ない、簿記やソロバンや商業授業の多い商業学校を選びました。
ソロバンなら小学生のころから少し習っていましたし、簿記なら新たに学ぶから大丈夫と思っていました。
(結局卒業まで簿記の勉強は苦手なままでした)
理数系が苦手な割に国語や歴史は成績が良く、先生に”頭が良いのか悪いのか分からない”と言われていました。
地理の授業も苦手で地図で場所を探すのは今でもものすごく苦労します。
知らない土地に行くには、地図を穴のあくほど見て頭に入れてから行きます。
そうでないと目的地にたどり着けず延々と迷うからです。


大人になってからは会社のルールに従うのがとても苦手でした。
別に会社に逆らうわけではありません。
伝票や物の置き場や手順の流れ…そういった一般的にある普通の社内ルールを覚えられないのです。
教えてくれる人に怒られたり、呆れられたりしながら仕事をするうちに、いつしか私はどこへ行ってもマイマニュアルを作るようになりました。
よくがんばっているねと言われましたが、私としては必死でした。
それを作らねば仕事ができなかったからです。


お給料を貰うために仕事をするのです。
キチンと仕事ができなければお給料をもらえる資格がありません。
ちんたらやっていたら私という存在は邪魔にしかなりません。
(当時本気でそう思っていました)
何とか人並みになろうと私はどこへ行っても必至でした。

人は誰しも自分がいる場所は快適にしたいと思いませんか?
私は最初はいつ、どこに行っても怒られながら仕事をしなければなりませんでした。
マニュアルもしくは覚書を作るのは何とか仕事をして普通に生きながらえるために必要なものでした。
そんな私は、“さっと手早く”とか“能率的に”“効率を考えて”そう言われるのが苦痛でしかたがありま

せんでした。

自分の会社の物の置き場、伝票や商品、出勤ルールや発送の手順。
それから派遣先の朝礼ルールに催事のスケジュール、イベントの手順etc…。
すべてメモしながら仕事をしていました。
私は会社で支給されるルールブックの他、自分のスケジュール帳(会社のスケジュールの書き込みでいっぱい)と独自のルールブックの3つを作って常に携帯していました。
デスクワークなら問題ないのですが、靴販売をしていた時は売り場ではこのメモ帳を見ることが出来ません。
仕方が無いので、出勤途中や帰宅する時間の電車の中で必ず毎日これらのメモ帳全てに目を通していました。
そうでないと忘れていってしまうからです。


辛い記憶を大切にとっておきたいと思う人はそういないと思います。
親に“虐待”という行為をされた場合、それを取っておけば親のもと一緒に生きていくのは無理です。
忘れてしまう、もしくは一時的に封印しなければ一緒に生活することは困難なのです。
私は解離という方法を使って記憶を無かったことにしてしまっていたのです。
虐待という現実を離れ、自分が生きていくために記憶を手放してしまっていたのです。


先日この解離(解離性健忘)という現象が自分に起こるさまをありありと実感した時がありました。
仕事中に記憶がサラサラと消えていく瞬間が確かにあったのです。

それは、問い合わせいただくお客様のある情報が分かっていながら、実際には“こちらで分かりかねます”とお答えしなければいけないというルールでした。

もちろん会社で色々考えた末に決めたことだろうと思います。
ですがお客様サイドから考えたらお伝えした方がもちろんご納得いただけます。
私の中でもやはり納得がいかなかったのでしょう、メモに残しながら『あれ、ここがこうなって…あれ?で、

結局どうなるんだっけ?』
そう思わず隣の人に確認してしまいました。
1,2分前に話していたことをスーッと忘れてしまったのです。
聞いた言葉が砂のようにサラサラと流れて行ってしまうような感覚でした。
解離という現象が分かっていたからこそ、記憶が無くなっていくその瞬間を意識することができました。
つまり自分が納得できないことは記憶から消してしまうというサイクルが無意識の中で出来あがっているのです。

意識した後さらに自分の分析がすすみました。
婦人靴販売員の時にお客様のお顔を覚えられなかったのも納得がいきます。
靴を販売してしまえば覚える必要が無いと、私の心が判断してしまうのです。
例えば色々な人と出逢いますが、自分の心が必要としない人は覚えないのです。
そのルールは特に決まっていないようで表の私には判断がつきません。


職場での人づきあいもこの解離(解離性同一性障害)という症状を通して見直すことが出来ました。

婦人靴販売の仕事をしていた時は、多い時で百貨店のフロアにスタッフが総勢で200人ほどいた時もあります。
必要に応じて関係各所の人の特徴やら話した内容までメモにとって残していました。
そんなことまで書いてる…といって呆れられましたが、私にとってはとても必要なことでした。
同僚のスタッフの話しを、例えば“どこに住んでるの?”“家族は何人?”といった普通に交わされる会話をまったく覚えていることができないのです。
次に話す時に覚えていないので、“この前話したじゃな~い”としょっちゅう言われていました。

それなので私はいちいち聞いた内容をメモして取っておきました。


私は以前からしていた自分自身が快適に生きていくためにとしていた努力を今は止めています。

必要最低限の人としか話さないようにしています。
他から見れば孤独に浸っていると思われがちですが、それでいいのです。
必要な人とはコミュニケーションはとれています、それ以外の方々と言う意味です。
覚えていられないことは本当はいらないことなのです。
今まで“何が必要で何が不要なものなのか?”という問いに悩んできました。
それは“本当の自分は何を望んでいるのか?”という問いにも繋がります。
実は私自身がもうすでに選択してきていたのです、解離という分かりにくい症状ですが自己表現をしていたわけなです。
必要の無い努力のせいで頭の中がいっぱいいっぱいになってしまっていました。
今は不要なものをどんどん削ってきているのですごく頭の中がすっきりしてきました。


先に紹介した本の中で著者の方が書いています。



~ レジリアンシーの研究から ~


 近年、トラウマ研究の中で注目されている概念がある。それがレジリアンがシーである。

レジリアンシーは復元力と訳され、トラウマに対する抵抗力を示すことばである。
つまり同一と考えられる外傷体験に対し、PTSD症状を呈しにくい個人が存在することは、1980年代か

ら注目をされていた。
ある特定の地域のすべての児童を、経年的に追跡をするというコホート研究の中で示されたのは、児童の約1割に『逆境に強い子』が存在するという事実であった。
その特徴とは次のようなものである。


「敏捷で人付き合いがよい」

「コミュニュケーション能力が高く、知的に高い」

「自らの運命に積極的で、打開に向けてとりくむ」。


…中略…


つまりみずからの運命に直面化し、強引にでもその意味を見い出し、孤立せず、他者と共同で目的に向かって戦い、他者をも守るなど妥協せぬ高い論理性を持ち続ける者、これは言い変えれば人である誇りを泥沼の戦争の中で失わない人間である。


~↑本文より~



私はこの本の、このページを読んで救われた気持ちです。


子供の頃から“私は馬鹿で頭の悪い人間なんだ”と思い込んできました。
それは小説家になりたい、という思いも消し飛ばしてしまうほどのものでした。
私のような馬鹿な人間に小説など書けるはずもないと思っていたからです。


小説家などになるとは言ってもこの迷いがある限り自分自身に天井や限界を作ってしまいます。
そこを破ることなど一体どうやったらいいというのでしょうと、途方に暮れていました。


ですがこの本を読んで初めて足枷が外れた気持ちでした。

私は知的に高く存在していいのだと。
必要のないことは忘れるだけで私は決して馬鹿ではない、文章を綴るという知的作業が出来ると思っていいのだと。

つまり自分の内なる想像を表現していいのだと。
今は文章を綴るのが究極に下手だったとしても、それはこれから勉強すればいい。
私の中にあるものは勉強して得られるものではない。

例え何年かかっても、表現したいやりぬきたいと思う自分がいる限りやり直しはいつでもきく。


私が生きている限り。



次に続きます。

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最近は他の人に読んでもらう記事、と言うよりすっかり自分の為に書いている様相になってきています。


先日の記事から大分経ちましたがまた一つ進展がありましたので記事にしました。

少しずつ違和感が募り始め、それが形を見せ、どうしたらいいのだろうと暗中模索の中何とか消化出来てきたのです。


前回の記事で私の過去への旅は終わりをつげ、新しい旅が始まるのかと思っていました。
ところがさしたる変化も訪れず、パワーアップもせず、自信も無く今までと同じ重苦しい心を抱えもんもんと

した日々を送っていました。
過去を清算したはずなら、これからについてもっと心浮き立ちアイディアが湧き出し、新しい自分になれるはずです。

ところがこれまでと多少変わることはありますが基本的にはネガティブで自信も全然ありません。
つまり今までの自分と変われないのです。
ラインのこちら側からあちら側へといった”超えられた”感がありません。

せっかく記事にしてきたのにといささか拍子抜けした気分の日々を過ごしていました。

実は私の心の中にまだわだかまりが残っていたからでした。

拍子抜けしていた時期は実は次の乗り越えるべき壁、もしくは浄化の海を泳ぎきるためのインターバルに過ぎなかったようでした。


今まで苦労して自分を問い詰め、階段を一段一段登ってきたと思えたのは単なる勘違いだったのか?
新しい希望に向けて努力していこうという気力も、実際のアイディアも空回りするだけです。
掲げてしまった目標が大きすぎて受け止めきれずつぶれそうでした。


外は青い空が広がって気持ちのいい風が吹いているというのに、私の心はヘドロのような不幸と悩みのはざまを漂っていました。

まだ何か私の心の中に解決すべきことが、認めるべきことが残っていたのです。


私は小さいころから猫や小動物が大好きでした。
猫が飼えない時は、ヒヨコとか、文鳥とか、ハムスター(買った当日に箱から逃げられてしまいましたが…)などを飼っていました。
手乗り文鳥を飼っていた時などは、私が帰宅した途端、部屋の奥から私の頭や肩をめがけて一直線に飛んでくるのです。
可愛いったらありませんでした。


先日ある人のおススメで『永遠の仔』という本を読みました。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、虐待にまつわるミステリー小説です。
子供時代に虐待を受けた3人の、子供時代と大人になってからとを章ごとに分けて過去と現在を行ったり来たりします。
その内容からふとあることに気がつきました、子供時代に虐待を受けた子供が大人になってから自分より弱いものにやつあたりしたり虐待することがあると。
もしくは子供の時にもすでに自分より弱いものを苛める傾向にあることを。


ここ数年虐待映像が、瞑想をしている時に浮かぶビジョンのように浮かぶのです。
長い間意味が分からず苦しんできました。
猫に対してが特にひどく文章に表すことが出来ないぐらいです。
なぜこんなヴィジョンを見なければならないのか?
私の心の中に隠されたものが虐待をしたくて疼いているのか?
飼い猫やそれ以外にペットを可愛がる私の心の奥底に、小動物を虐待したい暗い欲望が渦巻いているのか?

自分の異常さに怖れをなし寒気がしました。
私の可愛い飼い猫に自分自身が何かするようなことになったなら…もうどうしたらいいか分かりませんでした。
私の足元に常に寄り添い、愛情しか示さない私の大切大切な存在。
愛情がいっぱい詰まったその小さな身体に虐待してしまうかも…もしそうなったとしたら…

『神様そんなこをする前にどうぞ私を殺して下さい』とお祈りをしていました。


更にもっと困ることが起こるようになりました。
TVなどで犬や猫、あるいは鳥などに対する虐待事件が放送される時などですが、とてもクローズアップして心に響いてしまうのです。

それ以外にも動物関係の悲しい世界のニュースでもそうです。
ものすごく悲しく切なく、自分の責任のように感じます。
あまりにも心に刺さるのでつとめてそういう記事やニュースには目を向けないようにしてきました。
夜になると思いだされて何時間も眠ることが出来ません。
生活する1時間1時間にそのニュースで頭が支配されてしまう時があるのです。


そんなある日本屋さんである本を”偶然”手に取りました。
(私にとってこれは必然だったと思います…)
著者はある虐待児童を引き取り里親として短期間預かった人でした。
大抵こういう子には、最初とても手を焼くことを理解していた著者ですがそれにしてもひどく手に負えない…。
しかし辛抱強く接していくうちに驚愕の事実が明らかになっていくのです。
実はその子供の両親は小児性愛者で更にそれを親戚含め組織だって自分の子供に行っていたのです。
里親になった人は切れ切れに語られる本人の言葉を懸命に拾い、カウンセラーに伝えます。
カウンセラーから警察へと話しは進み、実際に家から証拠写真が押収され、事実と判明し、両親はじめ関係者は警察に捕まります。


この虐待行為にさらされていた子供は重度の人格障害がありました。
いわゆる多重人格になっていたのです。
乱暴する子、他人と話しをする係りの子、甘える子…

ここあたりまでしか実は読み進められなかったのです。
冷や汗が出てきて止まりませんでした。
内容はショッキングなものでしたが、それにしてもなぜこんなに過剰反応するのか不思議でした。

その日はそのまま家に帰りました。


”自分は多重人格者ではないのか…?”

あの虐待ヴィジョンを見る私。
私自身が知らない自分…あれこそがもう一人の私ではないのか?
それは今まで知らず知らずの間に閉じ込めてしまっていたもう一人の私なのか?


今まで酷い虐待映像が浮かぶたび、大急ぎで否定し心の中から追いだし消し去っていました。
もしそれが本当の私だとしたら…本当の私は小動物に意地悪をし、虐待したくてうずうずしてる人格障害者だとしたら一体私はどうしたらいいのか…。
私は頭が変になりそうでした…そんなの私じゃない、私はイイ人のハズ、優しくてちょっぴり根暗だけどそんなひどい人間の部分があるはずが無い。
そう思いこみたがる自分がいました。


手が冷たくなり、目の前が暗くなっていきます。
胸が重く息をするのが苦しくなって気ました。
果てしなく暗い雲の中に掴まれ落ちて行くような感覚がして肩から力が抜けていきます。
首を支えることも出来ずグラグラしていきました。

もし私が本当は他のものを虐待したい心を隠して生きてきたのだとしたら…。
そしてそれが本当の私だとしたら…。

このまま生きて行くのは難しい、このままこの事を抱えて生きていたくないと思いました。


でもここまで辿りついてしまったのです、今さらここで止まってしまうわけにはいきません。
悲しいことに私には前に進むしか道が残されていないのです。

後ずさり出来る道はもうすでに無くなってしまっています。

他に選択肢はありません。


その時ふと気がつきました。
今までどんなに辛いと思っても、もう止めてくれこれ以上無理だと思っても、乗り越えた先は開けた世界があったり、思ったほどひどい状況ではなかったりしたのです。
今、この状況に辿りついたのは何か乗り越えるべきものがあるからなのです。
その“何か”を発見し、掘り出さなければ、今まで登ったり転げ落ちたりしながら進んできたことへの意味が無くなってしまいます。


何があっても受けとめる…そう決心してその先のビジョンを探そうと思いました。


その途端、真昼間で普通に家の廊下に立っているにも関わらず、まるで瞑想をしているかのようなビジョンが頭に浮かびました。

私は何かブリキのような箱の内側に座り込んでいました。
目の前の壁面はひどく汚れています、まるでゴミ箱の内側のようです。
直感で感じました、それは現在の物を感じている自分ではありません。
その箱の中で座ってただ壁面を見ているのは『もう一人の私』でした。


次の瞬間、外から見ているもう一人の私に戻りました。
いつも生活し、このブログを書いたりしているいわゆる“自分”と解釈している自分です。
私はその大きなゴミ箱の蓋を開けました。
と言うより蓋を開けたと感じました。
次の瞬間、“箱の外側の自分”は“箱の内側の自分“を見ていました。
二人とも立っていました。
内側の自分は半分腐っていました、生きながら腐って溶けていたのです。
匂いはしなかったと思います。


そう、私はずっと子供の頃からこのもう一人の自分を箱に閉じ込めてきたのです。
多分この”内側の自分”こそが”虐待の記憶”を受け持っていてくれていたのだと思います。
自分で信じたくない其の部分、半世紀に渡って閉じ込められてきた内側の自分。

日の目を浴びることもなく一度も外の空気を吸うこともなく、生きる屍のごとく腐っていってしまっていたのです。

不思議と恐いとも気持ち悪いとも感じませんでした、しかし一瞬どうしたらいいのか迷いました。
この屍になってしまった自分、紛れもない自分、ビジョンの中で二人は向かい合ってただ立っていました。
この間ほんの数秒のことだったと思います。


私は心が決まりました、”外側の自分”は”内側の自分”を抱きしめたのです。

腐って顔も崩れてしまっています、骨は見えてはいませんが腫れあがって雪だるまのような感じです。
身体の感触はしっかりしていて少し冷やっとしました。


“今まで気がつかなくてごめんね、ありがとう、もう一人の自分”、声は出ませんが感情で声をかけました。
しかし返事はありませんでした。
内側の自分は何も感じていないようでした。

怒りも悲しみも希望も感じていません。
ただ抱きしめられて立っていました。

内側の自分は何を感じていたのでしょうか?
外側の自分にはわかりませんでした。


次の瞬間、二人は前を向いていました。
周囲には何も無く、暗い世界に薄明かりが差しています。
外側の自分の右すぐ後ろに内側の自分が立っているような気がしました。


ここまで見てビジョンは途切れました。
まるで白昼夢のような出来事でした。
この時私は廊下の途中にある階段に座り込んでいました。

目は開いていましたが家の中の景色を見てはいなかったようです、ただボーっとしていました。
こんなはっきりとした長いビジョンは今まで瞑想中ですら見たことがありませんでした。



現在、普通に生活は流れていっています。
とりあえず何か目立つ変化は表れてはいません。
突然明るくなったとか、希望に満ち満ちて活力があふれ…なんてことはありませんでした。


ただ私の中の残虐なビジョンですが、これの理由が分かって来ました。
たまにまた嫌なビジョンが浮かぶことがあります。
もう一人の自分かと思い、”ヨシヨシ何か思っているの?大丈夫だよ私が一緒についているから恐いことも何も無いからね、今までほおっておいてごめんね”といいながら内側の自分に語りかけ抱きしめ背中をポンポンと叩きます。
そうするとスーッとビジョンが消えていくのです。


その時私は思いました、長いこと閉じ込めてしまった自分は何か表現したい時にこの他の方法が無かったのかもしれないと。
それが良いことか悪いことか?内側の自分は分りません。
外側の私が虐待を受けてきたことを覚えていないとするなら、内側の自分だけが一身に虐待を受け止めてきたことになります。
注がれるものが愛情ではなく、注がれるものが虐待だけだとしたら…。
つまり何か話したいと思った時の表現方法が愛情サイドから発信されたものではなく、虐待サイドからしか発信出来ないのだとしたら。
内側の私に罪はありません、ただそれだけなのです。
何か感情を表現しようと思ってもそれしか言葉を知らないことと同じなのです。


何回かそんなことがあってからどんなタイミングで虐待ビジョンが浮かぶか検討がついてきました。
自分が自分に対して思いやりの無いことをしている時なのです。
例えばもう休めばいいのに無理して仕事を続けたり、自分に責任の無い事なのいつまでも悔やんで自分のせいにしていたり…。
そういうことをしている時に限って嫌な虐待映像が浮かびます。
つまり、内側の自分が言いたい表現したいことは、外側の自分が自分に対して精神的に虐待しているよと言うことなのです。


現在の私は他の人から見て全く変わっていないかもしれません。
いや少し違ったかな?
昨年より体重が7㎏ほど減りました。
中学3年生の時91㎏あった体重が現在は57㎏になりました。
食べ物に気をつけてはいますが特にダイエットをしているわけではありません。
自分を脂肪の塊で保護しなくても良くなったのです。


ここまでやってきてようやっと一区切りですがまだもうひと山あるようです。

またしばらくしたらもうひとつ記事を書く予定です。
そこまで表現することで現在の私が出来る過去清算の最終段階になります。


またしばらくお付き合いいただけると幸いです。


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